第二話
「……ふう」
風呂上がり。何時もならさっさっと布団に入って就寝と行く所だが……今日は何時もとはちょっと違う。
「……くそ」
思いだしても腹が立つ。誰が情報弱者だ、誰が。終いには『将来の貧乏人なう』とか言いやがって!
「……そこまで言うなら勉強してやろうじゃないか。趣味、勉強だしな!」
――株を。
むしろ部長より詳しくなって、逆に『ねえどんな気持ちぃ? バカにしてた後輩に教えて貰うってどんなきもちぃ?』って言ってやるぜ!
「えっと……」
勉強机に配置してあるデスクトップ型のパソコンのスイッチをオン。親父のお古である旧型のそれは、『ブオン』なんて鈍い音を立てながらファンを必死に回す。既に二十一世紀も十年以上過ぎているっていうのに某窓のロゴの隣に燦然と輝く『98』の数字に小さく溜息を吐いた。なんと言うか……情報弱者呼ばわりされても仕方ないスペックな気がするよ、うん。
「……こないだ有希が買ってもらったってパソコン、良かったよな」
『へふ! かずちゃん、どうやって使うの、コレ!』なんて泣きながら電話がかかってくるから何事かと思ったが。アイツにあの最新型は明らかにオーバースペックだろ。
「……と、ようやくか」
有希のパソコンと比べるべくもない遅さを誇る愛機がようやっとスタート画面を表示。ブックマークに登録している『お気に入り』を幾つかチェック。更新は今日もな――
「……あれ? フラッペ帝国荒廃記、更新されてんじゃん」
フラッペ帝国は『小説家になれるといいね!』に連載されているweb小説だ。この作者、基本は日曜日しか更新しない人なんだけど……今日、まだ火曜日だぞ?
「勤勉になって来たな。週一なんてけち臭い事言わずにドカッと投稿しろよな、ドカッと。ようやく分かってきたか、この作者も。人気取りたかったら日刊でやれよ」
どっから目線だよ、と言わんばかりの悪態を吐きつつ、それでもイソイソと内容へ目を通す。ふむ……今回もまあまあだな。
「……と、株式会社?」
ストーリーの最後の方で出て来た『株式会社』という単語が目につく。株式会社とは! みたいな説明を流し読みしながら、別窓で気になる単語をチェック。ふむ……なるほど、イールドカーブ……って、え?
「マジで? 株ってこんな裏ワザがあんの?」
え? んじゃ絶対損しないじゃん、コレ。えっと……お年玉貯金、幾らあったっけ?
「……っと。コレぐらいにしとくかな?」
夢中になってついつい集中してしまった。つくづく、ネットの世界は時間泥棒だと思うぞ。気になる単語が出れば簡単に調べる事が出来るからそんなに必要のない事まで調べた結果、時計の針は既に十二時を回っていた。
「……ん? なんだ、コレ?」
明日もあるし、そろそろ寝ようか。
そう思い、パソコンの電源を切ろうとした俺の眼に飛び込んで来た、アルファベット三文字。
「……HOC?」
エイチ、オー、シー? ホック? どっちだ? なんとなく、興味本位にそのページを開いてみて。
――あなたは『HOC』を知っていますか?
――あなたは『HOC』を知っていると言う人を知っていますか?
――もし、『知っている』という人に出逢ったとしても、信じてはいけません。
――だって、それは『嘘』だから。
――だって、それは『幻想』だから。
――誰もが『ソレ』を知っていたとしても、誰もが『ソレ』を知り得ないのだから。
――その『答え』に辿り着いたとしても、それは決して『正答』では有り得ないのだから。
もし、貴方が『HOC』の『意味』を知ったとしても、人には話さないで下さい。
だって。
――――きっと貴方自身、『HOC』を理解出来ていないのだから。
「……ほう」
中々に挑戦的な文字が飛び込んでくる。成程、『理解出来ない』と来たか。
「そう言われると理解してやろうって気になるのが人情ってもんだろ?」
こういう、クイズ的な話は結構好きな方だ。解いた後の達成感は格別だしな。
『『HOC』の話はするな』
『スレを潰されたいのか?』
『粘着うぜぇ。消えろ』
『宗教間の対立を煽る様な事するなよ!』
『はいはいネタネタ』
『HOCってアレだろう? 確か、1800年代からつづいて……おや、誰か来たようだ』
『だから、『ズンベロ』みたいなもんだろう?』
『いやHOCはHOCじゃないとダメ。マクガフィンには成りえないから』
『ククロビン?』
『それ何てパタロリ?』
『ロリとか』
『マジレスすると、『HOC』の話は辞めよう。意味が無いから。スレの頭に書いてるだろう? 『HOC』の意味に辿り着いたしても、『HOC』を理解する事は不可能だから。不毛不毛。あんまりサーバーに負担かけんな』
『意味わかんねえし。辞めようってんならスレ立てすんなし』
止めようとするものがいて。
謎を解明しようとするものがいて。
煽りを入れるものがいて。
「……祭りかよ」
スレは大きな盛り上がりを見せていた。
「……HOC、ね。何かの略称か?」
今広げてるウインドウとは別窓で、『HOC』を検索してみる。会社名、某有名バイクのオーナーズクラブ、拡張子の名前……
「……絶対違うよな、コレ」
だって、『HOC』の意味は分からないって書いてあるんだぞ? にも関わらず、会社名とかだったら一発で分かるだろう?
