第0話 小学生マリちゃん最初の事件簿 承
申し訳ありません。ミステリーと言っても全然本格的でも、すごいトリックがあるわけでもありません。
そういうのをご期待されている方は他の作家さんをお勧めしますので、どうぞブラウザバックしてくださいませ。
誰でも解ける、みすてりー、を目指してます。
お屋敷に帰った私たちは、しばらくしてお戻りになったお館様から、急遽食堂に集まるように言われた。
お館様というのはもちろん、この大宜見屋敷の主、『大宜見誠乃輔』様のことだ。
リナさんの旦那様、つまりは今日生まれてきた赤ちゃんのパパでもある。
父さんから聞いた話だと、なんでもお館様の親の代は町の小さなミシン屋さんだったみたいなんだけど、お館様のお父様が早くに亡くなって家業を引き継いだお館様がその才能を開花させて、今みたいに貿易やら、アパレルやら、お菓子に文具……と、ありとあらゆる事業展開をして成功を収めたんだって。
でもって、イギリスだかどこだか海外のお屋敷を真似た? 買い取って解体してこっちに持ってきた?
どっちだったか忘れたけど、日本において少し違和感があるような――だって正面から見たら左右対称、シンメトリーのお家なんて日本っぽくなくない!?――こんな3階建てのお屋敷を作っちゃったもんだから、給仕……執事とかメイドってやつよね。今だと『喫茶』って言葉が後ろについてそうだけど。それが必要になったから雇ってるわけよ。
で、私の父さんと母さんは、二人ともこのお屋敷で給仕として勤めているの。元々は会社の方に勤めていたみたいだけど。
中里のお姉さんなんかもそう。数人でシフトを回している。ほかにも専属のシェフの人が数人。
でも私の家族、つまりは柚羽家だけは、このお屋敷に住み込みで働いているの。
元々そういう意味でこんな広いお屋敷を作ったのかはわからないけど、私たちには個室がそれぞれ一室と、家族で過ごせるようにって広めのお部屋一つ与えられてるってわけ。それでも部屋は余ってるけどね。
でも父さんも母さんも忙しいし、ご飯はもちろん、お風呂とかも他の給仕さんと一緒だったり順番だったりで、いわゆる団らんってことをした思い出はほとんどないけどね。ほかの給仕さんたちと過ごすことがもう団らんなのかも。
お館様やリナさんは気さくで、給仕としてお仕えしている人をみんな家族として接してくれているし、私もそう思ってる。私が馴れ馴れしいのを父さんや母さんは睨んでくるけどね。どちらかというと給仕さんたちの方が一線を引くことを頑張ってるみたいな。
このお館様って呼び方は、お館様の希望でつけたみたい。
ご主人様は嫌で、旦那様はなんか妻以外はちょっとなぁ……と。
それで、私の父さんが戦国武将が好きで、そこから引っ張って名付けたみたいだけど。
今ではみんなそれに慣れてる。お屋敷の外観には全く似合わないけど、他ならないお館様自身が気に入っちゃってるからもうどうしようもないのよね。
そんでもって奥様であるリナさんも「じゃあ私は奥方様になるわよね!」と言っちゃったものだから、みんなそう呼んでるの。
リナさんはいわゆる『面白ければそれでいい』って考えのタイプの人だから。好奇心旺盛というかなんというか。
「待たせたな」
と、野太い声と共に食堂に入ってきたのがお館様だ。
年は4じゅう……2、だったっけ? リナさんが27歳だから15歳も離れている。でも最近はそれほど珍しいことでもないわよね。ほら、芸能人でもそれくらいの年の差で結婚して話題になってる人もいるじゃない?
