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#2 タウン・ウィズ・ノーネーム 1

「だから! さっきからずっと言ってるじゃないですか! 私はこの町の人間じゃないって!」


 東濃天空はいきり立っていた。それは今、自分に話を訊ねている警官達が、まったくこちらの言うことに取り合わないからだった。


「いやー、だからお嬢ちゃんね、本当の住所教えてくれるかな。わかる? 住まいだよ、住まい」


 背の高い警官は、もう一人の背の低い警官と顔を見合わせ、これ見よがしに二人揃ってため息をつく。ため息をつきたいのはこっちの方だ。

 ハンマーの男に連れられてきた工場の入り口前で、天空は警官に事情聴取をされていた。敷地内を歩き回る十数人の警官たちは、皆一様に制帽を被り、軍服のような学ランのような黒い制服を折り目正しく着込んでいた。怪物に化けていたタツヤという名の青年は、気を失ったまま警官に連行されていった。


「だーかーらー……もう話にならないって……!」


 この問答が始まっていくら経っただろう。二人の警官はどちらも、天空が町の外から来たことを信じようとしない。そんなことはあり得ない、という主張が彼らの態度から見て取れる。かたや天空は、未だになにがなにやら訳がわからないままだが、とりあえず今居る土地が普通でないことと、自分が異常事態に巻き込まれていることだけは理解できていた。

 だからこそ、警察なら頼りになるだろうと助けを求めているのだが、思うようにはいっていない。


「参ったなあ。あとは住所さえ聞けば終わりなんだけどねぇ」

「どうします? 三船さん来るの待って任せますか?」

「えぇ~、あの人おっかないしなぁ……仕方ない」


 二人でぶつくさ話す警官ら。こっちのことはお構いなしらしい。


「じゃあお嬢ちゃん、住所はまた今度、警察署に来て教えてくれればいいから。秋沙(あいさ)警察署、わかるでしょ? じゃ、ご協力ありがとね」

「えっちょっ、待、」


 背の高い警官が矢継ぎ早にいうと、引き留める間もなく二人はそそくさと工場の中に入っていった。これ以上ここで時間を食われたくないのだろう、それにつけてもなんとぞんざいな扱いか。


