14.教会での日々
「ルーク、その画材持ってきて。それが終わったら、顔料をすりつぶして、混ぜておいて」
「皮が必要だから、鞣しの準備よろしく」
言われるがままに画材を運び、切り出してきた鉱物(色石)をごりごりと細かくすりつぶして、膠や卵、あぶらなどの展色剤と混ぜ合わせる。鞣しは時間がかかるので、まとめてやる予定。
「すご、すりつぶす速度が尋常じゃない」
「良い助手連れてきてくれたね~」
「…………」
ライアンが取ってきた大物の依頼は、教会の法堂に設置される壁画だった。聖者のイコンである。
ライアンは主に監督役となり、全体の構成を担当する。彼が基礎となる図画を作り、それを手本にして壁画が作られていく。
広大な敷地の法堂に飾られる予定のそれは、これまでにライアンが手がけたものの中でも最大級のものだった。
ライアンも引退を考える年齢だったため、この依頼がきた当初は断っていたのだが、ルークと出会い、新たな挑戦をしてみようという気持ちになった。これが最後の機会だと思った。一種の賭けではあったが、この人生最大の挑戦に乗り出そうと決めたのだった。
これまで作られてきた壁画は年代を経ると、劣化したり、色味が落ちて、もとの形をとどめておけないものが多かったのだが、漆喰のうえから色を重ねることによって、顔料の劣化を防ぐ効果を狙った新しい技術であった。テンペラ画と呼ばれるこれは、卵の黄身と水、顔料を混ぜて作成するため、乾燥が早く絵の具を保存しておくことも難しいため、素早く計画的に作業をする必要がある。そして、数ヶ月はかかる大仕事になる。そのため、助手も技術のあるものでないとこなせない仕事だった。
たくさんの色を使う作品はライアンとしても挑戦的な物だった。それだけの金が必要になるし、それを融通するために使った伝手などを考えると、絶対に失敗できないものになるからだ。
濃淡だけを用いた作品であれば、自分の手だけで行えるが、色彩豊かな壁画はどうしてもさまざまな手がかかる。法堂に飾るからには絢爛でありながら、人に訴えかけるような代物でなくてはならない。
聖者のイコンの題材もまだ思案中ということで、ライアンはそちらの方で手一杯。下絵を作成中だという。
本格的な作業に入るまで、ルークは周辺の雑務や勉強を言い渡されていた。そんな手伝いを続けるうちに、ルークは自我を主張するようになっていた。ひがな眠り続け、いつもけだるげな様子は変わらないが、彼自身の意識が確かに生まれていた。
ーーなぜなら、彼が自分の意見を主張しなければ、休むことなく仕事をさせ続けられるからである。
師匠の弟子と言われる人々は鬼だった。眠る時間さえ惜しまず、ひたすら絵を描くことに執心していた。
宝石や鉱石などの顔料はすり潰すのに力が要る。それを難なく熟すルークは、便利だった。ライアン直々に仕込まれたルークは、指示をしなくとも何が必要か理解していたため、潤滑な仕事の役に立った。
さらにそれだけでなく、壁画を作成する際の足場立てや彫刻用の石なども彼に頼めば軽々運んでくれるものだから、ルークを見かければ、皆、あれを運んでくれ、あれを潰してくれ、これをしてくれと頼んできて、休む暇がない。
ルークは身体的な疲労は感じないが、精神的な疲労を深く感じていた。沢山の人と関わること、あれこれと物を頼まれること、あわよくばモデルをしてくれと頼んでくる者たちの多さに大分辟易としていた。
それを繰り返すうちに、ルークは断るということを学んだ。というか、嫌がった。嫌がって、逃げるようになった。で、弟子たちに見つかり、仕事に戻される。そして、また逃げる。そして、また捕まることを繰り返していた。
ルークも彼らに見つからないように、屋根の上に逃げ、建物の下に潜り込み、天井に張り付いて、逃げ隠れたのだが、それ以上に彼らの勘と罠がルークを地獄の中にまた引きずり込んだ。
ここに来た理由さえも忘れて、仕事という地獄から逃げだそうとしていたとき。
ルークは、彼女と出会った。
追手?から逃げるために、人気のない場所を探していて、紛れ込んだその場所。
たくさんの人が行き交う教会のなかで、不自然なほどに静かで、生き物の気配がない。ここならしばらく大丈夫だろうと思ったのだが……。
「……ルーク?」
『ルーク』――いつのまにか、耳に馴染んでしまって、自分を認識する音だと自覚したそれ。
ルークの体が跳ねて、声のした方に振り返った。追手がもう来ていた?
「どうしてここにいるの?」
僕はこの人に会ったことがあっただろうか。
「あなたは……だれ?」
ルークがそう問いかけると、しばらくの沈黙の後返答があった。
「…………私はフィオーレと言います」
ルークのことを知っているらしい彼女のことを、ルークは知らなかった。覚えていなかった。
顔を隠す白く長いベールに包まれていたからだろうか、か細く小さな声が震えていたからだろうか。
そもそも人を区別するのが、苦手なルークだから、会っていても忘れてしまっている可能性があった。
ルークを知っているのなら、工房の誰かだろう。
でも。彼女はルークを追いかけて来たようには見えなかった。
「……どうしてここにいるの?」
「……えっと、その、逃げて、きた」
自分が置かれている状況を説明しようとも、色々と複雑で、そんな言葉しか出てこなかった。
無言で見つめあっていると、ルークを探す声が聞こえてきた。
まだ、そこまで近くではないが、反射的に体が動いて、ここから逃げ出そうとする。その手を彼女は取った。
「追われてるの? 来て」




