11.式典後のふたりの関係
オルガ主宰の集まりの回数に比例するように、ミラリアが浮かない顔を見せる回数も増えていった。
リディアーヌも側近も、クロヴィスがしでかさないように細心の注意を払っていたが、意外にも彼は静観を貫いている。そしてミラリアのほうも彼に泣きつく様子はなく、警戒していた側としては肩透かしを食らった気分であった。
とはいえ、何事もないのならそれに越したことはなく、連日のオルガの催しに、何も言わず参加をしていたリディアーヌであった。
その均衡が崩れたのはオルガから、次の集まりについて相談したい、と申し出を受けたクロヴィスが、彼と面会したときだった。
どういう流れがあっての結果なのか、クロヴィスにはわからなかったが、オルガに指定された部屋に行くと彼がミラリアをなじっているところだった。
「おまえは元婚約者にまで愛を囁かれたいのか?」
「そんなことは言ってないわ!」
オルガの言う元婚約者というのはクロヴィスのことだろうが、何故、自分が引き合いに出されているのか、クロヴィスにはさっぱりわからなかった。
「取り込み中ならば後日に改めますが?」
クロヴィスの控えめな提案にミラリアはハッとして顔を上げ、室内に彼がいることに驚き、慌てて部屋から出て行った。一瞬だけ見えた彼女の頬に涙が伝わっているのをクロヴィスは気づき、痛ましい顔をした。
それを見たオルガはフンっと鼻を鳴らし、
「愛する女性を放置するのがこの国の紳士なのか?」
と言った。
クロヴィスのミラリアへの思慕を利用したいオルガは式典後、わざとミラリアを冷遇することにした。
ミラリアを愛し抜ぬいているクロヴィスなら彼女に助け舟を出すだろうし、ミラリアも操りやすいクロヴィスに泣きつくだろうと思ったのだ。
ふたりに『相談』という名の密会の場を設けてやり、それを介して深い仲になったと告発し、不貞を問うつもりでいた。そして、その慰謝料として帝国に有利な条約を飲ませたかった。
最初はミラリアにこの計画を伝え、クロヴィスを篭絡させようかとも思った。しかしクロヴィスはともかく、彼の新たな婚約者となった女は意外に小賢しい。聞けば貧乏な侯爵家の娘で、高位令嬢のくせに商売に明け暮れていたという。
政治も商売も、根っこのところは同じだ。相手を知り、求める利を提案しつつ、こちらの条件を飲ませる。
貴族令嬢としての格は明らかにミラリアのほうが上だったが、政治的な感覚は、女にしておくのが惜しいと思えるほど良いものを持っている。この女を騙すには嘘のない涙でなければならない、と直感したオルガは、ミラリアに真相を知らせることなく計画を実行に移したのだった。
しかしオルガの予想に反して、クロヴィスはミラリアに近づこうとしないし、ミラリアのほうも黙って耐えている。業を煮やした彼はクロヴィスの前でミラリアをなじってみせるという強硬手段に出たのだった。
だが、オルガとミラリアの会話を聞いてしまったクロヴィスはもう以前のようにミラリアを盲目的に信じることはできなくなっていた。
疑いの目で見てみれば、なるほど確かにオルガがこの式典に参加すること自体が妙だ。そのうえ、彼は多くのメルシアン貴族との接触を持っている。産業提携の為とはいえ、あまりに頻度が多すぎる。
そうなるとミラリアに元気がないことも演技をしているように見えてきてしまった。しかし先ほど見せた涙は本物だった、あのプライドの高いミラリアが涙を見せるなど余程のことだ。
だが、彼女が自ら進んでクロヴィスから離れていった、というその事実を受け入れるときがきたのだとクロヴィスは思った。
オルガの言葉にクロヴィスは彼のほうを見て眉をひそめながらも反論する。
「ミラリアは貴方の伴侶になった、彼女を支えるのは貴殿の役目であってわたしではない。
貴殿はわたしの彼女への想いを利用したいのだろうがそれは無駄なことだ。ミラリア妃殿下はわたしにとって幼馴染ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない」
きっぱりとそう言い切ったクロヴィスにそばに控えていた側近は内心で拍手を送った。あれほどミラリアに執着していた彼の口から、そんな言葉が聞ける日が来るとは思っていなかった。
後日、このことを側近から聞かされたリディアーヌはまた違う反応を見せた。
「殿下は無理をしておられるのではないかしら」
「そのようには見えませんが」
「でもあれほどミラリア様に心酔してらしたのに」
「ようやく失恋したことを認める気になったのでしょう」
側近の考えはリディアーヌには全くわからなかったが、男性はそういう風に考えるものなのだ、と考えることにした。
すべての日程を終えたオルガはミラリアと共に帝国へ帰っていった。
「世話になった」
「道中、お気を付けください」
ふたりの男性は礼儀正しく別れの挨拶をした。
オルガの隣にはミラリアがいたが、彼女は終始うつむき、なにも言わなかった。
リディアーヌはなにか声をかけるべきだとは思ったが、オルガとミラリアの間の空気が明らかに冷え切っており、こんなときなにを言えばいいのか、社交に疎い彼女にはわからなかった。
結局、オルガの企みは失敗に終わった。
メルシアン王政に不満を持つ貴族たちを集めてみたものの、大して力のない者たちばかりでどうにもならなかったのだ。
そして妃の母国に入り浸って帰ってこようとしないオルガに帰還命令を出したのは帝国の王太子だ。オルガはメルシアンを属国にすべく動いていたのだが、逆に、メルシアンに肩入れして寝返る気か、と詰問の手紙が届いたのだ。
