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雨の露輝く紫陽花

 夏陽軍の拠点、とある個室ではかりかりとシャープペンシルを動かす音が響いていた。他の音がないために聞こえるその音は、時折止まってはまた聞こえ出す。そしてぱらりと紙をめくる音が混じる。

 そんな中に混ざったのは、部屋の扉のノックだった。部屋の主の返事を待たずに扉は開いた。

 

彩歌あやかー、お邪魔するっすよー」

 

 入ってきたのは夏陽軍隊長の宙也だ。人懐っこい笑顔を浮かべ、文字の書き込まれた紙の散らばる床を歩いてくる。

 

「宙也。例の物を持ってきてくれたのかい?」

「そうっすよ。この前の、春芽と冬白の総力戦の結果と情報っす」

「それだよ! おつかいくらいは指示通りにしてくれなきゃ! ああ、待ちかねたよ!」

 

 先程までの無関心はどこへやら、くるくる回って喜ぶのはだぼだぼのパーカー姿の小柄な人物だ。フードを被っているせいで顔はよく見えないが、声は完全に少女のそれだ。

 流巡の外では中学生だったが、今や夏陽軍隊長、夏陽 宙也の右腕であり参謀を務めている。能力は紫陽花、小規模部隊一つの隊長でもある。

 

「言うことくらい、俺でも守れるっすよー」

「どの口が言うんだ、この計画クラッシャーめ。わたしの計画がいくつ破壊されたことか」

 

 びしり、とまっすぐに伸ばした人指し指を宙也に向ける。

 

「んー、忘れちゃったっすね」

「いちいち数えるのも馬鹿らしいくらいだ! このわたしにそこまで言わせるんだから、相当だぞ!」

 

 彩歌としては真剣に指摘していても、小柄なせいで迫力がない上に余った袖がひらひら動くのでコミカルに見える。

 

 夏陽軍の参謀として戦略の立案もしている彩歌だが、その計画通りに事が進んだことは少ない。

 それもこれも、彩歌が計画クラッシャーと呼ぶ宙也と、独断専行のシズが主な原因だ。

 夏陽軍の者以外には脅威に思える彼らが、もし彩歌の計画通りに動けばさらに強くなるのだろうが、それは意味のない仮定に過ぎない。二人とも、ある意味縛られることを嫌うからだ。

 

「まあいい。この情報で勘弁してやる」

「やけに具体的かつ客観的なんすよね、それ。たぶんアイリスは戦闘に参加してないんすねー」

「奴らしい。冬白も、あのマイペース迷子が参加していないようだ」

 

 書面での情報は、アイリスから聞きながら宙也が書いたものだ。意外なことに字は綺麗で読みやすい。

 

「よし、流巡の勢力図の変更と今後の作戦を練らねばな!」

 

 ぐいっと袖をまくった彩歌は、その場に転がっていた洗濯ばさみで右の袖を、クリップで左を留めた。フードは脱いで、胸までは届かない程度の黒髪を雑に結ぶ。

 

「せっかくだ、春芽を狙うか? いや、士気が削がれている冬白や秋色も悪くない。宙也、何か希望はあるかな?」

「珍しいっすね、彩歌が俺に意見を求めるなんて」

「意見ではない。きみたちが計画を壊すのは、気に入らないからだと考察した。ならば、希望を取り入れてみようという結論に至ったわけだ」

 

 ふりふりとシャープペンシルを振りながら、寝転がった彩歌は宙也に問いかける。机は彩歌の希望で置いていないこの部屋で、何か物を書こうと思ったら床に寝そべるしかない。

 

「そうっすか。なら俺は、久しぶりにあいつに会いたいっすねぇ」

「……ふん。きみは相変わらず物好きだ」

「えー? そんなことないっすよ?」

「いいや、あるね。一歩間違えば、奴は裏切り者になっていただろう」

 

 その場の空気がひやりと凍りついた原因は、彩歌だけではなく宙也にもあるだろう。普段はふざけている彼だが、けしてただの馬鹿ではない。

 

「まあ、わたしもそんなきみに拾われた一人さ。隊長がお望みならば、叶えるのが参謀わたしの仕事だ」

「俺、彩歌のそういうところ好きっすよ。あ、そこだけじゃなく、全体的に好きっす!」

「そんな告白はいらん。わたしには、あの迷子の出現頻度を割り出して、接触する機会を探る仕事がある。わかったら、とっとと皆の元へ戻りたまえ」

 

 顔を上げた彩歌の表情は、しかたがないと言いたげな笑みだった。なんだかんだ宙也の要望を受け入れようとしてくれる彼女は、いい人だ。

 

 望んで隊長になったわけではない宙也は、しかし流巡で他人に慕われる存在だった。前の隊長が役目を終えた時、自然に宙也が隊長という立場に推薦されていた。

 自分の願いを持っていない宙也が隊長として立つのは、いずれ夏陽軍が流巡全土を手に入れた時のためだ。

 隊員の中には、叶えたい願いがある者がいる。彼らのため、宙也のように戦える者が前線に出る必要がある。それこそが宙也の考えだった。

 

「ヒーローぶるのはやめたまえ。例えば、全員を救うなんてものは幻想に過ぎない。所詮人は無力だ」

 

 それを告げた時、彩歌はそう言った。

 その時のことを思い出しながら、宙也は呟く。

 

「俺一人だったら、確かにそうだったかもしれないっすね。でも……」

「大きい独り言を言っている暇があるのなら、身体を動かしたまえ。ほら、早く行け」

「わかったっすよ」

 

 今度こそ部屋を後にする。彩歌に任せれば、いい計画を立ててくれるだろう。それをどう扱うかは実動部隊にかかっているが。

 

「宙也、この前戦闘があったろ? あの時の結果なんだけどさ」

「領土の振り分けを変えようと思うのだけれど、どうしたらいいかしら?」

「なー宙也、今度の部隊おれを選んでくれよ。ぜってー領土()ってやるからさ」

 

 この軍は宙也の性格により、全体的に緩い雰囲気で距離も近い。だから他の軍とは違った、隊長と隊員ながら気安い関係でいる。

 

「結果なら、今聞くっすよ。振り分けなら彩歌に聞いた方がいいんじゃないっすかね。部隊は編成を今彩歌がやってるとこっすから、直談判にでも行ってみたらどうっすか?」

 

 ぽんぽんと軽快に答えると、それぞれが行動を始める。ある意味頼もしくあるが、これが夏陽軍の者たちが彩歌の計画通りに動かない理由であった。

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