EP 7
案件動画のコンプラ監査と、税務申告の適正化
午後十三時。
火器管理規程の遵守と防護装備の着用を義務付けられた翌日、総務課執務室のドアが勢いよく蹴破られるように開いた。
「おーじーさーぁぁぁん!! 大変大変! 大至急、私の神対応を拝んでよね〜!」
入ってきたのは、ピンクのツインテールと頭頂部のアホ毛を激しく揺らし、背中に小さな二枚の手羽先――白い翼を生やしたメガゴッドチューバー、下級天使キュララである。
今日はさすがに銃器は携行していないものの、その周囲には相変わらず三機の魔導ドローンカメラがプカプカと浮遊していた。
「……執務室への入室時はノックを三回。社会人の基本です」
武田正は銀縁眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、ため息とともに卓上の書類を整えた。胸ポケットから胃薬を取り出し、水なしで口に放り込む。
「それで、今度は何の騒ぎですか。定時である十七時まで、あと四時間しかありません。無駄な残業を生むトラブルなら即刻お引き取り願いますが」
「トラブルじゃないってば! 超絶ビッグビジネスだよ! 今日の夕方からの生配信でね、帝都の大手コスメ企業から『企業タイアップ(案件動画)』が入ったの! その報酬、なんと……一配信で金貨三千枚! 約三千万円だよ!? これさえ成功すれば、壊れた納屋の修理代なんて秒でチャラなんだから、感謝してよね〜!」
キュララはフリル付きのキャミソールの胸を張り、ドヤ顔で一枚の豪奢な羊皮紙を正のデスクへ叩きつけた。
金の箔押しが施された、いかにも羽振りの良さそうな契約書である。
「ほう、企業案件ですか」
正は万年筆を小脇に置き、その契約書を手に取った。
視界の端で、スキル【稟議書閲覧(ステータス監査)】が音もなく自動展開される。
――――――――――――――――――――
【監査対象】『天界直送・奇跡の濃縮マナ美容液(製造元:帝都ルミナス製薬)』タイアップ契約書
【契約条件】配信内で「飲むだけで肌年齢が10歳若返り、全身の魔力量が永続的に倍増する」と告知すること
【特記事項】
・「#PR」「#タイアップ」等の広告表記の記載を一切禁止(自然な愛用者を装うこと)
・万が一、購入者から健康被害や詐欺等のクレーム・訴訟が発生した場合、損害賠償責任はすべて配信者が全額負担すること
・成分分析:ただの水道水に微量の蛍光発光ハーブと着色料を混入しただけの原価十円の偽薬
――――――――――――――――――――
「…………」
正の視線が、絶対零度へと冷え切った。
銀縁眼鏡の奥の瞳が、獲物を仕留める法務監査官の光を宿す。
「……キュララさん。貴女、この契約書の条文を一行でも読みましたか?」
「え? 読むわけないじゃん! 細かい文字見ると頭痛くなっちゃうし〜。報酬の『金貨三千枚』ってとこだけ見てサインしたよ! 『配信で美味しそうに飲んで、めっちゃ肌ツヤツヤ〜☆って言えばオッケー』って担当者が言ってたもん!」
満面の笑みで答える手羽先天使。
正は静かに契約書を机の上に置くと、手元のクリップボードの角をトントンと机に打ち鳴らした。
「結論から申し上げます。――【即時破棄】案件です」
「はぁあああ!? なんでよ! 三千万円だよ!? おじさんの安月給の何十年分だと思ってんの!?」
ギャーギャーと騒ぐキュララに、正は冷徹無比なロジックのメスを突き立てた。
「第一に、不当景品類及び不当表示防止法――いわゆる『ステルスマーケティング規制』への重大な抵触です。広告であることを隠し、あたかも自発的な愛用品であるかのように偽って視聴者を欺く行為は、近代広告法務において最も悪質な不法行為に該当します」
「す、すてるす……?」
「第二に、薬機法(医薬品医療機器等法)および消費者契約法違反。『飲むだけで若返る』『魔力量が倍増する』などという医学的根拠の皆無な虚偽・誇大広告は、完全な詐欺罪の共犯を構成します」