帝国では、メルシアンとの不可侵条約はミラリアに惚れたオルガが彼女を手に入れたかった為ということになっている。愛しい女から離反を囁かれたオルガは帝国に帰ってくる気がない、と勝手な憶測をたてられてしまったのだ。
もっともこの噂を流したのは他でもないシャイエ家の人々だった。彼らは貴族でありながら商売人と変わらず、帝国の商人たちとも数多く取引をしている。それとなくオルガ離反の状況をほのめかしてみれば噂は勝手に広がっていき、やがてデュエリ家も看過できないほどの流れになっていったのだった。
オルガはミラリアのことなど何とも思っていないどころか、彼女のせいで第三王子妃という有効なカードを無駄に切らされたと思っているくらいだ。
クロヴィスの思慕を利用したついでに離縁しようと考えていたが、それも失敗に終わった今、オルガの中のミラリアの価値はゼロに等しい。
ふたりの間に漂う空気はこういった結果なのだが、リディアーヌはもちろんミラリアでさえ、理由がわかるはずもなかった。
ふたりの乗った帝国の馬車が王宮の城門から出て行ったことでリディアーヌは思わずため息をついてしまった。
王宮の出入口という人の目がある場所で気を抜いてしまったリディアーヌは取り繕うように扇で口元を隠してみせたが、それにクロヴィスが笑った。
「君でもそんなふうに油断することがあるんだな」
「からかわないでください」
羞恥に赤面しているリディアーヌにクロヴィスは柔らかい笑顔で、
「少し安心した」
と言った。
クロヴィスと顔合わせをしたあの日から既にふた月が経過していた。
式典が終わり、オルガも帝国に帰国した為、リディアーヌに与えられていた王宮の一室はなくなり、妃教育のある日に登城するだけでよい生活に戻った。
ちなみにふたりの婚約の手続きは一向に進んでいない、それは事務方が式典のあれこれに忙しかった為で、リディアーヌは未だに正式な王太子の婚約者ではなかった。
妃教育のひとつに茶会の主催があるのだが、正式でない婚約者という立場では集まりを開くことはできない。そのため、リディアーヌにはそれなりの余暇があり、今のうちに、とオデット、メイルーナと頻繁に行き来して、友情を育んでいたのだった。
そんなある日のこと、クロヴィスから茶会への招待状が届いた。彼からの誘いは王都にきて初めてのことで、リディアーヌは悩みながら訪問の支度を整えた。
「よく来てくれたね」
茶の席が用意されていたのは王宮の一番奥に位置する庭園で、王族の許可がないと入れない特別な場所だった。
「お招きいただきありがとうございます」
礼儀正しくお辞儀をしたリディアーヌにクロヴィスは、掛けてくれ、と席を勧めた。
席に座るとすぐに茶が給仕されたのだが、それはミラリアの好きなローズティーではなく、初めて王宮に来た時に出してもらったリディアーヌが好みだと伝えた茶葉だった。
王宮で働くメイドたちの腕は良い。彼女らが淹れた美味しい紅茶を味わっているリディアーヌにクロヴィスは言った。
「間もなく、婚約の契約書が揃いそうだと事務方から連絡がきたんだ。そこでわたしたちの婚約式についてリディアーヌ嬢の意見を聞きたいと思ってね」
クロヴィスの言葉にリディアーヌは驚いた。この婚約は彼にとって二度目となる、婚約式はやらないものだと勝手に思っていたのだ。
リディアーヌの表情に気づいたクロヴィスはバツの悪い顔をしている。
「式はないと思っていたのか?」
どこか咎めるような口調にリディアーヌは謝罪した。
「申し訳ございません」
リディアーヌの言葉にクロヴィスは小さくため息をついて、
「リディアーヌ嬢を皆に紹介する良い機会になる」
と言ったが、リディアーヌは急に居心地が悪くなった。
リディアーヌは貧乏侯爵家の娘だ。彼が紹介してくれる人たちはきっと本物の高位貴族ばかりで、シャイエは式に集まった誰よりも価値の低い家になるだろう。
メイルーナのように高位でも親しく接してくれるひとはいるだろうが、そうでないひとたちが大半であることは式典に参加してみてよくわかった。
クロヴィスのエスコートを受けているリディアーヌになら皆、話しかけてくれたが、そうでない彼女には見向きもしなかった。ひとりも知り合いのいない会場で壁際にぼんやりと立っているのはとても情けなく、辛かった。
しかし王太子のクロヴィスがやると決めたのなら付き合うしかない。
「できるだけ質素にしませんか?」
リディアーヌの申し出にクロヴィスは首をかしげる。
「わたしはそれでかまわないが。女性はセレモニーが好きなのだと思っていたよ」
リディアーヌだって本当は盛大に祝ってほしいと思う。
でも二度目となるとどうしても前回と比べられてしまう、ミラリアとの婚約式はとても豪華だったらしい。それはそうだろう、心から愛している女性との婚約発表の場なのだ。
対するリディアーヌは、他に誰もいなくて仕方なく婚約を結んだだけの相手であり、クロヴィスには祝う理由がない。真面目な彼のことだから礼儀として婚約式を決断してくれたのだろうが、その気遣いすらも惨めに感じてしまう。
「シャイエは裕福ではないので、派手なことは経験したことがなくて勝手がわからないのです」
「なおさら経験すべきだと思うが?」
リディアーヌの言い訳にもクロヴィスはたたみかけてくるが、確かに彼の言う通りではある。王太子妃になるのだから人脈を築いておくことというのは大切だ。
「徐々に慣れていきたいと思います」
前向きな姿勢を見せたリディアーヌにクロヴィスはそれ以上なにも言わなかった為、ひとまず婚約式は質素なものと決まった。
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