第二十二話 人鬼戦争Ⅳ
デミは中途半端をやめた覚悟を決めて茨の道を裸足で歩くことにした。もう吹っ切れたデミは周りのヴァンパイアをなでるように見てヴァンパイアのリーダーになることを宣言した。
「デミ、ギダムの北側に行きなさい」
「北?あそこは隠れるところがないじゃない」
ギダムの西側はクナ谷、南と東はミシル森があるが北側は開けた平野だ。木々もそれほど多くないので隠れる場所はない。
「だからこそよ。向こう側はヴァンパイアが北から来るとは考えていない、北側の兵は少ないのよ」
保安部とギルドが手を取ったとはいえ急遽人員を集めたので数は限られている。無論北側の兵は少なめになっていた。
「クナ谷の底を通って北に行く、少し登るけどそこから北側に出られるわ」
ヴァンパイアの数はもう半数を切っている。逆に人間側はそれほど被害を受けているわけではなかったここから逆転するためには奇襲しかない。
「日没まで間に合う?」
「ヴァンパイアの足を考えても2~3時間は戦える。かなりギリギリだけどね」
この作戦を成功させるのはなり立てのリーダーであるデミがどれだけヴァンパイアを引っ張っていけるかにかかっていた。
「動くなら早めがいいわよ」
「うん、1分1秒でも惜しい」
デミは谷に向かって歩き始めた。ヴァンパイアを操る方法は知らなかったがデミが歩くとヴァンパイアたちもついてきた。確かルコは自分のやったことをヴァンパイアもしてくれたという、つまり合図無しでもカリスマさえあればある程度は動かせるはずだ。「まるでアリの大行列ね」とナナは笑った。
「デミ、私は一旦ギダムに戻るわ、私が忽然と消えたら向こうは私を怪しむもの。それに兵たちを南に集めるように声をかけてみる」
「信用していいかわからないけど期待しておくよ」
「信用も期待もしてもいいよ」
デミとナナは一旦別行動をとった。デミはヴァンパイアを引き連れ西から北へ、ナナはギダムへの工作に。二人の少女の戦いが幕を開いた。
デミはヴァンパイアを連れてクナ谷に差し掛かった。この谷は大地震の結果生まれた地割れが長年の月日をかけて大きくなった谷だ、その殆どは断崖絶壁だが一部は急な坂道程度の角度であり歩いて底を行くこともできる。最も谷底はヴァンパイアスポットになっているので訪れる人はいない。谷底には兵士の姿が見えなかった、谷底に渡る道が少ない上に狭いため攻め込むには無理があるからだ。無論ヴァンパイア側にとっても同じなのでここはヴァンパイアの待機場所になっている。
谷の底まで着くとまだヴァンパイアはたくさんいた。森のヴァンパイアは随分と数を減らしてしまったが谷底はヴァンパイアを多く残していた。
デミは谷にいたヴァンパイアを巻き込んで北に向かっていく、北の端まであと中間というところで少し崖が浅くなっていた。この高さならやろうと思えば飛び降りたり逆によじ登ることもできるだろう。そう、やろうと思えばここから人が来ることも・・・
「暫くぶりだな、半人半鬼」
「ブレイさん・・・」
浅くなった崖のてっぺんにブレイが腰掛けていた、すぐ下はヴァンパイアの海というのによく居続けられるものだ。
「だいぶお前は変わったな、前会った時はヴァンパイアと戦っていたと思うが今はヴァンパイアを連れているのかい」
「私はヴァンパイアになりました。人間にヴァンパイアを認めさせます」
「あの女の子の代わりにでもなったつもりか?」
ブレイは崖から飛び降りてデミの前に立った。反射的に周りのヴァンパイアが動き始めたがデミが手で静止するとヴァンパイアは行動をやめた。
「随分なリーダーぶりじゃないか」
「なり立てですが」
「では何故いま攻撃を止めさせた、あの時は味方だったが今は敵だぞ?」
理由は知り合いを手にかけたくないに決まっている。たとえ敵どうしであっても知り合いであることには変わりなかった、考えるまでもなくデミはヴァンパイアたちを止めた。
「ぬるい!本当にぬるい!デミ、総司令はこう言ったぞ“これは戦争だ”とね・・・」
ブレイは愛用の太刀を抜いた。デミの前で構えを取る。
「お前に限らずに今回の兵士たちは本当にぬるい、大規模なヴァンパイア退治としか思っていない。でも俺は思うよ、これは戦争だと」
「この国でおきた戦争は60年前の大戦が最後ですからね」
「だが俺は違う、俺は祖国で民族間戦争を生き抜いてきた。友人を殺したこともある!昨日まで友人だったのに戦争が始まったとたん殺し合いだ!」