正は契約書の最下部、虫眼鏡でなければ読めないような極小の注記を万年筆の先で指した。
「そして第三に、この『免責条項』です。もし視聴者がこの蛍光着色料の泥水を飲んで集団食中毒を起こした場合、製造会社は一切の責任を負わず、すべての賠償金を貴女個人に請求する契約になっています。被害者が一万人出れば、損害賠償額は金貨十万枚――十億円を超えますよ」
「じゅ、十億……!?」
キュララのあざとい笑顔が、一瞬で凍りついた。
「貴女は三千万円の小遣い銭に目を眩ませて、十億円の借金爆弾の信管を自ら足元に埋め込んだのです。それだけではありません。この件が露見した瞬間、GodTube運営会社は貴女のアカウントを永久停止処分(垢BAN)とし、全宇宙のリスナーから『詐欺加担天使』として公開デジタルタトゥーを刻まれることになります」
「ひ……っ、ひぎゃああああっ!? 垢BAN!? 十億円!? やだやだやだぁぁぁッ!!」
キュララは頭を抱え、執務室の床をゴロゴロとのたうち回った。
「騙されたぁぁぁ! あのイケメンの営業マン、『キュララちゃんの大ファンなんです♡』って言ってたのに! 私を罠にハメようとしてたのぉぉぉ!?」
「相手は法務のプロです。無知な若手インフルエンサーを使い捨てのトカゲの尻尾にするなど、悪徳業者の常套手段に過ぎません」
正は淡々と朱肉ケースを開き、愛用の三文判を取り出した。
「【稟議差戻し(リジェクト)】――公序良俗違反および不当契約条項に基づく、当該タイアップ契約の全面無効化」
ドンッ!
乾いた捺印音とともに、机の上の黄金の契約書が青白い光に包まれ、一瞬にして炭化してサラサラと消滅した。
「あ、契約書が燃えちゃった……! で、でも、契約破棄したら先方から違約金請求されない……?」
「問題ありません。相手の契約自体が法規違反の無効条項で埋め尽くされています。こちらから帝国内務省および大宇宙管理局・消費者保護局へ『詐欺未遂および優越的地位の濫用』として告発状を回送しておきますので、むしろ相手の会社が明日には家宅捜索で消滅します」
「お、おじさん……神……!? 弁護士の神様なの……!?」
キュララが涙目で正を拝み倒す。だが、正の「監査」はこれだけで終わらなかった。
「さて、キュララさん。他人のコンプライアンスを正したところで――次は『貴女自身の重大な違法行為』について清算しましょうか」
「……え?」
正は引き出しから、もう一枚の分厚い書類ファイルを取り出した。表紙には朱色の文字で『個人事業主キュララにおける過年度所得・未申告調査票』と印字されている。
「貴女、GodTubeでの月収が二億円あると豪語していましたね」
「う、うん……世界中のリスナーからスパチャがいっぱい飛んでくるから……」
「では、その過去三年分の『確定申告書』の控えを見せていただけますか?」
「かくてい……しんこく……? なにそれ、美味しいの……?」
キュララがおずおずと首を傾げた瞬間、正の背後に黒いオーラが立ち上った。
「……無申告ですね。所得税法違反、および地方税法違反。完全なる『巨額脱税』です」
「ぎゃあああっ!? だ、脱税!? 私、犯罪者になっちゃうの!?」
「ええ。すでに帝国内務省のオルウェル査察官が、貴女のルナPay口座の異常な入金履歴をマークし始めています。このまま放置すれば、明日にも査察部隊が突入し、貴女は全財産没収の上で強制労働送りでしたよ」
「タダシさん、助けてぇぇぇえええッ!!」
キュララは時速百キロでスライディングし、正のスラックスの裾を両手でギュッと掴んで号泣した。
「刑務所入りたくない! マグローザ漁船でシャチにソナーキャノン撃たれるの嫌ぁぁぁ! 税金払う! ちゃんと払うからどうにかしてぇぇッ!!」
その時だった。
