鏡の迷宮と、立ちはだかる己が幻影
第十一階層の極悪な論理パズルを神々の叡智で突破した僕たちを待っていたのは、再び暴力と狂気が支配する過酷な階層だった。
次の第十二階層は、鼓膜を破るほどの暴風が吹き荒れ、見えない真空の刃が絶え間なく襲い来る『暴風の渓谷』をなんとか超える。
そして第十三階層は、一歩歩くごとに足元から数千万ボルトの雷撃が逆流し、視界を白く染め上げる『雷鳴の平原』で、悪戦苦闘しながらも通過する。
第十四階層は、吐く息さえも凍りつき、ダイヤモンドダストが肌を切り裂く『極寒の氷原』。
塔が用意した環境は、明確な殺意を持って僕たちを排除しようと牙を剥いた。
決して楽な道のりではなかった。
サクラさんの《多重聖壁》は悲鳴を上げて何度も砕け散り、レオンさんの強靭な肉体にも無数の傷が刻まれた。
アーサーさんの白銀の甲冑は凹み、シャルロットさんの優雅なドレスコートもボロボロに引き裂かれた。
僕や九条さん、霧島さんも、限界まで魔力を振り絞り、Sランクの環境適応型魔物たちとの死闘を何度も潜り抜けた。
睡眠もろくにとれず、精神と肉体を削りながらの行軍。
そして、塔への突入から七日が経過した頃。
全身泥と血に塗れ、満身創痍の僕たちは、一つの区切りである第十五階層の重厚な扉を押し開けた。
「……ハァ、ハァ……。ここは、迷路ですかね……?」
扉の向こうに広がっていたのは、床も天井も壁も、すべてが磨き上げられた『鏡』で構成された、不気味なほどに美しい空間だった。
光源は見当たらないが、無数の鏡が互いの反射を繰り返し、万華鏡のように無限の奥行きを生み出している。疲労困憊の頭では、どこが前でどこが後ろか、上下左右の感覚すら見失ってしまいそうだった。
「気味が悪い階層ね……。自分の疲れ切った顔がそこら中に映ってて、余計に気が滅入るわ」
霧島さんが荒い息を吐きながら、鏡の壁に寄りかかる。
「Hahaha……全くだ。せめて美味いステーキでも映してくれりゃあ、少しは元気も出るんだがな……」
レオンさんが戦斧を杖代わりにして、重い足取りで進む。
迷宮の奥へと進むにつれ、鏡に映る僕たちの姿が、ほんの少しずつ『遅れて』動くようになってきた。
僕が右手を上げると、鏡の中の僕は、コンマ数秒遅れて右手を上げる。
単なる反射ではなく、独立した意志を持ち始めているかのように。
「……止まれ」
先頭を歩いていた九条さんが、ピタリと足を止め、親指で刀の鯉口をカチャリと弾いた。その額にも、濃い疲労の色が滲んでいる。
「囲まれてるぞ」
パリンッ……!!
ピキピキピキッ……!!
九条さんの言葉と同時、鏡の迷宮にガラスがひび割れる甲高い音が連鎖的に響き渡った。
周囲の鏡が一斉に蜘蛛の巣状に割れ、その亀裂の中から『鏡の破片で構成された人間』が、次々と這い出してきたのだ。
「なっ……こいつら、俺たちと同じ姿をしてやがる!」
レオンさんが驚愕の声を上げる。
現れたのは、僕たち六人と全く同じ姿形、同じ武器を持った『鏡の複製体』たちだった。
顔には表情がなく、瞳の部分だけが赤黒い光を宿している。
『――システム起動。侵入者ノ、第一階層カラ第十四階層マデノ全戦闘データヲ統合』
『直近ノ魔力波長、極限圧縮技術、概念魔法パターン……すべてヲ解析完了。最新状態ノ完全複製ヲ生成シマシタ。コレヨリ、排除プロセスニ移行シマス』
「最新状態の、完全複製……!?」
僕が『魔力視』で複製体たちを分析し、絶望に息を呑んだ。
彼らの体内には、入り口での特訓を経て覚醒した『今の僕たち』と寸分違わぬ、莫大で洗練された魔力が渦巻いていたのだ。
ただでさえ疲労困憊の今、自分自身の「絶好調のクローン」と戦わなければならない。
「フン……己の限界を超えるには、己自身を斬るのが一番手っ取り早いということだな!」
アーサーさんが気力を振り絞り、白銀の大剣を構えて自身の複製体と激突した。
偽物のアーサーは、本物と全く同じように、光を刃先数ミリに圧縮させた。
「――《聖王光刃・次元断》!」
「――《聖王光刃・次元断》!」
本物と偽物、二つの極細の斬撃が空中で激突し、凄まじい空間の軋みが迷宮を揺るがす。
剣の軌道、踏み込みの速度、すべてが完全に互角。
鍔迫り合いの中、アーサーさんの甲冑が軋み、口から血がこぼれる。
「クソッ、なんて重さだ……! だが、騎士の誇りまではコピーできまいッ!」
