間話 上 「悪鬼」
間話 中は8/22(土)の深夜に投稿します。
よろしくお願いします。
羅刹鬼は橋の上で膝をついて座り込んでいた。目の前には紅と銀、碧が広がっている。ぼやけた目では、見方によっては色とりどりの花が咲いているようにも見える。
死の間際だというのに、自分の体の中をそよ風が抜けて行くようで、なんとも心地いい。はっきり言っても、自分は善人とは言いがたい。であるのに、最期の瞬間がこれほど安らかであるのは、誰にかはわからないが申し訳なく思う。
「—やかしが——人を喰う——仕方が——。——き物だ。俺らだっ——き物を狩——育て——食——もす——。」
「——かし、こ——違う。お前——情——ど知ら——ただ、死ね。」
目の前に立つ兵士の中年男性は低い声で羅刹鬼に語りかける。何かに言い訳しているようにも聞こえるが、よくわからない。そして、最後に腰に佩いた飾り気も何もない刀を抜く。
「わしは満足じゃ。」
羅刹鬼は満ち足りた感覚の中、静かに目を閉じて首をもたげた。
男性は一息に刀を振り切った。
◇
何年前になるのだろう。季節は秋だった。
けけけと鳴く声が聞こえる。
もの悲しい声で鳴くのは鳥か虫か妖か、いつかその正体を見てやろうと子どもの頃に誓ったのについぞ知ることはなかった。
老婆は石に腰掛けていた。名前はヲカと言った。もう誰もその名前で呼ぶ人はいないが。
体は重く、節々は痛む。腹が空く気もするが、あえて何かを食べるのも煩わしい。静かに座って、ただこの息が止まるのを待つ方がいい。
息子に捨てられた。理由はわかっている。二年続けての日照りのせいで村が飢饉になったからだ。人も妖も、獣も飢えていた。
別段恨むことはない。むしろ迷惑になるくらいなら捨ててくれればと思っていた。申し訳なさそうな顔で、「また迎えに来るから」と言って去る息子の背中は罪悪感に塗りつぶされていて哀れに思った。愛する子どもと孫のためだ。恨みなどあるはずもない。
静かに座ってうつらうつらしていると自然の息吹が感じられる。
——この世は循環しているのだなあ。
そのようなことを考え、その環にのったような感覚が楽しくて呑気に最期の時を待っていた。
ふと気がついたときに違和感を覚えた。
——わしはこうして座り始めてから、何度目の朝を迎えた?
普通なら餓死するはずだ。水だって石に座る前、息子と別れる直前に水筒から一口、口に含んだだけだ。
——なぜ、わしは生きている?
——そういえば昔聞いたことがある気がするのう。自然と調和し、人でありながら妖のように長く生きる術を身につけた者の話を。あれはおかあちゃんから聞いたのだったか…。
いずれにせよ、死なないのであれば無理に死ぬ必要もない。
ヲカは久方ぶりに立ち上がり、ふらりと歩き始めた。
人生の終わりと命の終わりは同義だと思っていたのに、なぜか始まってしまった人生の”次”の期間。
いまさらしたいことなどないが、散歩でもしよう。座っていたって仕方がないのだから。
———
ヲカが山でぼんやりと彷徨うだけの日々を過ごし始めてから、幾年月も経った。
ヲカは意識を虚ろにしたまま過ごしていたが、あるとき、たまたま水たまりに映る自分の顔を見て意識が覚醒した。
——口の周りに何かついておる?何か食った覚えはないが…。
舌で舐りとって見ると、妙に美味しい。生前、というのもおかしいかもしれないが、息子たちと暮らしていた頃に時折行った、料理屋で滋養強壮に効くからと食べさせられた何かの肉を思い出す。
あらためて指の腹で拭ってみると、黒ずんだそれはぱりぱりと剥がれ落ちていく。
——血、か、なんの血じゃ?
