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出口の向こうから、俺の悲鳴が聞こえる  作者: 雨宮 弦


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第18話 六人目の履歴

 友乃葉は地図を閉じた。

 中央設備室の外縁には、乾いた床が残っていた。榎坂が渡らせた踊り場より広い。壁に沿った低い台へ座れば、痛む足を床へつかずに済む。それでも友乃葉は何度も立とうとした。

 穂奈実が隣へ座った。


「今、足を使い切らないで」


「私が歩けたら」


 友乃葉はそこまで言って、口を閉じた。

 尚匡は正面に立たなかった。立ったまま大丈夫と言っても、友乃葉には見上げるしかない。少し離れた台へ腰を下ろし、自分の右手を膝へ置いた。

 傷の布は濡れ、端が浮いている。


「俺も、引けませんでした」


 尚匡は言った。


「だから、俺のせいだと言いたくなる。でも、誰か一人のせいにしても、さっきの道は変わらない」


 友乃葉は返事をしなかった。穂奈実も、その言葉を繰り返して聞かせることはしなかった。

 友乃葉は地図を膝へ置き直した。閉じた紙の端を撫で、もう一度開きかけ、やめる。先ほどまでは榎坂が持っていた紙だった。彼が指した踊り場の折り目が、今は彼女の足元へ向いている。


「痛むところ、変わったら教えて」


 穂奈実が言った。友乃葉は頷いた。

 尚匡はその短いやり取りを聞いた。二人が死んだあとでも、今いる一人の足を悪くしないために訊くことはある。大きな説明ができなくなったときほど、その小さな問いを飛ばしてはいけない気がした。

 彼は借りた布を折り、濡れた側を内へ隠した。右手のガーゼはあとで替える必要がある。自分の身体を放っておいて、誰かを助けられなかった責任を取った気にはなりたくなかった。ただ、彼女が立とうとするたび、荷物を置く位置を直し、足の前を空けた。

 御厨は中央側のガラスの前にいた。

 尚匡は立ち、彼へ近づいた。怒りで足が速くなりそうだったので、一度止まる。さっきの連絡路で聞いた声を思い出した。


「水位が上がるのを、前から知っていましたか」


 御厨は答えなかった。


「上がっている、と言いました。あの時点で、どこまで上がるか分かっていたんですか」


 御厨の視線が、ガラスの向こうへ動いた。

 尚匡はその先を見た。中央の設備は広い床を占め、太い配管が下へ消えている。奥の表示に数字が並んでいたが、ここからは意味まで読めない。


「知らなかった、とも言わないんですね」


「表示は見ました。あなたも、見ていたでしょう」


 御厨が答えた。

 そのとおりだった。尚匡たちも見ていた。見えている表示を、どこまで解釈できたかが違うのではないか。そこを確かめたかったが、御厨は自分から説明しなかった。

 穂奈実が二人を見ている。友乃葉も携帯を構え直した。

 尚匡は端末のある側へ進んだ。中央設備室へ入る前の管理区画に、表示器と机が並んでいる。廊下の案内はここへ続いていた。触れずに読める画面を先に見た。


「そこは、触らないほうが」


 御厨が言った。

 尚匡は止まった。何も押していない。画面の下に、運転中の項目と、冷却の残り時間が並んでいる。


「何をする端末ですか」


「冷却の管理だ」


 答えが、即座に出た。

 初めての機械を推測している声ではなかった。御厨自身も気づいたのか、口を閉じた。尚匡はその顔ではなく画面へ目を戻した。ここで表情だけを証拠にすれば、さっきの欠けた文字と同じことになる。

