78話 ハイン、正式雇用される
(……見取り図にない謎の部屋。建物の壁の色から見るに、昨日今日建てられた訳じゃねぇ。ということは、意図的に見取り図には書かれていないってことだ)
単純な増改築という可能性もなくはないが、新たに入る自分らのために用意された見取り図は新しいものだった。意図的に隠していると考える方が自然だろう。
(たとえ使用人には関係ない増築だったとしても、新しい見取り図に書き加えない理由がねぇ。家人やごく一部の関係者以外、立ち入り禁止の部屋や通路がここ以外はあらかじめきちんと明記や説明があったにも関わらず、ここだけは存在が無かったかのようにされているのはやはりおかしい。誰が関係しているのかはさておき、この部屋に何かあるのだけは間違いねぇな)
まずはこの謎の部屋を調べる事。それが自分にとっての最優先事項であると思った。
「……とはいえ、そうも上手くはいかねぇんだよな」
謎の部屋を発見してから三日、隙を見て例の部屋辺りを調査しようとするものの、使用人として働く以上その業務があるため思う様に動けないのが実情であった。
「……お待たせいたしました。こちら、本日のデザートになります。紅茶のお代わりもすぐにお持ちいたしますので」
感情を表に出さずに、柔らかく笑みを浮かべてシーホの前に皿を置き、カップを手に取る。
「ありがとうございます。お母様とナノハ姉様とも言っていたのよ。カノアさんのいれてくれる紅茶は美味しいって」
にこやかにシーホにそう言われ、イスタハとの猛特訓が活かされている事を改めて自覚する。イスタハ自身が紅茶にこだわりがあったのが幸いであった。
「光栄です。それではいつもの様におかわりの一杯はシーホ様にはストレート、奥様とナノハ様にはミルクティーをご用意させていただきますね」
そう言って三人の紅茶を用意しながらも、これからの事を考える。
(……館に入って既に行方知れずになった面子がいるのに悠長にしている場合じゃねぇ。だが、下手に動けば不味い。さて、どうするか……)
そう思いながらも働いていると、その日の仕事が終わる頃にイミア夫人から声をかけられた。
「カノアさん。その業務が終わりましたらお話があるので、部屋に戻る前に私の部屋に来ていただけませんか?お時間は取らせませんので」
そう夫人に言われたため、了承し作業を済ませて夫人の部屋へと向かう。ドアをノックして声をかける。
「失礼いたします。カノア=ルーブです」
そう告げると、ドア越しに夫人の声が聞こえる。
「お待ちしておりました。どうぞお入りください」
夫人の言葉に一呼吸してドアを開けると、チェアに座る夫人とその横に立つ老執事の前に、リーゼを含む数人が横並びに整列していた。促されて一番端にいたリーゼの隣に並ぶ。夫人の前のため、猫かぶり状態のリーゼは自分に茶化す言葉をかけることもなく無言で目線を送ってくる。それを無視して夫人に声をかける。
「遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。業務に少し時間がかかってしまいましたので……。他の方もお待たせしてすみません」
そう言って夫人と周りの連中に向かって頭を下げる。自分が顔を上げると同時に夫人が口を開く。
「いえいえ。さほどお待ちした訳ではございません。本日もお勤めご苦労様でした」
そう自分に声をかけたあと、改めて姿勢を正して皆を見ながら言葉を続ける。
「さて皆様、仕事終わりにお集まりいただきありがとうございます。皆にお集まりいただいたのは他でもありません。ここにいる皆様の試用期間の終了のお知らせと、個室のご用意が出来た事のご連絡となります」
夫人のその言葉に、一部の連中から小さくどよめきが起きる。それが収まるのを待って夫人が更に話し始める。
「無論、皆様にしていただく事は今後増えることになります。ですがその分、給金も今より上げさせていただきますし、待遇に不満がある際にはいつでもお申し付けくださいね。それでは、皆様のこれからの正式な配属先と勤務内容をお伝えしたいと思います。ラジブ、皆様に詳細のご説明を」
ラジブと呼ばれた老執事がこちらに向かい、端から一人ひとりに説明をしていく。説明を聞いた者から部屋を後にしていき、自分の前のリーゼが説明を聞き終え部屋を出て行くとラジブが自分へ説明を始める。
「……という訳で、カノア様には主にシーホ様の御付をお願いいたします。また、ご自身らでいれられる時を除き、イミア様はもとより、お二人のお茶は基本的にカノア様にお願いしたいとの事です」
ラジブがそう言うと、夫人が上品に笑いながら会話に加わる。
「カノアさんのいれてくれるお茶、本当に美味しいのよ。特にシーホなんて『私よりカノアさんがいれてくれるお茶の方が美味しい』なんて言っているのよ。悪いけれど、これからよろしくね」
夫人の言葉にこれはまたとないチャンスだと思い、慎重に言葉を選びながら二人に話しかける。
「……身に余る光栄です。謹んでお受けいたします。それでは、より良い一杯をお出し出来るように茶葉の品質管理から仕入れまで、出来る範囲で関わらせていただきたいと思います」
茶葉を管理している保管庫は、例の部屋のすぐ近くだ。つまり大手を振ってあの辺りに近付けるという訳だ。自分の申し出に二人は快諾してくれた。
「えぇ。是非こちらからお願いしたいわ。作業が増えるかと思いますがよろしくお願いいたしますね」
その後、新しい部屋や新たな業務内容を口頭で説明され、それらの内容をまとめられた書類と新しい部屋の鍵を手渡される。
「今日集まった皆様には明日一日、お休みを与えます。今日は今までの部屋にお戻りいただき、明日中に新しい部屋へお荷物をお運びくださいね。説明は以上です。お疲れ様でした。ゆっくり休んで、明後日からまたよろしくお願いしますね」
そう夫人に言われ、二人にもう一度一礼して部屋を後にする。部屋に戻りながら今後の事に関して考える。
(……これは、思ったよりも早くチャンスが来たな。しかも現時点で考えうる最高の形で)
他で使用人として働いた経験がないため普通はどうか分からないが、あの姉妹は互いに一人の時間を持ちたいようで、お呼びがかかるまで部屋で待機する事がよくある。雑務や他の業務があるとはいえ、調査に割ける時間が飛躍的に増える形となる。
「既に犠牲者が出ている可能性もあるからな……急がねぇとだな」
そう思いながら、リーゼの待つ相部屋へと向かった。