実際の戦場を見てきたブレイの言っていることは説得力があった。ブレイの言葉はデミの喉から胃に入っていった。
「俺はここのヴァンパイアの見張りを頼まれた。ヴァンパイアに動きがあれば本隊に伝えるのが役目」
「戦うわけではないのですね」
「おう、だから本隊に戻らせてくれ」
「それはできないです」
今ここでブレイに帰られては兵士を大量に相手しなければいけなくなる、それだけは勘弁したかった。
「じゃあ俺を殺すのだな」
「それはできないです」
デミはブレイの刃先を見た。ブレイは間違いなく切ってくるだろう。
「司令官を倒せばまあおとなしくなるだろう。デミ、殺されてくれ」
ブレイは太刀を突き出しながらデミに向かってかけていった。
本部には森の方に行っていた兵士たちが戻ってきていた。森のヴァンパイアはほぼ全て倒したのだ。ミクスとベルー、2人の司令官は森から帰ってきた兵士たちを出迎えていた。
「なんか拍子抜けだと思わないかい?」
「同感だ」
ミクスとベルーは喉に引っかかる何かを感じた。森のヴァンパイアを一掃しようと兵を送ったのにあまりにもあっさり終わってしまった。
「敵指令を倒したからだろうか・・・」
「いや、それでもおかしいぞ」
ルコはギダム攻め続けるようにヴァンパイアに命令していたのでルコがいなくなってもヴァンパイアの攻撃は止まらないはずである。それなのに攻め入るヴァンパイアを見ることがなくなっていた。まるで倒す前にヴァンパイアがどこかに行ってしまったようだ。
「イリバの教え子・・・ナナネルズだっけ?あいつは森を攻め続けろといったがもう南にヴァンパイアはいないぞ・・・」
1時間ほど前にナナがミクスの元を訪れて「今後もヴァンパイアは森から攻めてくるだろう、だから森、特に南側に兵を集めること」と言ったがどう考えても森からせめて来るようには見えなかった。
「ヴァンパイアはリーダーなしでは動けない、彷徨うだけだ。ここでヴァンパイアが大きな移動をしたと言うなら・・・」
「新たなリーダーが現れたということか。そしてそのリーダーはあの半人半鬼・・・」
ベルーの推測をミクスが付け足していた。今ヴァンパイアの中で新たにリーダーができるとするならばデミ以外に考えられない、誰もがそう考える。
「あいつ以外に知恵のあるヴァンパイアがいないだろうからねぇ」
「もしあいつがヴァンパイアを引き連れて行く場所は・・・おそらくクナ谷・・・」
状況から考えてヴァンパイア側にとっては一旦引くべき場面だ。人間が攻め入りにくい谷に一旦引き上げるだろう、これならば森からヴァンパイアがいなくなった理由もわかる。
「谷には確かブレイが見張りしていたな、そいつの情報を待つか」
「それがいいだろう、しかし・・・」
ミクスはどうしても気になることがひとつあった、ナナのことだ。
「ナナネルズはどうして森に兵を行かせようとしたのか・・・」
「専門家なりのカンじゃないか?」
「しかし実際には森にはヴァンパイアなどいなかった・・・森を抜けて南に敗走するならば南東のコリ村辺りからヴァンパイア襲来の報告があるはずだが・・・」
「じゃあ予想が外れたとか・・・いやナナネルズはどういうわけか兵を南に行かせようとし、逆に谷や平野は行かせたくないように見えた・・・」
ミクスとベルーは考えたくもなかったがある推測が立ち始めていた。2人ともとてつもなく苦い薬を飲んだようだ。ベルーはここでナナに関するあることを思い出す。
「確かあいつはデミと一緒に行動していたことがある」
キキ村からナナは少なくともキショーまでデミとハルと行動していた。それだけではない、ナナは本来渡るはずのない情報をキショーからキールに送っていたのだ。ナナはスパイ行為をしていた。噂ではナナはランスの居なくなったギルドに興味を失ったという、もし行くあてのなくなったナナの興味がデミに向いたのなら・・・
「どうしてこんな事に気づかなかったんだ!」
ベルーは壁を思いっきり叩いた。
「ナナネルズはヴァンパイア側のスパイかもしれない!前科もある!」
「なんだって!?」
「証拠はない、ないけれども・・・!」
「おい!誰かナナネルズを呼べ!今すぐだ!」
ミクスはすぐそばにいた兵士に向かって叫んだ。叫んだあとにこれは内密に事を進めなければならないと思いミクスは叫んだことを後悔した。
