♡ジェラルドの夢6.夢から覚めて
夏季休暇もほぼ終わり、王立学園の「憩いの園」に足を踏み入れる。
ここには、あそこの共生の森のように鬱蒼と茂った木々はない。草花に囲まれた空間づくりというコンセプトの園で、他の生徒も入りやすい。
遊歩道を抜ければ広い芝生。囲うように遊歩道は続きウッドテラスを通りすぎればガーデンもあり、植えてある薔薇を眺められる位置にベンチが置いてある。ルージュロワイヤルにカインダブルー、クリスティアーナと夏の薔薇が見頃だ。
僕は一人でそこに座り、空を見上げる。
後期の授業開始前の科目選び……もうそれは終わらせた。適当に知り合いと一緒にだ。ここで休日を過ごして月の曜日から授業開始だ。
もう少し、あっちにいたかったな……。
あの夢のあとにすぐレイシアと仲を深める気にはなれなくて、結局一度だけ挨拶を交わしただけだ。
……そろそろ、なんとかしないと……。
そう思うのに体が動かない。
明日からにしようと自分へ言い訳をしながら、目の前の薔薇をぼんやりと眺めた。
* * *
ジェラルド様がそこで早朝から物思いに浸られているようだと他のご令嬢から促され、お昼近くにガーデンへと向かった。
そんな報告をされましてもね……彼は私と話なんてしたくないでしょうに。彼と浅い関係しか築けていないことくらい察せられるはずなのに、迷惑な話だわ。そんな話を聞いて、行きませんでしたとは返せない。
仕方ないわね……。
もうお昼も近い。立ち去っていることを期待しましょう。
彼がわずかに本音を垣間見せたのは一度きり。チェスで勝負してみるかと聞かれ、ジェラルド様を楽しませられるような力量はありませんと断った。残念だと言った彼の言葉は本音のように思え……そのあとには形式的なやり取りしかしていない。
あれを受けて惨敗でもしてみせれば少しは仲も改善したのかもしれないけれど……私は今の関係がちょうどよいと思っている。
私はあまり堪え性がない。夢中になると止まらなくなってしまう。刺繍に夢中になってしまった時にはたくさんの職人を呼んで技術の習得だけでなく新たな技法やスタイルを共に生み出そうと熱を入れた。気に入った書籍の中に登場する人物のモデルがいると知れば会いに行くか呼びつけるかしてしまい、舞台である場所にも行きたくなってしまう。
ジェラルド様は魅力のある方だ。セオドア様以外に心を開かれてはいないご様子だけれど、彼がセオドア様のご婚約を止めたことや隣国の王立学園を勧めたことは私の耳に入っている。
自分の叶わない願いを弟であるセオドア様にはせめて、という善意でしょう。それくらいは分かる。
悪い方ではない。
夢中になってしまえば私は間違いなく鬱陶しいだけの女になってしまう。そんな迷惑はかけられないし辛くも当たられたくはないもの。寂しくても、つかず離れずのほどよい関係でいなくては……。
あら、ジェラルド様。まだいらっしゃるじゃない。
咲き誇る薔薇の中のベンチに座る彼はどこも見ていないようだ。軽く心の中でため息をつきながら話しかける。
「ジェラルド様、突然お声をかけて申し訳ありませんわ。もうお昼ですけれど、お戻りにはなりませんの?」
「ああ……君か」
様子がいつもと違うわね。
そういえば、戻ったと挨拶された時もそう感じた。前は完全につくっていると分かる笑顔か、迷惑だと思っているような苦笑いが多かったのだけど……、今は少し困っているような感情が見え隠れする。
隣国での学園生活が影響しているのは間違いないわね。彼に影響を与えた何か……ああ、駄目。気にしちゃ駄目よ、私。しつこく聞いてみたくなってしまう。抑えなくては。でもほんの少しなら……。
「そんなに楽しかったのでしょうか、あちらでの学園生活が」
「ああ……そうだね」
戻りたくて仕方がないという顔をしている。苦しそうな……。
おかしいわ。彼は顔をつくれるはず。私に知られないようにできるはず。知ってほしいと思っていなければ、こんな顔は見せないはずで……あちらで何があったの?
ああ、駄目。知りたい、耐えられない。あのことから、なんとか聞き出せないかしら。
「そういえば、あの件は分かりましたの?」
「あの件? 何かあったかな」
「ヨハネス殿下とその婚約者様が互いの愛の確認のために婚約を解消されたという件ですわ。不思議だとジェラルド様もおっしゃっていましたものね。私も気になっていたのです」
今なら聞くチャンス……よね?
