第ニ章3話 気の狂った不思議の国
――――…
「おいおいおいおい……お兄さん死んだわコレ」
「身を伏せていたまえ、神楽君。君の命は私が守ろう」
統一性のない不思議な空間の中、ベッドで身を起こした包帯まみれの神楽がある一点を凝視する。突如何もない空間から現れた暗い暗い穴から、漆黒のコートを纏った人物がゆっくりと歩み出てくる。
腰には二本の剣が携われており、フードを目深に被ったその人物は髪とフードの隙間から覗く金色の瞳で射殺すような視線を飛ばす。
神楽を守るように前に立つのは兎人族の目隠しをした青年。青い燕尾服に白色の髪をしたその男は宝石の嵌め込まれた杖を構えて、相対する漆黒の男に歯噛みした。
一目で分かった。こいつは化け物だと。
「出来るならば、身を引いてくれると助かります。此処は『気の狂った不思議の国』……女王の目に留まれば貴方も大変な事になる」
「……事を荒立てるつもりはねぇ。そこの情報屋に話があるだけだ、気になるならお前も聴いていろ白ウサギ」
「お兄さんにもようやくモテ期がきたかぁ。相手が男ばっかなんだけどそっちの気はないゾ?それともご所望はカワイ子ちゃんの情報かな?例えば……紅い髪の少女とか」
僅かに肩を強張らせた漆黒の男、それを見逃さなかった神楽はニヤリと笑みを浮かべた。痛む身体を引きずってベッドに腰かけると、目の前で煙草に火を付けた男を舐めるように見上げる。
人が渇望している情報を握っている優越感と、その為に差し出す代償。神楽が見るのは欲している情報にどこまでを捧げられるかという人間性だ。
かつて相手にしてきた者達は金にモノを言わせて買う者や、全てを失った反動で命さえも投げ出して復讐に駆られる者もいた。理由なんて神楽にとってどうでもいいのだが、欲するモノの為に懸ける熱量はその時その瞬間にしか見れない。瞬きの間に終わる本音の暴露と感情の暴走、個人の人間性が垣間見える一瞬の激情こそが愉悦だからだ。
「……思考を読もうとするんじゃねぇよ面倒くせぇな、テメェ。まぁいい、取引だ。テメェが欲しがってたモノをくれてやる」
「へぇ?お兄さんが欲しいものを知ってるのかい?ぜひ教えて欲しいもんだなぁ。あっ、今丁度ピザが喰いたいと思って……」
「ある二人を引き取ってもらう。テメェが探し求めていた奴等だろう?ホーエンハイム」
「――――クソガキ。どうやって調べた?あの家の手先かい?」
神楽の瞳が引き絞られる。同時にこの取引は神楽にとって最悪の状況であることが理解出来た。取引という間柄で覆されたのは優位性、九割五分で向こうが優位であり、正直に言えば有無を言わさずに従わざるを得ない状況だ。
首を振った漆黒の男に溜息を零した神楽は、未だに警戒態勢である兎人族の男に警戒を解くように手を振って合図する。
「…………んで、お前さんが望むのは何だい?もちろん、何でもするぜ?何でもって言っても夜の相手とかはちょっと勘弁してもらいたいけど」
「簡単だ。俺が望むのは――――」
そう言って告げられる漆黒の男の言葉に、神楽は目を見開いて驚愕する。突拍子も無く、とても現実的ではなく、生命として成し得られない事。
開いた口を何とか噛み締めて、神楽は漆黒の男の目的が達せられた未来を想像して身体を震わせる。それでも、長年探し求めていたモノを乗せた天秤は傾いてしまった。
漆黒の男が去っていった後を見つめ続け、神楽は珍しく頭を悩ませる。
「悪いなぁ、赤いの。お兄さん寝取られちゃいそうだわ……」
――――…
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
「わぁああああああああああああああああっ!!」
「ぎゃああああああああああああああああッ!!」
薄闇に包まれた東部学院の森に絶叫が響き渡る。最早何処から来たのか、右も左も方角すら分からない中を四人はひたすら走っていた。踏みしめた枝は軽快な音を立てて折れ飛び、道を遮る邪魔な枝を掻き分けながらとにかく前へ、前へ、前へ。
