ノア号と乗車賃
……ああ、僕はまた、あの日の夢を見ている。
「――アリーを離せ! アリーに触るな!」
夢の中の僕は、いつもいつも幼馴染の名前を叫んでいた。
屈強な男達に組み敷かれ、頭を足で踏みつけられ、侮蔑の眼差しを向けられている。
これが夢だとわかっていても、僕にはどうすることもできない。
今の僕は、夢の中ですら自由にはならなかった。
「錆びついた貧民街に暮らす諸君! よく見ているがいい! 今日見たことを生涯忘れず、そして口にするな! これがノア号所有者一族の名誉を傷つけた、愚か者の末路だ!」
僕は知っている。この夢の先で僕がどうなるか。
そしていつ目が覚めるのかまで、全部知っている。
「――二度とアリー様に近づくな」
凍り付きそうなほど冷たい言葉の二秒後。
僕の左腕は真っ赤に、視界は真っ黒に染まり。
次の瞬間、僕は夢から覚めるのだった。
――●○●○●○――
「また乗車賃の値上げかよ!」
薄汚れた帽子を被った、無精ひげを蓄えた中年のおじさんが、声高らかに愚痴を披露していた。
「これで三年連続だぞ! 先端政府は、俺達一般乗客からどれだけ絞ろうとしてやがんだ!」
握り絞めすぎて、新聞は今にも裂けてしまいそうだったが、そうなる前に新聞を助ける声があった。
「――ねぇ、おじさん。その新聞さ、破いちゃうくらいなら僕にも見せてよ」
「ああ? ……ああ、別にいいぜ、ほらよ」
ぶっきらぼうに新聞を手渡された少年ルキは、若干クシャクシャになった新聞を綺麗に広げて、おじさんの怒りの原因を探した。
「へぇ、また乗車賃が上がるのかぁ……」
新聞の見出しには【乗車賃 一律2%値上げのご案内とお願い】とある。
値上げの理由には、車内修復の人件費や車外竜による被害の補填等、様々な要因がつらつらと書かれていたが、一乗客にとっては値上げの理由など、ただの言い訳にしか聞こえない。
「俺たち一般乗客にたかってどうするんだって話だ。VIPクラスの連中の乗車賃をもっと上げたらいいだろうにな!」
その言い訳にしか聞こえなかった一人である帽子のおじさんは、またも吐き捨てるように愚痴をまき散らした。
「でもさ、一律って書いてあるし、仕方ないんじゃない?」
「仕方なくなんかないさ! VIPクラスの奴らは普段俺達を安い賃金でこき使ってるんだ! たまには一般乗客のために一肌脱いだっていいだろう!?」
「でもVIPクラスの乗車賃ってさ、僕らの何十倍もするんでしょ? そこだけ値上げするのは可哀そうだよ」
「金持ちは金を出すのが役目だろ!? その分いい暮らししているんだからな! ケッ、世の中の理不尽さなんて、おこちゃまにはまだ判らないだろうがな!」
そう皮肉を垂れて、帽子のおじさんは不機嫌さを隠しもせずに去っていった。
そんなおじさんを、ルキはにこやかに見送る。
「嫌味なおじさんだったけど、新聞くれたし、いい人かも。それに言いたいことは分からないでもないしね」
おじさんと同じ意見を持つ乗客は多いだろうと、ルキだって理解している。
この世界を生きる人間にとって、乗車賃とは生きるためのお金だ。
――世界に突如現れた終末の竜。
何もかも飲み込みながら迫りくる竜から逃げるため、人類は超巨大汽車「ノア号」へ乗り込んだ。
汽車へ乗るためには、当然乗車賃が必要だ。乗車賃が払えなければ、強制的に下車処分となる。
この世界における下車とは、すなわち死を意味する。
だから乗車賃というのは、ノア号で生き続けるために必要不可欠な代金なのである。
それを値上げするとなれば、反発する乗客だって多いだろう。
「2%くらいならまだ何とかなるけど、しっかり働いてお金貯めておかないとなぁ。……ん? また爆発があったの?」
乗車賃値上げの記事が大きすぎて見逃しそうになったが、そんなことより物騒な内容の記事が、小さく掲載されてあった。
「……今度は食料の国と燃料の国で爆発事件が発生かぁ。先週はここ技術の国でもあったばかりだし、何が原因なんだろ……?」
爆発が起きたのは、これで六週連続だ。
調査の国が爆発について調査を続けているが、これが破損なのか人為的なのか、それすらまだ判明していないらしい。
「乗車賃値上げにも爆発は影響してそうだね。早く原因が判ればいいんだけど……。アリー、大丈夫かな……?」
おぼろげに思い浮かんだのは、幼馴染の女の子の、手を振る姿。
もう何年も会っていないその子のことを考えながら、ルキは新聞を丁寧に畳んで、職場へと向かったのだった。




