8話 玉石混交
「これで、よし。紺色の服に埃は大敵、ですな」
バルマーロは宰相の側近文官の肩を払う仕草を見せると、後ろから襟を掴みおもむろにローブを開いた。
「おっと失礼……おや、これは?」
懐から露わになった紙を素早く左手で取り上げると、取り返そうと抵抗する側近を歯牙にもかけず、内容を確認した。
(売買契約書! 宝石商はまだ城内にいるはず……馬車に乗られてはマズい。国宝はどこにある?)
不当な金で売買が行われていると睨んでいたバルマーロは、水際での阻止に思考を巡らせている。
その時、遠方から扉が開く音がすると、ほどなくして大広間に数人が駆け込んできた。
「こっちだ! いるぞっ!」
側近の合図に反応して、潜んでいた隅の花壇から消えた人影が、仲間の兵士達を先導していた。
それが自身に向けられた敵意だと察したバルマーロは、反射的に左腕を側近の首に回した。
(庭に潜んでいた者達か……)
手を出せない50人ほどの兵士達の合間から、ひときわ威厳のある男が姿を見せた。
「騎士団長が人質を取るとは、姑息だな」
「ディアモス将軍! 城内に武装兵を連れ込むとは、いったいどんな了見ですかな?」
「フン。露見したのならば、やることはひとつだ」
バルマーロの手に売買契約書が渡っていることで、宰相との静かなクーデター計画が破綻したと察した将軍が左腕を上げた。
するとあちこちの物陰から伏兵が現れ、大広間はまたたく間に80人ほどの兵士達に制圧された。
(なるほど。静けさの理由は、他の者が夕食時に息のかかった部下達を配置していたのか……仕組んだ不正金流用で王に取って代わる、この時のために!)
バルマーロの額に、冷たい汗が滲む。
「むぐっ!」
ルイーナはバスティの後頭部に鼻を打ちつけ、苦悶の声を上げた。
「いっつつつ……なんで急に止まるのよっ」
「シーッ」
振り返ったバスティは手枷のまま人差し指を自身の口に当てた。
息を切らせて走ってきた、薄暗い牢獄看守用の通路を閉ざす鉄扉の格子穴から、光が差し込んでいる。
微かに聞こえる会話に警戒したメレネッシは、ドアノブに左手をかけたまま立ち止まり、耳を澄ませている。
(バルマーロさんの声だ……将軍? 武装兵? 露見? この先で、何が起こってる?)
格子から覗く大広間の光景に、メレネッシは目を閉じ疑った。
しばし沈黙の後、腰に提げた巾着袋を外し、ジャラッとおもむろにオヤジに手渡し、耳打ちした。
「……頼んだぞ」
メレネッシは、将軍と兵士達の視線が階段に集中していることを確認すると、音もなくゆっくりとドアノブを回し、鉄扉をそっと開けた。
オヤジが頷き、まるで影のような動きで足を踏み出すと、鉄扉を閉め、城内への侵入に使った裏口へ向うのを見届けた。
「ところでバルマーロ騎士団長。ならず者を捕らえに街へ出たと宰相から報告を受けているが……連行できたんだろうな?」
将軍の低い声が大広間に響くと、バルマーロは一瞬口をつぐんだ。
「……逃げられました。相変わらず、すばしっこい奴でして、ね」
鉄扉から聞いていたメレネッシは、路地裏酒場で仲違いしたバルマーロの想いを推し量った。
(……俺を、庇ってる?)
「そうか。国宝の後継者候補を、2人まとめて始末できれば手間が省けたのだが……王を裁いた後に、探し出すだけだ!」
この言葉に、ルイーナとバスティは驚きの声を飲み込み、メレネッシを凝視した。
(えーっっ! メレネッシさんも~っっ?)
すると突然、ルイーナは「ウッ」と小さくうめき、バスティの背中を掴んだ。
「ルイーナ……魔物の気配?」
バスティが小声で問いかけると、首を縦にひとつ振った。
「対抗できる魔法隊は、将軍の指揮下だ。肝心の将軍は、そこでお取り込み中か」
メレネッシは軍事上から、国の事情を懸念している。
「それに、万が一城が落とされでもしたら……滅亡だけじゃ済まないだろうな……」
左手でフェドーラ帽を深く被り直し、続ける。
「無敵のパルヴェンス軍が、こことフィゼアに挟み撃ちされちまう……」
魔物が産まれるとされる異界から、海を隔てた世界の玄関口である隣国の、地理的な重要性が揺らぐことを意味していた。
「パルヴェンスっ……ですか……」
バスティは、胸の奥がチクリと痛んだような表情で口籠った。
(無敵のパルヴェンスは、もう……)
2人の会話を聞いていたルイーナの脳裏には、揺れるくせ毛のおさげ髪が浮かんだのだろうか、俯きながら無言で唇を噛み締めた。
服を掴む力が強まったのを感じたバスティは、魔力が城のどのあたりから伝わるかを尋ねた。
「さっきより近くに、いる……上、かも……」
階段の中腹で、宰相の側近を盾に取るバルマーロの耳に足音が聞こえると、見上げた先には宝石商が立っていた。
「これはこれは……何ごとでしょうか?」
バルマーロが左手に持つ売買契約書と、階下を包囲する兵士達。
宝石商は冷たい視線でそれらを見下ろすと、将軍に向けて言葉を投げた。
「私は静かなことを好むと伝えたはずだが……」
怯む将軍をよそに、今度はバルマーロに語りかけた。
「所用にてここを通していただきます……失礼」
宝石商が階段を一歩降りた、その時。
ガッシャーーーンッ!
