無名の王
特訓開始から四日。
渋谷支部の地下訓練場は、もはや爆撃を受けた後のような惨状だった。
床のコンクリートは雷撃で焼け焦げ、壁には無数の斬痕が刻まれている。
その中心で、レンとサクラは肩を寄せ合い、荒い息を吐き出していた。
「……まだ、終わっていないわよ?」
アリサの声には、一切の慈悲がなかった。
彼女の手に握られた木刀は、一度も二人の体に触れていない。
だが、放たれる剣気だけで、レンの全身には無数の細かな切り傷が走り、サクラの魔力残量は底を突きかけていた。
「レンくん、あなたは、個人の感覚に依存しすぎている。そしてサクラさん、あなたの『介入』は、レンくんの動きを確認してから行われている。……それでは、九条くんの『一秒先の演算』には絶対に追いつけない」
アリサが木刀を正眼に構えた。
その瞬間、彼女の周囲の空気が、熱を帯びた「歪み」へと変わった。
「Sランクの領域――『縮地・境界』。ここから先は、私の意識が届く範囲すべてが私の『間合い』よ」
レンの『魔力感知』が、真っ赤に塗りつぶされた。
アリサが動く予兆がない。それなのに、彼女の剣筋が、網膜の裏側に直接「死」として投影されていた。
「サクラさん……僕を見てちゃ、ダメだ」
レンが、震える声で言った。
「僕の魔力の『波』の中に、サクラさんの魔力を直接流し込んで。……僕が考える前に、サクラさんが僕の体を動かすんだ」
「でも、そんなことをしたら、レンさんの魔力回路が……!」
「構わない。……一人でダメなら、二人で一つの回路になればいい」
サクラは唇を噛んだ。
ヒーラーにとって、他者の魔力回路に強引に干渉することは、禁忌に近い。
一歩間違えれば、相手を内側から破壊してしまう。
だが、今のレンの瞳には、一切の躊躇がなかった。
「……分かりました。死んでも、離しませんから!」
サクラがレンの背中に手を添えた。
直後、レンの血管を「熱い光」が駆け巡った。
荒ぶる雷と、サクラの鋭い光。
二つの異質な魔力が激突し、レンの叫びが訓練場に響き渡った。
(……強制同調。 サクラがレンの神経系を代行しているのね。 レンが『剣』になり、サクラが『頭脳』になる。 理論上は可能だけど、精神への負荷が尋常じゃないわ。)
「――行くわよ」
アリサが消えた。
いや、世界が止まった。
アリサの木刀が、レンの眉間を割るべく振り下ろされる。
しかし、その軌道上に、物理法則を無視した「光の障壁」が、レンの動きと連動して出現した。
「……なっ!?」
アリサの瞳に、初めて驚愕の色が浮かんだ。 レンは避けていない。
サクラの魔力が、アリサの剣筋を先読みし、レンの腕を強引に引き上げて「受け」に回らせたのだ。
「『フォトン・ボルト』……ッ!」
レンの剣から、黄金の雷光が噴き出した。
サクラの光によって加速された雷。
それはもはや、レン一人の出力では到達し得ない「速度の極致」だった。
訓練用の木刀が耐えきれず、粉々に砕け散った。
アリサは反射的に後方へ飛び、自身の軽装鎧に刻まれた焦げ跡を見て、小さく息を吐いた。
「……触れた。今、私に触れたわね、二人で」
二人はそのまま、崩れるように床に倒れ込んだ。
レンの皮膚からは白い煙が立ち上り、サクラの瞳からは魔力過負荷による涙がこぼれていた。
だが、その達成感に浸る間もなく、訓練場の大型モニターが真っ赤に染まった。
【冥王ハデス】: フン。泥遊びにしては上出来だ。 だが、その程度の『合わせ技』、颯真なら瞬きする間に切り裂くだろう。
【冥王ハデス】: それよりも、神代レン。 貴様の背後に迫る『不気味な影』には気づいているか? エキシビションを狙っているのは、私やバハムートのような『見守る者』だけではない。
「影……?」 レンが、掠れた声でモニターを見上げる。
【冥王ハデス】: 『無名の王』を名乗る、正体不明のハッカー探索者集団。 奴らは、エキシビションの舞台を『殺戮のライブ会場』に変えるつもりだ。 颯真にはすでに、奴らの一部を排除するよう命じた。
貴様も、足元を掬われぬよう精々励むことだ。
ログが消えると同時に、訓練場の外から不穏なアラート音が鳴り響いた。
向井が血相を変えて飛び込んでくる。
「神代くん! アリサさん! 支部のサーバーが何者かに攻撃されている! ライブ配信の権限が乗っ取られた!」
モニターに映し出されたのは、ノイズ混じりの映像。
そこには、無数の「仮面をつけた探索者」たちが、どこかのダンジョンを蹂躙している光景があった。
『――世界中の観客諸君。エキシビションマッチを、より「リアル」にアップデートしてやろう』
変声機を通した歪な声が、訓練場に響く。
『神代レン、そして九条颯真。 君たちの戦いの最中、我々は「特級魔物」を国立競技場に召喚する。
どちらが先に魔物を倒し、どちらが生き残るか。
……真の代行者決めるにふさわしい、最高の舞台だと思わないか?』
アリサが鋭い視線で画面を睨みつけた。
「……第三の勢力。『無名の王』。本気で協会に喧嘩を売るつもりね」
レンは、震える手で自分の剣を握り直した。 サクラが、その手を上からそっと重ねる。
「……レンさん。特訓のメニュー、もっと厳しくしてください」
サクラの瞳には、もはやヒーラーの弱気はなかった。
「ああ。……九条颯真と戦う前に、掃除しなきゃいけないゴミが増えたみたいです」
エキシビションまで、残り二週間。
特訓はもはや「試合」のためではなく、迫りくる「戦争」を生き残るためのものへと変貌していった。