「ちょっと貴方達、五月蠅い!横で叫ぶんじゃないわよ!!」
「だったらこの状況を説明してみろ橘ぁ!」
後ろを振り返れば、ドドドッ!と盛大な音を引き連れて四人を追いかける奇妙な存在がいた。子供の落書きをそのまま顔にしたような木々が自身の根を足代わりにして追いかけて来ており、その隣には原生生物であろうリスや鹿、猪などの動物が怒り狂った顔付きで追従している。テリトリーに侵入された事に対する防衛本能か、はたまた本当に狂ってしまっているのか。
「お客様ぁ、あぁ困りますぅお客様ぁ」
「今日の授業はぁ、美味しいお肉ぅ」
「あの木達すっげぇ喋ってんだけど俺の幻聴かな!?幻聴であってほしい!!」
「幻聴じゃねぇよ赤いの!すげぇカタコトだけど日本語喋ってやがる!何なんだアレ!?」
ウィルが叫んだ瞬間、バキン!と耳をつんざく音が響き渡ると後ろから聞こえてくる不自然な足音が止んだ。まるで鏡を割ったようなその音に全員が頭を痛めつつ、唐突な展開に振り返ったウィルは音と共に起こった摩訶不思議に目を見開いた。
「おい……優華ちゃんと風吹ちゃんはどこ行った?」
「はっ、はっ……はい?さっきまで隣に……いねぇ!?はぐれた!?」
数秒前までは確かに隣を走っていた筈の風吹と優華の姿が何処にも見えない。どころか追ってきていた木々も、動物達もまるで最初からいなかったかの如く森は静まり返っていた。
荒くなった呼吸を整えて、ソラとウィルは周囲を見渡す。鬱蒼とした森は変わらず沈黙を返すだけかと思えば、何処からか脳裏を掠めるようにクスクスと笑う声が聞こえてくる。仲間とはぐれてしまった事を笑われているのか、それとも立ち尽くすソラ達の哀れさを笑っているのか。何はともあれ、
「敵の術中……そもそも敵なのかも分かんねぇけどさ、二人を捜さないとやべぇな。兎にも角にもはぐれた状態で襲われたら相性次第でやられちまう」
「風吹と橘ならどうにでも出来そうっすけどね……」
「こっちの世界を甘く見過ぎさ、赤いの。優華ちゃんの優秀さは知ってるし、風吹ちゃんもすげぇ加護持ちって聞いてるけど、相性が悪けりゃそれだけじゃどうにもならないのが魔術の世界さね」
魔法ではなく、魔術というのが重要なポイントだ。ゲームや物語の中に登場する魔法は理屈などを度外視して奇跡を起こすが、魔術は人間や亜人達が法則に基づいて編み出した現象を引き起こすものだ。
死んだ者を蘇らせる、無から金を精製する、不老不死になる。それら世界の理を越えた行為は世界自身から拒絶され、天界の天使達によって処罰されるのだとウィルは付け足して言う。
「智慧ある者が生み出した魔術なんだ、弱点もあるし弱点を突くこともできる。加護だけじゃどうにもならない程の搦め手を貰えばそれこそヤベェだろ」
「確かに……寮長が言うと説得力あるっすね」
「悪かったな!小細工ばっかりでよ!!」
実際、小手先の器用さでソラを圧倒して見せたウィルが言うのだから説得力が強い。認識をアップデートしたソラはスイッチを切り替えるように自分の顔を叩いて、一歩踏み出した瞬間――――
「ひょおおおおおおおおおおおッ!?」
「うぉおおおい!?何してんのさ赤いの!?」
――――草むらで巧妙に隠された落とし穴に落ちた。背中から落ちたソラは突然の高低差に頭をフラつかせながら、数十メートル上から覗き込むウィルに目を向ける。そこでようやく自分の置かれている状況に異常さに気が付いたのだ。
月と星が一つもないのに夜空が明るい。正確に言えば星と月はあるが、視界の遥か遥か遠くに見えるのは手書きの星達や歪な円形の月だ。それらは出来の悪い絵本を連想させ、人工的な照明によって演出されたその夜空は意味もなく不安を駆り立ててくる。
