第111話 襲来
■金猿明星国・ムルグ・アイ近郊■
「やれやれ、何とか間に合った」
軽薄な調子で笑う青年に治療魔術を受け、ローズマリーと騎士クラインは何とか立ち上がれるまでに回復していた。
しかし、神妙にするクラインとは異なり、ローズマリーは眉をしかめ不機嫌さを全身から発して青年と視線を合わせようとしない。
「おや~? 助けてもらっておいてその態度はないんじゃないかなぁ、ローズマリー・ブラッドフィールド卿」
青年は人の悪い笑みを浮かべると、そっぽを向いたローズマリーの左腕を指先で悪戯っぽくつついて見せる。
「この義手、高いんだよねぇ‥‥特注品だし。普通の騎士爵が持てる代物じゃないってのは流石にわかるよね?」
あからさまな恩着せがましさに、ローズマリーが舌打ちする。
「しかも古代遺物見当たらないんだけど‥‥あれも無くしちゃった?」
畳みかけられた指摘に深々と嘆息して向き直った緑髪の美貌は、彼女には珍しく羞恥と、楽しみを邪魔された勘気が混じった子供のような膨れ面だった。
「‥‥猊下が慣例を無視されるのはいつもの事ですけれど、約束は天河都市でしょう? 早すぎますわ!」
まるで兄妹のような親しさに、騎士クラインが目を白黒させる。
何しろ、目の前の飄々とした若者は星辰教会が誇る12名の枢機卿の一人なのだから。
若干20歳で枢機卿を努める蜂蜜色の髪をした青年は、ローズマリーの拗ねたような抗議にもニヤニヤと笑うばかりで気にした様子もない。むしろ可愛い妹分を苛めて楽しんでいるようにしか見えなかった。
「いやいや、それはないだろうロウズィー? 予定していた日取りはとっくに過ぎてるし、それに‥‥」
枢機卿はチラリと背後の仮設天幕に視線を配る。
先刻の戦いで支柱を砕かれた天幕を、残った資材でターフのようにして作った日除けの下。そこには騎鎧を解除した柊克也と、それを膝枕する真っ白な人影があった。
白金糸で精緻な刺繍が施された、純白の法衣。頭からは深々と法衣と同色のフードを被った上に銀色に鈍く霞むヴェールまで垂らしていて、その表情は伺えない。
ただ、そのたおやかな仕草と、法衣の上からでも見て取れる蠱惑的なカーブが、妙齢の女性とだけ連想させる。
「‥‥星母聖下たっての願いで、柊克也くんには危害を加えないように、って口を酸っぱくして言ったよね?」
「さっきのは純然たる事故ですわ。私が克也先輩を害するだなんて、心外です」
「そお? 結構エグい虐待やってるって報告受けてるよ?」
ローズマリーは頬を引き攣らせた。枢機卿がスキンシップとばかり歩み寄って彼女の肩を軽く叩く。
「ロウズィー、ロウズィー。素直に言っちゃった方がいいと思うよ? 信頼のおける筋からの報告だけに“知らない“じゃ済まされない。監督能力なしって見なされて怖ぁいオジサン達に玩具取り上げられちゃうからね」
その言葉にローズマリーとクラインの表情が青ざめる。
玩具とは、このローズマリー子飼いの私設騎士団全体に他ならない。そして枢機卿が口にするという事は、間違いなく団の指揮権は没収されるという事だ。
(聴聞審議で他の枢機卿からの追求が逃れられなくなる、という事ですわね‥‥)
それは、避けたい。任が解かれた異端審問騎士団からの指示なら無視出来るが、ローズマリーが権力的に所属している母集団から命じられれば従わざるを得ない。
ローズマリーは再び、今度は実に深々と溜め息をついた。
「‥‥ええ、私の興味が行き過ぎて暴走してたのは事実ですわ。それにかまけて到着が遅れたのもお詫びします」
「報告しなかったのも、でしょ」
指で頬をぷにぷにとつつかれ、ローズマリーは「あら、忘れてましたぁ☆ 申し訳ありませぇん♥」と自棄っぱちの媚びた猫撫で声と笑みで返した。
「うわ、コワッ。ロウズィー似合わない事するもんじゃないよ。鳥肌立っちゃったよ~」
「誰のせいですか。余り虐めないでくれますこと?」
踵を返す枢機卿の後ろ姿に悪態をつくものの、響いた様子は全く見られない。
「これで克也先輩は星母聖下の愛玩動物という訳ですか‥‥」
ふてくされて呟いた声に、不意に青年が真剣な視線で振り返ってくる。
