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第13話 退社

 社長が事務所に出勤してきたのは昼休みが終わった午後番だった。社長椅子に座ると、鼻をほじりながら『できるオトコの100の習慣』という自己啓発本を読んでいる。重要な箇所には黄色い蛍光ペンで線を引く。

 実門《みかど》は躊躇なく席を立つとインスタントの珈琲を作り運んだ。社長は黙って、豪快に飲む。一口が大きい。側から離れない実門を不審そうに眺める。


「なんだ? 昨日夜に連絡したキャラクターデザイン案100体分できたのか?」


 実門は『辞表』と書かれているA4サイズの大きめの茶封筒を机に置いた。


「なんだ?イラストのデザイン案かと思ったら辞表じゃないか? また寝ぼけているのか実門」

「社長。あたしの覚悟は変わらないわ」

「 ハハハハ ハハハハッ 」

「急な話で申し訳ありませんの」

「 ……!! 」

「……」


 実門の真剣な眼に気後れを取った社長は声色を変えた。


「堅苦しいぞ、実門。……いや、ミカちゃん。おじさんと呼んでくれ、昔のように」

「叔父さん。私には時間がないんです」

「なら今日はゆっくり休め。疲れが取れれば、頭も冷えるだろう」

「……」


 実門は母親の病気のことを伝えるか迷ったが止めた。


「どうしても辞めるというのなら……、姉ちゃんに言いつけるぞ!」

「良いわよ? お母さんには、叔父さんにイラストレーターの仕事だと騙されたと真実を話すわ。実質はブラック企業で雑用全般させられたって」

「せ、せっかく正社員にしてやったのに恩を仇で返す気か。」

「正社員ったって小さな零細企業じゃない……、アルバイトの方がまだマシよ」

「安定した収入があることの幸せがわからないのか」

「安定なんて楽しくないわ」

「なんだと!?そもそも社会人としての責任はどうなんだ?せめて自分の仕事くらい終わらしてから去るべきじゃないのか!?」

「責任っていったって、昨晩にいきなりキャラクターデザイン案100人分描けだなんて非常識よ」

「ここでは私が常識だ!」

「……叔父さん」


 社長は立ち上がると大きめの封筒を破いた。ビリビリという音に、書類を作成していた社員たちは視線を移す。地面に散らばった書類を踏みつけて社長は腕を組む。


「こんな辞表無効だ!! それにおじさんじゃない、私は社長だ!!」

「あたしは今、仕事に追われて漫画が描けない漫画家志望者。

 そしてあたしは最後には漫画で生活するようになりたい。

 そのためには、あたしは1年の間に専門学校に入学して勉強して、夜は秘密の授業を受けないといけない」

「なんだ、それは」

「あたしの人生のログラインよ」

「ぐぬぬぬ」

「今までありがとう。あたし、秘書というよりも、雑務をこなしたり、絵を描いたり変な仕事ばっかりだったけど。ここと皆のこと大好きよ」



 実門は最低限の荷物を持って部屋を出て行った。

 営業部の直会氏人(なおらいうじひと)が社長に耳打ちする。


「いかがなさいますか社長? デザイン案決定の打ち合わせまで時間がありませんが」

「……。まさか、辞表の中にイラスト案が入っていたとはな」

「ちゃんと100人分を描いてくれていたのに、社長が思いっきり破ってしまいましたね。……それにしても大丈夫ですか?」

「ミカちゃんは本来、明るい子だ。俺が少々追い詰め過ぎたかもしれない」

「いえ、デザイン案のイラストの納期が迫っているので」

「……あと何分ある?」

「……2時間少々ですね」

「美術の成績はどうだった?」

「そちらの方面の才能はなく……僕は2でした」

「そうか。俺は4だ。よし、筆を持ってこい」

「はっ、社長!!」

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