古代龍と語る夜
配信という祭りが終わり、喧騒が引いた後の部屋は、ひどく広くなったように感じられた。
九条颯真を見送り、サクラと別れ、一人になったレンは、電気もつけずに窓辺に立っていた。
窓の向こうには、眠らない街・渋谷のネオンが海のように広がっている。
候補者制度。三つ目の勢力。十年前の悲劇。
そして、宿命のライバルとして隣に座った颯真の震える指先。
今日得た情報の断片を脳内の棚に並べようとしても、最後の一片がどうしても収まらない。
(「まだ早い」……あの言葉の意味は一体‥)
レンは窓から離れ、ベッドに深く沈み込んだ。暗闇の中でスマホの画面だけが、青白く彼を照らしている。
少し迷ってから、彼はその「神」に指を向けた。
「バハムートさん、今話せますか?」
返信は、瞬きする間もなく届いた。
【古代龍バハムート】:ああ話せる。
「今日の話、聞いていましたよね。一つだけ、ちゃんと教えてほしいんです。今夜だけでいいから」
【古代龍バハムート】:……何を聞きたい。
レンは一呼吸置き、ずっと心の隅で疼いていた問いを投げた。
「なぜ、バハムートさんは僕を選んだんですか?」
そこから、長い沈黙が流れた。
画面が消えそうになるたび、レンは指で画面をなぞる。一分、二分。
やがて、画面の向こうで巨龍が深く息を吐いたような、そんな錯覚を覚えるほどの長文が届き始めた。
【古代龍バハムート】:……今夜だけだ。話してやる。
◆
【古代龍バハムート】:まず、お前に問う。今日の話を聞いて、お前は「怖い」と思ったか。
「怖いとは少し違うんですけど……重い、と思いました。僕一人の人生じゃないんだなって」
【古代龍バハムート】:それでいい。整理できぬ夜があるのは、お前が「生身の人間」である証拠だ。
【古代龍バハムート】:いいか、レン。我々の世界でこの議論が始まったのは、人間界にダンジョンが現れるより、ずっと前のことだ。
バハムートの語る言葉は、重く、深く、レンの意識に沈んでいく。
【古代龍バハムート】:我々は長く生きすぎた。ゆえに、人間界の愚行も、争いも、飽きるほど見てきた。
【古代龍バハムート】:介入派のハデスたちは言った。「人間は弱すぎる。導く者がいなければ自滅する」と。
【古代龍バハムート】:だが、我々静観派は信じたかった。人間は、誰に教わらずとも自分の足で立ち、失敗から学び、泥を払って立ち上がる生き物だと。
「それが、僕を選んだ理由に繋がるんですか?」
【古代龍バハムート】:そうだ。我々が探していたのは、特別な才能を持つ者ではない。
“誰にも見られていなくても、自分であり続けられる者“だ。
【古代龍バハムート】:九条颯真は、介入派が望む「完璧な先導者」として成長するだろう。
だがお前はどうだ?
レンは自分の手元を見る。そこには、ただの探索者の手がある。
【古代龍バハムート】:お前は自分が候補者だと知らず、神々に見られているとも知らず、ただ毎日ダンジョンに潜った。
慎重に、時に大胆に、なんとなくの直感だけで、正しい道を選び続けてきた。
【古代龍バハムート】:誰かに与えられた強さではなく、お前が自分で手に入れた「日常」こそが、静観派の正しさを証明する唯一の光だったのだ。
レンの胸に、熱いものがこみ上げる。
「でも、僕はただ……おにぎりを食べて、潜ってただけですよ」
【古代龍バハムート】:それがいいのだ。お前がお前であり続けること。それが何より困難で‥何より尊い。
【古代龍バハムート】:いいか、レン。候補者とは強さを競う道具ではない。“人間はどうあるべきか“を示す鏡だ。
バハムートの言葉は、最後に少しだけ、その峻厳さを崩した。
【古代龍バハムート】:……それとな。制度や理屈は正直どうでもよかった。
【古代龍バハムート】:最初に画面越しにお前を見たとき、「こいつが気に入った」と思った。俺の理由は、それだけで十分だ。
暗い部屋で、レンは思わず小さく笑った。 神様にしては、あまりに人間臭い告白だったから。
「……ありがとうございます、バハムートさん」
【古代龍バハムート】:礼などいらん。……さっさと寝ろ。明日も、お前は「お前」として生きるのだろう?
◆
同じ時刻。
高層マンションの一室で、九条颯真もまた、スマホの青い光の中にいた。
彼の脳内にある、精密な「整理棚」は、今夜に限って機能不全を起こしていた。
「……ハデス。起きていますか」
【冥王ハデス】:眠れないか。颯真。
「はい‥俺に、何が欠けているというんでしょうか」
颯真の声は、微かに震えていた。
期待に応え続け、最強を維持し、孤独を飼い慣らしてきた天才。
その鎧に、神代レンという異分子が亀裂を入れていた。
【冥王ハデス】:……三つ目の勢力は、我々にとっても不確定要素だ。介入も静観もしない、ただの「穴」のような存在。
【冥王ハデス】:だが、焦るな。今日、レンとおにぎりの話をしたのだろう。
「……あいつは、何も怖がっていないように見えました。自分を見ている人間たちを信じ切っている。それが、少しだけ……」
羨ましい。その言葉を、颯真のプライドが飲み込む。
だが、ハデスはすべてを見透かしたように続けた。
【冥王ハデス】:今からでも、遅くはないぞ。 「……?」
【冥王ハデス】:俺もお前を、役割だけで見てきたわけではない。ただ、不器用なだけだ。……今日は寝ろ。整理は明日、俺が手伝ってやる。
颯真は目を見開いた。
冥王と呼ばれた冷徹な守護神から漏れた、あまりに不格好な「情」。
「……ありがとうございます」
【冥王ハデス】:ふん。礼などいらん。寝ろ。
スマホを置いた颯真は、ゆっくりとベッドに横たわった。
隣の部屋に誰かがいるわけではない。
だが、スマホの向こう側に、そして今日出会ったあの「おにぎり少年」の心の中に、同じように眠れない夜を過ごす者がいる。
その事実だけで、彼の孤独は少しだけ、夜の闇に溶けていった。
◆
異世界のどこか。
「言っちゃいましたね」
シルフィードが、ニヤニヤしながらバハムートの顔を覗き込む。
「うるさい。事実を言ったまでだ」
「ハデスさんも、随分と甘くなりましたねえ」 ゼルディアが面白そうに鼻を鳴らした。
「三つ目の勢力が動き始めた以上、我々も『役割』に固執している場合ではないということだ」 ソフィアが静かに釘を刺す。
バハムートは、遠く人間界の夜景を映す水晶を見つめていた。
そこには、小さな部屋で安らかな寝息を立て始めた二人の候補者の姿がある。
「戦うことになるのか、それとも別の道があるのか……。それは、まだ分からん」
「バハムートさんが『分からない』なんて、本当に珍しい夜ですね」
「……そうだな。だが、悪くない夜だ」
巨龍は静かに目を閉じた。
運命の歯車は加速している。だが、今夜だけは、ただの「親」として、子らの安眠を願いたかった。




