出来損ないのバラ
流巡の廃墟の中を、駆け抜ける影四つ。その後ろには、多数の追手が続いている。まだ雪のある冬白の領土。彼らが通った後には、足跡だけが残っている。
それは零哉たちがフィエルードを倒して、数分と経っていない時。雷鳴部隊は、ちょうど春芽軍の小規模部隊――おそらくは攻め込みのためだけの急ごしらえのものだ――と遭遇した。
春芽の部隊は狙いを変え、こちらに攻撃を仕掛けてきた。フィエルードはすでに負け、領土を奪われている状態だったためだろう。
相手が能力者もいない小規模部隊とはいえ、連続の戦闘は不利になるし面倒だと、零哉が撤退を指示して今に至る。
「しつこいなー、もうっ」
時折屋根へ飛び移ったりと軽やかに走りながら、紗奈が不満げにもらす。春芽軍たちにとっては、零哉たちは逃すには惜しい敵なのだろう。なかなか追跡は終わらない。
「ユヅキ、大丈夫?」
種里が夕月に近寄り、小声で問いかける。先程から夕月は種里たち他の三人より、ほんの少し息が上がってきていた。
「……うん。平気、だよ」
そんな夕月は、種里に笑ってみせる。それでも単なる気のせいにしては、種里には引っかかるのだった。
零哉と紗奈が前に教えてくれた。流巡では身体能力が強化されると。走ったくらいでは、そこそこの距離でない限り息が切れるということもあまりないらしい。
追われるうちに、広い場所に出た。これでは身を隠すこともできなさそうだ。
「しかたねぇな、応戦すっか。夕月、頼む!」
「わかった!」
大人数を相手にするほど、夕月の能力は有利だ。『バラ』は流巡の中でもかなりの攻撃範囲を誇る能力であり、蔦は夕月の任意であらゆる動きをする。
素早く張り巡らされたバラの蔦が、追いついた春芽軍たちを捕らえる。茨が絡みついてそれぞれの花を落としたのを確認してから、零哉たち四人はその場を去った。
「いないと思うけど、念のため偵察行ってくるねー」
いくつかあるうちの隠れ家の近くに着き、紗奈一人がまわりに敵がいないか確認しに行った。きっとそうかからずに戻ってくるだろう。
「っは。……はっ、はぁっ」
「……ユヅキ?」
先程から気になっていた種里が振り返ると、夕月は膝に手をついて肩を大きく上下させていた。種里でさえ疲れていないのに、眉根を寄せて苦しげに呼吸をしている。
「おい、夕月? どうした?」
「だい、じょうぶ……。大丈夫……だから」
とてもそうは見えない。ふらふらしていて、今にも倒れてしまいそうだ。
「う……っ」
ふっと力が抜け、夕月が崩れ落ちる。辛うじて片手だけがその身体を支えている。それも長く保たずに、灰色の冷たいコンクリートの地面に倒れる。
「ユヅキ!」
「種里、ちゃん……」
種里は慌てて駆け寄る。ぼんやりしたブラウンの瞳がうっすら開いて、その姿を捉える。意識は失っていないようだが、自力で立つこともできなさそうだ。浅い息を何度も繰り返している。
「種里、反対側支えろ。中に連れてく」
「うん」
ぐったりした重みが肩に加わる。触れたその手は、ひんやりしていて冷たいのがやけに印象的だった。
「敵、やっぱりいなかったけど……。って夕月くん? どうしたの!?」
「話は後だ。紗奈、扉開けてくれ」
「わ、わかった」
こちらの基地は、やはり本拠地のものほどではないものの前よりは広い室内だった。二つあるベッドの片方に、夕月を座らせる。零哉と種里の支えがなくなった途端、とさっと音をたてて倒れ込む。
「ごめん、零哉……。種里ちゃんも」
「気にすんなって。落ち着いたら、訳でも聞かせてくれよ」
「嫌なら無理にとは言わねえけどよ」と付け足して、零哉は離れた位置にある椅子に腰掛ける。夕月が視線を気にせず休めるようにと気を遣ったのだろう。紗奈もそっと笑って、夕月からは見えないところへ移動する。
種里だけは変わらずそこにいて、まだ苦しさの残る呼吸をする夕月の手をぎゅっと握っていた。
「ユヅキ。そばにいるよ、ここにいるよ」
夕月にしか聞こえないような小さな声で、そう繰り返す。冷たい手には種里から熱が伝わって、少しずつ同じ温度になっていく。同じように、息も穏やかなものになる。
「ね、みんな。聞いてくれる……?」
それから数分後、夕月は呟きに近い声を出した。
「ぼくは……。元の世界では、昔から身体が弱かった。学校に行けない日もあったりして。だけど、それだけだった」
「ああ」
顔だけを夕月の方に向けた零哉が相槌を打つ。
誰でも、流巡に迷い込む前は普通に暮らしていた。あたりまえの日常の中、ふと流巡に紛れ込んでしまうのだ。歩き慣れたいつもの道に踏み出したら、そこは別の世界――というより、流巡は異空間という認識をされている――なのだ。
例に漏れず、夕月もそうだった。しかし、そこからが少し他の人と違っていた。
「目の前に、小さいバラの茂みがあった。そこから、声が聴こえたんだ」
『お前は、叶えたい願いはあるか? どんなものでも構わん。ここでなら、叶えることができる』
問われるまま、夕月は願いを考えた。考えただけで、口には出さなかったはずだ。それなのに。
『なかなかに強い願いだな。純粋故に強固だ』
『それ』には夕月の考えていることがわかったらしい。それで夕月は悟った。ここは異空間、流巡なのだと。
そして『それ』は、流巡のルールやさまざまなことを語った。ここで勝てば、願いを叶える権利を得られると。
『ぼくが、戦って勝てるわけない。運動だってしたことないのに』
『我が力を貸そう。お前が望むのなら』
『それ』は流巡に存在する能力のうち、唯一自我を持つ能力『バラ』だった。自我と強い力、他にも特例のあるその能力は自分で宿主を選ぶ。
『多少の代償はあるが、充分にお前の力となれるはずだ。どうだ、我と契約しないか?』
『……いいよ、する』
全てを認め、夕月は『バラ』の能力を得た。
「その『代償』のせいでお前はこうなるのか? この前だって……」
「そうだよ。元から身体が弱いってことも理由の一つなんだけどね。でも、大丈夫。流巡に来て身体は前よりは強くなってるし、人より疲れやすいくらいなんだ」
安心させるように浮かべたはずの笑顔は、やけに儚いもののように見えた。
種里は思わず、繋いだままの手に少し力を込める。そうでもしないと、ふっと消えてしまいそうだった。
「だからお願い、零哉。これまでみたいに、ぼくのこと使ってよ。誰かの重荷になるのだけは、嫌なんだ」
うつむいた夕月が、もう種里から離れた手を強く握りしめる。力が入りすぎているからか、別の理由からか、その手はほんの少しだけ震えていた。
「……無理はしないって、約束してくれるか?」
「……! うん、するよ! ありがとう零哉」
わずかに茶色がかった色素の薄い髪を揺らして微笑んだ表情と、真っ赤なバラの花が不思議と種里の目に焼き付いた。




