三神の石像と、論理の迷宮
第二十階層の『偽天使』との激闘を無傷で乗り越えた僕たちは、現れた大扉を押し開き、塔のルールに基づく三度目の『知の試練』へと足を踏み入れた。
第二十一階層。
扉の先に広がっていたのは、第一、第十一階層と同じような真っ白な空間と、白黒のタイルだった。
だが、この階層はこれまでの知の試練とは明らかに「異質」だった。
足元に敷き詰められたチェス盤のようなタイルは、完全に平らではなく、不規則に歪んで波打っている。
遠くを見つめれば、空間そのものがメビウスの輪のようにねじれ、天井が床に、壁が空へと繋がっているような、狂った非ユークリッド幾何学の世界が広がっていた。
空気は無臭だが、肺に吸い込むと静電気を帯びたような刺激があり、耳の奥では「キーン」という不快な高周波が常に鳴り響いている。
ただ立っているだけで三半規管と脳の認識がズレていき、激しい車酔いのような吐き気を催す空間だった。
「……気持ち悪い場所ね。空間の法則そのものがバグっているみたい」
霧島さんがこめかみを押さえ、顔をしかめる。
「気を確かに持て。幻惑の類いだろうが、我々の精神を直接削りにかかってきているのは間違いない」
アーサーさんが白銀の大剣を杖のように突き立て、精神を統一するように目を閉じた。
『――よくぞ、五分の一を踏破した。英雄諸君』
空間の四方八方から、無名の王の嘲笑うような声が響き渡る。
『暴力の階層は楽しんでもらえたかな? ……さあ、約束通り、第三の謎解きを始めよう。君たちの脳味噌が、この狂った空間でどこまで論理を保てるか見物だ』
無名の王の声と共に、波打つ白黒のタイルの上に、三つの巨大な『顔の彫られた石碑』が、地響きを立ててせり上がってきた。
『今回はシンプルだ。三つの石碑はそれぞれ、「真実の神」「嘘の神」「混沌の神」を模している。真実の神は必ず本当の事を言い、嘘の神は必ず嘘をつく。そして混沌の神は……真実か嘘か、完全に「ランダム」で答える』
「ランダム……? つまり、でたらめに答える奴が一人混ざっているってことですか」
僕が眉をひそめると、王の声は楽しそうに続いた。
『その通り。君たちはこの三つの石碑に対し、合計で【三回】だけ「はい」か「いいえ」で答えられる質問をすることができる。一つの石碑に三回聞いてもいいし、バラバラに聞いてもいい。……三回の質問を終えた後、どれがどの神かを完全に言い当てたまえ。制限時間は十分だ』
王の気配が消え、空間に再び不快な高周波の静寂が訪れる。
「……一人は必ず本当の事を言い、一人は必ず嘘をつく。ここまでは典型的なパズルですわね」
シャルロットさんが扇子を広げ、三つの石碑を見つめる。
「ええ。ですが、問題は『ランダムに答える混沌』がいることです。そいつに質問してしまった場合、返ってきた答えには何の論理的価値もありません。情報を引き出すどころか、推理を完全に狂わされてしまいます」
僕の指摘に、レオンさんが「また頭痛のするクイズかよ……」と頭を抱えた。
(……どうすればいい? 最初の質問で『混沌』に当ててしまったら、その時点で貴重な一回が無駄になる。確実に混沌以外から情報を引き出すには……)
僕が必死に思考の海へ潜ろうとした、まさにその時だった。
【賢神ソフィア】:フハハハハハハハッ!! 傑作!! 傑作だ無名の王よ! 人間相手に『世界一難しい論理パズル』を持ち出してきおったわ!
【雷神トール】:おいソフィア、笑っている場合か! レンたちが困っているぞ!
ダンカメから、知恵を司る賢神ソフィアさんの大爆笑が響き渡った。
【賢神ソフィア】:安心しろトール! この程度のパズル、神の叡智の前では赤子の遊びよ! レン、私の言う通りに質問しろ。
このパズルの肝は『いかにして混沌を質問の対象から外すか』だ!
「ソフィアさん! つまり、混沌がどれかを一発で特定するんですか!?」
【賢神ソフィア】:違う! 混沌を特定するのではなく、『確実に混沌ではない奴』を一人見つけ出すのだ!
ソフィアさんの指示に従い、僕は真ん中の石碑の前に立った。
「真ん中の石碑に聞きます。『もし僕が、「左の石碑は混沌の神か?」と尋ねたら、貴方は「はい」と答えますか?』」
僕の回りくどい質問に、アーサーさんたちがポカンとした顔になる。
だが、真ん中の石碑は重々しい声で**『……ハイ……』**と答えた。
【賢神ソフィア】:よし! 「はい」と答えたな! ならば、右の石碑は【絶対に混沌ではない】!
「なっ、なぜ一回の質問でそこまで分かるんだ!?」
アーサーさんが驚愕の声を上げる。
「……二重質問(入れ子)の論理ですね!」
僕の脳内で、ソフィアさんの意図が完璧に理解できた。
「『もし尋ねたら、はいと答えるか?』という二重の質問にすることで、真実の神も、嘘の神も、論理的に【全く同じ答え】を返すように縛り付けたんです!
