第七話 月夜のゼリー
家に帰り支度を済ませる。
大きめの紙袋にレジャーシートとレクリエーションのための道具を突っ込んだ。
今日は駄菓子が無いから、おばあちゃんがくれた寒天ゼリーを入れる。
甘くてしょりしょりした寒天ゼリーがオブラートで包まれ、さらに個包装されている。
昔は舌に張り付くオブラートが苦手で、こっそり剥いて食べたものだが、今では気にせず美味しく食べられるようになった。
苦手を受け入れ、共存を図る。
つまり、私も大人になったという事だ。
時計を見ると夜十一時を少し回っていた。
頼んだ以上、待たせるわけにはいかない。
私は全身に虫除けスプレーを吹きかけ、窓から家を出た。
今日はちゃんと服を着ている。
若干首周りがよれたパジャマ代わりのシャツと、高校時代のハーフパンツの黄金コンビだ。
私の物持ちがいいのか、それとも丈夫な素材でできているのかはわからないが、サツマイモカラーのハーフパンツは流行に左右されない味がある。
もちろんそれを脱ぐ気は無い。
(公私混同しない大人だからな、私は)
私は一人夜道で胸を張った。
会う時はいつも日付を跨いでいたから、正直かなり早めに出たつもりだった。
しかし、道路から畦道に入るあたりで、田んぼの奥からクリーム色の塊がこちらに向かって走ってきた。
まだ生後半年だと聞いたのに、見事なコーナリングで畦道を全力疾走してくる。
そんなハナコに大きく引き離されて佐伯も駆け寄ってくる。
私の足元までくると、ハナコは嬉しそうに尻尾をブォンブォンと鳴らして振った。勢いがつきすぎて、お尻まで揺れているのがとても可愛い。
口元は相変わらず笑顔で、目元も弓形に見えるから多分満面の笑みなのだろう。
しばらく撫でていると、ぜぇぜぇと息を切らせた佐伯が合流した。
「か、神崎さん、早いですね……」
佐伯は立ったまま腰を折り、膝に手を当てて俯いていた。
「無理に喋らなくていいよ。佐伯、うちらの年齢でその息切れは心配だから運動しな?」
ハナコも佐伯を心配してか、俯く佐伯を下から覗き込んでいた。
佐伯の息が整うまでハナコを撫でる。
そして、落ち着いたらいつもの場所まで移動した。
広々とした田んぼに囲まれた畦道。
そこに持ってきたシートを広げ、袋を置く。
私が黙々とレジャーシートを広げるのを見ていた佐伯を促すと、靴を脱いで「お邪魔します」と乗ってきた。
佐伯が歩くたびに、畦草に浮かされたシートがパリパリと音を立てる。その音が少しだけ懐かしかった。
ハナコはそんなシートの感覚が気に入らなかったのか、私と佐伯の真ん中を駆け抜けて畦道のパトロールへ出かけて行った。
ハナコは田んぼの境界を器用に駆け抜けていて、決して道路に飛び出さないから見ていて安心できるし、私たちの顔が見えなくなるほどは離れない。
その賢さを感心していたら、佐伯は「ハナコは甘えん坊なので、こちらの位置をちらちら確認してるんですよ」と教えてくれた。
そんな私たちは、シートの上に折り紙を出しひたすら切り始めることにした。
小腹を満たせるように、私はゼリーの袋をバリッと開けた。
「良かったら食べて、ばーちゃんがくれた仏様用のお菓子のお下がり! 賞味期限はバッチリ安全だから」
私はお気に入りのレモン味を口に放り込んだ。
周りのオブラートが口に張り付くが、キュッと噛み切ると程よい歯応えとレモンの風味がふわりと鼻腔をくすぐる。
「んま! やっぱレモン味だわ」
ゼリーを観察していた佐伯にもレモン味を差し出した。
それをまるで高級菓子のように両手で恭しく受け取る佐伯。
ゼリーを月明かりにかざし、色を見ながら眩しそうに目を細めている。
「スーパーで見たことはあったんですが、こうしていただくのは初めてです」
そう言って包装を開けると、私がしたようにゼリーの真ん中をガブリと噛んだ。
「ん、不思議な食感なんですね!」
喋りながらも口元はしっかり手で隠している。
食レポはそんなに上手くないらしい。
「なら私は佐伯に初めて寒天ゼリーをあげた女だな!」
そう言うと、何故か佐伯は激しく咽せこんでいた。
若いから大丈夫だとは思うが、つい喉の動きを確認してしまう。呼吸音も問題ない。うん、生きてる。
佐伯は持参した水筒から紙コップへ麦茶を注ぎ、私に手渡してくれた。
レジャーシートを敷いて、オヤツとお茶を嗜む。
月明かりに照らされて、袋の中の色とりどりのゼリーが淡い光に照らされて、静かに色を浮かべている。
佐伯と共に過ごしてきたであろう年代ものの水筒。
その中でキンキンに冷えている麦茶。
手渡された白い紙コップさえ、特別なもののように思えた。
「ピクニックみたいだな」
「ピクニックみたいですね」
私たちの発言はほぼ同時だった。
華やかさのない静かな夜のピクニック。
それがなんだかとても楽しかった。
その後、私たちはのんびりと雑談をしながら、手先だけをひたすら動かした。
虫除けスプレーのおかげか、それとも佐伯が持参した蚊取り線香のおかげなのか、虫のご飯になる事は回避できた。
佐伯はどんどんお洒落なものを生み出しているのに、私に任されたのはひたすら決められた場所に切れ込みを入れて広げるだけの提灯作り……。
(適材適所か)
器用さが羨ましくなるが、私は忍耐力なら負けないと自負している。
提灯を作る歯車の役目をしっかり担おうと決意した。
