ヒーローは発展途上(その2)
「……アユ?」
電話の向こうで黙り込んでしまったアユに、俺は呼びかけた。
「……あのね、私、ピアノやめようかなって思ってて」
アユがぽつりと言った。
「そうだったんだ。ごめん。俺、昼間余計なこと聞いたな」
俺が謝ると、アユは「ううん」とだけ答えた。
「ちなみに、なんでやめたいのかは聞いてもいいのかな?」
俺は聞いてみた。てっきりアユはピアノが好きなんだと思ってたけど。
「なんか、もう疲れたっていうか。どんだけ頑張ってもアミに勝てないし。……零治はどう思う?」
「うーん……」
アユとアミは小さい頃から良きライバルだったと思うけど、確かに最近のコンクールではいつもアミの方がいい結果を出していた。そういうのが積み重なって、精神的にキツかったのかな、と俺は想像した。
「でもさ、いくら俺から聞いたからって、アユが俺なんかにそういうの相談してくれるなんて、珍しくね? ほんとは引き止めてほしいってことなんじゃねえの?」
「別に。そういう意味で言ったんじゃないけど」
そうだろうか。しっかり者で頑固者のアユのことだ。いつもなら俺に教えてくれるのはきっぱり決断してから、って感じがするけど。
「じゃあ、やめたら?」
俺は言った。ごろんとベッドに寝転がって、白い天井を見上げながら続ける。
「こう言っちゃなんだけど、所詮は習い事なんだし、しんどいなら無理しない方がいいよ。年配の人で『今時の子はガマン強さがない』とか言う人いるけど、ガマンして心身壊すよりはやめた方がいいと思う。根性論とか、もう古いでしょ。自分を大切にするのも大事なことだよ」
アユは、なにも答えなかった。頭の中でいろいろ考えているのかもしれない。
「『やっぱそうだよね! やめる!』って即答しないあたり、やっぱりまだちょっとやりたいんじゃないの?」
「それは……」
アユは、彼女にしては珍しく口ごもった。
「ま、やめるのはいつでもできるんだし、別に今すぐ決めなくて良いじゃん? 『やめる!』って即答できるくらいやる気なくなったら、その時やめればいいよ。……と、俺は思う」
「……そうだね。ありがと零治」
「ふふ、どーいたしまして」
アユとこんな真面目な話するなんて、初めてかもしれないな。
「次のコンクール」
アユが、気合のこもった声で言った。
「次のコンクールの結果が出てから、また考えることにする」
「うん」
俺は頷いた。
「じゃあ、わざわざありがとね」
「いーえ。じゃあな」
そう言って電話を切った。
と、間髪入れずに着信音が鳴り出した。
「え、アミから⁉︎」
着信画面を見て驚きつつ、俺は電話に出た。
「もしもしアミ?」
「あっ、零治? あのね、アユ、ピアノやめちゃうかもしれないの!」
俺が出るなり、アミはそう叫んだ。
「え、もしかして今の電話アミも聞いてたの?」
「え? 今のって?」
「いや、なんでもない……」
恐るべし双子の以心伝心……。もはや魔法レベルだ。俺が舌を巻いていると、アミが戸惑ったように続ける。
「え、零治、もしかしてアユからなんか聞いてるの?」
「えーっと、まあ……聞いてないこともないけど」
アミにどこまで言っていいものか分からないし、だいいちアミに、アミに勝てないのがキツくてやめたいらしいよ、なんて言えるわけもない。
「アユ、私には相談してくれなくて。でも、最近なんか元気ないし。もしかしてやめるつもりなのかなって」
アミが力ない声で言う。やはりアユから直接聞いたわけではなく、いつも一緒の双子の妹として、なにか思うところがあったみたいだ。
「うーん……」
俺は曖昧に相槌を打つしかない。すると、アミが泣き出しそうな声で言った。
「アユとは小さい頃から一緒に頑張ってきたし、やめてほしくないの! 零治、アユのこと説得してくれない⁉︎」
「……えっとね、アミ。俺、アユにやめたいならやめなって言っちゃったんだ」
俺は、正直に言った。アミの気持ちも分かるけど、これはあくまでアユの意思で決めるべきことだ。そして、さっきのアユの真剣な口調を聞いていると、軽々しくもっと続けろなんて言えなかった。続けたい気持ちが残っているなら話は別だけど、もしそうでないなら、俺に説得なんてできっこない。
「え⁉︎」
アミが電話の向こうで驚きの声を上げる。
「ごめん。でもなんか思いつめた感じだったからさ。けど、まだやめるって決めたわけじゃないみたい! 次のコンクールの結果が出てから改めて考えるって」
「……そっか」
アミが絞り出すように言う。
「アミ、コンクールで手ぇ抜いたらダメだからな」
「えっ……あ、うん」
俺が言うと、戸惑ったような声が聞こえた。
「一瞬抜こうと思っただろ」
「……うん」
「アユが気付かないわけないだろ? そしたらアユ、いよいよ決心しちゃうよ。アミも辛いだろうけど、本気でやってあげた方がいいと思う」
「そうだよね」
