緊急依頼
銀色のカードが、午後の陽光を弾いて鈍く輝いている。
神代レンは、渋谷支部のロビーにあるベンチで、新しく手に入れた「Cランク探索者証」を指先で弄んでいた。
「……やっぱり、重さが違いますね」
「材質は同じはずなんですけどね。不思議です」
隣でサクラが、自分のDランクカード(彼女もまた、前日の活躍で昇格が内定しているが、発行は数日後だ)を並べて微笑む。
昨日までの「D」という文字は、どこか「見習い」の空気を孕んでいた。
だが、この「C」の一文字は、探索者としての一人前を証明すると同時に、社会的な責任――すなわち、命の危険が伴う『高難易度依頼』への参加資格を意味している。
「神代くん、準備はいいかい?」
事務机の奥から、向井が数枚のタブレットを持って歩み寄ってきた。
彼の表情は、いつもの温和なものとは少し違う。そこには、一人のプロを戦場へ送り出す「ギルド職員」としての厳しさがあった。
「Cランク昇格後、最初の公式依頼だ。本来ならもう少し慣らしの期間を置くんだが……本部から君に、指名に近い形で緊急依頼が降りてきている」
向井が提示した画面には、赤い警告マークとともにこう記されていた。
【緊急調査依頼:新宿御苑地下ダンジョン・深度7『常闇の温室』】
【対象:変異種『捕食者・アルラウネ』の討伐】
「新宿御苑……。あそこは確か、植物系の魔物が多い場所ですよね?」 サクラが不安げに尋ねる。
「ああ。通常、Cランクなら苦戦はしても負ける相手ではない。だが、今回の個体は『変異』している。周辺の魔力を吸い尽くし、本来Dランクであるはずのアルラウネが、Cランク上位相当の戦闘力を持っていると推定されているんだ」
向井はレンの目をじっと見つめた。
「今の君なら、断る権利もある。ランクが上がった直後は生存率が一番下がる時期だ。自分の力を過信して、Cランクの壁に叩き潰される探索者は少なくない」
レンは銀色のカードをポケットにしまい、立ち上がった。
「……行きます。バハムートさんたちも、新しい戦いが見たいみたいでしょうし」
「レンさん……」
「サクラさん、ポーションの準備お願いします」
「……もちろんです! 最高品質のものを揃えました」
二人の間に、迷いはなかった。
【古代龍バハムート】が入室しました
【賢神ソフィア】が入室しました
【精霊王シルフィード】が入室しました
【kirishima_arisa】が入室しました
【精霊王シルフィード】:わーい! レンくん初Cランク配信! おめでとう!!
【古代龍バハムート】:新宿か。あの場所の魔力密度は歪だ。気を引き締めろ。
【賢神ソフィア】:『捕食者・アルラウネ』……。光合成の代わりに他の探索者の魔力を直接捕食する特異個体だな。
【kirishima_arisa】:Cランク最初の相手としては、少し重すぎる気がするけど。協会、何を考えてるのかしら。
新宿御苑の地下、深度7。
そこは、地上からは想像もつかないほど巨大な「植物の檻」だった。
蛍光を発する巨大な蔦が壁を埋め尽くし、空気中には微細な花粉が霧のように漂っている。
「……レンさん、この花粉。魔力感知を乱してます」
サクラが眉をひそめ、右手の杖を握り直した。
「ああ、感覚もいつもより少し遠い。……来ますよ」
レンが剣を抜いた瞬間、頭上の蔦が「意志」を持った蛇のように襲いかかってきた。
レンは風の魔力を脚に纏わせ、重力を無視したような動きで壁を蹴る。
「『風刃』!」
一閃。蔦が切り刻まれるが、切断面から紫色の体液が噴き出し、それが瞬時に固まって再生を始める。
「再生速度が異常です。普通の火属性魔法じゃ、焼き切る前に再生されるかも……」
「だったら、もっと『出力』を上げるだけです。……サクラさん!」 「はい! 『光の加圧』!」
サクラが新しく習得した技を応用し、レンの魔力回路に「指向性」を持った光を流し込む。 レンの体から漏れ出す魔力が、淡い金緑色から、眩い白銀色へと変色した。
広大なドーム状のエリアに辿り着いた瞬間、その「主」が姿を現した。
高さ五メートルを超える、巨大な花の蕾。
それがゆっくりと開くと、中から現れたのは、美しい少女の姿を模した「捕食者」の本体だった。
だが、その瞳に知性はない。
あるのは、無限の飢餓だけだ。
「ギ、ギギギ……ッ!!」
アルラウネが咆哮すると同時に、周囲の花粉が一箇所に収束し、巨大な「魔力の弾丸」へと変わった。
「魔力を吸い取って、それを弾丸に……!? 避けて、レンさん!」
レンは身を翻したが、弾丸は空中で分裂し、追尾するようにレンを追い詰める。
(速い……Dランクの魔物とは、攻撃の質が違う!)