「ミクス指令、ナナネルズですが・・・」
「どうした?」
ナナを呼ぶように言った兵士が数分後に帰ってきた。とてもミクスに話すのを嫌そうにしていたので大体の報告内容はすぐに予想できた。
「ナナネルズは少なくても本部にはいません・・・」
予想通りの結果にミクスはため息をするしかなかった。この忙しい中ナナが本部から出かける理由を見つけることはできない。
「ナナネルズ・・・」
ナナは既にいなかった。司令官2人のナナに対する疑惑がより強いものになったのは言うまでもない。
「でやぁああああ!」
ブレイが太刀を振るうがデミはかわす、さっきからその繰り返しばっかりだ。
「デミ、ヴァンパイアを使ったらどうだ!」
「・・・・!」
あまり数で押し負かすような卑怯なては使いたくない。
「噛み付いても来ないとは・・・やる気あるのか?」
「私が噛み付いても相手はヴァンパイアにならないんですよ!」
「本当に中途半端だな」
「でも決心は決めました!」
「じゃあ戦え!卑怯な手を使ってでも戦え!それが戦いだ戦争だ!」
戦士の血が騒いでしまったのかブレイの太刀のる殺気がより強いものになった。
「しまった!?」
太刀がデミの右足首を見事に切断した。足首を切られてしまっては走ることも歩くこともできずに頭から滑るように転んでしまった。
「もらったぁ!」
デミはとっさに指をブレイに向けた。近くのヴァンパイアがブレイに飛びかかってきた。
「ちぃ!」
ブレイは飛びかかったヴァンパイアのへそのあたりから横に切り裂いた。一対多の状況はしたくなかったがこのままでは細切れにされてしまう。
「そうだ!死にたくなかったらあらゆる手を使ってでも生きろ!」
ブレイはどういうわけか敵であるデミを称えていた。デミはどこかの回路のつながりが強固なものになり大きな束のようになっていた。
「よいっしょっと!」
切断された足首に力を入れて足を再生させた。即席だったせいで獣みたいな脚になってしまったが靴もない今ではこっちのほうがいいかももしれない。
「たいした回復力だこと、ヴァンパイアが慕うわけだ」
「ブレイさん、ありがとうございます。おかげで戦う意志ができました」
「それはそれは・・・」
ニヤついていたブレイの顔をデミは指差した。そしてデミはブレイに向かって走り出す。ヴァンパイアも何をするべきなのかわかってくれた。あたりのヴァンパイア全てがブレイめがけて動き出す。
「クソッ!」
ブレイは何度も斬りまくる、その度にあたりにヴァンパイアの肉片が散乱し大雨のあとのように地面はぐちゃぐちゃになっていった。
東国の英雄ブレイであってもこの数の差はどうしようもなかった。むしろよくこれほどまでに戦えたものである。デミが本気を出してヴァンパイアと共に戦って5分後にはブレイは噛まれて横たわっていた。意識が亡くなる直前にブレイはこう言った。
「一回戦上に立っちまうともう戦場でしか生きられなくなる。俺はそれが怖くてこの国に来た、アキュスにいた。だがこうして戦っていると・・・最期は戦いに身を投じれてよかった。しかもこれからヴァンパイアとして戦えるんだ、これほどいいものはない・・・」
デミはブレイがヴァンパイアになる前にその場をあとにした。知り合いがヴァンパイアになるところは勘弁してもらいたい。
そんなことを思っていた矢先だ、谷の岩場に座り込むようにして眠っている人がいた。状況から見てヴァンパイアに噛まれたのだろう。近くの横穴には焚き火のあともあった、こんなところにも人が住んでいたのだ。
「・・・・・」
倒れている人に覚えがある。弓を持っている少し年上の少女は紛れもなかった。
「カノン・・・」
足を止めるしかなかった、本当はすぐにでも逃げ出したいくらいだ。
「お知り合いなの?」
「ナナ!?」
ナナが例のクロークを羽織って登場した。タイミングがいいのか悪いのかわからない。
「この人、保安官でもギルドでもないわね・・・」
ナナがカノンのやたら大きなリュックを開くと中から武器やら宝石類やらが出てきた。普段は持ち歩くようなものじゃない。
「デミ、この人は何?」
「カノンは・・・フリーのヴァンパイアハンターだよ・・・」
カノンはアレバの荒野にいたはずだ、そのカノンがここに居ること自体が不思議である。残りの仲間は?ボレロやロンド、それにバロックはどこに行った?
