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スペル・エラー ~異世界行ったけど帰りたい~  作者: とろたま愚鈍


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第四話「移動する鉄の中で」

「夫、ダンからの仕送りが、来なくなっていて。」


依頼主——アイラ・ベルンはテーブルを見たまま、そう言った。

視線が合わない。感情が乗っていない声だった。

まるで誰かに書いてもらった台詞を読み上げているような、そういう話し方だった。


「カルディアでの生活が、娘と二人では少し苦しくなってきたんです。それで、しばらくダンに娘、リアの面倒を見てもらえたらと思って。」

「ダンさんは、どこででどんな仕事を?」

「アルカナからの出向という形で、ヴェーラで仕事をしているはずです。あとは分かりません。企業の検閲なしには連絡も取ることができなくて……」


エルナが横から口を挟んだ。


「そんな状態で、リアのことはダンには伝えてられているの?」

「はい。届いているかはわかりませんが。」


短く、興味のないような答えだった。

自分の娘のことだぞ?

僕だったら考えられないが、そこまで余裕がないとも捉えられるか。


リアはずっと、母親を見ていた。

一方、アイラはリアをほとんど見ていない。一度だけ視線が交わったが、すぐに逸れた。

愛情がないわけじゃないと思う。というか思いたい。

でも、何かがもう動いていない。そういう目だった。


「出発は明日の朝で問題ない?」とエルナが言った。

「はい。よろしくお願いします。」


アイラが頭を下げた。

リアは何も言わなかった。

ただ、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。







翌朝。

依頼の内容をまとめると、こうだ。


仕送りが無くなり生活が苦しくなったアイラが、娘のリアをヴェーラにいるダンのもとへ届けてほしい。

シンプルな依頼だった。シンプルなはずだよな?


「なあエルナ。一つだけ聞いていいか。」


空中列車の駅に向かいながら言った。

片手には、今回の『荷物』であるリアの手を引いている。


「なに?」

「リア、住民IDは持ってるんだよな?」

「持っているわよ。」

「なんで貨物列車なんだ。IDがあれば普通に乗れるって言ってなかったか?」


エルナは少し間を置いた。


「理由は二つ。一つは監査が厳しいことね。空中列車に乗るときは、必ず身体検査があるの。都市間の移動だからね。それなりに監査も厳しいのよ。」

「それが何か問題なのか?」

「いいえ。これだけじゃ大した問題にはならないわ。大きな理由は二つ目ね。あなたと私は、客席に乗れないわ。子供一人だけ、ましてや今回の依頼対象よ。客席に放置するも問題でしょ?」

