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綾辻穂香は感動する①

******


 三月の中頃から五月末までおよそ二か月半、俺はずっと闇の中にいた。


 今までの人生で上手くいかないことなんて一つも無かったのに。ずっと当たり前のように陽のあたる道を歩いてきたのに。


 原因はギャンブルだった。


 俺は高校入学前にギャンブルにのめり込み、二度と戻ってこれないんじゃないかというどん底にまでたたき落とされた。



 始めは軽い気持ちで足を踏み入れた。

 高校の入学が決まり、特に何もすることのなかった三月。地元の悪友に誘われてゲームセンターのスロットコーナーに入り浸っていたことが始まりだった。


 機械を相手にしたギャンブルなんて負けが確定しているようなものだと思っていたから、正直あまり気乗りしなかった。

 でも部活も引退していたし、勉強も暫くはいいかなと思っていたから、友人との付き合いと時間潰しを兼ねて何も考えずに行くことにした。


 始めてみると、確かに面白かった。

 ただ延々とスロットを回すだけの単純作業だと思っていたが、意外と知識も必要で、台の知識を覚えれば覚えるほどアツいポイントが分かって、どんどん楽しくなっていった。


 三日が経った頃にはパチスロ雑誌を買うようになり、そこで得た知識をゲームセンターで実践し、周りの友人にも共有する。

 いつの間にかグループの中で自分が一番詳しくなっていた。

 

 そんな悪友たちとダラダラとゲームセンターに通う日々が続き、二週間が経った頃、その中の一人が言い出した。


「私服で行けばバレないだろうから、本物のパチンコ屋に行ってみようぜ」


 その一言に、全員の時が止まった。


 そして誰も言葉を発さないまま、お互いの様子をさぐり合う。


 正気か? 本当に行くのか? ていうかそれはアリなのか?


 でももしバレたらどうするんた。親は、高校は、警察は……。


 きっと全員がそんなことを考えていたのだろう。


 だだ、実は俺は誰かがその一言を言い出すのを待っていた。

 ゲームセンターのお遊びのスロットでは物足りなく感じていたからだ。


 当然、未成年のパチンコ店への立ち入りは条例で禁じられている。

 高校にその事実がバレれば、入学してすぐに停学になることも考えられる。


 でも、どうせだったら本物を体験してみたい。どんなリスクを追ってでも味わってみたい。


 完全に周りが見えていなかった。すでにパチンコ屋の台の前に座っている自分を想像していた。

 今考えると、その時点で俺には訳の分からないスイッチが入っていたんだろう。


 しかし、そんな俺の考えとは裏腹に、


「さすがに止めておこう。下手したら入学取消だろ」


 別のヤツがそう言った。


 甘い言葉に流されそうになったものの、そいつが発した「入学取消」の四文字で、周りの連中は我に返った。


「いや、冗談だっつーの。本気にすんなよ」


 最初に言い出したヤツも、情けない苦笑いを浮かべながら誤魔化すように言う。


「まあゲーセンでちょうどいいよな。金もねーし」


「確かに。まあでも駆は行きたかったんじゃないのか?」


「俺? 俺は……」


 すぐに言葉が出てこなかった。俺の気持ちはその時すでに別のところにあったから。


「まあいいや。とりあえずラーメン食いに行こうぜ」


「そういえば駅前に新しい家系のラーメン屋できたよな」

 

「お、そこいいな! 行こうぜ! 駆も行くだろ?」


「……いや、悪い。俺は今日は帰るわ」


 財布の中には一万円以上ある。ゲーセンではない本物のパチスロで勝負するのには心許ないが、全くチャンスがない金額ではない。


 気が付いたら俺は二つ隣の駅のパチンコ屋のスロットコーナーに座っていた。


 恐る恐る一万円を投入し、緊張なのか高揚なのか分からないが、ガタガタと勝手に震える手で打ち始めた。


 そして五時間後。


 一万円は十三万になっていた。


 あっという間に無くなると思っていたメダルは瞬く間に増え、メダルを入れたドル箱が周りに積み上がった。


 十五歳なのにパチンコ屋でスロットをしているという罪悪感と、大当たりが連チャンする高揚感が重なり、夢の中にいるかのような気分だった。


 何なんだ一体これは。こんなに簡単でいいのか。気持ちがフワフワして地面に足がつかない。


 調子に乗ってはダメだ、と自分に言い聞かせた。この後きっと手痛いしっぺ返しが来るに決まっている。

 ここが引き際だ。十三万勝って、それで終わりでいいじゃないか。今日のことは誰にも言わなければいい。


 これ以上ギャンブルの世界に足を踏み入れてしまっては、二度と元の自分に戻って来れなくなる。そんな気がした。


 興奮のせいからかすぐには眠ることができず、二時過ぎまで目が冴えてた。


 そして次の日、気が付いたら俺は次の日も同じ店のスロットコーナーに座っていた。


 今度は二万負けた。

 でもまだ大丈夫だ。あと十一万ある。二万くらい大したことない。

 それに明日行けばまた取り戻せるかもしれない。

 取り戻せなかったとしても、どうせ泡銭だ。痛くも痒くもない。高校が始まるまでの期間しかできないんだし、十一万全部無くなることはない。少し小遣いが残る程度に遊んで、その後スパッとやめればいい。


 そんなことをズルズルと繰り返し、気が付いたらギャンブルの沼に首の辺りまで浸かっていた。


 全ての損得を金のプラスマイナスで考えるようになっていた。

 

 冷静な時は自分がおかしくなっていることが自覚できた。ただその分感じる罪悪感は尋常ではなく、どんどん自分に嫌悪感を抱くようになっていった。


 そんな真っ黒な気持ちに押し潰されそうになりながらも、訳の分からない力に背中を押され、その力に抗うことができなかった。


 もうダメだ。俺は終わった。


 本当は今すぐにでもこんな生活変えなきゃいけない。

 でも、どうしても最初の一歩を踏み出せなかった。立ち上がることができなかった。


 親の期待を裏切り、友人はいなくなり、教師からは見放され、あんなに俺を慕ってくれていた一颯のことまで……。


 坂から転げ落ちるのは簡単だった。なにせブレーキはとっくにぶっ壊れているのだから。


 もういい。


 もう手遅れだ。


 どうせもう元に戻ることなんてできない。





 そんな坂道を転げ落ちている時。


 突然、本当に突然。大して面識のない教師から思いっきり頭をぶん殴られた。


「お前は何をしているんだバカタレが」


 ジンジンと痛む頭を押さえ、訳が分からないまま呆気にとられていると、


「おい有金。お前、どうせもう自分は手遅れだなんて思っているんだろう」


 図星を突かれた。情けない胸の内を見透かされたからか、自分でも驚くほど狼狽えたてしまった。


「ハッハッハ! 勉強は出来るくせに馬鹿だなお前は」


 お前に一体何がわかる。俺はぶっ壊れてしまったんだ。もう諦めたんだ。構ってくるな。


「たかが十五の小僧がくだらないことで悩むな。何が手遅れだバカタレ」


 その表情は厳しいものではなく、失望でもなく、ただ快活に、爽やかに笑っていた。


「行くぞ有金。遅すぎることなんてこの世には存在しない」


 日本史教師の清沢愛は、そう言って俺を部屋から連れ出した。

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