外から、ガラスが派手に割れる音が響いた。
すると緊張感に耐えていた側近が「ひぃっ」と叫び身をよじった。
バルマーロの羽交い締めが緩んだ瞬間、包囲していた兵士の1人が駆け出した。
反射的に呼応した他の兵士達も飛びかかる。
「馬鹿者っ! 迂闊に近づくなっ!」
将軍の制止は、堰を切った濁流のような暴走には届かなかった。
バルマーロは側近を蹴り落とし兵士達の勢いを削ぐと、型がなっていない短剣の切っ先を、避ける、避ける、避ける!
宝石商を尻目にバルマーロが2階へ上がると、反対側の階段から兵士達が挟撃態勢に移行していた。
「ぬう。宰相との算段とは違うが……よしっ! 奴を捕らえた者が、次期将軍だ! 行けっ!」
将軍は、国宝の売買成立を契機に玉座の間に押し入り、政治不信の王に禅譲を迫る目論見からの、変更を決断した。
(切り替えが早い。流石は歴戦の猛者だ……しかし、私が標的ならば、王へと続く廊下を守る必要は無くなった!)
バルマーロは兵士を自身の目前まで引き付けると、手すりから身を乗り出し、手薄になった1階の大広間へと、5メートルほどの高さを飛び降りた。
突然騒がしくなった城内の様子を、大広間最奥の鉄扉から見ていたバスティは、メレネッシに訴えかけた。
「んっ? 兵士達が階段を上がって行きました! 出るなら、今ですよっ」
千載一遇の好機に、熱い眼差しを向ける。
「待てっ。この状況は想定外だが……そろそろか?」
バスティが首を傾げると、裏口の方向から微かに声が聞こえてきた。
「こっちの扉が開いてるぞ、衛兵はどうした!」「ガラスを割った奴の顔はっ?」「不審者に入られるとは……名誉に賭けて探し出せっ!」
次の瞬間、10人ほどの軽装兵が雪崩込み、息を潜める鉄扉の横を駆け抜けた。
「よしっ! やってくれた……守護騎士団だ!」
歓喜のメレネッシが格子から裏口を見ると、空の巾着袋袋をピラピラと靡かせたオヤジが、ニヤニヤと覗き込んでいた。
「あいつ、全部投げちまったのか! お気に入りの石だったのによっ」
フェドーラ帽の鍔を左手の人差し指で少し上げると、メレネッシは不敵な笑みで愚痴を零した。
耳打ちでオヤジに託した思惑が、城に隣接する兵舎から、バルマーロの部下達を誘導することに成功した。
軽やかに着地を決めたバルマーロが騎士団員達に気がつくと、左手に持つ売買契約書を高く掲げ、すかさず号令を発した。
「おぉっ、君達! 謀叛の将軍を捕らえよっ!」
不審者の捜索に来た騎士団員達は現状を理解する間もなく、階段を降りてきた兵士達と揉み合いとなり、大広間はおよそ100人が入り乱れる大混乱となった。
様子を見ていたメレネッシは、ここぞとばかりに行動に移した。
「街のアジトまで走るぞっ! ついて来い!」
2人が小さく頷くのを確認すると、重い鉄扉を押し開けた。
響く怒号を背に、オヤジが手招きする裏口へと身体を翻す。
その時ルイーナの目に、大広間の向かい通路から出てきた人影が飛び込み、振り返った。
(宝物庫の道から、モネーラ宰相……? 魔法遺具、持ってる!)
最後尾のバスティが、自重で閉まる鉄扉を避けて走り出すと、メレネッシの背中が頼もしく見えた。
(んっ? メレネッシさん? ルイーナは?)
バスティは慌てて見回すと、列を離れたルイーナがポニーテールを跳ね上げ、宰相の方向へと駆け出していた——




