第百六十二話「想っても、いいのかな」
気がつけば、目の前にジュディがいた。
テーブルを挟んで、座っている。
「よう。ミゼラ。」
「……ここは。」
「よく、知ってんだろ?」
見覚えのある工房に、私はいた。
壁に並ぶ工具。
雑に置かれた部品。
机の上には、飲みかけのコーヒー。
爆破する前に、何度も調べた場所。
私の知る限り、キムラ・ジュディは不幸だった。
多くを失い、傷つき、自分の望みを達成できない。
それなのに。
この場所は、幸せを煮詰めたようだった。
「……これは、夢でしょうか。」
「ん?」
「私の、死に際の妄想……ですね。」
「あぁ。そうかもな。」
ジュディは、否定しなかった。
不思議と。
それで、納得した。
どうして、最後に見る人がジュディなのか。
今なら、分かる。
手を、差し伸べる人間。
自分の不幸を抱えながら、誰かと幸福であろうとする。
私は、この人に。
救われたかったのだ。
「……もう、分かってんだろ?」
ジュディが、私を見つめた。
「……えぇ。」
「……。」
「分かっています。分かって、いました。」
そもそも私は、何を幸福と呼べばいいのかさえ分かっていなかった。
そんな私が、手に入れられるはずもない。
「……ただの、結果でしかなかったんですね。」
「まぁ、な。酷ぇ言い方をすれば、気の持ちようでもあるし。」
「……では。」
声が、震えた。
「私は、どうすればよかったのでしょうか。」
「……。」
「どうすれば、幸せになれたのでしょうか。」
ジュディは、少しだけ考えた。
「分からねぇ。無責任なことは言えねぇけど……。」
「……。」
「俺は、人の幸せを願ってきた。」
「……人の、幸せを?」
「そうしたらさ。誰かが、たまに俺の幸せも願ってくれる。」
「……それは、目の当たりにしました。」
「まぁ。確実じゃねぇけどな。」
ジュディが、肩をすくめる。
「いろんな人間がいるよ。」
ジュディが、テーブルの隅にある鍋へ手を伸ばした。
「……。」
器へ、中身を注ぐ。
湯気の立つスープが、目の前へ置かれた。
「……ジュディ。これは?」
「ん?飯だよ。」
「えっと、それは、なぜ?」
「腹、減ってんじゃねーかと思って。」
意味が、分からなかった。
私が空腹であることと、ジュディが食事を出すこと。
そこに、何の繋がりがあるのだろうか。
「……ですから、なぜ?」
「あ、減ってなかった?」
「……減って、ますが。」
「じゃあ、食ってくれよ。冷めるだろ?」
「……え、えぇ。」
言われるがまま、匙を持つ。
温かいスープを、口へ運んだ。
「……。」
塩気が、舌へ広がる。
野菜は、少し煮崩れていた。
……温かい。
「……おいしい。」
「はは。そりゃ、よかった。」
ジュディが、笑った。
その笑顔を見て、何かが私の中へ入り込む。
「なんで、笑うの?」
「美味いって、言ってくれたから。嬉しいだろ?」
「……不思議、だね。」
「ん?」
「食事で、胸が、いっぱいになるなんて。」
もう一度、スープを口へ運ぶ。
……やっぱり、温かい。
ずっと。
こういうものが、欲しかったのかもしれない。
誰かと、同じ場所にいて。
同じものを食べて。
美味しいと言えば。
その人が、笑う。
たった、それだけ。
それだけのものが、きっと——
「……ごちそう、さま。」
私は、笑っていた。
—
「……ごちそう、さま。」
ミゼラの唇が、僅かに動いた。
「……は?」
動くはずがなかった。
ロイドが、死亡を確認した。
俺だって、ミゼラが死んでいることは分かっている。
——それでも、今。
確かに、ミゼラの口から言葉が届いた。
それは、食卓の言葉だった。
「……ふざけんな。」
ミゼラは、もう動かない。
「てめぇが、それを吐く資格なんてねーだろ。」
しゃがみ込み、ミゼラの死体を漁った。
服の内側から、端末を見つける。