口元の黒い髭がきれいに切りそろえられているけど、頭は自然な感じ。ていうか、少し乱れてる……よっぽど慌てて病院に行って、こっちに帰ってきたのね。
長いテーブルの一番奥がお館様の指定席だ。
迷いなく颯爽と歩く足音は見ていても気持ちいい。
私は反対に一番出口に近い席の左側。左右それぞれ10人ずつが席に座っている。今いないのは夕食の準備をしている料理長の桜井さんと数人のシェフだけ。あ、あと母さんもどうやらまだ病院にいるみたいね。
お館様の椅子のそばに立っていた中里のお姉さんがそっと椅子を引き、お館様は音もなく座った。
「みな、もう知っての通り、理南が無事出産を終えた」
うんうん。私はたまらずぱちぱちと手をたたいた。するとみんなも次々と拍手する。
「やかましい!」
――と怒鳴るようなお館様だったら、私ももうお子様じゃないので、そんなことはしない。
「ははっ、ありがとう、ありがとう。これもみんなのおかげだ。……いやぁ、なんだか照れ臭いなぁ」
はにかみながら頭に手を回すような人だから、私も心から手を叩けたのであ~る。
「そこでだ、当然新しい我が家族に、名前を付けなければならないのだが、随分迷ってしまって遅くなった……仕事でもこれほど迷ったことはないぞ」
お館様がそういうのであれば、よほど迷ったのね。
「だが、赤ん坊の眠る顔を見て、ビビッと来たね! よしこれで行こう!って」
とお館様は濃紺のジャケットの懐から、半紙を取り出し、ピシッと音を立てて広げて見せた。
そこには、漢字二文字でこう書かれていた。
『誠理』
「マリ、大宜見誠理とする。どうだ? かっこいいだろう!」
はい。
「お、藍、なんだ?」
お館様は私のことを「藍」と名前で呼ぶ。って、そんなことはどうでもよくて。
その名前、かわいくないです。
「えええええ!?」
お館様はよほどショックだったのか、白目をむいちゃった。
「こら藍! 失礼な!」
と、お館様のすぐそばの席に座っていた父さんが怒鳴ることくらい想像がついていた。
だって、「マリ」って名前自体はかわいいけど、その漢字の字面がさぁ……。だいたい、女の子なのよ? かっこいいよりもカワイイでしょ!
「そうか……むむっ……」
私は確かに偉そうなことを言ってしまったのかもしれない。でも現役小学生女子として、そこは譲れなかった。
それに、こっそりとだけど、中里のお姉さんをはじめ、女性の給仕さんたちは小さくうなずいていた。いや、父さんたち男性陣も大なり小なり思うことはあったのかも。だから誰も何も注意してこないし。
「確かに、世界的にも今日本文化のかわいさが注目されつつある」
そうなの? でもお館様が言うのならそうなんでしょうね。
「そうだ!」
お館様がぱんとテーブルを叩いた。みんなびっくりして目を丸くしていたけど、父さんだけが、顔をしかめている。
「カタカナにしてしまおう!」
えぇ!? そんなのアリなの!?
「法律的には問題ないんだよ」
まぁ好きに読ませるくらいだしね……ハーフの子とかカタカナだし。
「お館様、せめて平仮名というのは……」
「それはならん」
「なぜです!?」
「かわいくない」
えええええええええええええええ!?
ということで、新しい生命の名前が「マリ」に決まったのだった。
そもそも名前を再考すればよいのでは? そんな意見も出たけど、お館様の中に、それはなかったみたい。
それは、その名前の由来が大事だったからみたい。
「まことのことわり……私の娘には、常に世の中の真実を見極めて正しい道筋を歩んでほしいのだ」
お館様は立ち上がると窓の向こうを見据えた。
「今日、私が今ここに立つまで、私も様々な苦労をした。どこかで一度でも判断を誤っていたら、私は今ごろ、どこに立っていたのだろうか」
父さんたち大人が急に静かになる。
「もちろん、振り返ってみれば、もっと別の手段があったのではないかと悔やむこともあった。修羅の道……大げさに言えばそう思う時もあった。だが、私の中で正しいと思う道を歩んだことだけは間違いない」
お館様はそっと席に戻った。
「生まれてきたばかりで悪いが、」注がれた水を一口含んだ。「娘には楽をさせてやりたいとは考えていない。自分の目で確かめて、自分の頭で考えて自分の足で歩いて欲しい」
私も含めて、みんながお館様から視線をそらさない。
「ただ、」
とお館様はここで急に引き締めていた表情を緩めちゃった。
「不幸にはなってほしくないなぁ。だからみんな、マリを支えてやってくれ!」
頼んだ! そう言ってお館様は頭を下げた。
私はなんだか胸の奥がじんとしてきた。父さんにいたっては涙を流していた。
そこまでされては誰も反対できない。誰かがその思いの丈に拍手をしたことで、再び食堂は喝采にみたされていったのであった。
でも……、リナさんは名前がカタカナになったことをどう思うのだろう?