「はあ……適当な仕事しやがって」


 愚痴をこぼす天空。話すのに疲れてしまって、彼らを追ったり他の警官に掛け合ったりする気力はもうなかった。

 こうなれば頼れそうなのは一人しかいない。辺りを見回し、警官たちや数人の野次馬の中にその姿を見つける。


「ねえ!」


 ちょうど敷地から出ようとするハンマーの男を、天空は引き留めた。彼はそれに振り向くと、鋭い眼差しをさらに鋭くさせて眉間に皺を寄せた。


「何の用だ」


 不機嫌さを隠そうともせずに彼は言った。


「あの、さっきはありがとうございます。二回も助けてもらっちゃって」

「あん? そんなこと言いに来たのか」

「いやその、助けついでにもう一つ、教えてほしいんです。この町のことを」

「……あー」


 チッ、と舌打ちをする男は、その高い背丈で天空を見下ろした。捕食者に狙われる小動物はこういう視点なんだろうか。


「んなもん、その辺のお巡りに訊きゃいい話だろ。別に俺じゃなくてもいいだろうが」

「だってあの人たち、私が町の外から来たって言っても、全然相手にしてくれないんですよ」


 正直、彼はあまり近づきたい人間だとは言い難い。声は重くドスが効いていて、口は良くないし顔は怖い。けれど、


「それに、あなたはきっと、いい人だから」


 本心から、そう思っていた。


「だからなんだ。いい人だから面倒かけても構わねぇってか?」

「いや、別にそういうわけじゃ」

「俺ぁ昼飯もまだなんだ。ただでさえ余計な時間喰ったっつうのに、迷子のお守りまでしてやれるか」


 踵を返そうとした男の前に、天空は立ち塞がった。


「お願い! あなただけが頼りなんです、魔法使いさん。ここに来てからまともに話せた人はあなただけだから」


 天空は両手を胸の前で合わせる。それこそまさに、仏様に拝むような気持ちで。

 男は少しの間黙っていたが、やがて口を開き、


「……稲見(いなみ)だ」

 と言った。

「え?」

「魔法使いじゃねぇ、稲見雷破(らいは)だ。お前は?」


 自己紹介を促されて、天空は口ごもった。こういうとき、いつも彼女は躊躇いがちだった。

「東濃、です」

「下の名前は」

「…………天空」

「え?」

「だから、天空。天空(てんくう)って書いて、あまぞら」


 天空は目線を下にやって答えた。それを聞いた稲見雷破は唇を噛み、微妙な顔で首の後ろ側をさすった。


「はぁ、なんつーか、変な名前だな」

「……余計なお世話です」

 喉から出かかった罵倒の言葉を飲み下し、精一杯マイルドにした言葉を返す。


 天空は一つだけ、父を許せないことがあった。それは自分の名前についてだ。


 自分に『天空』という名を付けたのは父だったと聞いていた。けれど天空は、十八年生きてきてこの妙にキラキラした名前を好きだと思ったことは一度も無かった。

 百歩譲って漢字はいい。ただ、人名で「天空」と書けば普通「そら」みたいな呼び方になるのが当たり前だろう。それがなんだ、「あまぞら」って。雨でも降りそうで縁起が悪く思えるし、なにより名字が四音なのもあって、フルネームで読んだときに響きがしっくり来ない。あまり可愛くもないし。

 人に名前を訊かれるとき、読みか漢字のどちらかを答えればもう片方もセットで答える羽目になるのが東濃天空の常であった。そこまで言ってやっても、大抵は驚いたり、わざとらしく取り繕うような反応がほとんどで、名乗る度に隠し切れない奇異の目で見られるのが耐え難かった。褒めてくれた人も中には居たけれど、他人にどう言われようが、それでも天空は天空という名前を受け入れられなかった。

 もし、同じ名前の人がこの世に居たら申し訳ないけれど、少なくとも東濃天空は自分の名前が好ましくない、ということははっきり言っておこう。


「おい、何むくれてんだ。俺に教えてもらいたいんじゃなかったのか」


 目を逸らす天空にそう言うと、彼はズボンのポケットに両手を突っ込み、顎を振った。


「ほら。お望み通り、お前にこの町を見せてやるよ。来い」




 稲見雷破に同行し、天空は郊外から建物の多い通りに来た。

 土が剥き出しの広い道の両脇には、二階建てか三階建てがそこらの木造の家屋や店舗がごみごみとひしめいている。入り口の上に大きな看板で店名を掲げる畳屋に、店先にくるくる回る風車のようなオブジェが吊るされた床屋、大きな蔵を備えた酒屋。育ち過ぎたユリノキが、左手奥の屋敷の庭からどんと高い背を伸ばしている。


「わ……」


 最初に踏み入った通りとは違い、ここは人通りが多い。舗装されていない土が剥き出しの路面を、羽織や着流しの着物を纏った人々が行き交い、すれ違う度物珍しさに目を引かれていく。中にはスーツや袖の短いポロシャツに身を包んだ人も居て、近代化されきった現代日本とは違う、混沌とした文化が垣間見える。

 そういった情景が、自分がまるで知らない、普通でない場所に迷い込んだのだということをより実感させた。


「さて、どっから話すか……そうだな、まずこの町は、お前が暮らしてきた『外の世界』とは違う。簡単に言や、ここは『外の世界』との繋がりが切れちまってるんだ」


 先を行く雷破は、石橋の上で足を止めた。


「繋がりが、切れてる?」


「ああ。どういうわけだか、この町は外から人や物が入って来れないようになってる。逆に、内側の俺らが()()()()()()外に出ることもできない。見えない壁でもあるのか、(まじな)いでも掛けられてるのか」