それでも佐伯の手が生み出す華やかな飾りの数々に、時々目を奪われる。
「佐伯は本当に器用だなぁ……手伝ってくれて助かったよ」
本心だった。
佐伯を真っ直ぐに見てニカッと笑う。
そんな私の笑顔を包み隠すくらい、月明かりが似合う穏やかな微笑みで返した佐伯。
「僕がお役に立てて良かったです」
その謙虚さを見習いたいと思ったが、高すぎる目標は心が折れるのでとりあえず記念に残そうとスマホを向けた。
突然の行動に戸惑う佐伯の許可を得て、撮影する。
見返すとオロオロしながらも微笑もうとしている佐伯が映っていた。
写真ではなく動画になってしまったが、これはこれで面白かったので保存しておいた。
「そういえば、今日は夜なのに服を着てるんですね。おかげで目のやり場に困らずにお手伝いできます」
佐伯が笑う。
「仕事の手伝いを頼んだのは私だからな! 自分だけ全力でリラックスするわけにはいかんだろ?」
言いながら足を崩して胡座をかいた。
それをみた佐伯が一瞬固まり「その姿勢は服を着ている時だけにしてくださいね」と念を押してきた。
流石に全裸で胡座は女としてアウトな気がするので、「気をつける」と前向きに約束させてもらった。
その後も七夕飾りを増やしながら他愛もない会話を続ける。
「なんかさぁ、七夕って毎年雨降ってる気がしない?」
「新暦の七夕だと梅雨真っ盛りですからね。数年の確率で考えても晴天は2.3割といったところですかね」
「新暦?」
「簡単に言うと今の暦は太陽の動きで考えられてます。旧暦は……あれです」
そういうと佐伯は空を指差した。
指の先を辿ると、夜空に淡い光を放つ月がある。
「月の満ち欠けを基準にして一か月を決めていたんです。だから、旧暦の七夕なら八月に入ってからですし、晴れが多いと思いますよ」
私は佐伯の知識に感心する。
このネタはしっかり覚えておいて、是非とも施設の七夕祭りで使わせてもらおうと心に決めた。
「しかし……年に一度の晴天の夜にしか会えないとして、雨続きでキャンセルになるわけだろ? となると、自分たちの恋すら危ういのに他人の願いなんて背負えるのか?」
「そこは地域性もありますが、雨の時にはカササギが天の川に橋をかけてくれるからちゃんと会えるという地域と、七夕の雨は二人が会えない悲しみで流す涙だ、という考えもあります……願いはともかく、考え方は色々ですね」
そう言ってふわりと微笑んだ。
会えないよりは会えた方がいいとは思う。
けれど恋人がいたことのない私には、織姫の気持ちはいまいち想像できない。
とりあえず、今年の七夕に雨が降ったら「洗濯物が乾かない!」と文句を言うのだけはやめようと思った。
続いて願い事を書く短冊を用意した。
施設の利用者と、職員は願い事を書く。
笹が色とりどりの短冊で彩られるのは、さぞ綺麗なことだろう。
私は思いついて佐伯に提案した。
「佐伯もこっそり短冊に願いを書くといい! 施設の笹にこっそり結んでおいてあげるよ」
そう言って短冊を一枚手渡そうとしたが、駆け込んできたハナコがそれをガブリと横から噛んだ。
短冊は唾液で湿ってしまったが、牙のあとが綺麗に二つ空いている。
ハナコは紙を噛んでしまったのが本意ではないのか、申し訳なさそうな上目遣いで私を見ている。
それでも、こんなに綺麗に空いたのだから、悪くはない。
私はハナコをワシワシと撫でた。
「これはこれで夏らしく風通し良さそうだ! よし、ハナコ! 今度は願いを込めてもうひと噛みっ!」
そう言って穴の空いていない部分をハナコの口元に差し出した。
ハナコは「怒らないの?」という表情で恐るおそるガブリと噛んで口を開けた。
四つ空いた牙の後。
不揃いたそれはまるで何かの記号のようだ。
きっとハナコの願いも込められているに違いない。
「賢いなぁ、ハナコ!」
私はまたハナコを撫で、首に抱きついた。
暑さで自分も汗をかいていたせいか、ハナコの毛が多少張り付くが、妙に落ち着いた。
(夏の満員電車は不快なのに、ハナコと触れ合うのは好きかもしれない)
私は思う存分ハナコの首周りの匂いを吸い込んだ。
シャンプーなのか、少しだけ甘い匂いの中に草や土の香りもする。
「わふっ!」
ハナコがお返しとばかりに私に飛びつくと、私たちはレジャーシートに転がるように並んで横になる。
ふと佐伯を見上げたら、真剣な顔をして黙々と短冊を書いていた。
「……うん、これがいい。書けました」
そう言って手渡された短冊には、綺麗な文字で『穏やかな時間が続きますように』と書かれていた。
多くは望まない。
平穏な日々を望むのは佐伯も同じか。
でもーー。
「それが一番難しいのよ!」
私は佐伯の服をぐいと引っ張る。
勢いに負けたのか、私の隣に座るハナコの隣へ転がった。
「ハナコがいるから、ちょうど川の字だな!」
そしてふと思いつき、自分の書いた短冊を佐伯に渡す。
「私の願い事が半分叶ったわ」
「……今は夜ですけどね」
くすくすと佐伯が笑う。
短冊にはマジックで大きく『休みの日はハナコとのんびり昼寝したい!』と書いた。
「昼ではないから夜寝かな」
そう言うと佐伯は「それだとただの就寝ですよね」と笑った。
弓のようにしなやかにカーブを描く佐伯の目に、夜空が映る。
ハナコの目の中にも星が舞う。
悪くない、穏やかな夜だった。