周りをきょろきょろと見てみると、尻の下に頭蓋骨を見つけた。
——猿かのう?それにしては少し大きいような…。
猿であっても猪であっても申し訳ない。食べなくてもなぜか生きていられるのに、あえて食べて殺すなど酷いことはしたくない。
その日からヲカは出来うる限り意識を飛ばさないように気をつけて過ごしていた。
何度か日が沈んでは昇りを繰り返した頃、石に腰かけるヲカに話しかけるものがいた。
「奥山に住む人喰いの羅刹というのはお前だな。よくも、俺の仲間たちを喰いやがったな!!」
話しかけてきた男は旅装束で背中には大きな荷物を背負っている。
「……羅刹、か。お前にはそう見えるのか…。………人を喰うた覚えはない。ないが、きっと……わしは喰ったのじゃろうな。」
人を喰う妖になってしまったという事実は、ヲカにとってかなりの衝撃であった。本当は、喰ったのが猿ではないことはわかっていた。だが、猿の妖の猿猴というものが南方にいると聞いたことがあったから、それらの類いだと思っていた。流石に人であるはずがないと思っていたのだ。
——わしは人ではなくなった。妖の仲間入り、か。
「このババア!!ぶち殺してやる!!」
男が激昂してナタを振りかぶる。
だが、あまりにのんびりとナタを振るので当てる気があるのかと思いながら、ひょいと避けた。
——わしが人喰いだと思っても、殺す勇気までは、覚悟までは定まらんかったのか…。
「あぁ……わしが、悪かった。最近は気をつけておるのじゃが、意識が曖昧な時があっての。そのときに…喰ってしもうたのじゃろう。」
「悪いと思うのなら、死ねよ!大人しく殺されろよ!…あいつだって、家族がいて——」
——“悪い”か。そう悪いことをした。
——それなのに、どうにも腹の底に落ちてこない。
——気を抜けば飯を喰っただけじゃないかと思いそうになる。心まで妖になってしまったのか…。
ヲカは口をついて、今言うべきでないことを口走ってしまう。本当は言うべきではないとわかっているのに。
「生き直させてほしい。人として、生きて死にたいんじゃ。」
あまりに残酷なことを言ってしまった。それを証拠に男の顔が段々と…。
「生き直すだと!?あいつらは死んだのに!!」
男が憤慨して声を荒げる。
「そうじゃ。」
「そんな都合のいいこと——」
「そうなんじゃが、人も殺して肉を食うじゃろう。牛や馬、魚も食う。」
詭弁だ。自分でもわかっている。
「それとこれとは話がっ——」
「違うはずなんじゃがのう。どうにもわからなくなってしまった。わしは恐ろしい。人を喰うなど正気の沙汰ではないと思う。…思うのじゃが……。」
「何を言っているんだ、お前は…。そ、そんなの…。」
男の目にヲカがどう映ったのかはわからない。だが、許せない化け物を断罪するための覚悟は溶けてしまったかのように怒りとも悲しみともつかない表情を浮かべていた。
ヲカは小狡い自分を自覚しながらも、続ける。妖になったからと言って、妖のまま死にたくない。人として死にたい。
「許してくれとは言わないが、生き直す機会をもらえんじゃろうか。また、人を喰うことがあればそのときは殺してくれ…。」
「……お前…!わ、ふっ、は、はあ…あ。わかっ、わからん!わからんが、わかった!」
「近くで、見張っているからな……。」
男はやりきれない感情を抑え込むように額を手で覆う。そして、山の間の谷間を指差す。
「山を下りた先に温泉が湧いていた。俺はあそこにいるからな。もし人を傷つけることがあればすぐにわかるぞ。今度こそお前を殺してやる。」
「すまんことをした。必ず約束は守る。」
男は言葉通りに、その地に根を下ろした。数ヶ月後には家が建った。
ヲカも約束を果たすべく、人としての生活を送るために邁進した。山を散策する中で見つけた、峠に建つ、古びた今にも崩れそうな平屋を綺麗に掃除し、素人ながら修繕もしていった。
そして、何年かかけて直したその場所で茶屋を開いた。
その頃には男が家を建てた地には集落ができていた。
ホラー短編を本日投稿します。
三話分を公開予定です。
こちらもよろしければご覧いただけますと幸いです。
「ファントム・バイブレーション〜鳴り止まない通知〜」




