第25話
ところが、それっきりセリシアにも負傷者たちにも変化はみられない。
見れば、瞼を閉じ唇を引き結んだセリシアの表情は苦し気で、苦握り合わせた拳も小刻みに震えている。その様子にピンとくる。
おそらく、セリシアは発現した魔力の使い方が掴めずにいるのだ。
「セリシア、己の源に祈れ」
俺は彼女に歩み寄り、そっと耳元で囁いた。
「え?」
セリシアは薄く瞼を開き、俺を見上げた。
「そして、イメージするんだ。損傷した皮膚細胞の再生、穏やかな呼吸と適正体温の維持。それらのイメージを彼らに注ぎ込め」
新魔創生は祈りと、そして想像力が全てだ――!
「……はい!」
セリシアは俺の声に力強く答え、再びグッと目を瞑る。次の瞬間、彼女から眩いほどの光の粒子が舞い上がる。
セリシアの隣にいた俺は、光の粒子をもろに浴びる恰好になった。
……これは、ものすごい魔力だ!
光に触れた部分が柔らかな熱を帯び、皮膚細胞が活性化していく感覚があった。咄嗟に露出している手の甲に視線を落とすが、健康な皮膚ゆえに目に見えての変化はなかった。
しかし広がった光が負傷者らを包み込んだ瞬間、全員が息を呑んだ。
水ぶくれが破れ、肉の色を晒していた患部が新たな皮膚に覆われていく。赤黒くただれた広範囲の熱傷も、キラキラと発光しながら肌本来の色を取り戻してゆく。
熱風で気管を焼かれて浅い呼吸を繰り返していた患者は、これまでの苦悶の表情が嘘のように穏やかな笑みをたたえ、大きくひと息吐き出した。
「メアリ……!」
やけどで上下の瞼が張り付いてしまっていたメアリも、光の粒子がふわりと触れた瞬間に瞼を開いた。
「あなた? ……やだ、泣いているの?」
その瞳にウッズを映すと、メアリは小さく微笑んで彼の涙を拭おうと手を伸ばす。一度は焼け落ちてなくなってしまったはずの手指で、彼女はそっとウッズの目尻を撫でた。
「っ、メアリ!!」
「え? あらあら」
ウッズが大量の涙を迸らせ、メアリは驚いたように目を瞠った。
集まっていた人々は目の前で繰り広げられる奇跡に言葉を失くし、瞬きすら忘れてただただ見入った。
――カシャン。
地面になにかがぶつかって割れるような音があがる。
見れば、俺が腕を取って薬殺を止めた老婆が、目を真ん丸にして立ち尽くしていた。彼女の手から瓶はなくなっていて、代わりに足元に割れたガラス片が散らばっていた。
「あたしゃ今、奇跡をこの目で見ているよ。そしてこれこそが、聖女の御業さ」
老婆が震える唇で紡いだ『聖女』の一語。耳にして、俺の中でストンと嵌まる。
発現にどんな力が起因しているのかはさておき、グルンガ地方教会の聖女イライザが癒しの魔力を持っているのは事実だ。しかし、富権力によって力を使い惜しむ彼女のやり方は、聖女には到底相応しいものではない。
真の聖女は、イライザではない。セリシアだ――。
負傷者の回復と共に発光は段々と弱まっていった。
「……っ」
「大丈夫か!」
光が完全に消えた瞬間、セリシアの体がカクンと頽れるのを、すんでのところで支える。
「は、はい。大丈夫です、ありがとうございます」
セリシアの息はすっかりあがり、表情にも疲労が色濃い。そして言葉とは裏腹に、彼女は自分の足で立つことも難しい様子だった。
初めての新魔創生でこれだけの魔力を使ったのだから無理もない。
ただし、ふらふらの体を俺に支えられながらも、その目には達成感と強い決意が透けてみえた。
「……セイさん、昨日の言葉はまだ有効でしょうか?」
俺を見上げ、セリシアが迷いのない口ぶりで尋ねる。
「もちろんだ」
「ではセイさん、改めてお願いします。どうか私を、旅にご一緒させてください」
「喜んで。セリシア、君の同行を心から歓迎する」
