第六話「道の先で選ぶもの」
朝が来た。
ソファで横になっていたが、眠れたのかどうかよく分からない。
天井の染みをずっと見ていた気がする。
エルナの言葉が、ずっと頭の中をぐるぐるしていた。
———甘いわね。 この世界は、あなたが思っているより、ずっと残酷よ。
分かってる。分かってるんだよ。 でも——。
隣のベッドで、リアがまだ眠っていた。
クマかっちゃんを胸に抱いたまま、穏やかな寝顔だった。
この子は、おそらく全部知っている。
自分が父親に出会った瞬間にどうなるかということも。
それでも「大丈夫」と言って、「ありがとう」と言った。
答えは、最初から出ていた気がした。
—
エルナの部屋のドアをノックした。
「……何よ。まだ早いわよ。」
「昨日は怒鳴ってごめん。少し話、いいか?」
少し間があった。
扉が開く。
エルナは珍しく眠そうな目をしていない。
彼女も昨晩は眠れていないのだろうか。
「リアの爆弾を、解除してほしい。」
単刀直入に告げる。
エルナには、誤魔化して物事を伝えるということができなかった。
いや、ちょっと違うな。
したくなかった。僕に対しては誠実な彼女にだけは、僕も誠実に答えなければ。
エルナは黙っていた。
「方法は分からない。でも解除してほしい。」
また沈黙。
「……昨夜、あれだけ言ったわよね。今はこれでいいかもしれないわ。でもこの先——」
「甘いのは分かってる。それでも、僕はこの考え方を変えたくない。」
エルナの言葉を遮るように、言葉を紡いだ。
「目的のためだから、依頼だから、仕事だから、理由はたくさんあるよ。でも、でもさ、どれもさ、」
上手く言葉にできるだろうか。
昨晩、何かを考えついてこの場所にいるわけじゃない。
でも、伝えなきゃ。
「どれも、人を見殺しにしていい理由にはならないと思うんだ。エルナも何か後ろめたいことがあったから、僕に黙っていたんだろう?」
「——それは、後ろめたさなんてものじゃないわよ。ただ単純に、あなたが耐えられない気がしただけ。」
それは、人の命に対する後ろめたさではないという。
単純に僕を気遣ってのことだと。
エルナは優しく、時に冷徹だ。自分の大切なものや譲れないものを明確に線引きして判断している。
自惚れでなければ、僕もその譲れないものの一つなのだろう。
何故かは分からない。でも単純にありがたかった。
「ありがとう。エルナ。本当に。」
「——別に。お礼を言われるほどのことじゃ——」
「その上で、どうか、お願いします。僕が僕でいるために、必要なことなんです。」
そう。ここで見過ごしてしまったら。
この世界では常識だと受け入れてしまったら、僕は僕ではなくなってしまう気がしたんだ。
やっていることは、単純。
ただ頭を下げているだけ。
情けない。
でも、これが今の僕にできる精一杯だった。
エルナはしばらく目を閉じていた。
何かを考えている。何かと戦っている。
「——好きにしなさい。」
昨夜と同じ言葉だった。
でも、今朝は意味が違う気がした。
「それと、ごめんなさい。黙ってて。」
やっぱり、エルナはいい奴だ。
—
リアが目を覚ましたのは、それから少ししてからだった。
「おはよう。リア。」
「……おはよう。」
眠そうに目をこすりながら、リアはエルナを見た。
「今はもう、体調はなんともない?」
「……うん。大丈夫。」
そういえば、エルナとリアがまともに話しているところを見るのはこれが初めてかもしれない。
子供相手だと、こんなに声色が優しくなるのか、エルナは。
子供、苦手じゃないじゃないか。
エルナが、リアに手を差し出した。
「少し、お腹のあたりを触ってもいい?」
「……うん。」
「ここにね。悪さをしちゃうバイキンがいるの。」
「……うん。」
「それを今から、お姉さんがやっつけてあげる。」
「……。」
沈黙。
リアが泣きそうになりながらエルナを見る。
その後、僕へと視線を移した。
「……。それは、嫌だな。」
意外な回答というわけではなかった。
この子は多分知っている。知っていて、受け入れている。
「リア。聞いてくれるかい?」
慎重に、言葉を選ぶ。
どう言えばいい。どうすればいい。
まとまっていない。けど、言葉を紡がなければダメだと思った。
「このバイキンがあると、リアと僕達は、もう会えなくなっちゃうかもしれないんだ」
「……。それも、嫌。」
………………………。
………………。
