第五話「歩いた道にできるもの」
ヴェーラは、思っていたより明るい街だった。
空中列車を降りた瞬間、まず光が違うと思った。
カルディアは夜を昼に変えるような、人工的なネオンの眩しさだった。
でもヴェーラの光は柔らかい。
水面に反射した自然光と、建物の窓から漏れる温かい灯りが混ざり合っている。
すでに眠っているリアを背中に抱えながら、目的地を目指す。
「綺麗だな。」
思わず口から出た。
「気に入った?」
「カルディアとは全然違う。」
エルナは少し表情を緩めた。
石造りの建物が運河に沿って並んでいる。
その間を、魔力で動く小舟が静かに行き交っていた。
橋の上では、人々が普通に歩いている。
突如、人間が大きな川を飛び越えた。
人の力でどうにかなる距離じゃない。
「……え?」
「何?」
「今、あの人飛んだよな。」
「跳んだわね。」
「凄くない?」
「ストーンウェアで脚部を強化すれば、あのくらいは普通よ。」
「……。」
——普通。
ヴェーラの人々のストーンウェアは、カルディアのそれとは明らかに違った。
カルディアでは首筋やこめかみに光る紋様が多かった。
ここでは、腕や脚に埋め込まれているものが目立つ。
体を動かすための改造だ。
道すがらで巨大なコンテナを素手で持ち上げている男がいた。
腕全体がストーンウェアで覆われていて、金属と肉が境目なく溶け合っているように見えた。
「……あれも、人間なんだよな?」
「本人が人間だと思っていれば、人間よ。」
エルナは、そう言って歩き続けた。
「ここはバイオストーンという企業の街よ。医療とストーンウェア技術に強い会社。」
「へ~。」
「ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ?」
エルナが、訝しげに僕を見て続けた。
「カルディアみたいに複数の企業が争っているわけじゃないわ。バイオストーンが穏やかに全体を管理している。」
「だからのどかなのか。」
「争いがないからね。ただし——」
エルナは、運河の端を顎で示した。
路地があった。
カルディアほど露骨ではないが、薄暗い空気が漂っていた。
壁に寄りかかっている人間が数人いる。
ストーンウェアの光が弱い。
「どこでも、こういうのはあるわ。」
「……そうだな。」
豊かさの形が違うだけで、溢れるものが出るのは変わらない。
カルディアでそれを見たとき、衝撃を受けた。
でも今は、少し違う感情だった。
驚きじゃなくて、静かな納得。
それが良いことなのか悪いことなのか、まだわからなかった。
—
倉庫街は、都心から少し離れた場所にあった。
水路に沿って古い倉庫が並んでいる。
でも廃れた感じはなかった。
僕達は、向かいの道路を歩きながら倉庫内を見渡す。
——活気があった。
ただし、繁華街の騒がしさとは違う。
仕事の活気だ。
荷物を運ぶ人間、指示を出す人間、修理をしている人間。
みんな黙々と動いている。
もう夜も遅いというのに稼働しているのも驚きだ。
「……随分とブラックだな。」
「そう?倉庫周辺は照明で照らされているし、そこまで暗くないじゃない?」
「違う。違う。そうじゃ。そうじゃな~い。」
「……何よ。なんかキモいわね。」
この世界に来てしばらく経つが、たまに出る違和感にはついつい反応してしまう。
というか、『キモい』という略語はあるんだな。
なぜだ。
「僕の世界じゃ、不当労働を強制することをブラック企業っていうんだよ。」
「……あの、キモい発言はスルーなのね。」
「……。」
「そう、無視なのね。」
エルナが、ため息をついた。
「おそらく交代制でしょ。物流を止めるわけにもいかないし。」
「まぁ、それもそうか。……この世界の労働時間の基準ってどうなんだ?」
「それは、働く場所によってマチマチでしょ。」