「え、乗れないの?」

「乗れないわ。あなた、ID持ってないじゃない。」

「僕はともかくとして、エルナはいけるんじゃ……」

「詳しいことは現地で説明するわ。少し時間を頂戴。」


————違和感。


何がとは言えないが、うまく言いくるめられた気がしてならない。


「……分かった。」


分かった、と言ったが、まだ全部は見えていなかった。

ただ、何かがおかしいという感覚だけが、足元にじわりと広がっていった。







駅の手前の路地で、エルナが足を止めた。


「よし、改めて確認しておくわ。」

「作戦会議ってやつッスね。先輩。」

「大げさね。段取りの確認よ。あと口調気持ち悪い。」


ひどい。

コホンと咳払いをして、エルナは指を一本立てた。


「あなたはIDがないから、正規ルートでは乗れない。係員を買収して話をつけてあるから、そのまま貨物の搬入口から入るだけよ。」

「結局、エルナも貨物に乗るんだよな?」

「そうよ。私だけ客席っていうのもちょっとね。三人まとめて貨物の方が何かと都合がいいわ。」

「こういうの、慣れてるのか?」

「何度も使っているわよ。他の客に魔法使いって気づかれると色々面倒なのよね。」


————魔法使い。


そういえば、最初の頃にエルナから少し聞いた気がする。

ストーンウェアなしで魔法を使える稀有な存在で、強大な力を持つがゆえに畏怖される。

当時は言葉だけなんとなく飲み込んでいたが、こういうことか。


それがエルナの日常なのだと、そのとき初めて気づいた。

彼女はいつも、こうやって移動しているのか。


「……そうか。」

「何よ、その顔。」

「いや。別に。」


エルナはそれ以上何も言わなかった。


「ヴェーラに着いたら、情報を集めてダン・ベルンと接触する。場所はこれ。」


エルナが端末を操作して、地図を表示した。

ヴェーラの運河沿いに、小さなマークがある。


「倉庫街ね。あまり人目につかない場所で働いているみたいよ。」

「とりあえず、最終の目的地はそこなんだな。」

「基本はそう。何も問題が起きなければ、『荷物』を届けて終わりよ。」

「なぁ、その『荷物』ってやめないか。リアって名前があるんだし。」


リアを握る手に、少しだけ力がこもる。


「……それもそうね。だけどね、ジュディ。あまり依頼に対して深入りすべきじゃないわ。」

「それは、先輩としてのアドバイスか?」

「いいえ、どちらかというとお願いね。問題があった時にあなたが耐えられるか分からないもの。」


何か問題が起きる可能性がある?

やっぱりそこが引っかかる。


「エルナ。」

「なに?」

「この依頼、本当に普通の依頼か?」

「……さあ。『荷物』が子供の時点で普通かどうかは怪しいけどね。」


さあって何だよ。

どうにも、はぐらかされている感覚がある。


「行くわよ。時間がない。」


エルナはそのまま歩き出した。 僕はリアの手を握ったまま、後を追った。

リアの手は小さかった。 思ったより、ずっと小さかった。







空中列車の検閲は、貨物とはいえ思ったより厳しかった。


搬入口の前には係員が二人いて、コンテナを一つ一つスキャンしている。

エルナが話をつけてあったとはいえ、なかなかの緊張感だった。


「あの人たちは何をしているの?」とリアが小声で聞いた。

「荷物の確認をしてるんだよ。危ないものが入ってないか。」

「……そう。」


リアは静かに頷いた。

順番が来た。

係員の一人がこちらを見た。エルナから話は通っているはずだが、それでも視線が痛い。

係員はリアをちらっと見て、僕を見て、何かを端末に入力した。


「で、あんたらがお話に聞いていた『お荷物』か?」

「はい。『お荷物』です。」

「ふーん。この『三つ』だけ?」

「いえ、もう一つあります。……これを。」


事前にエルナに言われた通りに、札束を包んだ紙袋を手渡す。

係員は素早くそれを受け取り、中身を確認した。


「……確認した。この荷物は?」

「ヴェーラについた後に『紛失扱い』の予定です。」

「よし。通れ。」


定型文のやり取り。それだけだった。

こういうことは、どうやら日常的に行われているらしい。

乗り込む直前、もう一人の係員に小声でそう言われた。


「ストーンウェアなしでよく生きてるな、お前。魔法使いってわけでもないんだろう?」


係員はエルナを一瞥する。どこか挑発を含んだ物言いだ。

なるほど。


————ストーンウェアがない。


その事実は、この世界にとってはよほど違和感を与えることらしい。

まだまだ、僕の認識も追いついていないのかもしれないな。







貨物区画は、思ったより広かった。


荷物を積んだコンテナが並ぶ中に、小さなスペースがある。

毛布と簡単な食料が置いてあった。

エルナが手配した場所らしい。


「慣れてるな。」

「何度も使っているからね。」


エルナは当然のように毛布を広げて、壁に背を預けた。

本当に慣れてるんだな。


リアは毛布の上に座って、膝のぬいぐるみを抱えていた。

僕が入っていくと、大きな目でこちらを見た。


「狭くてごめんな。」

「ううん。大丈夫。」


リアは首を横に振った。

その「大丈夫」が、なぜかやけに大人びて聞こえた。


「ヴェーラって行ったことあるか?」

「……ない。」

「どんなとこか知ってるか?」

「水の上に街があるって、ママが言ってた。」

「そうらしいな。僕も初めてだ。」

「……そう。」


しばらく沈黙があった。

列車が動き始めた。

貨物区画に窓はないが、微かな振動が足の裏から伝わってくる。


エルナは壁に背を預けて目を閉じていた。

リアはぬいぐるみを眺めていた。


「それ、名前あるのか?」

「……クマかっちゃん。」


え、なにそのセンス。

どこかのインスタント麺みたいな名前してるな。

笑っていいのだろうか?