…………。
長い沈黙。
リアの瞳から、雫がこぼれそうになる。
それは、すぐにこぼれた。
「でも……、わたし……お母さんにしてあげられること…………他になくて……」
「本当は嫌だけど……、でもおかあさ…………、喜んで……くれるかなって…………」
涙をこぼしながら、リアは続ける。
「おかあさ…………、いつも苦しそうで……でも、大丈夫だよって…………」
「笑って、ほしく……………………あ、ぅぅぅぅぅ。」
言葉を紡ぐのは、もう限界だったのだろう。
僕は思わずリアを抱く。
「……っ。」
僕も、なんだか限界だった。
この子は、まだ六歳なんだ。六歳なんだよ。
そんな子が、なんで、こんな。
———泣くな。僕が泣くのは違うだろ。
「………………リア。僕は、リアと会えないと寂しいよ……。」
「うわぁぁぁぁぁ。あぁぁぁぁ。」
リアは答えない。
ただただ、僕の胸の中で、涙をこぼしていた。
………………。
…………。
……。
しばらく時間が経って、感情が落ち着いた僕達は再び話を始める。
「リア。君のバイキンを倒してもらう。」
リアの目をまっすぐ見て伝える。
「理由は、僕がまだリアと一緒にいたいから。頼むよ。」
「……。」
リアは答えなかった。
長い沈黙。
「私も!」
エルナが突然声を上げる。
「私も、リアともっとお話したいわ。お願いよ。」
おそらく、本心だろう。
本心だと信じたい。
エルナは、リアと深くかかわらないようにしていた。
おそらくだが、リアを線引きの内側へと入れる覚悟をしたのかもしれない。
「くふふ。」
リアは無邪気に笑った。
これまでとは違う、年相応の笑い方。
「じゃあ、しょうがないなぁ……。」
観念した言葉とは裏腹に、その顔は明るかった。
———ス。
エルナの手のひらが、リアのお腹の上に静かに置かれた。
青白い光が、エルナの手から滲み出た。
音もなく、静かに広がっていく。
リアは目を閉じていた。
痛そうな様子はなかった。
ただ、どこか遠くを見ているような顔をしていた。
———しばらくして、光が消えた。
「……終わったわ。」
エルナが手を引いた。 リアがゆっくり目を開ける。
「え?終わり?もう?」
あまりにも呆気なく終わるものだから、思わずエルナに声をかける。
「何よ。何か不満?」
「だって、ほら、『強力なバイキン』だよ?そんな簡単に。」
爆弾という単語は、リアの手前伏せて伝える。
もう察しているかもしれないけど、こういうことは本人を前に言葉にするものじゃない。
「……私を誰だと思っているのよ?まぁ、本来ならそれ相応の設備が必要かもしれないわね。」
どこか、得意げにエルナが胸をはる。
そうか。本当にすごいんだな。魔法使いって。
ストーンウェアが必要なく、魔術を放つのにも特定の機械を必要としない。
まさに、魔法。
恐れ入った。
「……なんか、軽くなった気がする。」
「そうね。軽くなったはずよ。」
エルナはそれだけ言って、立ち上がった。
こちらを見ない。
でも、その背中が少しだけ違って見えた。
「ジュディ。」
「ん?」
「次にこういう依頼が来たとき、あなたはどうするの?」
振り返らないまま、エルナが言った。
「その時はその時に考える。」
「……本当に、甘いわね。」
でも今度は、怒っている声じゃなかった。
—
部屋を出る前に、ガレスに通信を入れた。
おそらく、ガレスも今回の依頼の背景は知っているはずだ。
多少、胸糞の悪さを感じなくもないが、
人の命が天秤にかかっていても、仕事は仕事と割り切るのがこの世界の人々だ。
僕も、割り切ろう。
画面に映ったガレスは、いつもと変わらない表情だった。
「ジュディか。どうした。」
「あー。今回の依頼で報告があります。今回の荷物なんですが——」
少し間を置いた。言葉を選ぶ。
「多少、『傷』がついてしまって。」
ガレスの目が、わずかに動いた。
「ほう。『傷』ね。それで?」
「はい。依頼主の望んだ結果にはならないかと。」
「……そういうことか。エルナ。」
「えぇ。まぁ、そういうことね。」
エルナは気まずそうに頬を掻いている。
それだけの会話で、ガレスは状況を察したらしい。
ガレスは腕を組んだ。
しばらく何かを考えている。
「荷物の状態は?」
「良好です。傷はついていますが、中身は無事です。」
「そうか。」
少し沈黙の後、ガレスが口を開く。
「——分かった。だが、このままでは依頼をこなしたとは言えない。」
