12.真実の相手
リディアーヌとの茶会のあった日の夜。クロヴィスは執務室で仕事を片付けていたのだが、ふと手を止めて側近に言った。
「リディアーヌ嬢は婚約式に乗り気ではなかったな」
すると側近はあきれ顔をしている。
「当然でしょう。リディアーヌ様は仕方なく殿下との婚約を引き受けてくださったというのに、当の本人はいつまでも元婚約者に心を残しておいでなのですから」
「それは!」
クロヴィスは一瞬声を荒げたあとに、反省している、と続けた。
新たな婚約者として貧しいシャイエの娘をあてがわれたことにクロヴィスは落胆したのだ。そして、最低なことではあるが、貧しい家の娘ならどう扱ってもいいと考えてしまった。だから彼は遠慮なく自身のミラリアへの想いを優先したし、彼女も反論しなかったからそれでいいのだと思っていた。
「だが、ミラリアはもうオルガ殿下とご成婚された。わたしの出る幕はない」
「リディアーヌ様との顔合わせのときにそう言って欲しかったですね」
側近はため息をつきながら続けた。
「あの日、リディアーヌ様は、ミラリア妃殿下を長く想っておられた殿下の気持ちを尊重したい、とおっしゃいました。誰もが嫌がった役回りを引き受けさせた上にそんなことまで言わせる殿下にわたしは本気で殺意を抱きましたね」
「物騒なことを言うな」
側近の剣幕にクロヴィスはたじろぐが彼は止まらない。
「リディアーヌ様の中の殿下への想いはゼロに等しい、いえ、きっとマイナスでしょう。婚約式までに仲睦まじくなれ、とまでは申しませんが、せめて良好な関係をお築き頂きたく思います」
「言われなくてもわかってるさ」
側近の苦言に苦い顔をしたクロヴィスであったが、さすがに一蹴することはできなかった。
式典の期間中、側近はもちろん、リディアーヌにも助けてもらった。
彼女は、ミラリアを失ったことに囚われて、正確な判断ができなくなっていたクロヴィスを支えられるだけの資質を持った優秀な人材であり、それだけでも王太子妃を任せるには十分過ぎる女性だった。
だが、ミラリアとリディアーヌを比べたとき、どうしても華やかさに欠けてしまう。
それなら、とクロヴィスは思った。華やかでないのなら自分の手でそうしてやればいい、と。
そこで彼は婚約者に対する礼儀も込めて、リディアーヌに贈り物をすることにしたのだが、肝心の好みがわからない。ミラリアだったら飛びつきそうな珍しい宝石を贈ってみようかとも思ったが、ミラリア基準の思考であることに気づき、その考えを打ち消した。
結局、流行りのアクセサリー一式を選んでみたのだが、届いた礼状にはありふれた言葉が並び、最後に、お気持ちだけで十分です、と書き添えられてしまったのだった。
ある日、リディアーヌが妃教育の為に登城するとクロヴィスと廊下で会った。
「ごきげんよう」
お辞儀をし挨拶を口にしたリディアーヌにクロヴィスは言った。
「講義が終わったら茶でも飲んでいかないか?」
「申し訳ございません、本日は王妃様より茶会のご招待を頂戴しております」
それはお茶会という名の試験だった。リディアーヌの一挙手一投足を王妃が直々に審査する、と講師から聞かされている。
「そうか。ではまたの機会にしよう」
「御前、失礼いたします」
リディアーヌはクロヴィスに断って講師の待つ部屋へと向かった。
「本日はお招きいただきましてありがとう存じます」
リディアーヌは講義を思い出し、指先にまで気を配ってお辞儀をした。先に席について待っていた王妃はリディアーヌの足の先から頭のてっぺんまで見つめている。
「ようこそ、シャイエ侯爵令嬢。どうぞお座りになって」
「失礼いたします」
講師の教えに従って、淑女らしく微笑みを絶やさぬように気を付けているリディアーヌではあったが、早くも目元のあたりがピクピクしてきた。