次の日、お見舞いに行った私は早速尋ねたけど、
「アッハッハッハ! それでカタカナね。いいじゃない」
と豪快に笑っていた。
ある意味、予想通りのリアクションだった。
「藍、あんたにもいろいろ迷惑をかけるけど、よろしくね」
私はもちろんと笑顔でうなずいて見せた。
「はな。おはな!」
暖かい日差しが春の訪れを優しく、けれど一方的に伝えてくる。
「ねぇ、これなんておはな?」
マリが、公園に咲いていた一輪の花を指さして、リナさんに向かってそう尋ねる。
なになに期は終わってるような5歳になっても、マリは色んなことや物を見つけては尋ねるのだ。
「これはねぇ、コスモスってお花なの。こ・す・も・す。言えるかな?」
「こしゅもしゅ」
「アッハッハ! 言えた言えた!」
リナさんも、ちっとも飽きない。イライラしたり、雑に答えることもない。
「一つ、また一つとマリがものを覚えることが楽しくて仕方ないのよ」
以前私が尋ねた時も優しく笑ってそう答えていた。
イライラしていたのは、私の方だ。
マリはいつも夜になると、決まってパパの……お館様のところで遊ぶのだ。
遊ぶっていっても、お館様の書斎に一緒に入り、本を読んでいるらしい。
私も一度掃除をしに入ったことあるけど、壁中本だなでどこかの探偵のお屋敷みたいだなと思った記憶がある。
マリはそこでお館様がお仕事をなさっている間、いろんな本を手に取っているみたいだ。読めないものがほとんどだけど、お館様が一緒になって本を読んであげているらしい。
だからもう何年もお館様は寝不足だ。マリが飽きるまで読書に付き合って、それから自分の仕事を始めるのだから。
辛くないのですか? 私がある時そう尋ねたら、
「自分が十の仕事をこなすよりも、マリが一つでも知識を増やしてくれるほうが嬉しい」
って……。夫婦そろって同じことを言っていた。
そんな年外れた知識の豊富さが幸いしてか、夏休みの頃、お祭りでクイズを5歳ながら解いてしまった。
「どうしてうさぎさんだけ、じかんのこと言うの?」
「へ?」
クイズの店主は鼻を垂らして驚いていた。
「たぶんねぇ、」理南さんが補足する。「そのうさぎさんだけ、時間をきっちり伝えてくるじゃない? 犬の刑事さんがきりんの奥さんに、泥棒に入られた時間を聞いたのは、3人の話を聞いた後なのに。ってことは自分から言い出したんでしょ? ほら、ワニさんやカバさんはそこまで詳しくは言ってないし。ってことよね?」
「うん、ママ!」
マリは満面の笑みでうなずいた。
理南さんがわざと悪くほくそ笑む。
「ちくしょー! 正解だっての! 5歳だと!? てやんでいっ、好きなもの持って行きなー!」
1等賞のWiiを手にしてはしゃいでいたのは理南さんだったけど。二人は楽しそうだった。
辛かったのは私だけだった。
私は、少し面白くなかった。
みんながこの子をかわいがっていることが。
自分でも理解はしているつもり。9歳も年の離れた子に嫉妬なんてどうかしてるって。
でも、こんなこと言うのもずるいと思うけど、私だって普通の家に生まれていたら少し違ったと思う。
参観日は誰も来てくれない。
一人さみしい運動会。
でも、私がわがままを言っても迷惑がかかる。お屋敷のことを一切任されている両親、さらには秘書の役目も果たしている。お館様以上に暇のない両親に無理を言うことはできない。
それになにより手遅れだ。
「なんで柚羽んちは誰もこないんだよぉ?」
そんな心無い一言に涙を押し殺すことにも、すでに慣れていたのだから。
その反動で、私はこの数年で随分ドライな性格になったと思う。
自分で自分がかわいくないことはよくわかっているけど、どうしたらいいのかわからない。
誰のことを嫌いなわけでもない。もちろんマリのことだって嫌いじゃない、好きだけど、どこか素直になれない感じだった。
