Cランク昇格祝いの食事会で
新宿御苑での激闘から三日。
アルラウネの粘り強い蔦に締め上げられた筋肉痛もようやく引き、レンは久しぶりに「探索のない一日」を過ごしていた。
「……ここ、高くないですか?」
渋谷の喧騒を抜け、少し落ち着いた路地裏にある焼肉店『剛力亭』。
看板には「探索者割引あり(Bランク以上)」と書かれた、知る人ぞ知る名店だ。
サクラがメニュー表の価格を見て、小刻みに震えている。
「いいんだよ。今日は僕の個人的なポケットマネー……ではなく、渋谷支部の『有望新人育成費』から出ているからね。実質、公金だ」
奥の座敷で網を熱していた向井が、悪戯っぽく笑って二人を招き入れた。
「向井さん、ごちそうさまです。今日は昆布おにぎりじゃない肉が食べられるって聞いて、朝から何も食べてません」
「極端すぎるよ、神代くん……。はい、まずは特上タン塩から焼こうか」
脂の乗った肉が網の上で踊り、食欲をそそる音を立てる。
レンはそれを次々と口に運び、「美味しいです……バハムートさんにも食べさせてあげたい……」と、配信外でも神々のことを気にかけていた。
「さて、まずは改めて。神代くん、サクラくん、Cランク昇格おめでとう」 向井がウーロン茶のグラスを掲げる。
「ありがとうございます。でも、Cランクになった途端にあの変異種は、正直心臓に悪かったです」
サクラが苦笑いしながら、手元のメモ帳を広げる。
そこには、アルラウネ戦で得た「光の圧力」の出力データがびっしりと書き込まれていた。
「あれは協会側も計算外だったんだ。だが、あの配信の反響は凄まじかったよ。今や『神代レン』の名を知らない探索者ファンはいないと言ってもいい」
向井はタブレットを取り出し、現在のランキング画面を表示した。 「注目度ランキング、新人部門で一位。総合でも五十位以内に食い込んできた。Cランクでこの順位は、過去に『剣聖』霧島アリサが記録した以来の快挙だよ」
「アリサさんと……」
レンは、コメント欄でいつも優しく見守ってくれる「kirishima_arisa」のアイコンを思い出した。彼女と同じ道を歩んでいるという実感が、じわりと指先に熱を持って宿る。
肉がロース、カルビと進み、場が温まってきた頃。
向井がふっと、焼き網を見つめたまま声を落とした。
「……神代くん。ここからは、まだ公表前の『重大発表』だ。本来なら支部長室で話すべきことだが、君たちにはリラックスした状態で伝えておきたかった」
レンとサクラの箸が止まる。
向井はタブレットの画面を切り替え、一つの企画書を表示した。
【協会創立記念特別興行:ジェネレーション・ネクスト・マッチ】
「一ヶ月後。協会本部が主催する大規模なエキシビションマッチが開催される。場所は国立競技場の地下に特設された、巨大訓練フィールドだ」
「エキシビション……対人戦、ですか?」
サクラが問いかける。
「そうだ。本来、探索者は魔物と戦うものだが、世間の関心は今、かつてないほど『候補者同士』の力関係に集中している。そこで協会は、現在最も注目されている二人の新人を激突させることに決めた」
向井が、レンの目をまっすぐに見据えた。
「神代レン。君の対戦相手として、協会は九条颯真を指名した」
「颯真さんと……」 レンの心臓が、一度大きく脈打った。
先日、一緒にダンジョンに潜り少しだけ心の距離が縮まったはずの少年。
だが、その実力は自分より遥か先を行き、その背後には「冥王ハデス」が控えている。
「九条くん側には、すでに内諾を得ている。彼は一言、『神代レンなら受ける』と言ったそうだ」
「……あいつらしいです」 レンは小さく笑った。
計算高く、無駄を嫌う彼が、ランク下の自分との対戦を飲んだ。それは、彼なりの「敬意」の示し方なのだと分かった。
「だが、重大発表はそれだけじゃないんだ」
向井の表情が、さらに険しくなる。
「このマッチメイクには、第三の勢力が介入している形跡がある」
「第三の勢力……?」
「ああ。バハムートやハデス、いわゆる『静観派』や『介入派』以外の……人類側でも神々側でもない、得体の知れない力が動いている。今回のエキシビションに、その勢力が『刺客』を送り込んでくるという噂があるんだ」
向井は声を潜めた。
「颯真くんとの試合の最中、あるいはその前後に、何かが起きる。協会内部にも内通者がいる可能性がある。……神代くん、これはもはや単なるスポーツや試験じゃない。実戦だと思ってくれ」
♦︎
どこかの異世界。
「……焼肉か‥」
バハムートが、黄金の瞳を細めて呟いた。
その前には、いつになく真剣な表情のソフィアとシルフィードがいる。
「焼肉は、一旦置いておいて、第三勢力についても情報が伝わってるみたいだな」
「第三の勢力……『虚無の軍勢』、か」
ソフィアが、古びた魔導書を閉じた。
「彼らはこの世界を、そして候補者たちの成長を、ただ壊そうとしている。ハデスもそのことには気づいているはずよ」
『……無論だ』 闇の中から、ハデスの声が響く。 『我が候補者、颯真にはすでに警告した。
神代レンとの戦いは、ただの勝負ではない。襲い来る「ノイズ」を二人で切り伏せる、共闘の場になる可能性すらあるとな』
♦︎
「共闘……ですか」 焼肉店の座敷。
レンは、向井から聞いた話を反芻していた。 颯真と戦う。そして、正体不明の敵からもサクラを守り抜く。
「……レンさん」 サクラが、不安そうにレンの手を握った。
「私、もっと強くなります。光の圧力だけじゃなくて、もっと、レンさんの力になれる魔法を、この一ヶ月で死ぬ気で覚えます」
「サクラさん……」
レンは、握られた手の温かさを感じながら、力強く頷いた。
「僕も、今のままじゃ颯真さんにすら届かない。バハムートさんたちにも、もっと過激な特訓をお願いしてみます」
「よし、いい顔だ」 向井が、山盛りのバニラアイスを二人の前に置いた。
「今日はここまでだ。あとは食って、寝て、明日から地獄のトレーニングを始めてくれ。渋谷支部は、全力で君たちをバックアップする」
「はい!」
冷たいアイスを口に運ぶ。
甘さと冷たさが、熱くなった脳を冷やしていく。
Cランクの昇格祝いは、いつの間にか「決戦前夜」の様相を呈していた。
店の外に出ると、渋谷の夜空には不気味なほど赤い月が浮かんでいた。
レンはスマホを取り出し、颯真のSNSを開く。 そこには、一件の短い投稿があった。
『一ヶ月後。待っている。』
返信はしなかった。
ただ、その投稿に「いいね」を一つ押し、レンはサクラと共に、夜の街へと歩き出した。