まだ茶会は始まってもいないというのに、これでは及第点には届きそうもない。
茶が給仕され、ひとつひとつ丁寧かつスムーズな動作に心掛けながらソーサーを持ち上げたリディアーヌに王妃が言った。
「クロヴィスから贈り物が届いたそうね、気に入ったかしら?」
持ち込まれた話題に思わず固まってしまったリディアーヌだったが、それに王妃がにっこりと微笑んだ。
「いちいち動揺しているようではダメよ」
「申し訳ございません」
リディアーヌは素直に謝罪をし、お茶を一口飲んでから答えた。
「アクセサリーの一式を頂戴しましたが、わたくしには分不相応で、お気持ちだけで十分だとお伝えしました」
それに王妃はまたも微笑むと、
「それもダメね、王族はお金を使わなくてはならないの」
と言った。
そして手本を見せるかのように美しく自然な所作で茶を飲んでから続ける。
「品物を買い求めることで商人はその代金を得ます。彼らはより良い品を求めて各地に旅に出る、旅には当然、人も資金も必要。そうやって新たな雇用が生まれ、やがて経済は回っていくの。
王家はその手助けをしなければなりません、質素倹約だけが美徳ではないのですよ」
シャイエの貧しい環境しかしらないリディアーヌにはその考えはなかった。積極的な散財でこの国の経済を回そうなどと、やはり王族は規模が違いすぎる。
「勉強になります」
リディアーヌはそう言ってはみたものの、自分にそれが実践できる日がくるのだろうか、と思った。
それから後もたくさんのダメ出しを受けたリディアーヌはへとへとになって帰宅した。
こんな調子では王太子妃になどとてもなれそうもない。新たな婚約者が見つからず困っていたクロヴィスの助けになれるのなら、と承知した縁であったが、今更ながらに後悔をした。
しかしもう後戻りはできない。リディアーヌはクロヴィスに相応しい令嬢になるしかないのだ。
茶会で王妃は積極的な散財が経済を回すと教えてくれた。その理論に基づくなら婚約式は豪華なものにしなければならないのだろう。
気は乗らないが仕方がない、それがリディアーヌに与えられた務めなのだから。
リディアーヌの王太子妃としての公務として、教会が運営する孤児院を訪問することになった。
クロヴィスのエスコートで馬車から降りたリディアーヌを出迎えた子供たちは、一様に戸惑いの顔を見せている。それはそうだろう、王太子とその婚約者が来ると聞かされていたのなら、彼らにとってのそれはミラリアだ。それなのに現れたのは見知らぬ令嬢、子供ならなおさら、戸惑わないわけがない。
「ようこそお越しくださいました」
温和そうな院長はクロヴィスとリディアーヌに丁寧なお辞儀をした。それを遠巻きにして眺めている子供たちにリディアーヌは声を掛けた。
「わたしはリディアーヌ・シャイエと言います、今日は仲良くして頂けると嬉しいです」
リディアーヌの言葉に子供たちは顔を見合わせていたが、そのうちのひとりが言った。
「今日はリディアーヌ様が一緒に遊んでくださるの?」
するとリディアーヌはにこっと笑い、
「いいえ、わたしが皆さんに遊んでもらうんです」
と言い、いつもはどんな遊びをしているのかを聞いた。
「ミラリア様は本を読んでくれるわ」
「そうなのね。でもわたしは今日、あなたたちに遊んでもらいに来たのだから、いつもしている遊びをしたいです」
すると子供たちは一瞬の間を置いてから、きゃーっと歓声を上げた。
「鬼ごっこしようよ!」
「かくれんぼがいい!」
どうやら体を動かす外遊びが好きなようだ。幸い、その日は天気が良く、雨の気配もなかった。
「いいわね、やりましょう」