「ふ~ん。そういうものか。」
軽口を叩きながら、倉庫内を観察する。
ここでも、ストーンウェアは肉体労働に使われていた。
重たいものを動かす重機などはない。
本来なら数人がかりで動かすような荷物を、まとめて一人で運んでいる。
「あそこよ。」
エルナが地図を確認しながら、一つの倉庫を指した。
「ダン・ベルンが働いているはずの場所。」
「ん~。暗くてよく見えないな……。」
「今日は確認だけしておく。接触は明日にするわ。」
「え?なんで?」
「夜遅いし、まだ情報も揃っていない。ダンが今働いている保証もないしね。」
遠くから見るだけにした。
倉庫の前に、数人の労働者が休憩しているのが見えた。
この距離ではどれがダンかわからない。
でも、そこにいる全員が、誰かのために働いているのだと思った。
「そろそろ行くわよ。ひとまず宿を取りましょ。」
「正直、もう少し見て回りたい気持ちもあるけど……。」
「ダメ。本番は明日よ。私も疲れたし、今日は休みましょ。」
カルディア、ヴェーラとそれぞれの都市を訪れた。
どちらも、どうにも勝手が分からず不安だ。
土地勘というものは、それだけで結構安心感があったんだな……。
「了解ッス。先輩。」
「その口調、やめて。」
今はただ、エルナについていく。
焦っても仕方がない。
課題は一つずつ、だ。
—
宿泊を決めたモーテルは、倉庫街近くの運河沿いにあった。
建物は古く、お世辞にも清潔とは言い難い。
まずは、モーテルの一階にあるバーに足を向けた。
カウンターに、腹の出た中背のおじさんがいた。
五十代だろうか。
おじさんが、酒をコップに注ぎながら声をかけてきた。
「いらっしゃい。こんなところに珍しい。新顔のお客さんだ。」
「どうも。」
誰かと話すときは、最初は僕から要件を伝える。
このルールもなんとなく慣れてきた。
「このモーテルで部屋を二つ取りたいんですが、受付はどこに?」
「あ?扉前に端末があるだろ?そこで手続きすりゃ~誰でも使えるぜ。」
なるほど。
そういう仕組みだったのか。
この形式が、この世界ではオーソドックスなのだろうか。
「訳ありなんだろ?大丈夫だ詮索はしねぇよ。」
「はぁ。」
「一夜のアバンチュールを楽しみな。」
そう言って、おじさんはウインクを投げかける。
アバンチュールって……。古い。古いよ。
でも、気さくな人だな。
「えぇ、楽しませていただきます。どうもありがとう。」
「——っ。違うわよ!!」
後ろからの叫び声に、思わず振り返る。
顔を赤くしたエルナがいた。
大きい声を出さないでほしい。
リアが起きる。
「なんだよ嬢ちゃん。ほんの冗談だろ?マジになんなって。」
「質が悪くて、面白くもない。最悪よ。」
「分かった分かった。悪かったって。ほら飲む気がないならさっさと行きな。他の客が逃げちまうよ。」
そう言って、男は追い払うようなジェスチャーをこちらに送る。
「僕はその冗談、嫌いじゃないですよ?」
一応フォローになっているか分からない言葉を投げてバーを後にした。
「何よ。私が悪いわけ?」そんなエルナのぼやきが後ろから聞こえた。
—
モーテルの二階、ちょうど隣接して空きのある部屋は二つあった。
エルナが、扉の前で手続きを済ませる。
エルナが一部屋、僕とリアで一部屋。
リアは女の子だし、エルナと同じが部屋いいのではと提案した。
「子供、苦手なのよ。」と一蹴された。
ひどいと思った。
リアはもう眠っているし。
エルナは隣の部屋だ。
大きな問題にはならないだろう。
「それじゃ、おやすみなさい。明日起きた方がインターホンを鳴らすでいいわね?」
「うん。それで構わない。」
エルナの提案に応じるが、これは実質明日起こしにきなさいという合図だった。
