第四話「移動する鉄の中で」
「夫、ダンからの仕送りが、来なくなっていて。」
依頼主——アイラ・ベルン
彼女はテーブルを見たまま、そう言った。
視線が合わない。
感情が乗っていない声だった。
誰かに書いてもらった台詞を読み上げている。
そんな、話し方だった。
「生活が、娘と二人では苦しくなってきたんです。それで、ダンに娘、リアの面倒を見てもらえたらと思って。」
「ダンさんは、どこでどんな仕事を?」
「アルカナからの出向という形で、ヴェーラで仕事をしているはずです。」
「……『はず』です?」
「あとは分かりません。企業の検閲なしには、連絡も取ることができなくて……」
エルナが横から口を挟んだ。
「そんな状態で、リアのことはダンには伝えているの?」
「はい。届いているかは分かりませんが。」
短く、興味のないような答えだった。
……自分の娘のことだぞ?
僕だったら考えられないが、そこまで余裕がないとも捉えられるか。
リアはずっと、母親を見ていた。
一方、アイラはリアをほとんど見ていない。
一度だけ視線が交わったが、すぐに逸れた。
愛情がないわけじゃないと思う。
というか思いたい。
でも、何かがもう動いていない。
そういう目だった。
「出発は明日の朝で問題ない?」
エルナが、アイラを見て言った。
「はい。よろしくお願いします。」
アイラが頭を下げた。
リアは何も言わなかった。
ただ、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
—
翌朝。
依頼の内容をまとめると、こうだ。
アイラは、仕送りが無くなり生活が苦しくなった。
娘のリアをヴェーラにいるダンのもとへ届けてほしい。
シンプルな依頼だった。
……シンプルな、はずだよな?
「なあエルナ。一つだけ聞いていいか。」
空中列車の駅に向かいながら言った。
片手には、今回の『荷物』であるリアの手を引いている。
「なに?」
「リア、住民IDは持ってるんだよな?」
「持っているわよ。」
「なんで貨物列車なんだ。IDがあれば普通に乗れるって言ってなかったか?」
エルナは少し間を置いた。
「理由は二つね。」
エルナが二本指を立てながら、言った。
「一つは、監査が厳しいことね。」
「列車に監査?」
「そう。空中列車に乗るときは、必ず身体検査があるの。」
「それが、何か問題なのか?」
「いいえ。これだけじゃ大した問題にはならないわ。」
「……じゃあ、いいじゃん?」
「大きな理由は二つ目ね。あなたと私は、客席に乗れないわ。」
へ?
一瞬だけ、面食らってしまう。
そんな僕を尻目に、エルナは続けた。
「子供一人だけ、ましてや今回の依頼対象。客席に放置するのも問題でしょ?」
「……え、乗れないの?」
「乗れないわ。あなた、ID持ってないじゃない。」
「僕はともかくとして、エルナはいけるんじゃ……」
「詳しいことは現地で説明するわ。少し時間を頂戴。」
——違和感。
なんか、うまく言いくるめられた気がする。
何かが、おかしい。
上手く言えないけど。
「……分かった。」
頷きはしたが、まだ全部は見えていなかった。
ただ、何かがおかしいという感覚だけがあった。
—
駅の手前の路地で、エルナが足を止めた。
「よし、改めて確認しておくわ。」
「作戦会議ってやつッスね。先輩。」
「大げさね。段取りの確認よ。あと口調気持ち悪い。」
ひどい。
コホンと咳払いをして、エルナは指を一本立てた。
「あなたはIDがないから、正規ルートでは乗れない。係員を買収して話をつけてあるから、そのまま貨物の搬入口から入るだけよ。」
「結局、エルナも貨物に乗るんだよな?」
「そうよ。私だけ客席っていうのもちょっとね。」
「こういうの、慣れてるのか?」
「何度も、使っているわよ。」
「なんでだよ?」
「他の客に魔法使いって気づかれると色々面倒なのよね。」
——魔法使い。
そういえば、エルナが言っていたな。
ストーンウェアなしで魔法を使える稀有な存在。
しかし、強大な力を持つがゆえに、一部では畏怖される。
当時は言葉だけなんとなく飲み込んでいたが、こういうことか。
それがエルナの日常なのだと、その時初めて気づいた。
彼女はいつも、こうやって移動しているのだろうか。
「……そうか。」
「何よ、その顔。」
「いや。別に。」
エルナは、それ以上何も言わなかった。
「ヴェーラに着いたら、情報を集めてダン・ベルンと接触する。場所はこれ。」
エルナが端末を操作して、地図を表示した。
ヴェーラの運河沿いに、小さなマークがある。
「倉庫街ね。あまり人目につかない場所で働いているみたいよ。」
「とりあえず、目的地はそこなんだな。」
「基本はそう。何も問題が起きなければ、『荷物』を届けて終わりよ。」
「なぁ、エルナ。」
「……なに?」
「その『荷物』ってやめないか。リアって名前があるんだし。」
リアを握る手に、少しだけ力がこもる。
「……それもそうね。だけどね、ジュディ。あまり依頼に対して深入りすべきじゃないわ。」
「それは、先輩としてのアドバイスか?」
「いいえ、どちらかというとお願いね。問題があった時にあなたが耐えられるか分からないもの。」
何か問題が起きる可能性がある?