画面は、ロックされていた。
何度触れても、反応しない。
「……これ、だよな。」
アッシュガードと、繋がっていたはずの端末。
それを、ポケットへ入れる。
ミゼラを見る。
もう、何も言わなかった。
「……じゃあな。ミゼラ・ノックス。」
俺は、その場を後にした。
—
「……。」
ジャスが運転する車内には、沈黙が立ち込めていた。
後部座席には、俺とロイドが並んで座っていた。
流れるカルディアの夜景を、ぼんやりと眺めていた。
「……飲むか?」
ロイドが、缶コーヒーを差し出してきた。
……ブラックだった。
いつの間に買っていたのか。
なんとなく、受け取る。
「……どうも。」
「あぁ。」
また、沈黙。
俺は、口を開いた。
「……ロイド。」
「なんだ。」
「言い訳は、しない。」
ロイドは、何も言わない。
「理由は、どうあれ。人を切り捨てて。快楽のために、人を殺した。」
「……あぁ。」
「それを、ずっと後悔するよ。」
プルタブを開ける。
「後悔して、生きる。」
コーヒーを、一口飲んだ。
……苦い。
車の窓を、少し開ける。
夜風が、焼けた頬を撫でた。
「……背負うのであれば、それでいい。」
「……。」
「役割など、背負い方の一つでしかない。」
ロイドも、コーヒーを飲んだ。
俺は、ロイドへ向き直る。
「もう一つ。あんたに、謝罪する。」
「それは、何の謝罪だ。」
「……あんたの信頼を、利用した。」
「……。」
「人を殺したこととは、別にして。」
膝へ、両手を置く。
頭を下げた。
「そこは、ケジメをつけるべきだと思う。」
「……。」
「本当に、すまなかった。」
しばらく。
何も、返ってこなかった。
「……頭を、上げろ。」
「……。」
「上げろ。ジュディ。」
顔を上げる。
ロイドは、窓の外を見ていた。
「許してくれとは、言わない。」
「……あぁ。分かっている。」
「……。」
「今は、許すつもりもない。」
「……そうか。」
「……だが、謝罪は受け取った。」
ロイドが、こちらを見る。
その瞳は、揺れていなかった。
「……二度とするな。」
「……あぁ。」
それだけだった。
許されたわけじゃない。
信用が、戻ったわけでもない。
でも。
缶コーヒーは、まだ俺の手の中にあった。
ロイドが、窓を開ける。
煙草を咥え、火をつけた。
煙が、車外へ流れていく。
俺も、一本取り出す。
「ジュディ。車内禁煙だ。」
ジャスが、ミラー越しに俺を見た。
「ロイドは吸ってんじゃん。」
「そいつは、私の車を爆破していない。」
「……車?」
「お前が、ビルを爆破したせいで、私の愛車が巻き添えを食らった。」
「……いや。なんで、爆破する予定のビルに車出したんだよ?」
「人質の退路を確保するには、必要だった。」
「……じゃあ、俺だけのせいじゃねぇだろ。」
「爆破したのは、お前だろ。しかも、私の制止も聞かずにな。」
「……ごめんな?」
「許さん。一生根に持つ。」
煙草に、火をつけた。
「……貴様。喧嘩を売っているんだな?」
「……不味いな。」
いつだって。
人を殺した後の煙草は、不味かった。
「なら、吸わなければいいだろう。」
そう言って、ロイドも煙を吐き出す。
「……言いたいことは、分かるがな。」
—
「そういえば、ジャス。」
「なんだ。」
「どこへ、向かってんだ?」
俺は、ミラー越しにジャスへと話しかけた。
言われるがまま、車へと乗っていた。
……今にして思えば、不用心だな。
「まずは、ロイドを指定された座標で下ろす。」
「……そんで、俺は?」
「カイラとサヤを匿っているホテルへ向かう。」
「……。」
何も言えなくなってしまった。
そんな俺に構わず、ジャスは言葉を続ける。
「スイートルームだ。精算は、覚悟しておけよ。」
「……あー。ジャス。」
「なんだ。」
「金は払う。でも、俺もロイドと一緒に下ろしてくれ。」
