なな。
「まぁあなたと第一王子殿下との婚約は、婚姻を迎えて子を生むことまでが契約である以上、婚約が破棄だろうと解消だろうと有り得ないことは確かだけれど」
お母様の溜め息混じりの言葉に強く頷く。
そこはもう“王命”なのだから仕方ない。
「取り敢えず、手紙の山を何とかしてから今後のことを考えますが。お母様、閨ごとって今さらの謝罪をしているような人相手でもきちんと行えるものなのです?」
あまり詳しくは知らないけれど、口付けを交わしたり触れ合いをしたり、ということで子を作ることが出来るらしい。お母様は私とパッドリーを産んでいらっしゃる経験者なのだから、ご相談出来る。
正直なところ、ずっとそこも引っかかっていた。
去年、公務も始めることとなり、教師から閨ごとについて軽く聞かされた。詳しくは結婚の話がもっと進んでから、とは聞いているが。それでも口付けを交わすとか触れ合うとか、現状では嫌悪はしなくてもそうしたいとは思わない。
正直に言えばしたくない方が強い。
エスコートされた時に触れた手の、嫌悪は沸かなくても感じた違和感。
あれが閨ごとを行う時もあったとしたのなら、うまく出来るのか……引っかかる。
「そうね……。あなたは公務が始まってエスコートはしてもらう?」
お母様の問いかけに頷きます。
「その時、手が触れ合ってどのように感じたのかしら」
「嫌悪は沸きませんでした。身の毛がよだつ、というようなそんな感覚は有りませんわ。でも」
「でも」
「でも。……手を差し出された時の違和感。その手に手を重ねた時の違和感。エスコートを終えて手が離れた時に感じた自分の手が戻ってきた感覚。……いえ、解放感ですか。そういったものがありましたわ」
改めてあの時の感覚について思いを馳せると、自分の手なのに自分の手に思えなかったエスコート。その手を離した途端に戻ってきた自分の手という感覚。それはまるで、解放されたかのような、自由な感覚でした。
「……そう。そんな風に感じていたのね」
お母様は独り言ちてから納得したように頷いて。
「嫌悪を感じていても閨ごとそのものは、行えないわけではないわ」
お母様は大前提として、とそのように仰る。でも凄まじく苦痛ではないかと思う、とも仰った。想像でしかないけれど、と。
「では嫌悪が無かったのなら無事に行えますか」
「そう、ね……。行うだけならば可能でしょう。でも出来れば何らかの情がある方がいいとは思う。例えば友情。例えば恋情。例えば家族のような愛情。あるいは信頼」
どうしましょうか。
今のところ、全て殿下に対して持ち得ない感情ばかりです。
「それらが無いと苦痛ですか」
「そうね。無いとやめたくなるかもしれないわね」
それは困りますね。子を作って産まないと契約が果たせませんもの。
お母様がそうならないためにも、手紙の山を先ずはなんとかしてみたら? と促されました。粛々とした気持ちで十通目を超え十五通目を迎えました。ここまで今度は、殿下の好きなものが書かれておりました。それも説明付きで。
例えば晴れた空が好きだとか。特に彩色待ち月の寒くなってきて雪が降る前の晴れた空の色、だそうです。
例えば虫が鳴く音も好きだとか。懸命に生きている気がする、そうです。
これもまた書きたいだけ書いて、分けて封筒に入れてありますわ。ちなみに好きだと思ったことやもの、全てに丁寧な説明付きですので、十五通に。それから嫌いなものや苦手なことが十六通目から書かれています。こちらもご丁寧に説明付き。
「ねぇお母様」
「なあに?」
筆頭公爵夫人として、お茶会に出席したり開催したりお礼状書いたり招待状書いたりお茶菓子を手配したり手土産を手配したり、家令や執事や侍女長と共に領地にある本邸内の家政や現在の王都内の公爵邸内の家政の采配に執務やら予算やら……とやることが山積みのはずのお母様は、今日は休暇よ、と笑って私の側に居てくれる。
お忙しいのに暇だと言い切って私の様子を見守ってくれるお母様に感謝して、目の前で手紙を読んでいたのだけれど。また気になって質問する。
「婚約者として好きなことや嫌いなものなどを教え合うことはお互いの理解のためにも良いとは思いますけれど、でも信頼の関係が築かれていない相手に知られることって致命傷ですよね?」
「そうね。貴族や王族なんて好き嫌いを表に出してしまうと厄介ですもの」
「信頼を今から築きたくて説明付きで教えて下さっているのでしょうか」
「その可能性もあるかもしれないわね」
お母様は肯定する。
……歩み寄り、のおつもりなのでしょうね。
お読みいただきまして、ありがとうございました。




