水晶の洞窟と野営でのひと時
第一階層の石の扉を抜け、僕たちは上へと続く長く巨大な螺旋階段を登っていた。
無名の王が告げたタイムリミットまで、残り七十七日。
焦る気持ちはあるが、全百階層にも及ぶ未知の領域を無休で駆け上がるのは、いかにS級探索者といえども自殺行為だ。
ペース配分を間違えれば、待っているのは全滅である。
「……それにしても、塔の中とは思えない広さですね」
僕は階段の途中で足を止め、眼下に広がる景色を見下ろした。
第一階層の空間だけでも、東京ドームがすっぽりと収まるほどの規格外の広さだった。
それが百階層も積み重なっているのだから、もはや一つの「世界」を内包していると言っても過言ではない。
「ええ。空間拡張の魔法が常時かかっているわ。……魔力濃度も相変わらず異常だし、一歩一歩が重い砂浜を歩いているみたい」
霧島さんが額の汗を拭いながら同意する。
やがて、僕たちは第二階層の扉へと辿り着き、重々しい鉄扉を押し開けた。
――カァァァァッ。
扉の向こうから漏れ出した眩い光に、僕は思わず目を細めた。
そこは、見渡す限りの『水晶の洞窟』だった。
天井も、床も、壁も、すべてが鋭く尖った巨大なクリスタルで覆われている。
空間を照らす光源は見当たらないが、水晶そのものが淡い七色の光を放ち、迷宮全体を幻想的に照らし出していた。
「Beautiful……。だが、殺意に満ちた輝きだぜ」
レオンさんが油断なく戦斧を構える。
彼の言う通りだった。
美しさに目を奪われそうになるが、足元に突き出た水晶の切っ先は鋼鉄よりも鋭く、油断して転べば串刺しだ。
『ピキッ……ピキピキピキッ……!』
空間に響き渡るガラスの擦れるような音。
巨大な水晶の柱の陰から姿を現したのは、全身を透明なクリスタルで構成された四足歩行の獣たちだった。
――Sランク環境適応型モンスター『プリズム・ハウンド』。
「数は二十。……普通の魔法は反射されそうですね」
僕が魔力視で分析すると、獣たちの表面が鏡のように魔力を弾くコーティングで覆われているのが見えた。
「任せておけ! 特訓の成果を見せる時だ!」
アーサーさんが一番槍として飛び出す。
プリズム・ハウンドが鋭いクリスタルの牙を剥き出しにして襲いかかってくるが、アーサーさんは白銀の大剣を静かに構えた。
「――《聖王光刃・次元断》!」
極限圧縮された極細の斬撃が、魔法を反射するはずのクリスタルの装甲を、空間ごと豆腐のように切り裂いた。
悲鳴すら上げさせず、三体の獣が文字通り真っ二つに分断される。
「Hahaha! 俺も負けてられねえな!」
レオンさんが躍り出た。
プリズム・ハウンドが放った光のレーザーを巨体で真正面から受け止め(サクラさんの防壁が火花を散らす)、そのまま対象の頭部へ戦斧を叩き込む。
「《爆縮撃》ッ!」
無音の衝撃。表面の水晶は無傷だが、内側の魔力核だけが粉砕され、獣がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
「……野蛮な方々。美しい宝石は、美しく静寂に沈めるものですわ」
シャルロットさんが優雅にステップを踏み、迫り来る五体の獣に向けて細剣を突き出す。
「――《氷神界・エントロピー・ゼロ》」
魔力の流れそのものを凍結させる絶対の氷。
プリズム・ハウンドの体内を巡る魔力回路がカチカチに凍りつき、彼らはクリスタルの彫像と化して、パリンッと甲高い音を立てて砕け散った。
「……へえ、やるじゃない」
霧島さんが感心したように口笛を吹く。
「僕たちも、ただ見てるわけにはいきませんね。九条さん!」
「チッ、言われなくとも分かっている」
僕と九条さんも残りの群れに突撃し、数十秒後には、第二階層の入り口付近の魔物は完全に掃討されていた。
神々の指導によって覚醒した海外のトップランカーたちは、もはやSランクの魔物の群れを相手にしても、全く遅れを取らなかった。
【戦神アレス】:フハハハッ! 良い連携だ! 各々が自分の役割と攻撃の「理」を理解しておる!
【古代龍バハムート】:……だが、油断するな。ここはまだ第二階層だ。上に行けば行くほど、塔の狂気は増していくぞ。
【雷神トール】:まあ良いではないか! 今は勝利の余韻に浸り、身体を休めることも戦術のうちだ!
神々の言う通り、僕たちは水晶の洞窟の安全な一角を確保し、本日の攻略をここまでとして『野営』を張ることにした。
タイムリミットはまだ十分にある。初日から無理をして、未知のトラップに引っかかるリスクを避けるためだ。
「ふぅ……。まさか、世界を救うための最終決戦で、こんなメンバーとキャンプをすることになるとは思いませんでした」
僕は携帯用の魔導コンロでお湯を沸かしながら、苦笑いした。
見渡すと、サクラさんが手際よくフリーズドライの携行食を温め、霧島さんが見張りの風の結界を張っている。
その傍らで、アーサーさんはどこから取り出したのか、優雅にティーカップで紅茶を嗜んでいた。
「大英帝国の騎士たるもの、いかなる戦場にあってもティータイムの心は忘れないのだ。……レン殿も一杯いかがかな?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
「Hahaha! イギリス人は本当に紅茶が好きだな! 俺は肉が食いてえぜ、肉が!」
レオンさんが豪快に笑いながら、協会が用意した超高カロリーのプロテインバーを何本もボリボリと貪っている。
「……無作法ですわね。少しは静かに食事なさいな」
シャルロットさんは水晶の椅子(自作の氷結魔法でコーティングして座り心地を良くしている)に腰掛け、サクラさんが作った温かいスープを上品に口に運んでいた。
九条さんに至っては、少し離れた岩壁に寄りかかり、目を閉じて無言で刀の手入れをしている。
相変わらず群れる気はないようだが、以前のように殺気を撒き散らすことはなくなっていた。
「……なんか、すごい光景ね」
スープを配り終えたサクラさんが、僕の隣に座って小さく笑った。
「世界ランキングの一位の人たちが、こうして普通にご飯を食べて、紅茶を飲んでるんですから。配信の視聴者が見たら、きっと驚きますよ」
「……そうですね。でも、彼らもただの人間なんですよね」
僕は温かい紅茶を口に含み、ホッと息をついた。
背負っているものは計り知れないほど重い。三ヶ月後には世界が滅ぶかもしれないという絶望の真っ只中にいる。
それでも、彼らは決して折れず、こうして前を向いて歩みを進めている。
「サクラさん、明日からも過酷な階層が続きます。……僕の背中、よろしくお願いしますね」
「はいっ! もちろんです、レンさん!」
サクラさんが、水晶の淡い光に照らされながら、満面の笑みで頷いてくれた。
暴力の階層、第二層。
その最初の夜は、クリスタルの静かな輝きと、規格外の英雄たちの穏やかな息遣いと共に、ゆっくりと更けていった。
――明日からは、さらに苛烈な魔物の群れと、塔の狂気が僕たちを待ち受けている。
だが、今の僕たちなら、必ずこの塔を登り切れる。
その確信だけが、僕の胸の中で静かに、だが熱く燃え続けていた。