14歳になった私は、いわゆる思春期だったこともあって、家にいることが面白くなくなっていった。陸上部に入り、無駄に精力的に頑張った。時間を潰したかっただけだと思う。
そんな心境で日々悶々と過ごす中、一泊二日の宿泊研修があることはありがたかった。
隣県の山間部にある公共宿泊施設に泊まるだけだけど、心が休まる。
バスで向かった目的地、みんなが順番に降りていく。こんな時、私は最後に降りる。
家でのクセだと思う。最後にバスの中に忘れ物がないかとか、ゴミが落ちていないか見ておかないと気になるのだ。
点検が終わってバスを降りた時、先生が私に言った。
「柚羽さん、大変よ!」
私の宿泊研修はそこで終わった。
私がとんぼ返りで病院に向かうと、看護師に案内されたのは、手術室でもなく、病室でもない。
地下二階の霊安室。
理南さんは息をすでに引き取っていた。
部屋に入ると父が私のことを手だけで招き入れた。
お館様がそのそばで椅子に座りながら、うつむいてしまっている。いつもの活気は気配すらない。
なにと声を掛けたらよいのかもわからず、不安だけが募る。まだこの期に及んで、私はどこか信じられなかったのだろう。
だけど、父が首を横に振り、お館様へ何かを言うことは必要ないと先をせかす。
薄暗い部屋の中、一本のろうそくの明かりが、理南さんの体を照らしている。
白い布の向こうでどんな顔をして眠りについているのか……私はうかがうことができなかった。
布を払ったところで、涙で、もはやなにも見えなかったからだ。
突然死なんて……突然でなくても、私は好きな人の死を受け入れられるほど大人ではなかった。
「藍」
涙ぐんだ声でそう言ったのは私の母だ。
「奥方様がね……みんなに最後にと声をかけてくれたんだけどね……」
母は泣くことを我慢できなくなっていた。
「せっかくの旅行……途中で終わらせてごめんねって……」
私は、最後までリナさんらしい言葉を聞いて、張り裂けるほど声を出して泣いた。
私と父は、マリを迎えに、保育園へ向かった。リナさんは仕事を始めていたのだ。やりたいことがあったみたい。それと家で親とばかり遊ぶよりも保育園に早く入って他の子と一緒に過ごすことも大切だという考えだったみたいだ。
保育園の方には、入園時からお迎えに行く人がリナさん以外もありうることを申請している。
私もその一人だ。だけど、私は今日が初めてである。
父はすでに何度も……というか、運転の都合上、もっぱら父が迎えに来ることが多い。
保育園の先生も慣れた様子で、父を見て、すぐにマリを呼んでいた。
「藍、私は先生と奥方様のことについてお話をするから、少し待ってなさい」
目が真っ赤に腫れた父にそう言われて、私は嫌な予感がした。
先生がマリを連れてきて、私は父と先生の話が聞こえないよう、彼女を連れて外に出た。
「あのね、今日はね――」
マリが色々と私に話しかけてくれる。
その無邪気な笑顔が、今日はひどく場違いなように思えて、私はまた苛立ちを感じてしまった。
「今日はママにこれあげるの」
マリはそういうと、かばんの中から粘土を取り出した。決して上手とは言えないけど、その形からうさぎを作ったことは想像できた。
あのね……。
そう言いかけて、私は言葉を引っ込める。私が言うべきではない……はずだ。
「ママ今日はもう帰ってきてるかなぁ?」
あのね、ママはね、今日は帰ってこないかも。
「え? どうして?」
ちょっとね、いろいろお仕事が忙しいから。
「でもお家だよ? 帰るところだよ? ねぇどうして?」
「びえええええええええええええええええええええん!」
騒々しい保育園の庭に負けない、たった一人の大きな泣き声だった。
「――藍! なにをやっておる!」
父が飛び出してきた。でもはずみのついた私に、自分で自分を止めるすべはなかった。
うるさいっ! 泣いてもあなたのママはもう帰ってこないのよ! 死んじゃったんだから!
