第1話:産声は、未来の予兆
坂本龍馬に転生した男の物語
鼻を突くような、土と油の混じった匂い。
視界はぼやけ、身体は重い。
俺は最初、自分が何かの事故に遭い、病院の集中治療室にでも放り込まれたのかと思った。
(おいおい、酸素マスクくらいつけろよ……)
そんな文句を言おうと口を開くが、出てきたのは「おぎゃあ!」という、間抜けで甲高い産声だった。
……は?
脳が急速に覚醒していく。
否、それは記憶の奔流だった。
『坂本龍馬』。
俺の脳裏に、そんな名前が刻み込まれる。
歴史の教科書で見た、あのちょんまげを結った男。
そして、近江屋で背後から斬りつけられる、あの鮮烈な最期のイメージ。
(嘘だろ。よりによって、幕末の、しかも坂本龍馬かよ!)
叫びたい衝動を必死に抑え込む。
この時代の医療レベルを考えれば、無理をして声を枯らせば即座に命に関わる。
俺は、意識を集中させ、今の自分の置かれた状況を冷静に分析した。
天保六年。
俺は今、高知城下、坂本家の三男として産み落とされたらしい。
つまり、これは死の運命が決まっている人生の、再走だ。
(……面白い)
動かせる身体は、ひどく貧弱だ。だが、俺の中には二十一世紀の叡智がある。
戦わずして勝つ、交渉術、経済の概念、そして歴史という名の「未来予知」。
俺は、小さく突き出された自分の拳を握りしめた。
近江屋での最期なんて、真っ平ごめんだ。
刀で切り結ぶような野蛮な時代は俺が変える。
日本を変えるんじゃない。
俺自身が、幕末というこの荒波を乗りこなし、俺だけの海を泳ぎ切ってみせる。
「……まずは、この貧弱な栄養状態を改善するところからだな」
母親の胸元を見つめながら、俺は次の授乳のタイミングで、いかに効率よく栄養を摂取し、いかに速く歩ける身体を作るかという「生存戦略」の策定を開始した。
後の『維新の英雄』と呼ばれることになる男の、最初の戦いは、こうして産声とともに始まったのである。
2話へ続く