「ロウズィー。君の自由な性格はとても素敵な長所だけどね。星母聖下への不敬だけは止めなさい‥‥誰の為にもね」
幼い子供を諭すような低い声音に、ローズマリーの頬に朱が昇る。
「それに――聖下が克也くんといられる時間は長くないからね」
「‥‥どういう意味ですの?」
ローズマリーの問いに、青年は肩を竦めてあらぬ方に視線を向ける。
彼の視線は何処にも向けられていないように見える。
いや、強いて言うなら、空――だろうか。
「今回星母聖下が力を使われたのは本当に予定外だったんだよね‥‥おかげで時間が全然足りなくなっちゃった」
そう言って、彼はローズマリーに振り向いた。その表情は元の軽薄で軟派な青年らしいものに戻っている。
「――という訳で、ローズマリー・ブラッドフィールド卿。諸君等は準備が整い次第撤収する事。異論は受け付けません」
「な、納得出来ませんわ。星母聖下がいらっしゃるなら護衛だって要るに決まって‥‥」
「いやぁ、いない方がいいね」
「な――!?」
余りに一刀両断に切り捨てられてローズマリーは顔色を失う。
だが、次の瞬間、身体を貫くような悪寒を覚えて咄嗟に飛び退った。
見つめるのは、空。
青年が見やっていた空の彼方に、あの悪寒の原因がある。食い入るように見つめるローズマリーの横で、青年がのんびりと声を挙げる。
「ホラ、やっぱりね。予想通り、来ちゃったか」
雲一つない蒼穹に、今や微かな黒点となった何かが浮かんでいる。それが濃くなるに連れ、悪寒は烈しさを増して行くばかりだった。
「さあ、早く逃げた逃げた。君ら此処に残ってたら間違いなく殺されちゃうよ?」
「猊下! あれが何だかご存知なんですの!?」
血相を変えるローズマリーに、青年は苦笑しながら肩を竦めて返した。
「いやいや、ちょっと考えればわかるでしょ。あの一党で柊克也くんの為なら何だって出来る、何だってするって子だよ」
その言葉に、脳裏に閃いたのは瀬埜宮鍵音の人間離れした容姿だった。
(――瀬埜宮先輩が?)
ローズマリーが知る限り、鍵音にそんな攻撃性はなかったはずだ。そうでなければ岐路の町であんなに容易く誘拐されたりしないだろう。
そんな風に困惑していた気持ちは、空に浮かんでいた黒点が大きくなるに連れて吹き飛んだ。
凄まじい速度で飛来した何かがローズマリー達の頭上で爆散したのである。
「うわっ!」
クラインが砕け散った欠片を避け損ねて悲鳴を挙げる。ローズマリーはそれを助け起こしながら、彼の鎧にぶつかった物を手にとって眺めた。
青く透き通った、水晶塊のような冷たい物――氷だ。
「うはぁ、あの距離からの“氷槍“でコレかぁ」
手庇を作って彼方を見やりながら青年がげんなりした様子で呟く。そうする間にも、氷槍の魔術は次々と飛来し、ローズマリー達の頭上で何かに阻まれて砕かれていく。
視線をやると、ターフの下にいる真っ白な法衣の女が天に向かって手を差し伸べている。
「星母聖下が、守って下さってるんですのね‥‥」
ギリ、と噛み締めた奥歯が軋む。
僅か数瞬の逡巡。ローズマリーはクラインを伴って凡人に残った騎士達に出立の号令を出した。
「行ってくれるかい?」
「‥‥残っても、足手まといにしかなりませんもの」
馬上からの挨拶にも特に気にした風もなく、青年はローズマリーが退避する事に安堵しているように見えた。
「天河都市で合流しよう。詳しい話はまた後で」
屈託なくヒラヒラと掌を振って見送る青年枢機卿に一礼し、ローズマリー達私設騎士団は馬首を巡らせて一路西へと駆け出していく。
彼女達の姿が土煙の向こうに見えなくなるのを待って振り返れば、北東の空には既に形状も見て取れるまで接近した何かが、上空を旋回しながら無数の氷槍を地表に乱射している所だった。
「さて、こちらもいよいよご対面か。何とか話を聞いてもらわないと、ねぇ」
蜂蜜色の髪をした青年は困ったように笑いながら、戦いの渦中へ歩いていく。
彼にとっての正念場は、これから始まろうとしていた。
鍵音が来た!
で済ませてイズナ視点に戻す予定が収まりませんでした。青年枢機卿がヘラヘラしてて動かしやすいです(=ω=*)
次回こそホントにイズナ視点で。




