#2 タウン・ウィズ・ノーネーム 3
「お疲れ様です」
「ああ」
開け放たれた門扉の前に立つ警官に敬礼され、三船舞依はそれとなく返す。羽織ったジャケットが落ちないよう、慎重にネクタイを締め直し、薄暗い工場の中に入る。
中では数名の警官が現場を調べていた。鑑識はもう去ったようだ。
「遅れてすまない」
室内の真ん中でうずくまる若い男の警官は、声を掛けられると立ち上がった。
「あ、三船さん。お待ちしてました」
古川は朗らかに応え、ビシッと背筋を伸ばして敬礼する。背の高い三船が彼と向き合うと、ちょうど見下ろすような形になる。
「化け物どもの親玉が見つかったのはここか」
「ええ。警官隊が駆け付けたとき、犯人は気絶した状態で発見されてます。もう物狂いになる恐れはないかと」
「そうか」
気絶していたということは、すでにフレンジーは誰かによって倒されていたということだ。
『フレンジー』、別名『物狂い』――最近町に出没し始めた怪物の名前だ。ごく普通の人間が、突然理性のない化け物に生まれ変わり、人を襲う。そんな恐ろしい事件が、今この町では度々起こっている。
「にしても、今日は大変でしたよ。あんな数が同時に出てくるんじゃ、これからどうやって対処すればいいんですかねえ」
古川は肩を落とした。今回出た怪物は、今までと違い一体ではなかった。布を全身に巻かれたような外見の怪物が、町内のあちこちで散発的に目撃され、三船たちは各地で対応に追われた。身内に出た負傷者は四名。他に一般人が被害に遭ったかは目下調査中だ。
「情けないことを言うな。どんな相手だろうと、出てくるなら叩き潰すしかないだろう」
そうは言いつつ、三船も内心は辟易していた。怪物が初めて現れてから早三ヶ月。いつこの異常事態が終わるのか、まったく先は見通せない。研究所の連中は何をやっているのか、未だに発生原因も判明しておらず、現状は化け物が出る度に撃破する対症療法しか打つ手がない。有力な手がかりを見つけられないこちら側にも問題はあるのだが。
「で、犯人の情報と被害状況は」
訊ねると、古川は手帳を出してぱらぱらめくった。
「はい。えーっと、犯人は曽我達也、二十一歳。畠ヶ岡葦原の料理店『フラミンゴ』の従業員です。曽我は今日の午前八時から十一時の間に物狂いになり、店長を含む従業員三人と男性客一人を殺害したとみられています。その後、理由は不明ですが店を離れ、この工場で何者かに倒されたところを警官隊に取り押さえられました。意識を取り戻し次第、秋沙署で取り調べされる予定です」
「取り調べか。まあ、身になる話は期待できないだろうな」
フレンジーになった人間は、倒されて正気を取り戻しても役に立つ情報を話してはくれない。今まで化け物に変貌した者たちは、皆口を揃えて「何も覚えていない」の一点張りだ。怪物となって暴れていた間のことも、どうして暴れたのかも、何故自分が怪物になったのかも、記憶からすっぽり抜け落ちているらしい。そのため、捜査の頼りになるのは現場に残った痕跡だけだ。
「曽我を倒したっていう奴は誰なんだ」
「さあ。目撃者によれば、倒した後にすぐ立ち去ったらしいです。男だったとか」
その人物はまず間違いなく廻元者だ。でなければフレンジーを倒すなどありえない。現場から立ち去ったのは、単に姿を晒したくなかったからか、あるいは警察と関わりたくない理由があるのか。いずれにしても、行方を追う必要はある。
一通り訊くことを訊き、三船は一度ぐるりと工場内を見回した。室内はそれなりに広いものの、三分の一ほどの面積が作業机や工作機械で埋め尽くされている。トタンの壁に空いた大穴を除けば、破壊の跡はほとんどない。壁や床の所々には液体の染みがあるが、元からあったにしては数が多い。おそらく交戦でできたものだろう。