万が一、真ん中が混沌だった場合でも、左か右のどちらかは確実に混沌ではありません。今の答えによって、『右の石碑は絶対に混沌ではない(真実か嘘のどちらかである)』ことが確定しました!」
「な、なるほど……? まったく分からんが、お前がそう言うなら間違いないな!」
レオンさんが親指を立てる。
僕は残りの二回の質問を、ソフィアさんの導き出した『絶対に混沌ではない右の石碑』に集中させた。
右の石碑が真実か嘘かを見極め、最後に誰が混沌かを聞き出す。
論理の道筋さえ確保できれば、あとは単純な消去法だった。
三回の質問を終えた僕は、淀みなく扉に向かって宣言した。
「左が『混沌』、真ん中が『嘘』、右が『真実』です!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
見えない概念の力場が消え去り、星空の描かれた重厚な石の扉が、ゆっくりと奥へ向かって開いていく。
最難関の知の試練すらも、神の叡智の前には五分と持たなかったのだ。
「……お前、本当に剣士か? 塔をクリアしたら、大英帝国の王室特別顧問になってくれないか?」
アーサーさんが本気でスカウトしてくるのを苦笑いで躱しながら、僕たちは第二十二階層へと続く階段を登った。
◆
そして、第二十二階層。
重厚な扉を押し開けた瞬間、僕たちの鼓膜を劈いたのは、けたたましい金属の擦過音と、重低音の駆動音だった。
同時に、むせ返るような重油の匂いと、サウナのような熱風が全身に叩きつけられる。
「……なんだここは。まるで巨大な工場のスクラップ置き場だな」
九条さんが顔をしかめ、口元をコートの襟で覆った。
そこに広がっていたのは、『機械仕掛けの密林』だった。
天を衝くほどの巨大な樹木は、すべて錆びついた真鍮と歯車で構成されている。枝から垂れ下がる蔦は太い鋼鉄のワイヤーであり、葉の一枚一枚は剃刀のように鋭い銅板でできていた。
大地には土の代わりに油まみれの金属片が敷き詰められ、川のように流れているのは、ドロドロに黒く濁った高熱の廃油だ。
ギィィィィン、ガシャン、ガシャン。
森全体が、まるで一つの巨大な機械生命体であるかのように、絶えず歯車を回し、蒸気を噴き出しながら脈打っている。
「……すごい熱気です。息をするだけで喉が焼けそう……」
サクラさんが咳き込みながら、《状態異常無効》と《冷感結界》を急いで展開する。
彼女の結界がなければ、数分で重金属の有毒ガスにやられて倒れていただろう。
「Hahaha! 金属の木なんて、斧の切りがいがありそうだぜ!」
レオンさんが気丈に笑うが、その額からは滝のように汗が流れ落ちている。
ただ歩くだけでも過酷な環境。
そして、この異常な生態系に生息する魔物たちもまた、塔の狂気に染まりきっていた。
『ガガガガ……ピピピッ……侵入者、発見』
機械の樹上から飛び降りてきたのは、全身を黒鋼の装甲で覆われた、体長五メートルを超える『機甲豹』の群れだった。
眼球の代わりに赤いセンサーレンズを光らせ、背中には魔力駆動のガトリング砲が搭載されている。Sランクの魔法生物。それが、数十体の群れとなって周囲の歯車の茂みから姿を現したのだ。
「……自然界の魔物なら気配で察知できるが、こいつら、生命反応が全くねえな」
九条さんが刀を抜き放ち、低い姿勢を取る。
「ええ。油断しないでください。あのガトリング砲、純粋な魔力圧縮弾です。かすっただけで肉が吹き飛びますよ!」
僕が警告した瞬間、機甲豹の群れが一斉に砲門を開き、凄まじい弾幕が機械の密林に降り注いだ。
ダダダダダダダダダダッ!!!
剃刀の葉が吹き飛び、真鍮の樹木が火花を散らす。
「防壁が削られますわ! 《氷獄・コキュートス》!」
シャルロットさんが絶対零度の氷を放つが、高熱の蒸気が吹き荒れるこの環境では、氷結魔法の威力が著しく減衰してしまう。機甲豹の装甲は凍りきらず、強引に氷を砕いて突進してきた。
「環境の相性が最悪ね! 私が風で弾道を逸らすわ!」
霧島さんが暴風を巻き起こすが、重い金属の身体を持つ機甲豹たちは、意に介さず距離を詰めてくる。
環境そのものが僕たちのデバフ(弱体化)となり、魔物たちのバフ(強化)となる。
暴力の階層の真の恐ろしさが、再び僕たちに牙を剥き始めていた。
「レオンさん、アーサーさん! 前衛を張れますか!」
「任せな! 弾丸ごとミンチにしてやる!」
「騎士の盾、とくと見よ!」
熱気と排気ガスが立ち込める機械仕掛けの密林で、人類最強の同盟軍と、塔が生み出した殺戮機械たちとの、熾烈な死闘が幕を開けた。