「だとしたら……何だよ、一体」
リロードを押すたびに、次々とレスがついて行く。まるでチャットの様に、それこそ一秒毎の単位で。
『つうか、マジで教えろよ! 何だよ、HOCって! 気になって寝れないだろうが!』
『昼寝すれば無問題』
『いや、本当に教えて下さい。HOCって何ですか?』
『教えてちゃん、ウザっ! つうかそろそろ辞めようぜ、この話。そろそろ、こうあ……おっと、誰か来たようだ』
『HOCはアメリカの超機密文書の略称』
『いいや、宇宙人の秘密基地の事』
『だから、意味なんて無いんだって!』
『レスはやいw チャットか、ココは』
『単芝生やすな、カス』
「……結局……なんだ? 皆、意味も分からずに騒いでるだけか?」
そう思い、パソコンのウインドウを閉じようとするも……何故か、眼はその文章に引きつけられる。気になる事を調べなきゃ気が済まない自身の性格が恨めしい。
「……HOC……ね。明日、皆に聞いてみようかな?」
何となく後ろ髪を引かれる気分でその単語を気にしながら、俺は何時もより遅めの就寝についた。
◆◇◆◇◆
「なあ、勇人」
「なんだ?」
「HOCって知ってるか?」
「は? ホック? 何だ、それ?」
「さあ? もしかしたらエイチ・オー・シーかも知れん。アルファベットでHOCな」
翌日の放課後。文芸部室で漫画を読んでいる勇人に、開口一番話を振ってみる。
「昨日、ネットで見かけたんだよ。『貴方はHOCを知ってますか?』っていう文章。お前なら何か知ってるかなって」
チラリとタイトルが目に入る。アレは……ああ、アレか。黒手袋の小学校教師のヤツな。
「チョイスが若干古くないか?」
「ドラマが結構面白かったからな。ちなみに、地味に怖い絵面の所もある」
「っていうか、勇人。学校で堂々と漫画読むな」
「固い事言うなよ。つうか、コレだって立派な文芸部の活動だろう?」
「漫画を読むのが?」
「『読書』という幅広い括りでは、正しい部活動だ」
「幅が広すぎるだろうが」
「お前だって部室でネット小説漁ってるだろ?」
「まあ……でも、アレは一応小説の括りじゃねーか?」
ネット『小説』だし。そんな俺の反論に、勇人は肩を竦めて見せた。
「アレが読書ならコレも読書だよ」
「……屁理屈を」
「お前の方が屁理屈くさいけど……まあ、屁理屈、小理屈、理屈の内だ」
……ったく、こいつは……ん?
「どうした、有希?」
「へ、へふ! か、かずちゃん……え、えっちなのはイケないと思います!」
「……は?」
「ほ、ホックって……そ、その……」
そう言って、自身のその大地の恵みに感謝したくなるほどの胸の辺りをチラチラ見て、頬を赤らめる有希……って、ああ。
「そう言う意味じゃねえよ」
「そ、そうなの?」
「むしろ、『ホック』って単語で直ぐにそっちが浮かぶお前の方がムッツリだ」
「む、ムッツリじゃないよ~! わ、私だって、最初は片方の腕が無い海賊船の船長さんを想い浮かべたんだから!」
「……そうか。それは良かったな」
「あれ、カズ? 突っ込まないのか?」
「あんなしょうもないボケに一々突っ込んでいたら芸が腐る」
「芸が腐るって……芸人じゃあるまいし」
うるせえな。突っ込み待ちでボケをする人間に合わせてやるほど、俺は人間が出来て無いんだよ。まあ、有希の場合は素であのまんまの可能性もあるにはあるんだが……って、ん?
「……どうしたんですか、部長」
気付けば、先ほどまで読書に勤しんでいた部長の視線がこちらを射ぬいていた。え? 何で?
「どこから聞いた? その話」
「どこからって……いや、昨日ネットで見たんですけど?」
「ふむ……ネット、ね」
かけていた眼鏡を外し、軽く目尻を揉む部長。
「和樹」
「何ですか?」
「悪い事は言わないから、その話は忘れろ」
「忘れろって……って言うか、部長。『HOC』の意味が分かるんですか?」
「意味が分かるのか、と問われれば……分かるとも言えるし、分からないとも言えるな」
「……何ですか、その曖昧な表現」
「そうだな……どう説明したものか……」
苦笑しながら、俺を見つめて。
「そんなに大した話でも無い。だからもう忘れろ」
「なんでですか!」
「意味が無いから」
「それは昨日、ネットで散々言われてるのを見ました。でも……そもそも、その『意味』が無い、という『意味』が分かりません」
「ふむ……『意味』が無いという、『意味』ときたか」
俺の言葉にしばし中空を見つめていた部長だったが、やおらこちらを振り向くとその口を開いた。
「時に和樹、君は宗教……そうだな、もっと端的に言えば『神』の存在を信じるか?」
「は? 何です、急に。それが何か関係あるんですか?」
「質問に質問で返すな。小学校で習っただろう」
「……別に信じるとか信じないとかは……いたら良いな、ぐらいは思いますけど」
宇宙人とか未来人とか超能力者なんかも。居た方が何となく浪漫があるし。と言うかそもそもクリスマスを祝った一週間後に、寺で百八の煩悩を吹き飛ばし、その足で一年を言祝ぐ、そんな宗教に対して異様に懐の深いこの国で、真剣に神様の事なんか考えた事が無い。それでも困った時は『助けて神様!』なんて思うし、まあ信じてると言えば信じてるのか?
