地下五階への挑戦、おにぎりはやはり昆布ですな
翌朝。
レンはいつも通りに目を覚ました。
候補者という不穏な単語を聞いた翌日だが、不思議と心は凪いでいた。
顔を洗い、装備を整える。
鏡の中の自分に、昨夜のバハムートの言葉を投げかけた。
「知っても、変わらずに探索に行け。それだけだ」
(……そうします)
スマホを手に取り、サクラへメッセージを送る。
『今日、地下五階を目指したいんですが、一緒に行きますか』
返信は即座に、そして彼女らしく実利的な内容で返ってきた。
『行きます。ただし、いつもより「生存優先」の準備をさせてください。おにぎりも六個、いえ八個作ります』
『……なんでそんなに?』
『深い場所では、空腹が一番のデバフですから、たぶん』
しっかりした人だ。改めてそう思い、レンは少しだけ口角を上げた。
ダンジョン入口で配信を開始すると、通知が跳ねた。
待機していたリスナーたちが、まるで雪崩のように流れ込んでくる。
【古代龍バハムート】が入室しました
【魔王ゼルディア】が入室しました
【精霊王シルフィード】が入室しました ……
【精霊王シルフィード】:おはよー!今日はどこまで行くの!?
【ダンジョンオタク_ケイ】:おはようございます。昨日の今日で配信するのとかメンタル強すぎませんか?
【mukai_b_rank】:おはようございます。昨日の「候補者」の話……大丈夫でした?
「おはようございます。昨日のことは、まあ、いつも通りやっていくしかないかなと。今日は……地下五階を目指します」
コメント欄が一瞬、凍りついたように止まり、直後に爆発した。
【新規さん】:は!? 地下五階!?
【新規さん】:渋谷第三ってそんな深いの? 攻略サイトだと三階までしか載ってないぞ
【ダンジョンオタク_ケイ】:公式記録は四階までですが、五階からはBランク以上の領域。Dランクのレンさんが行くのは自殺行為に近い……!
【kirishima_arisa】:無理はしないでください。本当に、危なくなったらすぐ戻るって約束して。
「行ってみないと分からないですから。あ、サクラさん、おはよ……うわ、荷物すごいですね」 待ち合わせていたサクラは、登山客のような大荷物を背負っていた。
「当然です。地下五階ですよ? 予備のポーション、魔力回復薬、そして――」
彼女は小さな巾着を差し出した。
「梅と、おかかと、明太子のおにぎりです。レンさん、今日は食べますよ!」
【精霊王シルフィード】:サクラちゃん、ママだ……!
【戦神アレス】:補給は基本だ。死にたくなければ食え。
【死神ネクロス】:……今日は少し、嫌な予感がする。慎重に行け。
【新規さん】:あの死神が心配してる……今日マジでやばいやつだ。
地下一、二階を流れるように突破した。 レンの魔力感知はもはや精度を上げ、魔物の吐息すら「視える」域に達している。
しかし、三階に降りた瞬間、肌を刺すような粘り気のある空気を感じた。
「魔力が濃い……?」
「そうですね。視界が少し霞んでる気がします」
【賢神ソフィア】:地上の気圧が低い。その影響で地下の魔力密度が通常の2倍に圧縮されているな。
【ダンジョンオタク_ケイ】:ソフィアさん、なんでそんなことまでわかるんですか……。
【賢神ソフィア】:一万年ほど世界を観測していれば、呼吸をするように理解できる。
魔力密度の上昇は、魔物の活性化を意味していた。 通路の先、アイアンウルフの群れが、普段の倍近い速度でレンへと肉薄する。
「サクラさん、下がって!」 レンは一歩も引かず、あえて群れの中央へ踏み込んだ。
飛びかかってくる四体の軌道が交差する瞬間、真下へ雷を放った。 空気が爆ぜ、ウルフたちが硬直する。
「後ろ、もう一体!」
サクラの鋭い声。レンは振り返ることなく、背後へ掌を向けた。
『火球』。 狙い通り五体目の喉元を焼き切る。
【mukai_b_rank】:今の、ノールックで当てた!?
【kirishima_arisa】:(体が勝手に反応してる。思考より先に魔力が動いてる……)
【古代龍バハムート】:良い。加護が血肉に溶け込んできたな。
「サクラさん、ナイスです。助かりました」
「いえ、必死だっただけです……。でも、なんか……見える気がしたんです。あの子がどこを狙ってるか」
少し頬を上気させたサクラを見て、賢神ソフィアが静かに呟いた。
【賢神ソフィア】:サクラ、それが「支援者」の本質だ。目ではなく、因果の気配を読め。
一般視聴者(……いや無理だろ)
四階へ足を踏み入れた瞬間、光景が一変した。 天井は高く、壁一面には青白い魔石が結晶化して突き出している。
天然のシャンデリアのような美しさに、二人は一瞬、言葉を失った。
「……きれいですね」
「ええ、ダンジョンじゃないみたい」
【精霊王シルフィード】:わああああ!! 宝石箱みたい!!
