0.王城にて
マリー女王は聖国の使者と報告を受けていた。相手は、長年付き合いのある使者で、気心の知れた会話の出来る人間。
表だった場面でもないので、応接室で面と面を向かい合わせて話している。
「え? 聖国ミレイシャ地方で、魔物の出現が多数見られたですって。どういうこと? 聖国内においては、魔物は現れる事はないはずなのに」
「それがですね。地下から、魔物が出現したとのことで」
使者は資料を広げ、詳しく状況を説明する。地下空間における多数の魔物の出現、それが地上に漏れてしまったのが原因らしい。
マリー女王はその知らせを聞き、息をハーッと吐き出した。それは全くよろしくないことだった。
「……。5年かけて直した封印がどうして、こんなに早く。私の力が弱体化しているからといって、何かの影響がなければ、こうも事態は動かないはずなのに」
――5年。そう。5年もの年月をかけた。
マリー女王はフローラと離れ、そして長年別れることになった理由を思い返す。
世界のバランスを保ち、魔物たちを完全に浄化することができる唯一の機関として成立していた教会が、内乱を機に一時的に分裂し、その要所である教会内聖域が破られてしまったこと。そして、その際に地下に封じ込められている古代生物にも影響が出てしまったこと。
古代生物ーー我々一族でなければ、止められないもの。
「あの方」と始まりを同じくするものたち。だから、マリー女王が表に出るしかなくなった。
古代の魔物が目覚めることはないだろうけれど、魔物が出現するのは悪い予兆にしかならない。きっと瘴気が生まれているか、魔力が漏れているということになるから。
「教皇は何と言っているの? フローラをそちらに向かわせる時期を早める手もあるわ。少しでも早く対処しなくては、私達でも間に合わなくなる可能性がある。被害状況はどんな感じなの」
マリー女王は現状を危ぶんで、聖国教会のトップである教皇の動きを尋ねた。
彼次第でマリー女王が取るべき施策も変わっていく。封印の補強、魔物が現れた地下の探索、向かわせる人間の選別。いくつも命じることを頭に浮かべていく。
本当は、今すぐマリー女王が出向いて行きたいところだった。しかし聖国内へは、属国としての扱いを受けていた時は自由に入国可能だったが、完全に独立した現在ではそれも出来ない。手続きに手間がかかるし、顔が知られているので非公式に入国することも難しい。だから、属国扱いのままで良いといったのに、とマリー女王は嘆息した。
「ひと月ほど早く、殿下を此方に向かわせてくださるよう通達を申しつかっております。それまでは上級神官を派遣し、その場を食い止めておくとのことです。また、ミレイシャ地方では二つの村が被害を受けてたようですが、地方教会に助けを求め、死者は少数で済んだとの報告がありました」
マリー女王はその報告を受けて、ある程度気を落ち着かせた。被害も少なかったようだし、上級神官が手を打つことで時間は稼げる。
しかし、フローラを向かわせるのにひと月しか早められないのか、とその点をマリー女王は危ぶんだ。これは春に予定されている洗礼式のことを言っている。この状況でひと月とは、それだけ様々な準備に手間取っているという事だろう。
内乱以来、聖国教会内で教皇が洗礼式を自ら執り行う事はなかった。つまり、今回が当代教皇に代替わりしてからはじめてということになる。内乱で失われたものも多い。
それは仕方のないことだが、遅すぎる。
マリー女王はそれを一瞬で判断して、使者に告げた。
「……そう、ひと月ほどね。それ、メルとルルを先に行かせるから、ふた月に変えてもらえるかしら。冬になる前にそちらに向かわせるわ。容赦なく使ってちょうだい」
「雪華の姫君たちをこちらに? よろしいのですか」
「……何が起きるか、分からないもの」
四季の巡り、闇の濃い冬は魔物にとっては有利な季節だ。彼らの活動も活発化する。上級神官が動いているとはいえ、何の影響で魔物たちが発生しているかわからない現状では、それで安心だと慢心してしまうのもよくない。
それに、ルルとメルは城内でしたいことを好きにしているので、時間は空いていることだろう。
マリー女王は、二人がいないうちに、進めておかなければならないことを進めておこうと決心した。
「了解致しました。補佐官にそう伝えておきます」
「あと、ルミエールにこう言伝ておいて。『あなたの興味がひかれるものをそちらに向かわせるけど、決して興奮してはいけない。詮索もしてはいけない。でなければ、私が聖国に訪問する事は二度とないと思え』って。絶交するわよって言ってちょうだい」
脳裏にルークの顔が思い浮かんでいた。春の洗礼式はあの方もきっと参列なさるだろう。
あの濃密な魔力の塊、完璧な造作。ルミエールーー聖国皇帝が興味を惹かれないわけがない。
……そうだわ。ルーク様のあのご様子じゃ、聖国内の祈祷石、浄化棟も影響を受けてしまうでしょうね。どうにか、対策を講じなくては。
そのように考えているマリー女王に対し、使者は顔を歪ませている。あの好奇心豊かな皇帝がそんな話を聞いて、黙っていられるのか、というような顔だ。
マリー女王は面白そうに、その顔を見つめた。ここまで、考えていることが顔に出る人間も珍しいと。
マリー女王は海千山千の聖国使者の中で、唯一素直な彼のそういうところが気に入っている。だから、盛花国には彼が派遣されることが多い。マリー女王の前で嘘や詭弁を言っても、全ては筒抜けなのだから、嘘をつけないというのは彼女にとっては好ましいところだった。
「それは……、皇帝陛下は食い下がられるのではないでしょうか。どうにかして会おうとされるはずです。言わずにおいたほうがよろしいのでは」
「言わなくても、神官であったあの子なら、あの方についてはわかってしまうはず。言っておいたほうがある程度の枷にはなる。そもそも忙しいのだから、教会本堂に立ち入らせないくらいにして欲しいものだわ。あの子ちゃんと、公務についているの?」
そうマリー女王が返すと、使者は黙り込み小さく漏らした。肩を落としている。
「……抜け出されて探索に行かれ、魔物を幾つか狩られたようです。大宰相が嘆かれておられました」
「……あの子らしいっていえば、あの子らしいけれど。無理やり還俗させたのが悪かったかしらね。まあそこらへんも、ルルとメルに言っておくわ」
♢
「親愛なる盛花国の国主に、われらが神の恩寵を。では、失礼いたします」
マリー女王は話を終え、使者が部屋から退出したのを見送り、ゆっくりと腹部を撫でた。
「さあて、やることはいっぱいあるわね。私の力と身体は、どれだけ持つかしら」
束の間の休憩と、目をつむり、そのままゆっくりと周囲に深く耳を澄ましてみると、どこからかフローラ達の賑やかな声がする。
「ふふ、あの子たちはとても楽しそうだわ。いったい何をしているのかしら」