「ふむ。それでは、神様は何処に住んでる?」
「か、神様の住んでいる所ですか?」
「そうだ。神様とて住所不定無職ではあるまい。世界中を放浪の旅に出ているわけでもないだろうしな」
「いや、神様は『神様』って職業だと思うんですが……まあ、普通に考えて『天国』ですかね?」
仮にも神様だ。まさか地獄に定住している訳ではあるまい。
「別荘ぐらいは持っているかも知れないがな、地獄に。つまり、『HOC』とはそういうモノだ」
「……は?」
「詳しく説明すると……だから、『HOC』とはそういうモノだ」
「全然詳しくなってません! 接続詞を変えただけじゃないですか、ソレ! いや、そういうモノって言われても訳が分かりません! 天国云々の話は何処に行ったんですか!」
俺の言葉に、やれやれって感じで肩を竦めてみせる部長。何だろう? 若干、ムッとするんですけど。
「『天国』の事細かい説明をしろ、と言われて説明できるか?」
「そ、そりゃ……」
思わず、言葉につまる。て、天国? 天国ってのは……その……
「えっと、蓮の花が咲いてる所に、仏さまが座っていて……」
「思いっきり純和風の想像だな。当たり前だが、西欧では西欧の……所謂、アブラハム圏の天国像がある。お前が言っている『天国』はがっつりインド系だし、無論道教系にも――少し、横道に逸れても良いか?」
「……ダメって言っても逸れるんでしょ? どうぞ」
「ふと思ったんだが……キリスト教はキリスト教で唯一神が居て、イスラムにはイスラムの唯一神が居るよな?」
「そうですね」
「つまり……確実にどちらかは間違いという事になるな」
「……待て」
「違うか?」
「どっちの神様も居る可能性もあるでしょうが!」
「そうしたら『一神教』が違っていた事になるだろう?」
「あ、アンタは……取りあえず、宗教関係のネタは辞めてくれます? 色々不味いから!」
「片一方の親玉は『自由』の国だろう? 言論統制を強いて、何が自由の国か」
「もう片一方は聖典パロッたら死刑宣告受ける世界観なんですよ!」
肩で息をしながら睨んで見せるも、当の部長はいつもの様に涼しい顔。
「誰もが知っているが、誰も行った事が無い場所、ソレが『天国』だ。天国の事細かい説明など、真の意味では誰も出来ない。なんせ、行った事が無いのだからな。それこそお前の言った『天国』かもしれんし、何もない『無』の空間かもしれん」
「でも……死後の世界の特集番組とかあるじゃないですか?」
「その真と偽を、どうやって見分けるんだ? 天国来国証明書でも発行しているのか? それとも、八十八か所巡りよろしく、スタンプでも押してくれるのか? 天国滞在を証明できる銘菓でもあるのか?」
『天国に行ってきました』みたいな、と肩を竦めてみせる部長。う、ううむ……一理ある様な、もの凄く屁理屈臭い様な……
「『HOC』もそれと一緒。『HOC』と呼ばれる『モノ』がある事は分かるが、『HOC』がどんなモノなのか、それは誰にも説明出来ん」
「……部長でも?」
「私を何だと思ってる? 出来る訳無いだろう」
「じゃ、じゃあ、部長は『HOC』を知らないって事になりませんか?」
「そういう意味で聞かれれば、答えは『知らない』……正確には『分からない』だな。インターネットを見たんだろう? 何と書いてあった?」
「……」
誰もが『ソレ』を知っていたとしても、誰もが『ソレ』を知り得ないのだから。
その『答え』に辿り着いたとしても、それは決して『正答』では有り得ないのだから。
「だろう? 誰も『正答』を知り得ないモノに意味を求める事こそ『無意味』だ」
「でも……」
話は此処で終わり、とばかりに部長が読んでいた本に再び目を落とす。何だろう……この得体の知れないモヤモヤ感は。
「……あ……分かった!」
今まで横でぽーっと俺と部長のやり取りを見つめていた有希が手を叩き声を上げる。分かったね、ハイハイ、それはようございまし――
「…………は? わ、分かった?」
呆気に取られる俺に、有希は一瞬あのいつもの『きょとん』とした表情を浮かべて見せた後。
「――うん! 私、分かっちゃった!」
そんな事をのたまった。