14.真実への旅立ち
東京駅で、リニアに乗り込んだみちおは、さっそく、なくしてしまったはずの、さくらからの手紙を開けた。
みちおくんへ
今日は遠路はるばる東京へきてくれてありがとう。久しぶりに会えて嬉しかったです。
まずはきちんとお礼を言っておきたかった。進学資金のこと、ありがとう。とても感謝しています。
でも、こんなこというのもおかしけど、誤解しないでね。
雨根村で、みちおくんと知美と一緒に学校へ行っていた頃を、いつも懐かしく振り返ってしまいます。
私は、あんなに東京へ行きたかったのに、それをみちおくんに叶えてもらったのに、幸せいっぱいなはずなのに、おかしいよね。
雨根村の山や小川、夜になったら星がこぼれそうなくらいの星空、そして優しくしてくれた私の周りの人たち、とても懐かしいです。
でもきっと、いつまでもそこにいることはできないんだよね。
私は大人にならなくちゃならない。私は毎日少しずつ変わっていって、気がついたら雨根村の私とは遠く離れた別の私になっていくと思うの。
だから、今ここで、みちおくんにお別れを言っておきたくて。次に会うときは、もう雨根村の私じゃないかもしれないから。
もしかしたら、私にとっての東京は、雨根村でのありきたりな毎日だったのかもしれないね。
みちおくん、大好きだよ。それじゃあね。
雨根村のさくら より
みちおの涙が、手紙にこぼれた。
リニアの暗い窓には、震える手で手紙を持つみちおが映っていた。
封筒の膨らみが気になって、座席のテーブルの上で、封筒をひっくり返すと、いつもさくらがはめていた、さくらんぼのイヤリングが2個、ことりと音を立てて落ちてきた。
みちおはそれを手の平に乗せて見つめる。さくらの耳で、それがいつも揺れていたのを思い出した。
みちおはそれを現実世界に持って帰る方法がないか、必死で考えた。
しかし、それがコンピュータのデータに過ぎない以上、雨根村へ戻ればきっと消えてしまうだろう。
考えている内に、みちおはそのイヤリングを無意識に握りしめていた。そうしていると、雨根村でのさくらとの高校での出来事が思い出された。
ぼくは、東京にうんざりして、男の子になって、雨根村へとやってきた。
そしたら、さくらさんがいた。
本当は、東京の病院で会っていたけれど、女の子から男の子になったなんて、はずかしくて告白する勇気がでなかった。
それに、もう、さくらさんを好きになっていたから、もし、女の子だったなんて知られたら、嫌われると思ったんだ。
数学の宿題がわからないふりをして、さくらさんに教えてもらったこともあった。
さくらさんはちっとも疑わずに、楽しそうに解説してくれた。教科書ではなく、胸ばかりみていると、こらっ、とノートで頭を叩かれて笑われた。
学校の帰り道、時々、知美と3人で、喫茶店へ寄ったこともあった。
何気ない日常の話で盛り上がるさくらさんと知美を、ぼくはコーヒーの飲みながら、女の子って楽しそうでいいなと、眺めていた。
みちおは、そのイヤリングを愛子からもらった、電子メモの紙にそっと包み込んだ。
いつのまにか、窓の外は明るくなって、街の景色が映っていた。
愛子によれば、これも仮想世界らしい。
さくらたちと遊びにいった、人の多い賑やかな東京は、アイコの東京で全世代の人たちがまるごと移管されて生活している。
今の緑の多い落ち着いた人に優しい東京は、愛子が作った東京。
なら、現実の東京はいったいどんな状態なのか。
みちおが考えているうちに、リニアは大宮駅に滑り込んで行った。
せんだい駅から、雨根村行きのバスに乗る。
午後7時で、日はすっかり落ちて、山道を走るバスの車窓は真っ暗だった。
自動運転で運転手もいないので、車内はみちおひとりきりだった。
いつものトンネルに入る。このトンネルに入ると、いつもなんとなくうとうとしてしまうのだけれど、愛子の話では、このトンネルは現実と仮想世界の境界になっているという。
ならば、ためしに寝ないでおこうと、目を見開いた。このために買っておいたブラックコーヒーをリュックサックから取り出してがぶ飲みもしておいた。
でも、トンネルに入ってから、かれこれ40分は過ぎるのに、バスはいっこうに出口に到着しない。
いつもは30分もあればトンネルを抜けられる。やはり寝ないとだめなのだろうか。
「がんこだね、君は」
誰もいないはずのバスで声がしたので、みちおはびっくりして顔をあげた。
そこには、雨根村高校の制服を来た、男の子が通路にたって、こちらを見つめている。
髪はさらさらの金髪で、体はほっそりとしている。目も眉毛も唇も細くて、スマートな印象を与えていた。
その男の子は、ジャニーズ事務所に入れそうなレベルのかっこよさだった。
ぼくが、みちよさんだったら、きっとキャーキャーいって胸を高鳴らせていただろう。
