綾辻穂香は感動する②
その数日後、俺は清沢先生に在校生の悩みを相談できる部活、「心から部」に行くように促された。
人に悩みを相談したところで自分の問題が解決するとは思っていなかったが、「騙されたと思って行ってみろ」という先生の言葉に乗っかり、行ってみることにした。
「本気で自分を変えたいという気持ちを伝えれば、あいつらはきっとお前に変わるきっかけをくれるはずだ。その後はまあお前次第だな」
先生は明るく笑って俺を送り出した。
きっかけ、か……。
今までは他人任せで自分を変えられるはずがないと思っていた。
すべては自分の内側にあり、変わるきっかけを他人がくれるなんて甘えた考えだと。
でも。今はそのきっかけが、喉から手が出るほど欲しい。なりふり構っていられない。俺はもう既にどん底にいるんだから。
俺は意を決して心から部のドアを叩いた。
見るからに根暗な鵜久森と、小学生のように天真爛漫なハピ子と、傲慢で高飛車な生徒会長に出会った。
最初、生徒会長は以前の俺のことを知っていたこともあり、俺に力を貸すことに反対した。
そりゃあそうだ。この短期間にどれだけの不義理を働いたかわからない。普通に考えれば俺のような人間は見捨てられて当然だ。
でも、鵜久森とハピ子は俺を見捨てなかった。
俺のダメな部分を知った上で、もう一度チャンスをあげようと言ってくれた。
生徒会長も二人がそう言うなら協力すると言ってくれた。
どうやらこいつらは、本気で今会ったばかりの俺に変わるきっかけをくれようとしているらしい。
お人好しな連中だと思った。
でも。無駄にしたくないと思った。
俺にとって、誰かが自分のことを信じてくれる最後のチャンスかもしれない。
裏切りたくない。
もう同じ失敗は繰り返したくない。絶対に。
そしてその後、偶然なのか必然なのか、三人は俺に「将棋」という最高のきっかけをくれた。
将棋は圧倒的に楽しかった。
将棋というゲームを本気でやってみたい。
高校時代のすべてを将棋に捧げてみたい。
本気でそう思った。
帰りに本屋で将棋の入門書を買い漁り、片っ端から読みこんだ。ネット将棋も始めて、寝落ちする寸前まで熱中した。
将棋の知識は無限に頭に入ってきた。まるで初めから自分の頭に将棋用の脳の容量が準備されていたかのように。
そして一週間経つ頃には経験者の鵜久森にも完全に勝てるようになっていた。
もしかしたら俺は将棋の天才なのかもしれない。そう錯覚するほどとんとん拍子で実力が付いていった。
もっと勉強したい。一局でも多く指したい。もっともっと強い相手と。
楽しい。この間まで生きることが苦痛でしかなかったのに。
そんな時に、一通のLINEが俺に届いた。
『わりい有金。こないだ借りてた三万返すわ。今日平気?』
ギャンブルにのめり込んでいる時に知り合った二個上の先輩からだった。
三万……? そうか。確か俺が大勝ちした日に、明日返すからと言われて三万円貸していたのがそのままになっていた。
高校生の自分にとって三万は大金だ。もし返してもらえるのなら今からでも取りに行った方が……。
いや待て。違う。三万なんてどうでもいいだろ。今のこの時間に比べたら金なんて何の価値もない。
それに何がきっかけで再びあの地獄に戻ってしまうかわからない。絶対に先輩とは顔を合わせるべきではない。
そう考えていた矢先、右手に握りしめていたスマホが鳴った。
相手はその先輩だった。
……無視をするべきだろうか。
でも今無視をしたところで、いずれまた電話が掛かってくるだろう。
だとしたらやはりちゃんと出て話をするべきか。
……。
よし。出よう。
電話に出て、もう金はいいですと断ろう。過去とけりを付けるためにも、電話に出てスパッと断るのが一番いい。
「もしもし?」
「おー有金久しぶり! お前今どこにいんだよ」
「先輩お久しぶりです。今は学校の帰りで」
「じゃあ帰りにこっち寄ってくれよ、いつものパチ屋で待ってっから」
「いや、俺はもう……」
と、断りを入れようとしたとき。
自分の背中の辺りからどす黒い気配を感じた。
そして誰がいるわけでもないのに声が聞こえだした。
どうせ泡銭の三万があるんだから、今日くらい久しぶりに遊んでもいいんじゃないか?
「……え?」
将棋だって遊びだろう。パチンコと何ら変わらない。だったら金が増える可能性があるパチンコの方がいいじゃないか。
「違う。俺はもうやらない」
大丈夫だ。今日一日だけ。勝ってスパッと止めればいいじゃないか。そしたらまたいつもの生活に戻ればいい。
「違う。無理なんだ。一度足を踏み入れたらそう簡単には……」
そろそろギャンブルのない生活に物足りなくなっていたんだ。この空っぽな気持ちはやっぱりギャンブルじゃないと満たされない。
「違う……違う違う!」
抗おうにもどす黒い気持ちが上書きされ続ける。
ダメだ。引きずり込まれてしまう。また同じことの繰り返しに。あの地獄のような日々に。
嫌なのに。それだけは絶対に嫌なはずなのに……。