「ばかもん!」
父は私の頬を思いっきり殴った。
私は、憑き物が取れたかのように、ふと冷静になった。
マリちゃんのほほが赤くなっている。そして手に残るしびれ。
私が叩いたのだろうか……。
「お嬢様は私がお連れする。お前はもう、今日は一人で帰れ」
私はいったい何をしているのだろう……。
この日この後、何をしたかはもう覚えていない。いつの間にか家に帰って、いつの間にか寝ていた。
大切な人を亡くした日に、余計なことをして、なにもできなかった自分を今でも後悔している。
理南さんのお葬式はしめやかに行われた。
お館様たっての希望で家族葬ということになった。理南さんの職場の知人の方など、連絡を取ることが難しかった方々がいらっしゃったが、すべて丁重にお断りした。
家族と言っても、お館様ご夫婦そろってご兄弟もおらず、ご両親も早々に他界されていたので、屋敷の従業員とお館様、そしてマリちゃんだけの静かな葬式となった。にぎやかなリナさんとの最後の別れがこんなにも静かなものになるとは当然想像していなかった。
私は、理南さんを失ったショックと、あの時マリちゃんにしでかした失態とで、自分というものにひどく絶望していた。
そんな折、さらなる仕打ちが私を襲った。
理南さんの葬儀が終わって一週間と立たないうちに、急遽母がお屋敷を出ていくことになった。
「やりたいことがあったの。こんなタイミングになってしまったけど、前から決めていたことなの」
と、たったそれだけの理由である。
私に、もう少し元気があったら、怒鳴るなり、父を問い詰めるなりしていたのだろう。
だけど、私はこの時、立っているのがぎりぎりの心境だった。
私がわがままを言うと、母の人生を狂わせてしまうのかもしれない。
それになにより、自分の感情で勝手にふるまうと後悔することをつい最近知った私は、「がんばってね、応援するから」としか言えなかった。
「ありがとう……でも、忘れないで。あなたは私の自慢の娘だから」
そう涙を流して言った母の言葉が唯一の救いだった。
私はみなを避けるように、家の中ではできるだけ誰とも顔を合わせないでおくようにしていた。
父とお館様もそんな私のことに嫌気がさしたのか、最近は二人で書斎に入り、こそこそと何かを相談しているように見えた。
私はもうすぐ高校生になる。もしかしたらその時、この家を出ていけ、なんて言われるのかもしれない。
でも、それもいいとさえ思えた。ここにはリナさんの思い出も、母の思い出も多すぎる。
あと一年と半年もない時間だけ我慢すればいい。
いや、むしろ自分からそう宣言するのはどうだろうか。バイトするなりなんなり、もしくは寮がある所を受験すればいいのだから。
木枯らしが吹き、枯れ葉が地面をこする学校からの帰り道、そんなことを考えていた時だった。
携帯電話がなった。
父からだった。
どうしても誰も迎えに行けないから、マリちゃんを迎えに行ってほしいと頼まれた。
『だが、以前のような失態をすれば、もう屋敷には踏み入ることを許さんぞ』
そんな脅し文句を最後に付け足されて、電話は終わった。
いっそその失態とやらを犯してやろうかしら。そうすれば、私はあの屋敷から出ていくことができる。
などといった冗談にもならない計画を立てつつ、私は保育園に向かった。
さすがに気まずかったけど、仕方ない。
覚悟を決めて教室に向かった。
先生はあの時の先生だった。
「お電話は受けております」
警戒するでもなく、恐れるでもない、なぜか私に不思議そうな顔を向けていた。
「あ、あいおねえちゃん!」
奥からひょっこり顔を出したマリちゃんは笑顔だった。
「ちょっとまってー! おかたづけあるの!」
私の胸の中で、ほっと音がした。
「不思議なんです……」
先生がぽつりと言った。
「毎日元気で……もちろん、それはいいことなんですけど。お母さんがいなくなって、初めの二日くらいは寂しそうだったんですけど、最近はそんなそぶりも見せなくなって」
かれこれ2週間は立っている。確かに、大人たちはまだその影をぬぐえないでいるけど、改めて言われるとお屋敷の中でも最近は元気になってきたのかな? 変わらず私にも話しかけてくる。
私も最低限あやすけど、宿題があるとか言って、逃げていた。
「だから、ホントはダメですけど、私先ほどつい聞いちゃって……」
なにを?