「ヴァンパイアハンターね・・・確かに弓の矢尻には太陽石があるけどこの荷物を見る限り盗人なのじゃないかしら?」
カノンは仲間と一緒に盗賊に間違われたことはある。そしてカノンはそのあと本当に盗人として活動していた。アレバの一件のあと人間が信じられなくなったカノンは商人がよく通るギダム周辺で商人を襲っていたのだ。このことはデミはもちろんロンドやボレロも知らなかっただろう。
「ヴァンパイアになってしまった・・・」
「そうね、戦争が起きているとも知らずに噛まれたのでしょうね」
「私のせいだ・・・」
「デミは悪くない、でしょ?」
デミは直接カノンをヴァンパイアにしたわけではない、でも責任を感じざる負えなかった。兵士であったブレイならともかく関係ない人間さえも巻き込んでいる。
「デミ、悲しむのはやめて。」
ナナはここでデミを探していた。早めに伝えて早めに戻らないといけない。
「予想以上にヴァンパイアの数が減っている。初めはヴァンパイア10万に対して人間1万、今はヴァンパイア1万に人間1万・・・人間側にはせいぜい100人くらいにしか被害が出ていない。数は互角でもこれだけ減っちゃったらもう奇襲でも勝ち目はない」
「・・・・・」
デミはナナの言葉をほとんど聞き流していた。事実目線はカノンに向いたままだ。
「デミ!」
「ご、ごめん・・・」
「とにかくここからは逃げるための戦いをするべきよ。ここから北に行って逃げる、アスロ村ならこの数でも制圧できるしそれにアスロ村には大きな洞窟がある。そこに身を潜めて次の機会を伺いなさい」
「逃げるが戦い?」
逃げるための戦いなんてデミには理解できなかった。
「私はなるべく北へ兵士が来ないようにしたけどそれでもあいつらはここにデミが来るとふんでいるみたい、実際ここに来るまでに多くの兵士を見たわ。このままだと・・・」
「でも勝たないと意味ないじゃない!」
「デミ、本来の目的を忘れていない?この戦争は勝つのが目的ではないわ“認めさせるため”の戦争よ。本来の目的は達成された、少なくてもこの戦争は人類史に残る戦争だと私は思う」
「引き際ってこと・・・」
物音がしたのでカノンの方を見るとちょうどカノンがヴァンパイアとして目覚めるところだった。無関係なものを巻き込んでしまうのも戦争なのだ。
「デミ、アスロ村を何とかして制圧して。私はギダムに一度戻ってからアスロ村に行く」
「ナナお願い、時間だけでも稼いで」
カノンはしばらくキョロキョロしたあとにヴァンパイアの一団に加わっていた。新たなヴァンパイアでもリーダーは認識できるようだ。
「ふふ、私一世一代の大勝負よ」
ナナは明るく手を振りながらギダムに戻っていった。デミとヴァンパイア一団はアスロ村の制圧をするべく北に進路を取った。
ナナはなるべく目立たないようにギダムに戻ろうとした。ナナはあらかじめギダムの裏口の鍵を本部から”借りている”。この裏口はまず兵士は通らないため何食わぬ顔で戻ることができるはずだ。戦場を見る限りミクスは谷の南と北からデミたちを挟み撃ちにするつもりでいるようだ。この状況では兵士を南に誘導することは難しい。ナナはすべての兵士を谷の中に行かせるように仕向けてデミたちを逃がす作戦に出ることにした。
次の策を練りながらナナは裏口の小さな扉を静かに開いた。目立たないように入ったつもりだったのだが意外な人物が扉のすぐそこで待ち構えていた。
「イリバ先生!?どうしてここに!?」
仮眠室で休んでいるはずのイリバが待ち構えるように扉の先がいた。顔は酷くやつれているようで疲れていることが伺える。