レンは空中で二度、三度と不可解な転換を見せ、攻撃を回避する。
だが、アルラウネの蔦が、レンの着地地点を正確に狙っていた。
アルラウネの口が、裂けるように開く。
レンの魔力が、目に見えるほどの光の筋となって吸い出され始めた。に
【古代龍バハムート】:……む。魔力を直接吸い上げるか。小癪な。
【戦神アレス】:レン、魔力を吸われているなら、逆に『過剰な魔力』を流し込めばいい。
【kirishima_arisa】:ちょっとそれは無理が‥
「……いえ、いけます」
レンは吸い出される魔力の流れに、逆らわなかった。 それどころか、自分から魔力のバルブを全開にする。
「サクラさん、僕に繋いでるラインを、最大まで広げてください」
「えっ……でも、そんなことしたらレンさんの体が!」
「大丈夫です。……『僕ら』の魔力なら、これくらいじゃ溢れません」
サクラは唇を噛み、覚悟を決めた。 彼女の全魔力が、レンという「管」を通してアルラウネへと流れ込む。
さらに、レンの背後でバハムートとソフィアの加護が、かつてないほど激しく共鳴した。
「喰らい……尽くせ」
レンがアルラウネの蔦を直接掴んだ。 次の瞬間、吸い取っていたはずのアルラウネの体が、内側から白光を放ち始めた。
「ギ……ア、アァァ……!?」
許容量を超えた魔力の流入。
アルラウネの細胞が、レンの圧倒的な「質」に耐えきれず、自壊し始めたのだ。
「今です、レンさん!」
サクラが杖を突き出す。
「『光の圧力』!」
光の衝撃波が、アルラウネの動きを完全に止めた。
レンはその一瞬の隙に、空高く跳ね上がる。
右手に集まるのは雷。
左手に集まるのは風。
そして心臓に流れるのは、サクラがくれた勇気。
「……これで、終わりだ」
「『雷風・葬送陣』」
螺旋を描く雷光が、新宿の地下深くを白く塗りつぶした。
アルラウネの巨体は、叫び声を上げる暇もなく、分子レベルで分解され、消滅していった。
静寂が戻る。
立ち込めていた紫の花粉は消え、代わりに浄化された清浄な空気がドームを満たしていた。
「……はぁ、はぁ。……やりましたね」
レンが肩で息をしながら、地面に膝をついた。 右手の銀色のカードが、いつの間にか熱を持っている。
「レンさん、大丈夫ですか!?」
「はい。……魔力が、空っぽですけど」
サクラが駆け寄り、レンの肩を支える。
二人の顔には、疲労と、それ以上の充実感が浮かんでいた。
【精霊王シルフィード】:すごーーい!! レンくん、サクラちゃん、最強コンビだね!
【mukai_b_rank】:……まさか、単独(パーティ内)で変異種を完封するとは。本部に報告するのが恐ろしいよ。
【古代龍バハムート】:フン。Cランクの初陣としては及第点だ。……だが。
【賢神ソフィア】:ああ、気づいたか、レン。
「……はい」 レンは、アルラウネが消滅した後に残された「魔石」を見つめた。
その魔石には、禍々しい紋章が刻まれていた。 それは、九条颯真の装備に刻まれていたものと、どこか似ている。
「これは?」
【古代龍バハムート】:介入派の神々が、ダンジョンそのものに干渉し始めている。
【古代龍バハムート】:これは単なる変異種ではない。お前を試すための、奴らの『差し金』だ。
レンは魔石を握りしめた。 Cランク。それは、世界が自分を「対等なチェスの駒」として認識し始めた証。
そして、いつか向き合う九条颯真という少年が、同じような……あるいはもっと過酷な試練を乗り越えていることを、レンは直感した。
「……サクラさん、戻りましょう。もっと、強くならないと」
「はい。……私も、もっとレンさんを支えられるように練習します」
配信終了。
コメント欄には、二人の勝利を祝う声と、加速する物語への期待が渦巻いていた。
♦︎
「……ハデス。随分な挨拶だな」
バハムートが虚空に向かって呟いた。
影の中から、黒いマントを纏った神が姿を現す。
『挨拶だと言ったはずだ。我が候補者、颯真はすでに深淵に触れている。神代レンがこの程度で躓くようでは、対戦にすらならんからな』
「……お前のやり方は相変わらず気に入らん」
『フン。だが、あいつは耐えた。……バハムート、貴様の選んだ人間は、貴様が思っている以上に『底』がないのかもしれんぞ』
ハデスの影が消える。
バハムートは一人、地上で銀色のカードを見つめる少年の姿を思い浮かべた。
「底がない、か。……全くだ」
黄金の瞳が、暗闇の中で愉しげに光った。