「うーん。異世界、みたいなもの?」


 つまり自分は、普通の世界から異なる世界に移動した――世に言う異世界転生をしたということか。いや、死んではいないから転生ではなく転移か。


「厳密には違うな。どっちかってぇと、『隠れ里』っつう方が近いか。元々、この町は他と同じような普通の土地で、普通によそと行き来することができた。ところがどっこい、何が起こったんだか、あるときから外と往来することができなくなっちまった。それがたしか、今から百年くらい前らしい」


 欄干に寄りかかる彼は、ゆっくりと言葉を継いでいく。


「金属の半球同士をぴったり、隙間なく溶接したところを想像してみろ。すると球ができあがる。で、球の外側を外の世界だとして、この町を内側だとするぞ。接合部はしっかり閉じられてるから、外側から内側に指を突っ込むことも、内側から外側へこじ開けようとするのも無理だ。ここはまさに、そんな閉じられた球の中ってわけだ」

「……でもなぁ、やっぱりまだちょっと、信じられないかも」

「あ? いまさらなに言ってんだ。この町にしか無い代物なんてとっくに見てきただろ」

「それは、そうなんだけど……」


 たしかに天空は、異形の化け物や異能の力を、古臭い街路や変わった出で立ちの警官たちをこの目で見てきた。けれど、彼の言葉を手放しに信じることも躊躇われた。頭のどこかで、信じることを拒んでいた。


「俺からすればな、お前が外の人間だっていうこと自体がまだ信じらんねぇよ。お前こそ、外から来たっていう証拠はあんのか?」


 そう言われ、天空は少し逡巡してからポケットを探り、


「ほら、これ」


 と、あの鍵を取り出してみせた。


「あ? ……んだこれ、何の鍵だ?」

「私にもよくわからないんです。これ、人から渡されて……それも多分、普通の代物じゃなさそうで」

「どういうことだ」


 天空は昼頃、怪物に遭遇した際に起きたことを話した。怪物に組みつかれたとき、突然ポケットから眩い光が放たれて、窮地を脱することができた。あのときポケットに入れていた物といえば、この鍵くらいしかなかった。まるで魔除けのように、鍵が怪物を追い払ったとしか考えられなかった。


「なるほどな。人から渡されたって、誰にだ」

 雷破は先を促す。


「実は私、そもそも、人に呼ばれてきたんです。この鍵はその人から貰って」

「はあ?」

「山に来いって書かれた葉書を貰って、言われた通りに行ったら、小さな女の子が居て、鍵を渡してきて。それを受け取ったら、急にその子がどこかへ消えて。仕方ないから来た道を戻ってみたら、いつの間にか知らない場所に出てたんです」

「なんじゃそりゃ……」


 雷破は苦々しく顔をしかめ、天を仰ぐ。雲はすっかり消え、空は秋の初めに相応しい快晴だ。川は能天気にせせらぎ、滞りなく流れていく。何もかもが順調だ。


「お前の話が本当なら、どう考えても怪しいのはそのガキだな。何かしらの方法を使ってお前をこっちに引き込んだ」


 もっともだと天空は思った。あの少女の目的は、自分を町へ呼び寄せることだったのだろう。


「でも、じゃあどうしてあの子は私を呼んだんだろう。何も心当たりなんて無いのに」

 彼女は「やってほしいことがある」と言っていた。ただ、具体的に何をすればいいのかは明かしてくれなかった。天空は特に面白味のない、別に大層でもない人間だと自認していたが、あの少女にわざわざ名指しで呼ばれる理由があるのか。


「そいつは今考えたって無駄だろ。――しっかし参ったな、もしかするとそのガキは、『廻元者(かいげんしゃ)』かもしれねぇ。こうなりゃ俺の手には負えねえな」

「カイ……何?」


 また耳慣れない単語が飛び出したところで、彼はくるりと方向転換し、もと来た道を行き始める。

「今度はどこへ行くんですか」

「とりあえず、何か知ってそうな奴に会いに行く。駄目元だがな」

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