やっぱりそこが引っかかる。
「エルナ。」
「なに?」
「この依頼、本当に普通の依頼か?」
「……さあ。『荷物』が子供の時点で普通かどうかは怪しいけどね。」
さあって何だよ。
どうにも、はぐらかされている感覚がある。
「行くわよ。時間がない。」
エルナはそのまま歩き出した。 僕はリアの手を握ったまま、後を追った。
リアの手は小さかった。 思ったより、ずっと小さかった。
—
空中列車の検閲は、貨物とはいえ思ったより厳しかった。
搬入口の前には係員が二人いて、コンテナを一つ一つスキャンしている。
エルナが話をつけてあったとはいえ、なかなかの緊張感だった。
「あの人たちは何をしているの?」とリアが小声で聞いた。
「荷物の確認をしてるんだよ。危ないものが入ってないか。」
「……そう。」
リアは静かに頷いた。
順番が来た。
係員の一人がこちらを見た。エルナから話は通っているはずだが、それでも視線が痛い。
係員はリアをちらっと見て、僕を見て、何かを端末に入力した。
「で、あんたらがお話に聞いていた『お荷物』か?」
「はい。『お荷物』です。」
「ふーん。この『三つ』だけ?」
「いえ、もう一つあります。……これを。」
事前にエルナに言われた通りに、札束を包んだ紙袋を手渡す。
係員は素早くそれを受け取り、中身を確認した。
「……確認した。この荷物は?」
「ヴェーラについた後に『紛失扱い』の予定です。」
「よし。通れ。」
定型文のやり取り。それだけだった。
こういうことは、どうやら日常的に行われているらしい。
乗り込む直前、もう一人の係員に小声でそう言われた。
「ストーンウェアなしでよく生きてるな、お前。魔法使いってわけでもないんだろう?」
係員はエルナを一瞥する。どこか挑発を含んだ物言いだ。
なるほど。
——ストーンウェアがない。
その事実は、この世界にとってはよほど違和感を与えることらしい。
まだまだ、僕の認識も追いついていないのかもしれないな。
—
貨物区画は、思ったより広かった。
荷物を積んだコンテナが並ぶ中に、小さなスペースがある。
毛布と簡単な食料が置いてあった。
エルナが手配した場所らしい。
「慣れてるな。」
「何度も使っているからね。」
エルナは当然のように毛布を広げて、壁に背を預けた。
本当に慣れてるんだな。
リアは毛布の上に座って、膝のぬいぐるみを抱えていた。
僕が入っていくと、大きな目でこちらを見た。
「狭くてごめんな。」
「ううん。大丈夫。」
リアは首を横に振った。
その「大丈夫」が、なぜかやけに大人びて聞こえた。
「ヴェーラって行ったことあるか?」
「……ない。」
「どんなとこか知ってるか?」
「水の上に街があるって、ママが言ってた。」
「そうらしいな。僕も初めてだ。」
「……そう。」
しばらく沈黙があった。
列車が動き始めた。
貨物区画に窓はないが、微かな振動が足の裏から伝わってくる。
エルナは壁に背を預けて目を閉じていた。
リアはぬいぐるみを眺めていた。
「それ、名前あるのか?」
「……クマかっちゃん。」
え、なにそのセンス。
どこかのインスタント麺みたいな名前してるな。
笑っていいのだろうか?