(これは……)
遠目に気になるものを見つけ、壁際に寄ってみる。木の柱にできた、細長い形をしたまだ新しい焦げ跡。目線と同じくらいの高さにあり、何かを下から斜め上へ勢いよくはらったような形状をしている。工作機械でできた可能性もあるが、フレンジーか廻元者のどちらかが火でも使ったのだろうか。いや、火とは限らない。例えば、電気。
「三船さん、どうかしたんですか?」
「ここの焦げ跡が気になってな。もしかしたら廻元者の痕跡かもしれん。古川、もう少しそいつの情報は無いか?」
すると古川は、またぱらぱらと手帳のページをめくった。
「はいはい。んーと、背丈とか顔の情報は無いんですけど、見慣れない外国風の服を着てたそうですね」
外国の服、というのは励起態の衣装のことだろう。廻元者が能力を使うときは普段と服装が変わり、場合によっては髪型なども変化することがある。すでにその男は励起態から元の姿に戻っているだろうから、容姿の情報はあまり当てにならない。
ならば、使える手は一つだ。
三船はベストの胸ポケットに手を添え、中の万年筆に触れる。漆黒の胴に金のキャップを頂くそれは、彼女が肌身離さず持つ特別品だ。
そして、銀と赤の煌めきが彼女の体を取り巻き、着崩した制服を一瞬で黒い背広とスラックスに変えた。
「うおっ」
驚嘆の声を上げる古川。彼がこれを見るのは三度目だが、未だに慣れないらしい。他の警官たちも光に驚いたのか、遠巻きにこちらをじろじろ見てくる。
「やっぱ、いつ見ても不思議ですよ。超能力を使うのに、なんで服が変わる必要なんかあるんですかね」
「服はその時々で相応しいものを着るものだろう。遊びならカジュアル、仕事ならフォーマル。それと一緒だ」
「はぁ、そうなんですか」
あまりしっくり来ていない様子の古川はともかく、三船はこの衣装を気に入っていた。派手で滑稽なわけでもなく、それでいて地味でもない。各所には白銀に輝く小さなアクセサリーがあしらわれ、赤いネクタイに付いた万年筆型のピンは特にお気に入りだ。
三船は壁から離れ、意識を少し集中させて念じる。すると、白手袋に包まれた右手に香水瓶が現出する。中に黄色い液体の入ったその瓶は、赤いポンプが付属している。
それからもう一度念じると、今度は彼女の周囲を取り巻くように、四体の小さな実体がぼうっと宙に現れる。緑色の帽子を被り、蝶のような翅をぱたぱたはためかせた彼らは、三船にとって頼れる相棒たちだ。
「よしお前たち、仕事の時間だぞ」
手元に集まった妖精たちに、三船は瓶のポンプを押して香水を振り撒いてやる。浴びた者から順に、彼らは室内を思い思いにふよふよ飛び始める。懸命に動かす翅からは、まるで鱗粉のように香水がきらきらと舞い落ちる。
しばし待つと、作業机の上を飛ぶ妖精が収穫を見つけた。机の上に置かれたハンマーやクランプといった工具に、べったり付いた指紋が黒くはっきり浮かび上がっていた。
三船は瞳を閉じ、また意識を集中させる。すると、妖精が見つけた指紋の形が次々と脳内へ流れ込む。三船はそれをひとつずつ見極め、判別していく。線の繋がり方、曲がり方に、分かれ方。特徴を見極め、比べ、一致するものを探す。
数分が経ち、三船は目を開いた。工具に付着した指紋は同一人物だった。だが、そばにある椅子に付いた指紋はそれとは別人のものだ。
指紋の検出と照合。これが三船に宿る力の一つだ。能力を使えるのが三船だけである都合上、見つけた指紋は正式な事件の証拠としては使えないが、手がかりにする分には問題ない。
「いつものやつ、終わりました?」
頃合いを見計らって古川が訊ねてくる。