【ダンジョンオタク_ケイ】:初公開だ……渋谷第三の四階、こんなになってるのか……。
しかし、その静寂は「死」の予感に満ちていた。 「来ます」 レンの感知が、前方の暗がりに潜む「異質な光」を捉えた。
姿を現したのは、銀の毛並みが光の繊維のように揺らめく獣――ライトウルフ。
【賢神ソフィア】:光属性の魔獣だ。高速移動と反射攻撃、そして……。
【古代龍バハムート】:目で追うな。奴は「光」そのものだ。
ライトウルフが弾けた。
文字通り、一筋の閃光となってレンの首筋を刈りに来る。 速い。
アイアンウルフとは次元が違う。
(光が……強くなる……!)
レンは、獣が跳ぶ直前、その体内の魔力が一瞬だけ膨れ上がる瞬間を見切った。
光の線がレンの鼻先をかすめる。
回避と同時に、レンは雷の魔力を剣に纏わせ、すれ違いざまに横一文字へ薙いだ。
光の粒子が、雪のように静かに散っていく。
【新規さん】:え、何が起きた? 【mukai_b_rank】:一瞬。完全に一瞬だった。
【雷神トール】:加護の使い方が上手くなったな。
雷で光の軌道を僅かに歪ませたな。
「サクラさん、怪我はないですか?」
「大丈夫です。……でも、レンさんの動き、今……」
サクラは驚きに目を見開いていた。
彼女には見えていたのだ。レンが「当たる直前」に、確信を持って避けていたことが。
四階の奥、おにぎりで腹を満たし、束の間の休息を得た二人は、
ついにその階段の前に立った。
五階への入り口。
そこから溢れ出す空気は、もはや「重力」に近かった。
「……行きますか」
「はい。でも、深追いは厳禁です」
一歩、踏み込む。
その瞬間、レンの膝がガクンと震えた。
空気が重いのではない。
魔力が濃すぎて、肺に鉄を流し込まれているような感覚。
(なんだ、これ……今までと「格」が違いすぎる……!)
目を閉じて、無理やり感知を広げる。
すると、百メートルほど先の闇の向こう側に、“それ“がいた。
心臓を直接掴まれるような、巨大で、冷徹で、絶対的な「個」。
「……います。何か、とんでもないのが」
「レンさん!?」
【古代龍バハムート】:――レン、早く戻れ。
その一言が、配信画面を叩き割るような重みで響いた。
【古代龍バハムート】:今の貴様では、視線だけで魂を削られる。今日はそこまでだ。
「……分かりました。戻ります」
レンは迷わなかった。
自分の「生存本能」が、バハムートと同じ結論を出していたからだ。
地上に出ると、渋谷の雑踏と夕焼けが、ひどく現実離れして見えた。
駅前の広場で、残った明太子のおにぎりを二人で分ける。
「……あの、五階、怖かったですね」
サクラが震える手で、おにぎりを口に運ぶ。
「でも、不思議と嫌な感じはしませんでした。
強くなれば、あそこに行けるっていう目標ができた気がして」
スマホを確認すると、配信終了間際の同接数は七万人を超え、チャンネル登録者数はついに大台に乗っていた。
「……サクラさん。十万人、いきました」
「えっ……本当ですか!? おめでとうございます、レンさん!」
【精霊王シルフィード】:おめでとうーーーーー!!!
【戦神アレス】:ようやくスタートラインだな。 【死神ネクロス】:生き残れ。十万人の呪い……いや、願いを背負ってな。
【kirishima_arisa】:本当におめでとう。これからも、無茶だけはしないでね。
「ありがとうございます。……次は、あの五階の『主』に届くくらい、強くなります」
夕闇に溶けゆく渋谷の街。
レンの隣で笑うサクラと、画面越しに見守る神々と、十万人の人間。
一人で始めた配信は、いつの間にか、誰も見たことのない物語へと繋がっていた。
♦︎
とある異世界
「気づいたか。あの気配に」と、ソフィアが銀色の瞳を細める。
「あの密度の中でそれを見切るとはな」
ゼルディアが愉快そうに笑う。
「バハムート、お主、あやつが勝てると思っておるのか? あの五階の『王』に」
バハムートは、黄金の瞳に映るレンの背中を見つめながら、静かに、しかし確信を持って答えた。
「今のあいつなら、死ぬだろうな」
「……ほう?」
「だが、次に行く時、あいつは俺たちの想像を超えている。……根拠はない。だが、あのおにぎりを旨そうに食う顔を見ていれば、なんとなくな」
神々の笑い声が、次元の狭間に響いた。