 下の欄を読んだ。

 研究責任者、御厨統吾。

 今度は欠けていなかった。

 尚匡は声に出して読み上げた。友乃葉が画面へ携帯を向ける。穂奈実は立ち上がらず、彼女が無理なく撮れる位置へ光を寄せた。


「この名前は、あなたのものですか」


 尚匡が訊いた。

 御厨は表示を見た。会社で調達をしている、と覚醒室で言った男だった。数字に答えを探すように、残り時間の欄へ目を動かす。


「そうです」


 短い返事だった。


「この施設の、研究責任者ですか」


「そうです」


 友乃葉の指が止まった。尚匡は質問を続ける前に、彼女が保存するのを待った。録音が続いていることも確かめた。御厨の声が、今度こそ現在の人間の答えとして残っている。

 尚匡は一歩、御厨へ近づいた。


「あなたが、始めたんですか」


 御厨は冷却の表示を見た。

 十一時十分。限界まで、一時間五十分。


「始めた。止め方は、まだ見つかっていない」


 穂奈実が顔を上げた。


「冷却ではなく、私たちをここへ連れて来た話をしています」


 御厨は視線を下げた。


「分かっている」


 尚匡は自分の手が握られていることに気づいた。傷が痛む。殴ろうと思ったのか、ただ力が入ったのか、自分で区別がつかなかった。その手を開き、端末のある側へ戻した。

 御厨の眼鏡の縁が、画面の光を反射した。尚匡はその奥の目を見て、次の質問をした。


「六人とも、あなたが選んだんですか」


 御厨は返事をするまで少し掛かった。


「接点のある人間を、集めた」


 尚匡は端末で見た一覧を思い出した。点検、音声資料、面談、救助要請、警備。仕事や研究の末端に残っていた名前を、御厨は追って来た。こちらにとっては、いつもの仕事や、頼まれて答えた質問の一つだった。


「関係があるから、呼んでいいと思ったんですか」


 尚匡が訊くと、御厨はすぐには答えなかった。


「話が分かる人間が、必要だった」


「何の話か、最初に聞かせてもらっていません」


 御厨は黙った。尚匡は、その沈黙を同意と書かないよう友乃葉へ伝えた。答えを聞いていないという事実のまま残してほしかった。友乃葉は頷き、御厨の発言の次へ空白を作った。


「点検依頼も、会社の打ち合わせも。学生への連絡も?」


「手配した」


 友乃葉が携帯を握り直した。尚匡はそれを視界の端で見た。大学の面談の理由が今説明されたわけではないが、今日ここへ呼ばれたことについては、御厨が認めた。


「水を飲んだあとから、覚えていません」


 尚匡は言った。


「自分でここに入ったわけじゃない」


 御厨は否定しなかった。


「協力が必要だった」


「協力を頼まれた覚えはありません」


 穂奈実の声がした。


「断る場所も、やめる場所もなかった。名前の札を付けて、閉じ込めた。それを協力と呼ばないでください」


 御厨は口を開き、閉じた。

 尚匡は画面の氏名を見た。責任者という肩書きは、機械の動作を知っていることを示すかもしれない。こちらの命を任せてよいことは示していなかった。


「電話の規則を、あなたは知っていたんですね」


「基本の動作は」


「枝口で、残り何秒かを訊いた。何を確かめてたんですか」


 御厨は眼鏡へ手をやった。指が触れてから、位置を直さずに下ろす。


「動作の時間です」


 尚匡はその答えを覚えた。何の動作かまで、まだ言っていない。録音を聴けば後で、説明が増えた場所も、隠した場所も確かめられる。


「笹倉さんと榎坂さんは、死にました」


 尚匡は言った。

 御厨の目が閉じた。後悔しているのか、聞きたくないのかは分からない。尚匡はその顔から理由を読むのをやめた。


「ここから、四人で出る方法を説明してください。それと、何のために集めたのか」


 尚匡は四人と、もう一度声にした。御厨を外した人数にはしなかった。ここに閉じ込めた張本人なら、出るための情報も持っている。だが、情報が必要だからだけで人数へ加えたわけではない。この男を機械のそばへ残す罰を、今ここで自分たちが決めてよいとは思えなかった。

 穂奈実が友乃葉の座る台を少し中央寄りへ空け、四人が互いに見える位置を作った。御厨が端末へ手を伸ばしかけると、尚匡は操作する前に説明してほしいと言った。御厨は手を止めた。

 尚匡は画面と御厨の手を、両方見える位置に立ち直した。

 御厨は画面に並ぶ運転項目を見た。自分たちの質問を、冷却や装置の説明へ戻したそうだった。尚匡は同じ位置に立って待った。

 友乃葉の携帯が録音を続けている。

 今回は、三十秒で切れなかった。

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