「ああ。果報は寝て待て。あとはこいつらに探してもらおう」
三船は人差し指を振り、妖精らを呼び寄せる。あとは彼らに指紋の情報を渡して、探してもらえばいい。
「にしても、本当に便利ですねえ、この子たち。これさえあれば犯人なんて一発でお縄じゃないですか」
「馬鹿言え。すべての犯罪者が現場に指紋を残すわけじゃなかろうに」
とはいえ、人捜しにはこの上なく便利なのは間違いない。警察官である三船にとって、この力はまさにおあつらえ向きだった。
けれどもし、自分が警察官ではなかったら――こんなものは、いったい何の役に立つのだろう。
「警部補!」
物思いに耽りかけ、我に返る。声をした方を向くと、若い女の警官が入り口から駆け寄ってきた。彼女は円筒形をした水色の鞄を持っていた。
「それは?」
「犯人が働いていた店で見つけたんです。客の荷物みたいなんですけど、中を調べてみたらこんな物が」
そう言って彼女は鞄を床に置くと、薄い花札のような板状の物体を三船に手渡す。化学樹脂でできているらしく、つるつるした手触りだ。表面には聞いたことのない住所と見知らぬ学校名が印字され、癖のついた髪を後ろで一つに結んでいる少女の写真が載っていた。名前の欄には『東濃天空』とある。
「なんですかね、これ」
と、古川。
「学生証というやつだな。しかもおそらく外界の」
「ええ!?」
三船は眉をひそめた。もしかすると鞄の持ち主は、この学生証に書かれた東濃天空という人物である可能性が高い。
「他に入っていた物は?」
「女性ものの衣服とか、タオルとかハンカチーフとか。見たところ外界の品ばっかりで、ちょっと不審に思いまして。それで警部補に報告をと」
女性警官が答えた。三船は鞄と学生証に香水をかけ、目を閉じる。
脳内に次々と流れる指紋のイメージを、ひとつひとつ処理していく。するとどうだろう、二つだけ、椅子に付いたのと同じ指紋があるではないか。
(どういうことだ? 何故こんなものが町の中で見つかる?)
仮に事件当時、鞄の持ち主が店に居合わせていたなら直接話を訊く必要がある。それにもう一つ、この学生証といい、化学繊維でできた鞄といい、明らかに外界製の物があるのも気がかりだ。単に出戻った人間が外界の品を持ち込んだだけならいい。しかし万が一、億が一、象が逆上がりするくらいありえないことだが、もし外界の人間が町に入り込んだとすれば――。
「私はこの鞄の持ち主と廻元者を捜してみる。古川、お前はあらかた終わったら署に戻っておけ」
「あ、はい!」
三船が彼に指示すると同時に、妖精たちは次の仕事を果たしに扉から工場の外へ飛び去っていく。
自分も次の仕事に備えなければ。相棒達が捜している間に、三船は腹ごしらえを済ませておくことにした。
荒波の予感がする。
「帰るんです。この町から」
そう発した天空を、雷破も石住も疑問符のついた目で見た。
「はぁ? 言っただろ、今月の列車はもう行っちまってるし、そもそも乗るのさえ一筋縄じゃいかねぇって」
雷破は呆れた口調で言った。ややあって、石住は天空の目論見に合点が行ったようで、
「ひょっとして、線路を辿って町を出るつもりですか?」
と、ずばり言い当てた。
「は――」
絶句する雷破。
「雷破さん、鉄道は目に見えない抜け穴を通って外に繋がってるって言ってましたよね。だったら列車に乗らなくても、その抜け穴を通れば外に出られるってことじゃないですか?」
あんな言い回しをしたということは、重要なのは抜け穴であって、列車自体に町と外を繋ぐ力があるわけではない。なら線路に沿って歩いていけば、いずれ外への出口に辿り着く。
「いや、まあ、たしかにそりゃ、そうなんだが」
「ですよね。だったら線路まで行くルートさえ教えてくれれば――」