「ナナ、ちょっと出なさい」
イリバはナナの手首を掴むと入ってきたばかりの扉を外に出ていった。イリバは入口周辺に誰もいないことを確認すると静かに扉を閉めた。
「ナナ、今までどこに行っていたの?」
「そ、それはその・・・」
いつものイリバだ、この世界の全てをお見通ししているいつものイリバだ。おそらくナナがヴァンパイア側に肩入れしていることも気づいている。
「今本部に戻ったらあなた拘束されるわよ」
「え・・・」
バレた?バレている?しかもこの様子だとバレているのはイリバだけではなくておそらく全体的にバレている。
「ヴァンパイア側についたのね・・・ランスの時みたいに・・・」
「・・・・・」
否定できないナナがそこにいた。ナナがギルドに情報を流していたこともイリバはやはり気づいていたのだ、気づいていてイリバは気づかないふりをしていた。そのせいでナナは嘘をつくのが苦手になっていたようだ。“多少ハメを外しても気づかないふりをしてくれる”ナナはイリバの行為に無意識に甘えていた。気づかないうちにカンの鋭いイリバだけではなく普通の人にもわかってしまうくらいにナナは目立つ行動をしてしまったのだ。
「私の教え子はどうしてこう手を焼かせるものが多いのかしら・・・いま本部はナナがスパイだとかで静かに騒いでいるわよ・・・」
「静かに騒ぐって・・・ふふっ」
笑いたくはなかったが強がりの一環としてナナは笑うことにした。とてもぎこちない笑顔だったのは自分でもわかる。
「ナナ、真実かそうでないかはともかく今は戦争。疑いがあるというだけで殺されるかもしれない、それが戦争・・・」
「つまり私はおとなしく殺されろと?」
「嫌なのよ私は!教え子が殺されるのが!」
イリバは誰にも見せたことのない涙を嵐のように流していた。
「逃げなさいナナ、ヴァンパイアの方にも行っちゃダメ。この戦争はおそらく人間が勝つ、そうなったらナナは捕まっちゃう。誰もいないところに逃げて、誰も来ないところに逃げて!」
「先生・・・」
「いいから逃げて!早く!ここだって兵士はいっぱいいる!」
「・・・・!」
ナナは何も言わずに駆け出した、振り返らなかった。本当はイリバの顔をよく覚えておきたかったがイリバに顔を合わせることができなかった。イリバにはたくさんの恩がある、それなのにその全てを仇で返してしまった。本当に迷惑をかけた。
行くあてはどうしよう・・・どこにある・・・
「この先にデミがいるのですか?」
ギダムの北西、ちょうど谷と平野のあいだ辺りにハルとルメルはいた。もう兵士たちはデミがヴァンパイアの新たなリーダーとして活動しているというのはわかっていたようだ。
「おそらくな・・・」
この先には傾斜が緩やかになっているところがありヴァンパイアが北側を抜けてくるならここから登ってくるはずである。
「ルメルさん・・・スライムの一件の時はすいませんでした。頭に血がのぼってしまって・・・」
「すぎたことはいい、こっちも頭がおかしかった・・・」
「それとありがとうございます。僕ひとりだけを行かせてくれて・・・」
ハルはルメルに深くお辞儀をした。
「今デミを止められるのはお前だけだ。それ以外のやつじゃ無理だしハルに誰かがついて行っちまってもダメだと思う」
ハルは大きく深呼吸して体の古い空気をそう入れ替えした。
「デミを止めに行きます。そして連れ戻してきます・・・」
「連れ戻すか・・・」
ルメルは遠くの一点を見つめたあとハルの背中をおした。
「行ってこい・・・」
「はい・・・」
ハルは静かに歩き始めた。デミが来るであろう谷の方に・・・
 




