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後編

(1)


 マリーは物心ついた時から人と関わりを持つことが苦手だった。


 同じ年代の子供達が和気藹々と固まって遊ぶ姿を、少し離れた場所からぽつんと眺めている子供だった。

 その内にマリーは、友達とではなく一人で遊ぶことに楽しみを見出し始めていた。


 真新しく真っ白な画用紙に、思いつくまま色とりどりのクレヨンで絵を描き殴る。

 青い空に浮かぶ太陽がニコニコと満面の笑みを浮かべている。

 綺麗に弧を描いた口で、コップに入ったオレンジジュースをストローで飲み干す。

 太陽の隣に並ぶ白い雲の上には長靴を履いた猫。

 左右の目の色が違う猫も太陽と同じく笑っている。

 誰とも遊ばず、日がな一日中たった一人で不思議な絵ばかり描くマリー。

 変わり者の娘を心配した両親は幼い彼女に、人と積極的に関わり、仲良くすることの大切さを滔々と教え続けた。

 一人で遊ぶことも皆と仲良くしないのも悪い事なんだ……、と思い込んだマリーは、今までと打って変わったように、今度は必死に皆と溶け込もうとした。

 けれど、それまで孤立気味だったマリーは、人と仲良くする術など知る由もない。

 分からないけど必死な様が却って滑稽に見えるのか、子供達はマリーを笑い者にするばかりで中々受け入れてくれなかった。


 一応は集団の輪の中に入ってはいても、その場にいるのかいないのか分からない、幽霊のような子。


 ほんの時たま、気まぐれのように話しかけられることもあったが、急に話を振られる事に慣れていないマリーは、しどろもどろで見当違いな答えを返してしまう。

 それがまた、子供達の失笑を買い、見縊られるという悪循環。

 いつしかマリーは言葉を発することを恐れるようになり、ほとんど誰とも口を利かなくなってしまった。


 そうそう、あれは彼女が思春期に差し掛かった頃だろうか。


 当時のマリーには、たった一人だけ心を開いていた人がいた。


 彼女が通っていた学校の若い教師で、ちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ、あの青年医師と風貌が似ていたような。