この森に入ってから何もかもがおかしい。喋る木々達と怒れる動物に追われ、ガラスのような音が響いてから突如はぐれた仲間。上を見上げれば作られたような空が広がっている。本当に、絵本の中に入ったような気味の悪い感覚が足元から這い上がってくる感覚。
思考を纏めようとするソラの頭上から、ウィルが声を掛けた。
「おーい、引き上げるから手ぇ伸ばせ赤いの。そんなとこで考える必要ねぇだろうさ」
「あ、おっす……って寮長!?横横横!隣見て隣ぃ!!」
「隣……うぉおおお!?なんだお前!?」
ウィルと一緒にソラを覗き込んでいたのは猫人族らしき少女だった。フカフカの猫耳と猫人族とは思えないギザッ歯、桃色と紫色の縞模様が左右非対称に繋がったゴシックワンピースの少女だ。驚いて後退ったウィルと同じように後ろへ下がった少女は声を発さず、短い沈黙が訪れる。
常に歯を見せて不敵に笑っているその顔はぬいぐるみのように可愛らしく整っており、背格好は同年代頃なのに幼く見えるのは服装のせいだろうか。
意味不明過ぎる、と妙な不快感を拭うように首の後ろを掻けば少女は鏡合わせのように同じく首を掻いた。眉を顰めて無意味に左手を上げれば少女は右手を、わざとらしく格好良いポーズをキメればそれも真似される。
「流石の俺も得体の知れない可愛い子ちゃんはナンパしねぇんだけどさ……」
「寮長!何がどうなってんすか!?」
頭を掻いたウィルはお手上げのポーズを取ると今度は表情まで真似されて少しだけ苛立ち、同時にピコーン!と閃きが舞い降りた。
目の前の少女は徹底してウィルの真似をしておちょくってくる。それも寸分違わず鏡合わせのようにだ。しかし、ウィルは男で少女は女。思春期真っ盛りの学生はすぐに悪い方へと頭を回転させる。
つまり、自分でスカートを捲るようなポーズを取れば相手も真似してしまうだろうという悪魔の発想。一点集中狙いのラッキースケベだ。そんな事をすれば間違いなく軽蔑されるであろうが、ソラは穴の下だし冷たい目線を向けてくるであろう風吹と優華もいない。美味しい所を全取りである。
覚悟を決めたウィルはスカート代わりにワイシャツの裾を掴み、高鳴る心臓を落ち着かせて、
「おらぁっ!」
「っ!?!?」
ガバッ!と一気に捲り上げると、目の前にはワンピースを盛大に捲った少女の姿が。少女は何をしてしまったのか分かっておらず、一瞬の驚愕の隙をウィルは見逃さまいと目を凝らす。ウィルの心の中のスケベオヤジが、目の前の可愛らしい少女を蹂躙せんと血走った目を向けた先には――――
「――――はいて、な……っ!?!?」
「ニャァアアアアアアアアアアアッ!?!?」
「がっはぁ!!」
ニヤニヤと浮かべていた不敵な笑みは吹き飛び、真っ赤な顔でウィルの顔に爪を立てた少女は顔面で爪とぎをした後渾身の蹴りでウィルを突き飛ばした。最後の最後まで目を離さなかったウィルは予想外過ぎるドスケベ光景を脳裏に焼き付けながらソラのいる穴へと落ちていく。
「ぐへぇ!?りょ、寮長!?どうしたんすか、さっきの奴にやられたんすか!?」
「あ、あぁ……奴は、とんでもねぇ兵器を隠してやがったんさ……き、気を付け、ろ……」
「寮長ぉおおおおおおおおおッ!!」
ソラに抱えられたウィルは腕の中でガクッ、と首を落とし、満足そうな顔で灰色になって気絶した。状況が全く分からないソラだが寮長がやられたという事実に悲しみの雄叫びを上げる。
そこで、先程の少女が穴をひょっこりと覗き込んでくる。顔は真っ赤で、目を左右に泳がせてもごもごと聞き取れない小さな声で何かを喋っていた。首を傾げたソラに痺れを切らしたのか、少女は叫ぶ。
「ミーの負けだって言ったんだニャ!あ、ああああんなえっちなことして、責任取れニャこの変態!!」
「えぇ……何してんだよ寮長。流石にちょっと……」
結局、ソラには知られてしまい軽く引かれてしまったウィルは気絶したフリのまま、薄っすらと涙を流して唇を噛むのであった。