「君は、この世界について、知りすぎてしまったようだ。ずっと知らないままの方が幸せだったのにね」
男の子はみちおの席に歩み寄ってきて、隣に越しかけて顔を近づけてきた。みちおはすこしどぎまぎした。
「教えてよ、愛子さんの居場所」
耳元で優しくささやいてきた。
高校生の男子らしく、中途半端に低い声だった。みちおは彼が何物か知らなかったが、なんとなく本当のことは言わない方がいいような気がして、とっさにごまかそうとした。
「愛子さんなら、東京にいるよ」
「ぼくは全部知っているんだ。君がみちよさんだということも、今君が仮想世界の東京で愛子さんとあって、なにを話していたのかも。だから、ごまかさないで、おしえてくれる?」
そこまで知ってる彼はいったい何物なのだろうか。そもそも人間なのだろうか。
もしかして、目の前にいるこの男が、愛子のいっていたプログラム「あいつ」なのか。
彼はそっとみちおの後頭部に手の平を当てる。頭の中をスキャンされている気がする。
「みつけた」
彼はみちおの頭の優しく撫でるようにして、そっと手を話した。
もしかして、愛子が何十にも暗号化した電子メモを見つけられたのかもしれない。
「ふふ、愛子さんたら、暗号なんかかけてる。ぼくに敵うわけないのに。まあいいや、暇つぶしのパズルゲームみたいなもの。ゆっくり解かせてもらうことにしようか」
彼はそうつぶやくと、みちおの頭からそっと手を離したようだった。みちおが隣を見たときには、すでに彼の姿はなく、バスはトンネルの出口に差し掛かるところだった。
みちおはバスから降りると、さくらからの手紙がどうなったのか気になって、リュックサックを探してみたが、手紙は消え去っていた。
愛子からの電子メモは残っていた。ゆっくりと開いてみると、そこには、さくらんぼのイヤリングが、消えることなく残っていた。
みちおはイヤリングを胸ポケットにしまうと、紙のメモ帳と鉛筆を取り出して、電子メモの内容を、それを文字ではなく単なる図形として意識しながら、紙に写し取った。
それを終えるのを待っていたかのように、電子メモはうっすらと消えて行った。
「どうしたの? こんなに朝早く、それにその格好はどうしたの、これから学校だよ」
眠たい目をこすりながら、ドアを開けた知美がみたものは、おおきなリュックを背負ったみちおの姿だった。
すぐ側には自転車があり、これから旅にで出かけるのかといった格好だった。
「学校は、しばらく休むことになりそうなんだ。それで、知美さんにこれをお願いしたくて」
みちおが差し出したのは、雨根村高校の休学届だった。
「なにこれ? みちおくん、学校休むの?」
知美はおどろいて、思わず声が大きくなる。
みちおは知美の家族が起きると面倒なことになると思い、それを手で制した。
「うん、ちょっと、急に旅に出たくなってさ」
「いつ帰って来るの?」
「すぐ戻って来るよ、それじゃ、またな」
知美はまだなにか言いたそうだったけれど、名残惜しくなると困るので、別れあいさつもそこそこに、みちおは颯爽と自転車にまたがって、走りはじめた。
愛子の指示通り、みちおは天生峠の方へ、ハンドルを切る。
午前4時過ぎで、あたりはまだまっくらだった。
峠の坂道の勾配はきつかったけれど、この時代の自転車は、強力な電動アシスト機能がついており、坂道も楽に登れる。
平地なら、最高時速は100㎞は出せる。またすこしの距離ならグライダーのように滑空できるし、水上を進むこともできた。要するに、旅には持ってこいのアウトドア用のサイクルなのだ。
天生峠の頂上まで来て、みちおは雨根村を振り返った。まだ暗い夜空の下で、雨根村の街の明かりが点々と瞬いていた。
みちおはしばらくそれを見つめて、そして前を向いて走りはじめた。前方には、深い森が広がっていた。
天生峠を下っていくと、うっそうとした森が続いていた。
みちおはまずは、せんだい駅前へ行こうと思い自転車を漕ぎつづけていた。
脳内情報処理装置で随時位置情報は提供されているので、道を間違えているということはありえない。
もうそろそろ着くはずと思っていると、不意に森が途切れた。
そして、誰もいない、寂れた廃墟になったせんだい駅がそこにあった。
駅前にひろがってるスロープはあちこちで崩落して、アスファルトは破れ、道の真ん中にも木が生えていた。
しかし、脳内情報処理装置は、そこの座標が確かにせんだい駅前であることを示していた。
そこがせんだい駅だとわかったのは、その景色が、なんとなく前にさくらさんと行った、仮想世界上のせんだい駅と雰囲気や配置が似ていたからだった。
そうでなければ、どこかさびれた廃墟としか思えなかった。
そしてみちおは、きびすを返して、自転車にまたがった。東京へ向かうため。
(つづく)