「ああ……すごく仲がよかったよ。ところ構わず手を繋いだり腰に手を回したりしているんだ。卒業したらすぐに結婚するだろうな。僕やセオドアともボードゲーム制作委員会なんて立ち上げて遊んでいたし、結婚式には僕たちも呼ばれると思うよ」
いきなり饒舌に……。
「それなら、なぜ解消されたんでしょう」
「……彼女に……あいつにずっと愛されるという自信がなかったからだろう。ヨハネスに自分は相応しくないと考えているようだった。学園ではずっと側にいられるし、すぐにその問題も解決するよ」
そう言って少し悩む素振りを見せたあと……。
「彼女にね、君と仲を深められるゲームなんかも教えてもらったんだよ。本当にたくさん知っているんだ。一つボードゲームをもらってきた。今度一緒にやろう」
……こう言おうと決めていたような言葉。最後はやや棒読みね。感情がこもっていらっしゃらないわ。
「今まで私とそのような関係になろうという意思は失礼ながら感じなかったのですが……」
「そうだね、仲のいい彼らを見て反省したんだ」
どうしよう……どうしようどうしようどうしよう。
「私との関係は悪いものでは――」
「でも浅い。自覚はあるだろう?」
「私……私は……」
彼に本音を私も言ったことがない。
初めてのことで、声が震えてしまう。
「そうしてもらえるような価値のある女ではないのです……」
「……どーゆーことかな」
「知りたくなってしまうの。気になることがあると我慢できないの」
これ以上、距離を縮めようとしないで。
「婚約の解消がなされた理由を聞けるほどに仲がよくなられましたの? 私との関係をよくするための話など他の方がいる前でできまして? 二人きりで話すことができるくらいの間柄でしたの? ヨハネス殿下は知っていらしたの? 聞きたいことが、問い詰めてしまいたいことが少し話すだけでたくさん出てきてしまいますの。耐えられませんの……私とは距離を置く方が正解ですわ」
婚約者にこんなことを言うなんて私は最低の女だ。涙がつい滲んでしまう。楽しい思い出をつくって戻りたくて泣きたい気持ちでいるのはきっと彼の方なのに――。
彼が、ふっと笑った。
「知りたがりの癖か。そういえば、君の父上から以前に君がそういう女性だと聞いてはいたな……忘れていた」
お父様ー!!!
勝手になんてことを。せっかく隠していたのに。自ら今、話してしまったけれど。
「彼女のものの見方は独特でね。僕の発想にはないもので、二人で何度か話させてほしいとヨハネスに頼みはした。助言しか受けていないよ。見張りも彼女に気付かれないようについていた。ただ……毎日仲間六人で話したり委員会もあったし、婚約解消の理由を察せられるくらいの関係は築いたかな」
「それでも、ヨハネス殿下はその方といつも手を繋ぎ腰に手を回していたのでしょう? そのようなお方がすぐに納得するのかしら。ヨハネス殿下にどうお願いをいたしまして?」
「そ……れは……」
迷っている顔ですわね。
「嘘をつくかつかないか迷っていらっしゃいます? 私と……無理に仲を深めなくてもいいのです。根掘り葉掘り聞きたくなってしまう。私はそういう女なのです」
彼が重いため息をつく。
「私は……そろそろ失礼いたしますわ」
「待ってよ、話が終わっていない。ヨハネスに跪いて泣いて懇願しただけだよ、二人きりで話をさせてほしいと無様にね。自分の婚約者がそんなんで、幻滅した?」
そう言って自嘲気味に笑って肩をすくめる。
ああ――分かってしまった。
今の彼に強く影響を与えているのが誰なのか――。
「公爵令嬢、ライラ・ヴィルヘルム様」
私の言葉に対する彼の表情で確信する。
「あなたはそのお方を、愛してしまったのですね――」
風が薔薇の甘い香りを連れてくる。
花の香気も小鳥のさえずりも、きっと今の彼を癒すことはできない。
彼の愛した人はきっと、この青い空の続く遠いあちらの国で恋人と笑い合っているのでしょう。
私は本当にどうしようもない女だ。
ピンと張り詰めた糸を切ってしまいたくなる。彼には吐き出す場所が必要だなんて自分に言い聞かせ……。
駄目だ駄目だと思いながら、彼の隣に座って――。
固い顔を私に向ける彼に、心からのお願いをした。