「駄目だ!」
気持ちが逸る天空に、雷破は大声で制した。
「お前、自分がどんだけ無茶なこと言ってるか知らねぇだろ」
「え?」
「町の人間の中に、お前と同じような発想をする連中が居ないと思うか?」
「それは、いくらかは居るでしょうけど」
「そうだ。だが、大抵の奴は実行には移さねぇ。どうしてか? そういう馬鹿野郎が来たときのために、外界への出口を警備隊がずっと見張ってるからだ」
「……警備隊?」
ここへきてまた知らない話が飛び出す。
「俺たちが勝手に外へ逃げ出さないか監視してるお上の連中だよ。銃だの剣だので武装した奴らだ。そいつらが居る以上、俺らがこっそり抜け出すことはできねぇ。密航に成功したっつう話は、この百年で一度もねぇはずだ」
一息に説明する雷破。
「ただ帰りたい、ってだけじゃないんです」
天空はまだ主張を続ける。
「あの女の子は、私に何かをさせるためにこの町へ呼び寄せた。だけど、それが何かは教えてくれなかった。でももし、私が町の外へ出ようとしているのを知ったら、きっと止めようとするはずです」
「つまりあなたは、その少女ともう一度会うために脱出を試みるというんですね」
石住の言葉に、天空は無言で頷いた。
「馬鹿か! 連中は密航者と見なせば、躊躇なしに武器を使うようになってる。捕まって極刑行きならまだいいが、下手すりゃ殺されるぞ! 第一、廻元者でさえまともに出られた試しがねぇのに、何の力も無いただのガキが生身で突っ込んで、ただで済むと思ってんのか!?」
雷破はいよいよその鋭い目を釣り上がらせて怒鳴った。彼の台詞は大げさにも聞こえた。町から出ようとするだけで命まで奪われるなんて馬鹿げていると、うっすら思った。けれど彼の険しい顔は、それが本気の警告であることを物語っていた。
「……でも……」
それでもなお、天空の決意は揺るがなかった。
「でも、ただじっとしてるよりは、目的を見つけて動いた方がマシだと思うんです。何も知らされないままこんな訳のわからない状況になって、巻き込まれた理由も教えられずに帰ることもできないなんて、そんなの納得できない」
見知らぬ人間の目論見にはまって、帰る自由を奪われて。そんな現状を無抵抗のまま受け入れたくはなかった。せめて、あの少女に文句の一つでもぶつけないと収まらなかった。
「だったら、俺はもう知ったこっちゃねぇ。あとは勝手にしろ」
と、彼はドアの方に足を向けた。
「待って、せめて線路の場所くらい教えて——」
引き留められた雷破はドアの前で振り返り、不機嫌そうに眉間の皺を深くさせた。
「だから、俺はもう知らねぇ。石住に訊きゃいいだろんなもん。こちとらこれ以上の厄介事は御免だ」
そして彼は、「邪魔したな」と告げて部屋を後にした。
「彼、あなたを放り出して行ってしまいましたね。というか、最初から僕に丸投げするつもりでここに来たんでしょうか……まったく」
心底面倒そうにため息をつく石住に、天空は向き直る。
「石住さん、出口の行き方、教えてくれませんか」
そう言われ、彼は目を伏せ、しばらくして「わかりました」と切り出した。
「線路が通っているのはここよりもずっと北の地区です。まっすぐ歩けばいずれ差し掛かるでしょう。あとは線路に沿って西に行けば、その内出口に着くはずです。ですが、あまり理性的な行動じゃありませんね。少女を見つけた後はどうするつもりで?」
「それは……見つけて問い詰めてから考えます、多分」
その答えに石住は肩をすくめ、
「でしたら、ご自由にどうぞ」
と、椅子に座り直した。
「止めないんですか?」
想像以上に軽い返答に困惑すると、石住はこう続けた。
「あなたが何をしようが、僕には別に関係のないことですから」




