♣アンソニーの恋愛4. アトリエ
「ほとんど完成したってね、アンソニー」
「わわ、ジェラルド様。すみません、来られると分かっていたら片付けたのですが」
「いいや、いつもの光景を見たくて何も言わずに来ただけだ。気にするな」
「そ……うですか。レイシア様も、お見苦しくてすみません」
「いいえ、芸術家らしいアンソニー様を見てみたかったので、私が内緒にしていただいたのです」
慌てて脚立を降りた俺に、湖のように美しい水色の髪を揺らしながらレイシア様が品よく微笑まれる。
ライラ様とは正反対のタイプだ。
……色んな意味で。
学園を卒業してから、さほど期間を置かずにヨハネス様とライラ様がご結婚された。父からそうなると聞かされていた通りだ。
それから一年も経たずにジェラルド様もご結婚された。
俺は書簡で例の絵を描きたいのですがとお願いをし……なぜかレイシア様のご実家である公爵家の庭園にアトリエを用意された。
例の絵を描き、ついでにとジェラルド様たちの肖像画を描き終わったら好きにしていいとは言われている。
どうしてここなのかは、謎だ。アトリエにしては建物も大きいし、いずれは王宮とは別のお二人のくつろぎの場にでもなさるおつもりかな……。ご結婚前から計画をされ、俺がここに来た時には既にもうあった。セオドア様たちも呼んでの私的に集まる場にでもするつもりなのかもしれない。
「どうでしょうか」
「ああ、いいね。さすがだな」
「ありがとうございます」
そこに描いたのは、鮮やかな花だ。
艶やかに咲く高貴な紫の薔薇。
可愛さが溢れる桃色のスイートピー。
煌やかで優美な黄色の胡蝶蘭。
元気いっぱいに広がる大輪の赤いガーベラ。
気品があって華やかな、白と緑の混じり合うアマリリス。
すっと伸びる茎に花をつける深い青のヒヤシンス。
最初はスイートピーではなくチューリップにしようかと思ったけれど、構想の段階でジェラルド様に変更させられた。何か理由はありそうだったので、その通りにした。描いてみると……確かにこちらの方がそれらしい気がする。
「お前の目には……僕たちはこう見えたのか」
「ええ。今でも鮮やかに思い出されます」
「談話室には僕がこっちに戻るまで居座っていたからな。視界の端に映って邪魔くさかったけど、それでよかったかなと思えるよ」
今では、昔のようなあんな目はされない。気安く話していただけるようになったし、他の人へも穏やかな目をされることが多いように思う。
「でも、学園では結局あれから話しかけてこなかったよね。そんなに答えが出なかった? こっちに来るのも遅かったよね」
意地悪そうに聞いてくる。でも……悪意がないことも分かっている。ジェラルド様にとって、こんな会話ができる相手は多くない。特別感すらあって、少し嬉しく感じてしまう自分が気色悪い。
「……お陰でジェラルド様の言葉があれからずっと頭から離れませんでしたよ」
「気持ち悪いことを言うね。質問したことを後悔してしまうじゃないか」
「俺だって、ずっと気持ち悪かったんですけど」
「ははっ、だろうな」
雑談をしていると、ノックの音がした。
「入っていいよ」
ジェラルド様が応じると、レイシア様の歳の離れた妹、エルミアが中に入ってきた。ジェラルド様を見るなり顔をほころばせて喜ぶ。
「失礼します。お義兄様、直接こちらにいらしていたんですね」
「エルミアか。挨拶もせずにすまないな。元気だったか?」
「は、はい! お義兄様もお元気でしたか?」
「ああ、レイシアの助けもあってね」
「ありがとうございます! 姉の相手ができるのは、お義兄様だけだと思いますわ」
エルミアはジェラルド様のことを尊敬しているようだ。お二人がご結婚されてからは喜々としてお義兄様と呼んでいる。
「僕だけだといいとなとは思っているよ。今日はね……レイシアはアンソニーと二人で話したいらしくてね。少し外に出ようか。君の話をしよう」
「え……いいんですか。アンソニー先生とお姉様を二人きりになんて……」
……俺もいいんですか、ですけど……。ジェラルド様、何考えてんの……。
「大丈夫だよ。アンソニーだって、自分の腕が飛んでいくのは本望ではないはずだ。ねぇ?」
分かりやすく脅すよなぁ……。レイシア様と似た者同士だなと感じる。前にちらっと余計なことを言った時には、レイシア様に「その腕……邪魔そうですね」と笑顔で返された。ここではあまり下手なことは言えない。口説こうともまったく思わない。
親切でお優しくて、真剣に俺の言葉について考えて答えてくれる麗しいライラ様に……会いたいなー……。
「余計なことはしませんし言いませんよ。腕がなくなっては困ります。俺の芸術への愛を信じてください」
「ああ、それなら信じてやるよ。エルミア、行こうか」
「はい、お義兄様と二人でお話できるなんて嬉しいです。アンソニー先生、腕がなくなったら私の先生ができなくなっちゃうんだから、気を付けてよね!」
「はいはい、行ってらっしゃい」
エルミアも絵を描くことが好きだ。俺が来るまでは、ここは彼女の私的なアトリエだった。いつか俺が一時的に借りることが前提の、だ。本当は人の絵に自分の色なんて混ぜたくはないけど……エルミアの絵に少しだけ描き足してやると、まるで魔法だと嬉しがる。
最近は同じように描いた絵を二つ用意して、俺の描き足しを真似しようとする。
自分の感覚をもっと大事にしろとは言っているけど……俺の見ている世界をまずは知りたいと言い張るからなぁ。ここの王立学園に彼女が入学するまでは、アトリエから離れられなくなりそうだ。
それに……彼女が十六歳になるまでに結論を出せと言われている提案が、俺に降りかかっている。
「それで、アンソニー様。お聞きしたいことがありますの」
ジェラルド様たちが出ていくと、早速レイシア様が話し始めた。
あー、嫌だー……。
苦手なんだよなぁ……。
「なんなりと」
微笑みをたたえたままの彼女と対峙する。
何を言われるのか全然見当はつかないけど……嫌な予感しかしない。