アーサーさんは自らの筋肉の限界を超えた一歩を踏み出し、強引に偽物の剣を弾き飛ばすと、その隙に刃を偽物の胸部へと深々と突き立てた。
偽物が鏡の破片となって砕け散るが、アーサーさんもまた膝をつき、肩で激しく息をした。
「Hahaha! おいおい、俺の筋肉ってこんなに硬かったのかよ!」
レオンさんの前でも、文字通りの死闘が繰り広げられていた。
偽物のレオンが、闘気を一切外に漏らさずに迫り来る。
本物と偽物、二つの《超新星・爆縮撃》が激突し、音のない衝撃波が互いの巨体を吹き飛ばす。
「痛えなクソッタレ! なら、肉を切らせて骨を断つまでだ!」
レオンさんは、偽物の戦斧をあえて自身の左肩で受け止めた。
ゴキリと骨の砕ける音が響くが、その激痛と引き換えに懐に潜り込み、右手の戦斧を偽物の胴体に叩き込んで粉砕した。
「ハァ……ハァ……。まったく、可愛げのない偽物ですわね」
シャルロットさんもまた、自身の偽物と絶対零度の削り合いを行っていた。
互いの《氷神界・エントロピー・ゼロ》が相殺し合い、魔力が空中で凍結しては砕け散る。千日手になりかけたその時、シャルロットさんは自らの魔力回路が凍傷を起こすリスクを度外視して、出力を限界突破させた。
「機械に、自己犠牲を伴う覚悟が計算できて? 凍てつきなさいッ!」
安全装置を外した一撃が偽物の氷結を上回り、コピーを完全に氷像へと変えて砕き割った。
「レンさん、来ます!」
僕の前には、僕とサクラさんのコピーが立ちはだかっていた。
偽物のサクラさんが《エンチャント・ライト》を展開し、偽物の僕が三属性を融合させた《水雷火砲》を極限圧縮して放ってくる。
完璧な連携。僕の『未来予測』が、躱しきれない死の軌道を告げていた。
(……同じ思考、同じ予測。なら、論理を超えた動きをするしかない!)
「サクラさん、強化のタイミングをコンマ二秒遅らせて!」
「えっ!? は、はいっ!」
僕の無茶な指示に、サクラさんが咄嗟に対応する。
偽物の僕は『最速・最適のタイミングでの強化』を前提に予測を立てて突っ込んできた。だが、本物のサクラさんの強化が意図的に遅れたことで、僕の魔力形成が一瞬だけ「淀んだ」。
その淀みこそが、完璧なコピーの計算を狂わせる「ノイズ」となった。
偽物の剣が僕の頬を掠め、鮮血が舞う。
だが、その刹那のすれ違いに、遅れて届いたサクラさんの光の強化が僕の剣に宿った。
「――《雷火の剣・穿》ッ!」
振り向きざまの一撃が、計算外のタイミングで偽物の僕の背中を貫いた。
同時に、偽物のサクラさんの足元に雷撃を落とし、動きを封じる。
『エ、エラー……予測不能ノ、不合理ナ連携……』
偽物の僕が崩れ落ち、鏡の破片となって消滅していった。
【戦神アレス】:フハハハッ! よくぞ耐え抜いた! 己の最適解をあえて崩すことで、機械の予測を出し抜くとはな!
【賢神ソフィア】:満身創痍の中での同士討ち……。一歩間違えれば全滅だったぞ。だが、人間というやつは本当に土壇場で理屈を超える生き物だ。
空中のダンカメで、神々も手に汗握る死闘に賛辞を送っていた。
「……ハァ、ハァ……。なんとか、勝てましたね……」
僕はその場に崩れ落ちそうになるのを、剣を杖にしてなんとか堪えた。
見渡せば、九条さんも霧島さんも、自身のコピーとの激戦を制し、肩で息をしている。
全員がボロボロで、魔力は文字通り空っぽに近かった。
「……俺たち、こんなに厄介な相手だったのね」
霧島さんが苦笑いしながら、サクラさんの治癒魔法を受ける。
「Hahaha……全くだ。もう二度と自分とは戦いたくねえぜ……」
レオンさんが砕けた左肩を押さえながら、大の字になって鏡の床に転がった。
誰もが限界ギリギリの勝利だった。
だが、最新の自身のデータを持った強敵に『善戦の末に打ち勝った』という事実は、僕たちの中に確固たる自信を植え付けていた。
「皆さん、本当にお疲れ様です……。今日はここで、しっかり休みましょう」
サクラさんが、涙目で全員に回復魔法をかけ続ける。
鏡の迷宮に立ちはだかった過去の幻影。
それは僕たちの心を折りにかかった塔の悪辣な罠だったが、結果として、僕たちは自分自身の限界すらも乗り越える力を証明してみせた。
激戦の熱が冷めやらぬ第十五階層。
ボロボロになった人類の希望たちは、互いの無事を確かめ合いながら、確かな足取りで上へ続く大階段を見上げるのだった。