「『マリちゃん、寂しくない?』って。するとですね、『全然さびしくないよ?』って。『ママはここにいるの』って胸を押さえて言ったんです。私もう……」
先生が泣き始めた。
「それと、『藍お姉ちゃんがいるから大丈夫』って」
……は?
「じゅんびできたー!」
マリちゃんがかばんと帽子をかぶってやってきた。
両手を背中に隠しながら。
「あとこれ、はい!」
とマリちゃんが私に向かって折り紙を差し出した。
「きょうね、これつくったの! ぺんだんと!」
よれた折り紙がそれでも六角形を作っている。オレンジ色のためか、手のひらにのったその紙のペンダントは暖かく感じた。
これを……私に?
「うん! これね、もえちゃんにまほうをかけてもらったの!」
もえちゃん……お友達ね?
「そう。なんでもねがいがかなうんだって! あいおねえちゃんさいきんげんきなかったでしょ? げんきになるようにおねがいしておいたの」
私は息をのんだ。自分がひどく情けなくなった。勝手に怒って勝手に卑屈になって避けていた私のことを、この子は心配してくれていたんだ、と。
そして震える口を我慢して、言葉を続ける。
先にお願いしてくれたんだぁ……でも私がかなえてもらっていいの? マリちゃんは?
「わたしはみんながえがおがいい! ママもそういってる」
マリちゃんは胸を押さえて言った。
「ママがね、いってたもん。みんなたのしいがまるだって。だからあいおねえちゃんもげんきになったらまるになるでしょ? わたしももうえがおになるから!」
……ありがとう。
「それにね、ママがいってたの。まりがこまったら、かならずあいおねえちゃんがたすけてくれるって。だからね、あいおねえちゃんがこまっていたら、かならずたすけてあげなさいって」
私の胸の中で何かが大きな音を立てて割れた。
吹き込む木枯らしが、私の中の邪念を枯らした気がした。
そして、受け取った暖かな光のようなこのぺんだんとが、胸の中までも満たしてくる。
「わっ! どうしたの?」
ごめんね、ごめんね……ごめんね……!
「あいおねえちゃんどうしてごめんねするの? わるいことでもしたの?」
してたの……。しそうになってたの……でももう二度とそんなことしないから……!
「……ないてるの?」
……ううん、泣いてなんがいないわ! これはね、勇気があふれてきた証拠よ!
私は自分が実に愚かだったと気づかされた。腐った自分を演じることで自分に酔っていたのかもしれない。
理南さんがいなくなったからこそ、理南さんの分まで、理南さんの代わりに私がこの子に寂しい思いをさせてはいけない!
今になってようやくそのことに気づいた。今更になって、理南さんに言われた言葉を思い出したのだ。
それからというもの、私は自分のことはもう後回し!
マリちゃんの参観日やら、運動会には必ず参加した。周囲の目が気になることは一つもない。私に迷いはなかった。
お屋敷でも徹底的にお世話をするようになった。食事やお風呂、宿題に遊び……。
部活は時間が勿体なかったのでやめちゃった。でもその代わり給仕としてのスキルを磨くことやトレーニングには余念がなかった。
悔しいけど一番のお手本は父であったので、あの日保育園から帰るなり私は父に土下座し、給仕としての技術を伝授してもらうことにした。
まだ母のことで納得できていないこともあったけど、そんなことを気にしなくなったのもマリちゃんのおかげである。
高校生になった時、お館様から正式に給仕としてアルバイト採用してもらうことになった。
と言ってもやることは変わりないけど。お給金をもらうことになる。
最初は固辞していた。今更、なんだか他人に戻るような気がしたから。
でも、お館様はご存じの通り、他人の意見にも耳を傾ける柔軟性と、正しいと思った時には意見を曲げない芯の強さの両方を併せ持つ方なので、今回でいえば後者が出てらっしゃった。
「高校生である藍の時間を奪っておきながら、タダというのは私の気持ちが許さん」
とまで言われたので、私はしぶしぶ承諾した。
と、ここで考えた。
その給料をどう使うか……それは私の勝手でしょ?
