外伝(小坂 霞の潜伏) 第4話 霞とカフェ初日
カフェです!
霞ちゃんの次なる活躍をご覧ください!
俺は小坂 霞の名前で東京の台東区に潜伏している。潜伏とはいっても、誰かから隠れているという意識は低い。ただ、笹木の関係者だとバレずに新しい生活を送るのみだ。今、身を寄せている千代さんに言われたのもあるが、いつでも止められる短期バイトをして過ごしている。お金自体は持っているので、暇を潰すために働くという何とも贅沢な身分だ。
そして、若い女性として働くのは経験として面白い。優しげな美人なせいか周囲の扱いも良い。千代さんのところにお世話になっているというと、しつこくナンパをしてくるような男性もいない。千代さん、一体何をしてきた人なんだろう。いつか聞いてみよう。
ところで、今日は、呉服屋さんのお茶くみの縁で、澤山さんという人のカフェを手伝うことになっている。まもなく奥さんがお産の時期とかで、カフェのマスターと奥さん、バイト1人という3人体制が崩れている上、バイトも急に止めたりして回っていないらしい。お産でお金もいる中、カフェを休むこともできず、人を募集しても集まらないというのが現状のようだ。
そして、今は朝の6時。8時の開店までにバイトのいろはを教えてもらうこともあり、早めに集合している。
「本当にありがとうございます。カフェが軌道にのってきた矢先なんで、なんとか続けたいんですが、初めての子供でそっちも気になって…でも、バイトも急に止めてしまって」
いきなりだが、なんだか言い訳から始まったような挨拶だった。澤山さんは、数年前に脱サラしてカフェを開業したそうで、こだわりのコーヒーに自家製のパン、そして、レトロな内装など世界観を作り込んでいる。照明も昔の照明器具を活用しているのか大仰な鉄の枠がついている。テーブルなんかも、昔のものを再利用しているようだ。
俺もこういった喫茶店は好きだな。コーヒーにこだわりがあるほど味が分かるわけじゃないが、コーヒーの香り漂う中、雰囲気を味わうことが好きだ。
「いえいえ、お手伝いできることがあれば、喫茶店以外も言ってもらえばいいです。時間ならいっぱいあるので」
「助かります!」
腰が低いマスターだ。バイトが一気に止めたのは、人間関係や雇用環境が悪いといったことはないようだ。聞いてみると、近所の奥様方がバイトに入ってくれたらしいが、こぞって名古屋の方に引っ越したらしい。彼女たちの旦那さんたちが同じパーティの探索者で、名古屋の方が景気がいいとかでホームを名古屋に切り替えたそうだ…。これって、ある意味、俺のせい? いや、まさか。でも、ちょっと責任を感じてしまう。
そして、喫茶店の回し方を開店前に教えてもらう。コーヒーを淹れたり、軽食をつくるのはマスターがやってくれるので、ホールを主に対応することになる。あと、触れていなかったが、制服を着ている。
「ええと、制服も可愛いですよね」
支給された制服は、フリルが控えめのエプロンドレスだった。もう少しフリルが多かったり、カチューシャまでつけていれば、メイドのようだ。
「すみません。レトロ感が必要だっていうことで、妻が用意したものなんです。お客さんたちにも人気なんです」
襟元も詰まっているし、ロングスカートなので露出なんかはないが、なかなか色気がある衣装だ。
「全然、大丈夫です。こういう服も慣れているので」
そこまで言って思い出したのは、アリスだった。アリスのウェイトレス姿とはまた違うが、フレイヤなどでは、もっと露出の高い服も着ているし問題ない。そして、カフェの仕事だが、アリスの配膳スキルなんかも体感しているおかげで、あまり気負っていない。
影子の分身は、ペルソナを使うわけではないが、分身のおかげで半分くらいペルソナが混じっているような感覚だ。そのため、影子のくノ一としての高い能力を発揮することが自然と可能となっている。
「では、まもなく開店しますね」