「ですよね。」
「ちょっと待ってよガレス。今回の依頼は荷物を届けることでしょう?それはしっかりやり遂げるわ。問題ないでしょう?」
「『傷』のついた荷物をか?」
エルナが不満そうに声を上げる。
依頼だけでみればそうだが、『傷』の事もある。
問題は荷物を届けただけでは解決しない。
僕は、エルナに声をかける。
「エルナ。ガレスは多分、信用の話をしているんだ。」
「……?」
エルナの目が点になっている。
正直、面白い。
僕がエルナに面を食らわせる日がくるとは。
「フハハ。よく分かっているじゃないか。ジュディ。」
ガレスが声を上げて笑う。
この人笑うんだな。
「そう。これは信用の問題なんだエルナ。依頼はたしかに荷物を届けることだ。しかし、それだけでは仕事を完了したことにはならないんだよ。」
「そうですね。今回の依頼は、荷物を届けた結果の先に依頼人の望みがある。荷物を届けることは手段でしかない。」
「——あぁ、その通りだ。ジュディ。今回の仕事を受けて依頼人が満足しなければ、私は荷物もまともに運ぶことが出来ない半端者というレッテルが押されてしまう。不評の伝播は一瞬だ。私は仕事を畳むことになるだろう。」
これは、嘘ではないが言い過ぎだな。
少し誇張した表現を使って、こちらを萎縮させ会話を有利に進めようとしてる。
「大丈夫です。そうはなりませんよ。」
「なにか。策はあるのか?」
ガレスの質問にあっけらかんと答える。
「依頼人を説得します。そもそも依頼主の目的が変われば、不評もなにもないでしょう?それよりも、ガレスはこちらのことを深く理解して仕事をしてくれると好評が広がるかも。」
「それは、嘘ではないが言い過ぎだな。ハッタリはもう少し上手く使え、ジュディ。」
どの口が言うんだか。
「これからやることは理解した。承諾しよう。」
ひとまずは、これで安心なのかな。依頼人説得という大きな壁はあるが。
ガレスは少し間を置いてから、続けた。
「ジュディ。」
「はい。」
「判断が早いやつは得をする。だが——」
ガレスは目を細めた。
「判断が正しいやつは、長生きする。」
それだけ言って、通信が切れた。
その言葉は、称賛なのか、警告なのか。
僕にはよく分からなかった。
隣でエルナが息を吐いた。
「……うまいわね。」
「サラリーマンの経験が活きたかな?」
「なるほど。シャカイジンね。」
リアが後ろで、くふふと笑っていた。
—
ヴェーラの昼過ぎ、当たり前だが夜より明るかった。
水面に光が反射して、街全体が輝いているように見える。
小舟が運河を行き交い、橋の上では人々が行き来している。
昨夜と同じ景色のはずなのに、少し違って見えた。
三人で倉庫街に向かった。
昨夜確認した倉庫の前で、エルナが端末を操作した。
「ダン・ベルンは今日の早番で出ているわ。もうすぐ仕事も終わりのはずよ。」
「どうして知ってるんだ?」
「調べておいたのよ。昨夜のうちに。」
昨夜のうちに、か。
僕が悩んでいる間、エルナは黙々と仕事をこなしていた。
何も言えなかった。
倉庫の前で待つこと十数分、扉が開いて数人の男たちが出てきた。
全員、腕や肩にストーンウェアをつけた大柄な男たちだ。 その中に——。
「パパ。」
リアが、静かに言った。
男が振り返った。
三十代後半だろうか。
疲れた顔をしていたが、目だけが優しかった。
リアに似た、大きな目だった。
「リア——?」
男の声が、かすれた。
「どうして——なんで——」
男——ダンが、リアに向かって走り出した。
リアも駆け出した。
二人が抱き合った。
爆発は起きない。
実際に二人が出会うまではそわそわしていたが、解除は問題なくできているらしい。
ダンは何度もリアの名前を呼んでいた。
リアは何も言わなかった。
ただ、父親の胸に顔を埋めていた。
僕は、少しだけ目を逸らした。
明里のことを思った。
お腹の中で育っている娘のことを思った。
——必ず帰る。
何度目になるか分からないその言葉を、もう一度静かに繰り返した。
しばらくして、ダンが顔を上げた。 涙をぬぐって、こちらを見た。
「あなたたちが、連れてきてくれたんですか。」
「はい。実はあなたの妻から依頼がありまして。」
ダンは少し笑った。
疲れた顔のまま、でも確かに笑った。
「ありがとう——」
その言葉が終わる前だった。
運河の水面が、大きく揺れた。
「——伏せろ!!」
エルナの声が響いた。