「ありがとうございます。私はこれまで、あまりにも狭い世界で生きていました。あなたと旅に出て、広い世界をこの目で見ます。その上で、私になにができるのか考えます」
嫋やかな佇まいは、たしかに昨日までの彼女と同じ。それなのに、凛とした眼差しで前を見据える姿はまるで別人のようだ。
もしかすると新魔力のみならず、彼女の心の中にもなにかしら"新たな変化"があったのかもしれないと感じた。
その時、人垣から一人の女性が進み出て、俺たちに歩み寄る。
女性は小間物屋の夫人で、気づいたセリシアは俺の腕から抜け出して自分の足で立ち、彼女に向き直った。
「セリシア、この人たちと行くんだね?」
「はい。……お嬢さんの回復を最後まで見守らずに出ていってしまい、すみません」
「なに言ってんだい! 娘はもう、ほとんど治ってる。それに、多めに貰った薬の残りだってある、心配はいらない。だからあんたは、ここにいちゃいけないよ。ここにいたら、その能力も教会の奴らにいいようにされちまう。あんたの能力は、あんたの心が望むまま使えばいい。この人たちと一緒に行って、広い世界を見ておいで」
夫人は、申し訳なさそうに頭を下げるセリシアの肩をトンッと抱き、彼女の旅立ちを後押しする。
「おばさん、ありがとうございます」
「道中、くれぐれも体には気を付けるんだよ。それからね、この街はあんたの故郷さ。恋しくなった時は、いつだって帰っておいで。街のみんながあんたの帰りを待ってるよ」
「その時はぜひ、うちに泊まってくれ! 妻を死の淵から取り戻し、こうして抱きしめていられるのも、全部セリシアのおかげだ! こんなのは礼にもならんが、せめて帰郷した時くらいは心づくしのもてなしであんたを迎えさせてほしい」
「いいや、その時はぜひうちに来てくれ! 嫁いだ娘の部屋が空いているんだ。なんだったら、ずっとうちにいてくれたっていい」
ウッズが全身やけどを負っていたのが嘘のように滑らかな肌を取り戻したメアリを胸に抱きしめて口にすれば、他の負傷者やその家族からも次々に同様の声があがった。
「皆さん……」
セリシアは感極まった様子で目を潤ませた。そんな彼女に、件の老婆が進み出て感謝を口にする。
「セリシア、あたしからも改めて礼を言わせてもらうよ。あたしは、自分が取ったあの行動を後悔はしていない。野蛮なやり方だってことは誰よりも承知してるが、やけどで苦しむ負傷者にとってあれが最善だと疑っていなかった。それがこの街の長老としての責任だとも思っていた。だけど、あんたの起こした奇跡を目の当たりにして、今後はもう同じ行動は取れないだろう」
老婆の語った台詞で、俺は初めて彼女がこの街の長老なのだと知った。
長老は街の最高齢者の意であり、そこに権力的な意味は含まれない。しかし、この世界にあって年長者を敬う心は前世の日本より根強く染み付いている。
街の人々は、長い人生経験を積んだ彼女の言葉に耳を傾け、その行動に一定の敬意を払う。これが全てとは思わないが、彼女が毒殺を主張した時に反論の声がでなかったのには、こういった側面もあったのだろう。
「今度似た状況になった時に、また奇跡が降ってくる保証なんてどこにもない。だけどたしかに奇跡はあった。そして奇跡は、命あってこそ。その可能性の芽を摘むことは、あたしにはもうできんよ」
「長老……」
「それから、これからお前の周りにはありとあらゆる思惑を持った者が近寄ってくるだろう。だが、最後に従うのは己の心だ。さぁ、広い世界へいっておいで、グルンガの真の聖女・セリシア。道中の幸運を祈っているよ」
「……はい。いってきます!」
長老の餞の言葉に、セリシアはしっかりと前を見据え、力強く答える。
周囲はセリシアの新たな門出を祝う温かな拍手で包まれていた。