8時開店と共に常連さんらしきお年寄りがなだれ込んでくる。テーブルが8卓、カウンター8席の店内は、すぐに満席になってしまう。
注文をとる姿を見せようとマスターが出てこようとするが、先んじてオーダーを採りに行く。アリスで培ったウェイトレススキルを活かしてみようというところだ。
しかし、いきなりモンスターが現れた。称して『いつものおじさん』。
「いつもの」
「えっと…」
「ん? きこえなかった? いつものだよ」
いやいや、バイト初日だよ? さすがにわからん。助けを求めようかとカウンターを見ると運悪くバックヤードにマスターが入っているタイミングだった。なんと返そうかと、数瞬考えると、カウンターに座っている別のおじさんがこちらを心配そうに見ていた。さりげなく観察すると小声で何かを言っているようだ。
声は出ていないか、ほとんど無音。しかし、口の形で分かる。え、分かるの? 俺すごいというか、影子すごい。ちなみに、ウィンナーコーヒーに砂糖3つ、アーモンドシュガートーストと口ずさんでいるようだ。
彼からは悪意を感じない。影子としての感情の感知のおかげもあって、信用できそうと判断する。
「どうした? わからんのか?」
「ウィンナーコーヒーにお砂糖3つ。アーモンドシュガートーストですね」
少し賭けにでたわけだが、『いつものおじさん』の表情は何だ? ぽかんとしている。
「お、おう。分かればいいんだよ」
そう言って、新聞を読み始める。しかし、『いつものおじさん』って本当にいるんだな。これは飲食業の人、大変だな…。
俺はさっきの手助けしてくれたお客さんと目が合って、さりげなく頭をさげる。聞こえるとは思っていなかったのか、そのお客さんは驚いたようだ。そのお客さんに注文を採りに行った時に少し会話をする。
「あの人、そんなに悪い人じゃないんだけどね。新人さんでもお構いなしに、いつものって言うんだよ。よく考えたら、気遣いできてない点が悪いね」
「いえいえ、助かりました。ありがとうございます。今日からお世話になっている霞です。よろしくお願いしますね」
俺がにこりと笑うと、急におじさんが照れ笑いを浮かべ、鼻をこする。あぁ、おじさんキラー霞が誕生してしまった。その後は、特に波乱もなく、時間が過ぎていった。ほとんどのお客さんが、コーヒーと自家製パンが評判のモーニングセットを注文している。
「よく、あの人のオーダー分かったね」
マスターが、カウンターから『いつものおじさん』の話を振ってくる。カウンターの方に助けられたことを告げると納得したようにうなずいていた。
「いつも軽く注意してるんだけどね。あまり追求もできてなくって、ごめんね」
そんな謝罪にも笑顔で「問題ありませんよ」と伝えて、食事の終わった食器を下げに回ってみる。さっきの『いつものおじさん』は新聞をテーブルに広げて読んでいるが、運悪くカップに新聞の端が当たってしまう。危うく、まだコーヒーが残っているカップがソーサーごと、テーブルから落ちてしまう。
影子の能力なのか、その時間が緩やかに過ぎ、カップとソーサーの落下状態を把握している自分がいる。そして、次の瞬間には、カップとソーサーをチャキっとキャッチしていた。
「あああ、え?え?」
「すごい」
声を上げたのは、『いつものおじさん』ではなく、はす向かいに座っていた老夫婦だった。
「ナイスキャッチ!」
おじいさんの方が、俺に向かってサムズアップをしてくる。そして、その流れで、『いつものおじさん』に注意する。
「剛田さん、前も新聞読んでてカップ落としたでしょう。注意しないと」
「…すまん」
どうも知り合いらしく、いやに素直だ。
「店員さんにも感謝でしょう」
「わかったよ…。ありがとう。しかし、あんたすごいな。コーヒー半分くらいあったのに、全然こぼれてない」
状況が伝わったのか、周囲から拍手が巻き起こる。その後は、『霞ちゃん』とお客さんから呼ばれ、かわいがられ始めた。一気に縮まった距離感はいいんだが、目立ってしまったことは否めない。そんな初日だった。