私はそのお金を使って、お嬢様を楽しませることに全力を尽くした。色んな所に出かけたし、いろんなものを作って、1度でも多くの笑顔を引き出すことに努力した。
同時にお嬢様が小学生になり、その過保護ぶりは減速するどころか加速しちゃいました。
入学式はもちろん、参観日も引き続き出席していた。……高校の授業を途中で抜け出して。
もはや私の人生の意義に勉強は無関係とさえ感じていた。
おかげで、私は、普通の女子高生とは違った学生生活をすごすことができた。
適度にお休みもいただいたおかげで友達と会うこともできた。ゆきみちゃんは心配してたけど、私が胸を張って充実していると言ったので、彼女も最終的には安心していた。
そして、お嬢様が小学3年生になった。
私がお嬢様がお生まれになった年と同じ年齢になったことは、何とも言えず感動した。同時に、この9年間、様々なことがあったなと改めて感慨深いものがあった。
そんなある日のことだった。
その日はお嬢様の運動会だった。私と父、そしてお館様とで応援に行った帰りのこと。
「そういえば、藍」
お館様がふと仰った。
「藍の高校では体育祭とかないのか?」
え?
……。
私と父との間で妙な空気が流れる。
昔は私も誰かに来てほしいと思っていた。だけどそれが私にとっては嫌な結果を引き起こしたからそれからは気にしないことにしていたのだ。
それにもう高校生になったら、来てほしくないとは思わないけど、それほど気にはならなかった。
それになにより、父と話して決めていたことなのだ。
理南さんが亡くなってから、お館様はそれまで以上にお嬢様のことや、お仕事に精を尽くされていた。少しでもそのお力になるためにも、私たちも最大限大宜見家に尽くし、そしてお館様に柚羽家のことで時間を割いてもらうわけにはいかない、と。
だから、私の受験のことや、高校生活、これからの進路のことなどは、ひっそりと決めていたのだ。
でも、今にして思えば、お館様は聡明な方だ。そして世間知らずの温室育ちではない。
私の学生生活の中に、体育祭などの行事がないわけがない――そうお気づきになっているのだろう。
私と父は観念して、実は来週体育祭があることを伝えた。
「なぜそれを早く言わんのだ!」
お館様が明確に怒った姿を見るのは、初めてだったかもしれない。
私がお嬢様を叩いた時も、お館様はお怒りになることもなく、「もう父親に殴られているのだから私が何かを付け足す必要はないだろう」と言ってくださった。
そんなお館様が声を荒げたのだ。
お嬢様も驚かれたでしょうけど、私のほうがよっぽど驚きました。
「ようし! それなら屋敷のみんなで応援に行くぞ!」
と、お館様はお嬢様を肩車なさった。
え!? それはちょっと恥ずかしい……。
「わーい! みんなで行こう行こう!」
お二人はすっかりその気だったけど、すかさず父が、
「お館様、来週の日曜日は製菓メーカーとの会合が――」
「代理を立てればよいだろ」
「しかし――」
「私は君も含め、私の部下と呼ぶ人間には信頼を置いている。現副代表とてそれは変わらぬ。私がいないからと慌てるような連中ではない。今回は全権委任しているのだ。私よりよい成果があがるかもしれんぞ」
……。もうご存じだったのですね。
「ですが、相手方も代表が出席なさいます」
「代表でないと話にならないと肩書だけ気にするような連中とはそれまでのことよ。よし決まりだ!」
私は少し複雑な気もしたけど、でも、やっぱり嬉しかった。
「私も応えんする!」
お嬢様もなにか旗を作ってくださっていた。
あぁ~かわいい~。
もはやこのころには私はすでにお嬢様を溺愛していた。
こんなかわいいお嬢様を高校だなんて危険な場所にご案内しても大丈夫かしら?
でも、そんな不安は、杞憂に終わることになった。
体育祭の前日、お館様が殺されたことで、私の体育祭に皆様で来てくださるという約束は、未来永劫叶えられることはなくなったのだから……。
隔週日曜日更新していきたいと思います!
回答編と次の事件は同じ話数に記載予定です。