「断る。」
即答だった。
「……いや、今日は流石に。」
「二人は、お前に会いたがっている。」
「……今は、二人に会えねぇよ。」
「人を、殺したからか?」
「……あぁ。」
ジャスが、赤信号で車を止める。
ミラー越しに。
真っ直ぐ、俺を見た。
「それこそ、二人が決めることだ。」
「……。」
「それとな、ジュディ。二人を拘束する条件として、お前の行動を逐一報告するよう言われている。」
「……今日のこともか?」
「あぁ。ミゼラを殺したことも含めて、二人は知っている。」
「……黙ってるつもりは、なかったけどな。」
「お前は、そう言うだろうな。」
信号が、青に変わる。
車は、また走り出した。
—
ホテルの最上階。
部屋の前で、足が止まった。
「……いい加減、諦めたらどうだ?」
ジャスが、俺を見る。
「……。」
扉の向こうに。
カイラとサヤがいる。
——何を言えばいい。
どんな顔で、二人に会えばいい。
「……今なら、まだ帰れるかな。」
「帰る場所が、ここだろう?」
「……。」
ジャスが、扉を叩いた。
「あ、おい!!ジャス!!」
「ではな。俺は、送り届けたからな。」
そのまま、ジャスは踵を返した。
「ちょ、ちょっと待てって!ジャス!!」
「……。」
ジャスは振り返らず、そのまま廊下の角を曲がった。
……あの野郎。
——パタパタパタ。
部屋の中から、足音が近づいてくる。
足が、動かない。
扉が、開いた。
「……ジュディ。」
カイラが、立っていた。
奥のソファには。
左肩へ包帯を巻いたサヤが座っている。
二人とも、俺を見ていた。
「……。」
俺は、二人の前へ立つ。
顔が、見られなかった。
見ることから逃げるように、頭を下げた。
「まず。ごめん。」
沈黙。
上から、カイラの声が降ってきた。
「何の、ごめん?」
「……。」
「私たちを、閉じ込めたこと?」
「……。」
「また一人で、勝手に行ったこと?」
「……。」
「それとも——」
声が、僅かに震えた。
「人を、殺したこと?」
「……全部。」
拳を、握る。
……震えていた。
「全部、ごめん。」
「頭、上げてよ。」
「……。」
「上げろって。」
恐る恐る、顔を上げる。
カイラが、泣いていた。
涙が、頬を伝っている。
サヤは、何かに耐えるように飴を噛み締めていた。
「……っ!」
カイラが、俺の胸を殴る。
力は、弱かった。
なのに。
胸の奥が、とんでもなく痛かった。
「なんで、さ。」
もう一度、胸を殴られる。
「いっつも、一人で行っちゃうんだよ。」
「……。」
「何回目だよ。」
「……あぁ。」
「何回、同じ間違いすんだよ。ジュディ。」
カイラが、俺の服を掴む。
何も、答えられなかった。
「私たちは、ジュディのぬいぐるみじゃない。」
「……。」
「ただ部屋に閉じ込めて。気が向いた時に、お話できればいいの?」
「そんなこと……。」
「……いい加減さ。」
カイラが、顔を上げる。
「大切だって言葉にするなら、傷つける覚悟持て!!バカ!!!」
「……。」
「さ、寂しくて。」
声が、崩れる。
しゃくりながら、カイラは言葉を続ける。
「苦しくて。心配だったんだ!!」
「……カイラ。」
「バカ!!!バカジュディ!!!」
カイラが、俺の胸へ顔を埋めた。
そのまま。
すんすんと、泣く。
俺は、カイラに触れられなかった。
「……。」
サヤが、こちらを見ている。
何も、言わない。
「……サヤ。」
「あんだよ。」
「肩。大丈夫か?」
「色々と遅ぇよ。ボンクラ。」
「……すみません。」
サヤは、大きく息を吐き出した。
「まぁ、さ。今回私は、不甲斐ないことに病院送りだし。」
「……。」
「あんたに、とやかく言う気は起きないかなぁ。」
「そんなこと……。」
「私が、動けてたら。」
サヤが、包帯の巻かれた肩へ触れる。
「あんたに、人殺しなんてさせなかった。」