「やめないでほしいって気持ち分かるし、アユは上手みたいだし頑張ってきたのにもったいないって俺も思うけど、無理に続けさせるのは違うと思うし……。説得は、あんま期待しないで」
「……うん。分かった」
アミのか細い声を聞いて、チクリと心が痛んだ。
「ごめんな。じゃあ来週見に行くから。アミも頑張ってな!」
「うん。ありがとう零治」
電話を切って、俺は大きくため息をついた。
「はあ……。どうすればいいんだ……」
来週の大会で、アユがピアノを続けたいと思えるなにかを掴んでくれたら……。俺はそう思って、もう一度ため息をついた。
*
それから二日後。俺は部活のあと、汚れてもいいTシャツと短パンに着替えて部室を出た。「お疲れ様でした!」と先輩たちに声をかけ、一年B組の教室へと急ぐ。
「お待たせ!」
教室後方の引き戸をガラガラと開けると、席に着いて何やら作業をしていたミヤビが顔を上げて、目が合った。
「あ、零治来た」
ミヤビの足元には新聞紙が敷き詰めてあって、その上には大きな白い紙が広げてある。そして、駿太郎が這いつくばって、そこに赤い絵の具を塗っているところだった。俺たちは文化祭に向け、絶賛準備中なのだ。
「あ、零治おつかれ〜」
駿太郎がにこっと笑って言う。
「あ、お疲れ様」
そう言って、駿太郎のそばでしゃがみ込んで、一緒に絵の具を塗っていた人が振り返った。
「あ、遊佐先生も手伝ってくれてるんですね! ありがとうございます!」
先生は珍しく、背中に『アナスタシア高校剣道部』と書かれた黒いTシャツに、下はジャージ姿だ。先生も、顧問をやってる剣道部に顔を出したあとに来てくれたのかもしれない。
「まあ不器用だからあんまり戦力にはならないんだけどねー」
遊佐先生が苦笑いすると、駿太郎がわざとらしくむっとした表情を作って言う。
「俺たちミヤビに、不器用チームは色塗りでもしとけって言われたんですよねー先生! 零治も絵ヘタクソだから絶対こっちチームだよ!」
「不器用チームへようこそー」
先生が手招きするので、俺は戸惑いながら頷いた。
「う、まあ、はい。そっすね」
絵心に関して否定は出来ないです。
「いやそんな言い方はしてへんけども」
そんな俺たちを見てミヤビが苦笑する。まあ駿太郎も本気で怒ってるわけじゃなさそうだし、ミヤビの言う通りなのだろう。要するに、絵の具をベタ塗りする作業が一番カンタンでやりやすいってことだ。
「じゃあまあ零治も、先生と駿太郎と一緒に色塗りお願いしてええ?」
「うっす!」
ミヤビに言われ、俺も駿太郎と遊佐先生のそばにしゃがんだ。
「ちなみにミヤビは何作ってんの?」
俺は、ハサミとノリで画用紙を切り貼りしているミヤビに尋ねた。不器用チームじゃない人にはどういう仕事があるんだろ。
すると、ミヤビはニヤリと笑って手元の画用紙をこちらに見せてくれた。
「俺はパンダ作ってる〜。どうよ? なかなかかわええやろ」
「「かわいい〜」」
俺と駿太郎が、思わず声を揃える。顔も体ももちっとした感じで、すっごくかわいいパンダだ。確かにこれは絵心がないと出来ないわ。
「そういえば優はどこ行ったの?」
俺は筆に茶色い絵の具をつけながら尋ねた。
「優はいろんな班から引っ張りだこで忙しいねん。今は外装班に助っ人行ってる」
ミヤビが指さす方を見ると、優は外装作り担当のメンバーに囲まれて、画用紙に鉛筆を走らせているところだった。
「こーいう感じでどう?」
優が外装班のみんなに言う。
「スゲー、うまっ! サンキュー鮫島〜!」
「下書きさえすれば切るのは出来るだろ? ハサミは?」
「ない!」
「ハサミぐらい持ってこいよ〜。なあ、そっちの班ハサミ余ってない?」
優が、隣で作業していた別のグループに声をかける。
「あ、一個余ってるよ」
「サンキュ。ほら、使ったらこいつに返せよ」
「あざーっす!」
優がテキパキと仕切っていく様子を見ていると、頼りにされている理由がよくわかる。
「あれ、来栖、そこは黄色って言ってなかった?」
ふいに、遊佐先生が駿太郎の手元を指さして言った。
「あーっ! やば、ミスった!」
駿太郎が赤の絵の具のついた筆を持ったまま絶叫する。
「ちょ、何やってんねん駿太郎〜」
ミヤビが呆れたように言う。うーん、上から白い紙貼ったりすれば、なんとか誤魔化せるかなあ。
「優ー! 来てー!」
駿太郎が相変わらず忙しそうな優を呼ぶ。
「どした?」
やってきた優を、駿太郎がしゃがみ込んだまま見上げた。
「ミスっちゃった。直して〜」
「えー。それぐらい直せるだろ」
「だって優の方が上手いもーん。あ、それか先生! 直してくれませんか⁉︎」
駿太郎が、遊佐先生にキラキラした目を向けた。
先生? でも先生、不器用だって言ってたのに。すると遊佐先生は手をヒラヒラと振って微笑む。
「いやいや、自分たちでやった方が練習になるし、やってみな。上手いことできなかったら私が直すから」
練習? それってまさか!