「………………いい名前だね。」
それだけなんとか絞り出す。
「パパがくれたの。」
「パパと会うの、楽しみか?」
「……うん。」
返事は短かった。
でも嘘をついているようには聞こえなかった。
—
一時間ほど経ったころ、リアがまだ起きているのに気づいた。
ぬいぐるみを胸に抱いて、天井を見ている。
眠れないのだろう。
「眠れないのか?」
「……うん。」
「なんかしてやれることがあるといいんだけどな。」
頭を掻きながら考える。
この世界に来てから、自分が何を持っているか。
お金は少しある。武器がある。使えない端末がある。
あとは——記憶。
「話でも聞かせようか。僕のいた世界の話。」
「お話?」
「うろ覚えだけどな。」
リアがこちらを向いた。
「まだ僕が小さい頃、魔法の世界を舞台にしたグルメ小説があってな。」
「グルメ?」
「食べ物の話だよ。ハリー・ポッチャリーと秘密の台所っていうんだ。」
「変な名前。」
「そうだろ。主人公のハリーがな、魔法使いの学校に入って、その学校の地下に秘密の台所があるのを見つけるんだよ。そこで料理人のおじさんと一緒に、魔法の材料を使った料理を作っていく話でな。」
「魔法の料理って、どんな料理?」
「えーっと。確か、食べると三時間だけ空が飛べるスープとか。食べた人が笑い止まらなくなるケーキとか。」
「笑いが止まらないのは困るね。」
「ほんとにな。授業中にこっそり食べたやつが大変なことになるんだよ。」
リアがふっと笑った。
小さな笑いだったけど、確かに笑った。
壁の方からも、小さな声がした。
「っふ。……何よ、それ。」
エルナだった。
目は閉じたままだったが、口元がわずかに緩んでいた。
「聞いてたのか。」
「うるさくて眠れないわよ。」
「笑ってるじゃないか。」
「笑ってないわ。」
リアがエルナを見た。
それからまた僕を見た。
今度は少し大きく笑った。
「続きは?」
「えっと——そのハリーがな、料理人のおじさんから料理を習いながら、学校の謎を解いていくんだけど、実はその台所には昔の魔法使いの秘密が隠されていて——」
「うん!うん!」
リアが感情を踊らせている。
これまで、どこか大人びた印象しかなかった。
やはり、子供なんだな。
その事実が、このきな臭い依頼を少しだけ明るくしたように思う。
「——その秘密を暴くためには、伝説の食材を——」
「……うん!うん!」
そのまま、僕の話す声とリアの相槌だけが、貨物区画に響いていた。
………………。
…………。
……。
あれから、どのくらい時間が経っただろうか。
隣から、リアの寝息が聞こえてきたことに気づき、僕は話すのをやめた。
「続きは、ハリー・ポッチャリーと無化調の騎士団からかな。」
どこまで話したのかを整理する。
また、話す機会があれば続きを話してあげよう。
「……続きは?」
唐突なエルナの声に一瞬だけ心臓が跳ねる。
「起きてたのかよ。」
「それで、続きはどうなるのよ?クイッパ・グレモート卿との料理対決はいつ?」
「気に入ってんじゃん……。また今度な。」
「何よ。悪い?…………話してくれないなら、もう寝るわ。」
「あぁ。おやすみ。」
うろ覚えとはいえ、やはり大衆を沸かせた物語は面白いのかもしれない。
それにしても素直じゃない。
話を聞くのであればもっと近寄った方が聞き取りやすいだろうに。
「……う~ん。」
ふと、隣で寝ていたリアが寝返りをうつ。
毛布がはだけていたので、直してやる。
——明里。
ふと、自分の帰るべき世界を思い出す。
子供も生まれて六年も経てば、こんなに大きくなるのか。
楽しみだ。楽しみなんだ。
絶対に帰ろうと深く思い直した。
「……パパとも、お話。してみたかったな。」
寝言なのか、起きていたのか。
リアから唐突にそんな言葉が漏れた。
——「してみたかった。」 過去形だった。
これから会いに行く相手のことを、なぜ過去形で言うんだろう。
聞こうとした。でも、リアからはもう寝息しか聞こえてこない。
穏やかな寝顔だった。
「……おやすみ。」
答えはなかった。
列車は静かに走り続けていた。ヴェーラへ向かって。
僕はしばらく、その「してみたかった」という言葉を頭の中で繰り返していた。