「……いや。それは。」
「絶対。絶対に、止めてた。」
「……。」
「ごめんな。ジュディ。」
「……謝んなよ。サヤが、謝るのは違う。」
サヤが、目を細める。
「これは、俺がやったことだ。お前のせいじゃねぇ。」
「分かってるよ。」
「……。」
「それでも。止めたかったんだ。」
二人の優しさが、痛い。
もう、限界だった。
俺は、カイラの肩を掴む。
少しだけ、遠ざけた。
「……ジュディ?」
「二人に、言わなきゃいけないことがある。」
カイラが、俺を見上げる。
サヤも、飴を噛むのを止めた。
胸が、痛い。
この先の言葉を、言いたくはない。
——でも。
言わなければ。
「俺は、もう。」
「……。」
「二人の傍に、いられない。」
カイラが、目を大きく見開いた。
「……何、言ってるの?」
「人をさ。殺したんだよ。」
「……知ってるよ。」
「笑いながら、殺したんだ。」
ミゼラの顔が、浮かぶ。
泣いて。怯えて。
それを見て、俺は笑っていた。
「こんな最低な人間。二人の傍にいる資格なんてない。」
「だから、離れるって?」
「あぁ。離れるべきだ。」
「そんな!!そんなの、勝手に——」
——プツン。
何か、音がした気がした。
「ん?プツン?」
目の前に、サヤが立っていた。
——次の瞬間。
右の拳が、腹へめり込んだ。
「——ほぐぅっ!!!」
腹を抱え、思わず後ずさる。
サヤが、肩を押さえながら。
俺を睨んでいた。
「サ、サヤ。お前、肩!!」
「うっさい!!!ボンクラ!!!」
「……い、いや。」
「黙って聞いてりゃ。資格が、あーだこーだ!!!」
サヤが、息を荒らげる。
「うぜぇ!!!」
「だ、大事なこと……。」
「ジュディは、どうしたいんだ!!!!」
「……。」
「あんたが最低とか、傍にいる資格とか、マジ今、クソどうでもいい!!」
サヤが、何回か深呼吸をした。
口から飴を取り、俺を見る。
「……わ、私は。」
「……。」
「ジュディが、好きだ。」
「……え?」
「好きだ。」
「……んぇ!?」
カイラから、声がした。
勢いよく、サヤを見る。
そのまま、俺を見る。
また、サヤを見た。
……落ち着いてくれ。
気持ちは分かるけど。
「……サ、サヤ?」
思わず、サヤの名前を呼ぶ。
サヤの顔が、真っ赤だった。
「……わ、私に対する答えは、聞いてない。」
「……。」
「今は、聞いてない。」
「二回言ったな。」
「うっさい!今話したいのは、そこじゃない!!」
……今、俺は好意を伝えられたんだよな?
話したいところ、そこじゃないの?
「あんたが間違ったら、一緒に背負う。」
「……。」
「あんたが動けなくなったら、一生養ってやるくらいの覚悟はしてる。」
「サヤ。俺は……。」
「だから、答えろ。」
「ジュディは、私と。カイラと。」
サヤが、俺を見る。
「一緒にいたいのか。」
思わず、膝が抜けた。
そのまま、倒れ込んでしまう。
「……っ。」
視界が、滲む。
体が震えるのを、止められない。
「……いいのかな。」
「……何が。」
「こんな、最低な人間がさ。」
涙が、落ちる。
「二人の傍に、いたいと思って。」
「……。」
「二人を、想っても、いいのかな。」
背中が。
ふと、温かくなった。
カイラが、手を添えてくれていた。
「……望むところです。」
「……。」
「一緒にさ。」
カイラの声も、震えていた。
「後悔しようよ。」
「……うん。」
「ジュディ。」
カイラとサヤが、少しだけ笑った気がした。
「「おかえり。」」
二つの声が、重なった。
俺は、声を絞り出す。
「……ただいま。」
第百六十二話、お読みいただきありがとうございました。
間違えたことは、なくなりません。
でも、誰かを想うことまで、捨てなくていい。
おかえり。ジュディ。
次回も20:10、更新予定です。
よろしくお願いします。