 つまりは線の細い、優し気な青年で、その教師だけはマリーの拙い話を途中で遮ることなく、最後まできちんと聞いてくれていた。

 人との会話が苦手なのを克服したいなら、本を読んで言葉を覚えればいい、と、これまたあの青年医師と同じ提案をしてくれた。

 マリーは一生懸命本を読み、こんな言葉を覚えた、あの話が面白かった、など、教師に逐一感想を報告した。

 無自覚ながら、教師に対して仄かな恋心を抱いていただろう。

 マリーの話を真剣に、それでいて柔らかな微笑みを浮かべて耳を傾けてくれるのが、嬉しくて嬉しくて仕方なかったのに。


『マリーには会話の主語がなく、流れも支離滅裂、ちっとも要領を得ない話し方で、話を聞いているとだんだん疲れてくるんです』

『滑舌が悪いし、会話が聞き取り辛い。何度も聞き返さないといけなくて、イライラしてしまいます』

『友達が一人もいないのが可哀想だから相手をしてあげているが、隙あらば僕に纏わりついてくるので正直な話、ちょっと迷惑なんですよね』


 授業が終わった直後、前日読み終えた本の感想について教師と話したくて。

 教室から出て行く級友を押しのける勢いで廊下を小走りで駆け、教師の背中を追う。

 運悪く、途中で他の生徒とぶつかったマリーは跳ね飛ばされ、壁にぶつかってしまった。

 痛みでその場に蹲りながら、帰宅する生徒達の波が粗方通り過ぎるのをひたすら待つ。

 早く教師の元へ行きたいと逸る気持ちを抑えながら。

 廊下を通る生徒がいなくなり、やっとの思いで教師達に与えられた部屋に辿り着いたマリーの耳に飛び込んできた言葉。

 若い教師が年配の教師に、苦笑交じりにこう話していたのだ。

 僅かに開けた扉、扉に背を向けた状態で話し込んでいるため、二人はマリーが来たことに気付いていない。

 だからこそ、吐露した本音はマリーの胸の奥深くに毒矢が刺さったような、ただ痛いだけではない、マリーの中の何かを殺した。


 以来、マリーはもう二度と誰とも喋らない、心を開かない、頼らない、と心に固く決めると同時に重厚な鎧を纏うように四六時中涙を流すようになったのだ。

 これならば、奇異の目で見られることはあれど、誰も私を構ってこないだろうし、構ってきたとしても泣く事に託けて無視できる。


 私は誰とも繋がりを持たなくても、一人で生きていくんだ。


 自ら見世物小屋で働き始めたのも、誰にも頼らず一人で生きていく糧を得る為であった。

 見世物小屋で働く自分を両親は可哀想だと嘆いたが、むしろマリーは、自分にしか出来ないことで生活できる自信を得ていると、観客から笑われようが罵られようが憐れまれようが、むしろ誇りを抱いてすらもいた。

 どんな形であろうと自分のような者でも充分生きていけるのだと。


 働いていた見世物小屋が閉鎖した時も、別の見世物小屋で働けばいいだけ、と決めていたのに。

 もしも働き口が見つからなくて、住むところを失い路頭に迷って野たれ死んだとしても。

 それはそれで私の運命だったんだ、と、潔く受け入れるつもりだったのに。


 両親は無理矢理、あの傲慢な若い医者の元へと引っ張っていった。


 不器用な自分なりに生きる術を見つけ、仕事に誇りを持っていたマリーなのに。

 彼女の生き方も彼女自身も全てを可哀想だと否定し、無理矢理変えようとする彼らに、マリーは当然反発心しか抱けなかった。


 あんた達はいつだって常識を盾に、こうあるべきだという考えを訳知り顔で押し付けるばかり。

 万が一、四六時中泣き通しの状態が治ったとして、生来の不器用さや植え付けられた人への不信感はきっと完全には治らない。

 だったら、それら全てを受け入れた上で生きていく道を選んだ私を、認めなくてもいいけど否定だけはされたくない。

 こんなところに何カ月も閉じ込められ、無為な生活を送ることがどれだけの苦痛なのか。


 私の願いはただ一つ。

 私を受け入れてくれなかった世界に今更溶け込みたいなんて、私はこれっぽっちも望んでいない。

 私は私で、自分の人生どう生きるかをこの目で見据えていたのに。


 私のことは放っておいて、一切構わないで――







(2)

 生前、マリーが読書感想文を書いていたノートの最後のページを捲る。

 乱暴な字体で走り書きされ、マリーの本心がぶちまけられた内容。

 喪服姿で憔悴しきった青年は、文面に目を通している間中、何度も床に崩れ落ちてしまいそうになるのを、必死で耐え続けていた。


 マリーは、診療所の庵に連れて来られた時からすでに、緩慢な自殺の道を選んでいたのだ。

 ようやく見つけた、自分の生きる道を閉ざされたことへの深すぎる絶望。

 彼女のためと言いながら、独善的な対応ばかり重ね続けた自分や両親への復讐。


「……でもね、マリー。殻の中に閉じ籠ったままでは、誰も君の想いなんて何一つ知ることなんてできないんだよ……。」


 分厚い殻に覆われた彼女の中身は、黄身がどろどろに崩れて腐り切った卵。

 悪いのは、それに気付くことなく放置し続けた、彼を含めた周囲のものか。

 腐っていくのを知りつつ、それでも良しとしていた彼女か。


 救いの手を差し伸べる以前に、端から救いを必要としていない、諦念に支配された人間を、本物の神様ならどうやって救うのだろうか

 反対に、救わないことを救いと見なしてただ見守るだけなのか。


 マリーの死によって心に落とされた暗い影。

 自分の理解や想像の範疇を越えた、残された大きな難題に青年は自らの無力にただただ歯噛みするより他がなかった。



(終)

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