「あざーっす! じゃあやってみます!」
俺が驚いている間に、駿太郎が紙の上に右の手のひらを置いた。
「ふっ!」
駿太郎が気合を入れると、あっという間に大きな画用紙全体が真っ白になった。
「ちょ、なしなし! 戻しすぎた!」
駿太郎が慌てて紙をさらさらっとこすると、また元の状態に戻る。
「なるほど! こういう時にも修復魔法って使えるんだ!」
俺はビックリしながら言った。
修復魔法なら、基本魔法の授業で習った。壊れた物なんかを元の状態に戻すことができる魔法で、キャンセルなどの特殊魔法と違って魔法使いなら誰でも共通して使うことができる。今みたいに、失敗した絵を失敗する前の状態に戻す時にもこうやって使えばいいのか。まあ、今のは戻しすぎて正しく塗れてる箇所も鉛筆の下書きも全部まっさらに消え去っちゃったから、駿太郎は自分で魔法解除してたけど。
すると、遊佐先生が俺を見て言う。
「ふふ、藤巻はまだこういう時に魔法で解決するって習慣ないかもだけど、慣れてきたら結構いろいろ便利だよ。まあ外で使うのは人に見られる可能性あるからあんまオススメしないけど、家とかでなら練習がてらどんどん使ってみたらいいからね」
「はい!」
スゲーな〜。修復魔法とか、授業では説明も聞いたし実践練習もしたけど、いざこういう場面に直面すると、魔法で解決しようって発想がまだ全くなかった。
「じゃあ次、俺〜」
ミヤビが紙の前まで出てくると、さっきの駿太郎と同じように手のひらを載せる。
「あら」
今度は、下書きや一部の色は一応残っている。が、消えなくていいところも結構消えてしまっていて、ミヤビは納得のいかない顔をしている。理想は、失敗する直前の状態、無駄な塗り直しが一番少なくて済む状態だ。
「来栖も佐久間も、もうちょっと出力弱くていいかもね〜。調節調節!」
遊佐先生が楽しげに言う。
「はい、藤巻もいってみよう!」
「あ、はい!」
先生に言われ、俺は修復魔法を解除したミヤビと場所を交代し、右手を紙の上に置いた。
消えろ……けど消えすぎず……出力を調節して……。
俺は手のひらにぐっと力を込めた。
「だーっ! ダメだ!」
全然消えなかった……。いろいろ考えすぎた……。
「あはは、ドンマイドンマイ! 零治はまだまだこれからだもんねー!」
「一応ほんのちょっとは消えたで。ここの線、三センチぐらい」
駿太郎とミヤビが励ましてくれる。まあ、ついこの前まで自分が魔法使いだってことすら知らなかったのを思えば、三センチでも消せるようになったのはすごいよな。
「じゃあ優、お願いします」
俺は優に場所を譲った。
「よっ、ラスボス登場!」
「ふうー!」
駿太郎とミヤビが賑やかす。
「ラスボスって……」
呆れながらも、優は手のひらを紙の上に載せ、静かに目を閉じた。そして、再び目を開けた時。
「おし」
見事、駿太郎が失敗したところが白く戻っていた。他の箇所は俺たちが塗った色がきちんと残っている。
「いーねー。ちゃんと出力調節できてる」
「あざっす」
遊佐先生に褒められても、優は冷静な様子だ。
「ありがと優〜!」
「さすがやな〜」
「スゲー!」
俺たちが口々に言うと、優は呆れたように軽く俺たちを睨んだ。
「褒めてもなんも出ねえからなー。もう塗り間違えんなよ。俺も向こうの手伝い終わったらすぐ戻るから、もうしばらく頼んだぞ」
そう言い残して颯爽と去っていく優の華奢な背中を、俺たちは見送った。カッケー。
「キミら三人は、まだまだ練習あるのみって感じだね」
遊佐先生が、ニコニコして絵の具を塗りながら言う。
「「「はい……」」」
……俺も魔法の練習頑張ろ。