リディアーヌはあっという間に子供たちの心をつかむとその輪に入っていった。
午前中、目いっぱい遊んでお昼の時間になった。
クロヴィスとリディアーヌも食堂に席をつくってもらい、子供たちと同じものを食べる。
最近は情勢も安定しており、孤児は減少傾向にあるが、それでもゼロにはならない。
狭い部屋にぎっしりと並べられたテーブルで食事をする子供たちが可哀そうではあったが、この貧しい空気がリディアーヌにはどこか心地よかった。
豪華な家具に囲まれて、美しい絵画を飾り、惜しげもなく高価な茶を飲む。貧乏慣れしているリディアーヌにはどうしても相いれない習慣であった。
「君は子供の扱いがうまいんだな」
クロヴィスにそう言われてリディアーヌは、ありがとうございます、と言い、その理由を明かした。
「シャイエの工房には子供を持つ女性も数多く働いているので、仕事が終わるまで、子供たちを遊ばせておけるスペースが作ってあるんです。そこでは年上が年下の面倒を見る決まりになっていて、わたしたちシャイエ家の子供たちも、勉強が始まるまではそこで育ちます。
つまりシャイエの一員としての最初の仕事が子守なんです」
「なるほど、それはいいやり方だ。母親には安心して子供を預けられる場所が必要だし、子供たちには他者との関わりを学べる場になる。まさに一石二鳥だな」
そのあともクロヴィスはシャイエのやり方を熱心に尋ねてきたが、いち早く食事を終えた子供たちがリディアーヌを取り囲み、遊びを強請った為、話を打ち切らざるをえなかった。
孤児院での予定をこなし、王城へと向かう馬車の中でクロヴィスが言った。
「こじんまりとして感じのいい教会だったな。せっかくだし婚約式はここでやろうか、子供たちもきっと喜ぶ」
その言葉にリディアーヌは首を振った。
「いいえ。慣例通り、大聖堂に致しましょう」
「それはおかしい、君は質素な式がいいと言ったではないか」
「考えを改めました、やはり王家には王家にふさわしい式を執り行わねばなりません」
リディアーヌの主張にクロヴィスは眉をひそめた。
「母上になにか言われたのか?」
「はい。経済を回すことも王族の務めだと教わりました、お金はかけねばなりません」
「確かにそれも大事な務めだ、だが、望みではないところにわざわざ無駄金をかける必要はないよ」
「ですが、王妃様はきっとお許しになりません」
「ならば、別で金を使うと言えばいい」
そう言ってクロヴィスはしばらく考えていたが、ぱっと顔をあげるとリディアーヌに言った。
「新婚旅行として国内を周遊するのはどうだろうか。視察もできるし、各地に金をばらまける。君は地方の産業に興味があると教師から聞いている、実物を見るいい機会だとは思わないか?」
リディアーヌは旅行記を読むのが好きだった。書籍の中でしか知らない土地に本当に行けるなど、夢のようだ。
しかし、王太子夫妻の滞在となると大所帯になり、警護も大変になる。その辺りが心配になって聞いてみると彼は笑顔で答える。
「王族の身辺を守るのが彼らの仕事なのだから遠慮することはない。大所帯なら宿泊費だけで相当な支出が生まれるし、地方ごとにポーターを雇ってみてもいいな」
「よろしいのですか?」
「もちろんだ、我が婚約者殿の望みはできるだけ叶えたい」
クロヴィスの見せた微笑みにリディアーヌは思わず頬を染めた。
この方、こんな風に笑う方だったかしら。彼の笑顔など婚約者になってから初めてみたかもしれない。
ほんのりと頬を染めたリディアーヌにクロヴィスは手ごたえを感じていた。
ミラリアが運命の女性だと思っていたが、どうやらそれは勘違いだったようだ。回り道をしたが、リディアーヌこそクロヴィスの真実の相手だったのだろう。
お読みいただきありがとうございます