「……………………いい名前だね。」


それだけなんとか絞り出す。


「パパがくれたの。」

「パパと会うの、楽しみか?」

「……うん。」


返事は短かった。

でも嘘をついているようには聞こえなかった。







一時間ほど経ったころ、リアがまだ起きているのに気づいた。

ぬいぐるみを胸に抱いて、天井を見ている。

眠れないのだろう。


「眠れないのか?」

「……うん。」

「なんかしてやれることがあるといいんだけどな。」


頭を掻きながら考える。

この世界に来てから、自分が何を持っているか。

お金は少しある。武器がある。使えない端末がある。


あとは——記憶。


「話でも聞かせようか。僕のいた世界の話。」

「お話?」

「うろ覚えだけどな。」


リアがこちらを向いた。


「まだ俺が小さい頃、魔法の世界を舞台にしたグルメ小説があってな。」

「グルメ?」

「食べ物の話だよ。ハリー・ポッチャリーと秘密の台所っていうんだ。」

「変な名前。」

「そうだろ。主人公のハリーがな、魔法使いの学校に入って、その学校の地下に秘密の台所があるのを見つけるんだよ。そこで料理人のおじさんと一緒に、魔法の材料を使った料理を作っていく話でな。」

「魔法の料理って、どんな料理?」

「えーっと。確か、食べると三時間だけ空が飛べるスープとか。食べた人が笑い止まらなくなるケーキとか。」

「笑いが止まらないのは困るね。」

「ほんとにな。授業中にこっそり食べたやつが大変なことになるんだよ。」


リアがふっと笑った。

小さな笑いだったけど、確かに笑った。

壁の方からも、小さな声がした。


「っふ。……何よ、それ。」


エルナだった。

目は閉じたままだったが、口元がわずかに緩んでいた。


「聞いてたのか。」

「うるさくて眠れないわよ。」

「笑ってるじゃないか。」

「笑ってないわ。」


リアがエルナを見た。

それからまた僕を見た。

今度は少し大きく笑った。


「続きは?」

「えっと——そのハリーがな、料理人のおじさんから料理を習いながら、学校の謎を解いていくんだけど、実はその台所には昔の魔法使いの秘密が隠されていて——」

「うん!うん!」


リアが感情を踊らせている。

これまで、どこか大人びた印象しかなかった。

やはり、子供なんだな。

その事実が、このきな臭い依頼を少しだけ明るくしたように思う。


「——その秘密を暴くためには、伝説の食材を——」

「……うん!うん!」


そのまま、俺の話す声とリアの相槌だけが、貨物区画に響いていた。


………………。

…………。

……。


あれから、どのくらい時間が経っただろうか。

隣から、リアの寝息が聞こえてきたことに気づき、俺は話すのをやめた。


「続きは、ハリー・ポッチャリーと無化調の騎士団からかな。」


どこまで話したのかを整理する。

また、話す機会があれば続きを話してあげよう。


「……続きは?」


唐突なエルナの声に一瞬だけ心臓が跳ねる。


「起きてたのかよ。」

「それで、続きはどうなるのよ?クイッパ・グレモート卿との料理対決はいつ?」

「気に入ってんじゃん……。また今度な。」

「何よ。悪い?…………話してくれないなら、もう寝るわ。」

「あぁ。おやすみ。」


うろ覚えとはいえ、やはり大衆を沸かせた物語は面白いのかもしれない。

それにしても素直じゃない。

話を聞くのであればもっと近寄った方が聞き取りやすいだろうに。


「……う~ん。」


ふと、隣で寝ていたリアが寝返りをうつ。

毛布がはだけていたので、直してやる。


————明里。


ふと、自分の帰るべき世界を思い出す。

子供も生まれて六年も経てば、こんなに大きくなるのか。

楽しみだ。楽しみなんだ。

絶対に帰ろうと深く思い直した。


「……パパとも、お話。してみたかったな。」


寝言なのか、起きていたのか。

リアから唐突にそんな言葉が漏れた。


————「してみたかった。」 過去形だった。


これから会いに行く相手のことを、なぜ過去形で言うんだろう。

聞こうとした。でも、リアからはもう寝息しか聞こえてこない。

穏やかな寝顔だった。


「……おやすみ。」


答えはなかった。

列車は静かに走り続けていた。 ヴェーラへ向かって。


僕はしばらく、その「してみたかった」という言葉を頭の中で繰り返していた。


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