この数日で分かったが、エルナは朝が弱い。
——カシュ。
スライド式の扉がしまり、ロックされる。
僕も貨物列車の硬い床に座りっぱなしで限界だ。
柔らかいベッドがあるのはありがたかった。
僕とリアが泊まる部屋の扉をあける。
「……まじか。」
部屋にはシングルサイズのベッドが一つだけだった。
一緒に寝る選択肢はない。
なんとなく、常識として許されない気がした。
リアをベッドへ寝かせる。
貨物列車の中で眠ったときから、リアは起きる気配がない。
知らない人と知らない土地へ。
体力的にも精神的にも、六歳の子供には過酷な旅だろう。
幸い、扉の横にはソファがあったので、そこで横になる。
床で寝るよりは幾分マシだろう。
古い木の天井に、染みがある。
明里の実家にある、天井の染みを思い出した。
明里のお父さんに、「直しますよ」と言ってもう一年以上経つあの染みを。
—
「……うっ。」
夜中に、リアの声で目が覚めた。
小さな声だった。
でも、明らかに苦しそうだった。
飛び起きてベッドに近寄る。
リアが膝を抱えていた。
顔が青白い。
額に汗が滲んでいる。
「どこが痛い?」
「……お腹。」
「少しだけ、我慢できる?」
「……うん。」
急いで廊下に出て、隣の部屋のドアを叩いた。
「エルナ!エルナ!!」
返事がない。
今度はインターホンを連打しながら、名前を繰り返し叫ぶ。
「……何よ。うるさい。」
インターホンの受話器から眠そうな声が聞こえた。
構わない。こちらも切羽詰まっている。
「リアの具合が悪い!」
端的に状況を説明する。
間があった。それから素早く扉が開いた。
エルナが部屋に入り、リアの様子を確認した。
「……思ったより進行が早いわね。」
そんなことを呟きながら、エルナが鞄から小さな注射器を取り出した。
「鎮静剤よ。少し楽になるわ。」
リアは腕を差し出した。怖がる様子がなかった。
慣れているのか。それとも——。
注射を打ってしばらくすると、呼吸が落ち着いてきた。
「大丈夫?」
「……うん。大丈夫。」
リアはそう言って、クマかっちゃんを引き寄せた。
その目がこちらを見た。
いつもの、何かを知っているような目。
「ジュディ。」
「ん?」
「……ありがとう。」
なんのお礼かわからなかった。
それに僕はエルナを呼んだだけ。自分が情けない。
返事すら、できなかった。
—
リアが眠ったのを確認して、僕とエルナは部屋を出た。
思わず、エルナに詰め寄った。
「どういうことだ?」
「何がよ?」
エルナは動じない。
まるで、僕が質問をするのを分かっていたみたいに。
「さっき、進行が早いって言ったよな?この症状がリアに出ることを分かっていたのか?」
「ええ。分かっていたわ。」
端的に答える。
ずっと、この依頼を受けてから違和感があった。
今は、その違和感がどこか確信に変わる感覚がある。
裏に何かある。
何もなければ、それこそがおかしいと言えるほどに。
「何がどうなっている?リアを父親の元へ送るだけのはずだろ?」
「えぇ。『私たち』の請け負った依頼はそれだけね。」
じれったい。
どうにもおかしい。知りたい。
しかし、エルナからは全てを答える気がないことはすでに伺えている。
「とりあえず。エルナの部屋にいっていいか?」
「構わないわよ。ここで長話するわけにもいかないしね。」
エルナの部屋に入るなり、部屋の隅にあった情報端末が目に付く。
「——少し調べていいか。」
エルナは何も言わずに隣に立った。
子供、腹痛、体調不良。
出てくるのは、食べ過ぎや一般的な症例ばかりだった。
違う。
そうじゃない。
僕は依頼に出てきた単語を、片っ端から打ち込んだ。
「——くそ。」
「満足した?明日はいよいよ『荷物』を届けなきゃならないのよ。早く休みたいのだけど。」
分かってる!!