「ガララッ!」と執務室のドアが開き、紫煙とともにあの男が満面の笑みでエントリーしてきた。
「カッカッカ! 景気のええ話が聞こえてきたやないか!」
ゴルド商会のニャングル支店長である。
片手にキセル、片手にはパチパチと火花を散らす算盤。その後ろには、帳簿を抱えた行員たちがズラリと控えている。
「ニャングル支店長、ちょうど良いところに来ましたね」
「おうよタダシはん! 手羽先のお嬢ちゃんが脱税で首根っこ掴まれとるっちゅうから、特急で駆けつけたで!」
ニャングルは算盤をジャラリと鳴らし、床で震えるキュララを見下ろしてニヤリと笑った。
「キュララはん! 毎度ルナPayでの大口納税、誠におおきに! アンタの過去三ヶ月分の未申告所得から適正に算出したポポロ村の住民税と事業税――ざっと金貨五千枚(約五億円)や!」
「ご、ごおく……!?」
「ビビるなや! 適正に経費(配信機材、通信費、衣装代、撮影用防護具)を計上して、タダシはんが組んだ『ポポロ村特別振興減税スキーム』を適用したから、これでも帝国直轄で毬られるより三割も安く済んどるんやぞ! ほれ、ここにサインしぃ!」
「は、はいぃぃっ! サインしますぅぅ!」
キュララは震える手で納税申告書にサインし、ルナPayの決済画面を差し出した。
ピピッ、と決済音が鳴り響く。
「毎度あり! ガハハハッ! タダシはん、見ぃ! この手羽先天使の住民税だけで、今年度の村の東部用水路の全面改修費と、防護ドームの維持費が丸ごと浮いたで! ほんまキュララはん、アンタだけがこの村の唯一の『資本主義の光』や! これからは怪しいステマやのうて、ウチの特産品『ポポロシガー』と『肉椎茸』を正々堂々と公式タイアップで宣伝しなはれ! 正規の広告料、たんまり払ったるからな!」
「うぅ……これからは健全にポポロ村の野菜をPRしますぅ……」
キュララは手羽先をしょんぼりと丸め、正の足元で魂が抜けたように項垂れた。
悪徳ステマの粉砕、そして村落財政への天文学的な税収の確保。
まさに企業法務と行政実務の完璧な連携プレーであった。
「……ふう。これで一件落着ですね」
正は安堵の息を吐き、机の上の万年筆を胸ポケットへと収めた。
だが。
――トクン……トクン……トクン……。
部屋の温度が、スゥッと数度下がった。
ドアの陰から、音もなく現れた一つの影。
長い白銀の兎耳をピーンと逆立て、両腕を後ろに組んだ村長キャルルが、一切の光を失った紅い瞳で正を見つめていた。
「……ねぇ、タダシさん?」
「ひっ……そ、村長……」
「さっき、キュララちゃんがタダシさんの足元にすがりついて泣いてた時さぁ……。キュララちゃんの涙が、タダシさんのスラックスの太もものところに染み込んでたよね?」
「は、はい。必死に助けを求めてきたものですから……」
「ふ〜ん……? その時のタダシさんの心拍数、毎分三回だけ上がってたよ? 若い天使の女の子にすがりつかれて、ちょっとドキドキしちゃったのかなぁ……?」
「め、滅相もありません! 脱税額の桁の多さに血圧が上がっただけでして――!」
「そっかぁ。じゃあ、今日の残業……じゃなくて『税務監査のお疲れ様会』は、私の部屋ね。ニンジンをじっくりコトコト煮込んだ特製シチュー、タダシさんの胃に優しく一口ずつ食べさせてあげるから。……朝まで、一滴残らず付き合ってもらうよ♡」
背筋を駆け上がる強烈な悪寒。
正は冷や汗を拭いながら、壁の時計を素早く確認した。
針は、午後十六時十分。
定時退社の十七時まで、あと五十分。
四十歳元社畜課長の胃痛は、村に莫大な富がもたらされてもなお、一瞬たりとも休まる気配はなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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