言葉に出さず、情報を整理する。
とにかく、これまでの依頼で出てきた単語を片っ端から組み合わせて検索するしかない。
——『子供 荷物 腹痛 ヴェーラ 倉庫』
思いつくままに検索を続ける。
それでも、それらしいものは見つからない。
どのワードで検索をしたのかも、もはや分からない。
時間がどれだけ経ったかも分からない。
ただエルナは、横でじっと僕のことを見ていた。
検索を諦めかけていた頃、ページの最下部に、ある過去のニュース記事が目についた。
——『子供を利用した爆破テロ事件』
それは、子供に起爆装置を仕込み、狙った人物を爆殺するといった内容だった。
魔力共鳴型の起爆装置。
特定の魔力パターンと接触したとき、体内の装置が反応して爆発する仕組み。
術者の魔力に紐づけて設定できる。
副作用として、体内の異物が魔力と干渉して吐き気や腹痛が生じることがある。
手が、止まった。
「……エルナ。」
「……なに?」
「知ってたんだろ。」
エルナは答えなかった。
答えないことが、答えだった。
「いつから。」
「……アイラから話を聞いたとき。リアを『荷物』とした時ね。」
「……。」
「その時点で、貨物列車に乗せたいのだと、おおよその見当はついていたわ。」
最初からじゃないか。
見当がついていた。それでも、依頼を受けた。
「なんで黙ってた。」
「私が話したら、今度はあなたが黙ってないでしょ?」
静かな声だった。
怒っているわけでも、開き直っているわけでもない。
ただ、事実を言っている声だった。
「……そうだよ。黙ってない。」
立ち上がった。
「当たり前だろ。子供に爆弾を仕掛けて、父親ごと殺すつもりだったんだぞ。」
「……。」
「これが依頼だからって続けられるか。」
「落ち着いて。そんなものただのあなたの仮説でしょ?」
「……はぁ?今さらそんな——」
「子供が体調を崩すことなんて、よくあることよ。」
「……エルナ。」
「ましてや、今回は六歳にはキツイ環境よ。無理もないでしょ?」
「エルナ!」
少しだけ、声が大きくなった。
「——エルナ、頼むよ。君を嫌いになりたくない。」
シラを切ろうとするエルナに、怒りをぶつけた。
この世界に来て初めてだったかもしれない。
「——っ。」
エルナが、揺れた。
目を閉じ、少しだけ考える素振りを見せる。
何を考えている?
「ふー、わかったわ。」
「……。」
「正直に言う。おそらく、あなたの仮説は正しい。」
何かを観念したように、エルナが呟いた。
「私も気になってね。ガレスに追加で情報をもらっていたのよ。」
「何の情報だ?」
「リアの父親、ダンの保険金。」
「……保険金?」
「この二年で、過剰なほど積み立てられている。」
「……ということは、ダンが死んだ場合は。」
「えぇ。アイラは、一生食べるのに困らない。」
胸糞の悪い話だった。
少しだけ、目眩がする。
「——よりにもよって、金かよ。」
「いいえ。これは生きるためよ。」
「金がか?」
「……あの生活を続けても、アイラに未来はなかったわ。あなたも見たでしょ?」
あぁ、確かに見た。
すでに風前の灯火のようなあの目、あの姿を。
彼女も、もう限界だったことは見て取れていた。
エルナは続ける。
「依頼は依頼よ。ガレスとの約束もある。感情で動けばあなたの目的も遠のく。」
「分かってるよ!!!!そんなことは!!!!」
声が出た。
自分で思ったよりも大きな声だった。
エルナの体が一瞬だけ硬直する。
「分かってるよ……。目的がある。帰りたい。娘に会いたい。そのためにここにいる。でも——」
息を吐いた。
「僕には、歩いた道に死体の山ができあがるような、生き方はできない。」
「それで、あなたは帰れなくても構わないと?」
「それは極論じゃないか?誰も死なずに方法を見つけることだって——」
「甘いわね。」
一蹴される。
甘いと。
この考えでは目的を達成できないと。
「それでも僕は……帰った時に娘に誇れる自分でいたいんだよ……。」
「……。」
長い沈黙だった。
部屋の灯りが、窓から入る水面の反射でゆらゆらと揺れていた。
「……好きにしなさい。」
エルナはそう言った。
反論でも、同意でもなかった。
「ただ、一つだけ言っておくわ。」
こちらを見た。
いつもの、感情を読ませない目で。
「この世界は、あなたが思っているより、ずっと残酷よ。」
それだけ言って、エルナは僕を部屋の外に追いやった。
廊下に一人残された。
水の音がしていた。運河を流れる水の、静かな音。
僕は、甘く見ていた。
この世界を。
この世界で生きるということを。
外を、なんとなく見た。
運河の対岸に、人影があった。
暗がりの中で、こちらを見ている。
目が、合った気がした。
次の瞬間、人影は消えていた。
気のせいか。それとも——。
水の音だけが、廊下に響いていた。




