第1話 AnesthesiaAwareness
雲一つない快晴の空
桜色に染まる瑠璃見の町にあたたかな風が髪をなでるように吹き抜けていく。
都市部から離れた山間部に栄えるこの街では今なお昔ながらの自然が多く残っている。
この小さな街の学校のベンチに肩甲骨までかかるほど伸ばしたストレートが特徴の高校一年生、春風千花は一人腰かけていた。
入学式が行われてから一週間が経つこの日遅咲きの花が作る桜吹雪の中で千花は憂鬱な一日を過ごしていた。
浮かれすぎ…中学生から高校生へと変わり『新入生』という立場を得ても、教科書や教室が変わっても環境がそう変わるものではない…この街は自分には狭すぎるのだ。
千花は半年も前からそれを知っていた。
目の前を通り過ぎていく同級生を見ながらため息をつく。
瑠璃見には3年前に統廃合によって新校舎として建てられた中高一貫の学校が一つあるのみ。
全校生徒500人にも満たないこの学校では高校生になっても中学のときとクラスメートほとんど変わることはない。
『変わったのは中身のない、ただの形だけのなにか…』
新しい出会いなんて一つもなく、同じような毎日が繰り返される、いつまでも変わらない刺激のないこの街が苦手だった。
「はぁ‥‥」
先ほどよりも大きなため息が漏れ、力が抜けたとほぼ同時に首筋にポンと冷たい感触が伝わる。
「ひゃっ?!」
反射的に振り向いた視界の先には国語科担当の永洞綾が、まるでいたずらの成功した子供のような笑みを浮かべながら千花の首筋に缶コーラを当てていた。
突然のことで驚いた千花に綾はそのまま手にもつ缶を差し出す。
「なーに悩んでるの?隣座っていい?」
都心の有名国立大学を卒業後どういうわけかこのど田舎の瑠璃見へ赴任した27歳の国語科教師は、千花のリアクションを待つことなく隣に座ろうとする。
綾はその経歴や最年少の教諭というのもだが、ほかの大人とは一風違った個性で一部の生徒に人気の教師だ。
その美貌とは裏腹に毎食コンビニ食、赤いバイクで爆走通勤、下ネタ大好き、おまけに東京の彼氏と遠距離恋愛をしているという噂まであるほどの暴力的なキャラクター性を秘めている。
「そんな顔に見えます?」
「そんな顔に見えます。」
できるだけ冷静を装って問うた千花にコーラのステイオンタブに指をかけた綾は缶を開ける前に千花に目線をやる。
「で、なに悩んでるの?」
綾は…綾だけは千花に優しくしてくれる。 最初に出会ったときからずっと…
「…先生は、どうして私に優しくしてくれるのですか?」
「どうしてって千花ちゃんが頑張っているからよ」
頑張っている…それはいったいどのことを指すのだろうか?リハビリのことだろうか?それとも学校生活のことだろうか?
「頑張れてなんていないよ。一生懸命やっても全部裏目に出てるし…何やっても…私は嘘なんてついていないのに、大人たちは私のこと頭がおかしいかわいそうな子って…」
心の芯へとつながる無意識のバリアが壊れ言葉が波となってこぼれた。
綾だからだろうか、いつもなら絶対に言わない千花にとっての根幹に至る心境を表に出していることに気が付き自分でも戸惑った。
あふれだした心のダムが決壊してすべてを吐き出してしまう前に手にあたたかな感触が広がった。
「…知ってる。千花ちゃんは頑張っている。一生懸命頑張って生きているのよ」
綾は千花の顔をを見ることなく手を重ねゆっくりと答えた。
「あなたは嘘なんてついていない。 嘘なんてついていないわ」
間を開けてもう一度繰り返した。
その言葉に込められた誰とも違う暖かさは千花の心を包んだ。
「落ち着いた? 今日はもう日が落ちるからまた明日、昼休みにまたね」
綾は千花の返事を見る前にゆっくりと立ち上がり校舎へと歩きだした。
「先生…ありがとう。最後にひとつ聞いていい?」
返事はないが歩みをとめた背中は「いいよ」と言っている。
「どうして先生は『あのこと』を嘘だと思わず信じてくれるの?」
「あなたにとって『その世界』はあったのでしょ?夢であってもなくてもそんなストーリー、現代文教師として簡単に否定なんてしないわ。」
言い終わって少しの間の後今度こそ職員室へ続く階段へと歩き出した。
千花は今二度目の高校一年の春を過ごしていた。
一年前、大きな事故にあったらしく3か月意識不明で集中治療室にいたらしい…
その間に単位や出席日数やらの関係で成績は学年トップ10に入るほどであっても理不尽にも進級できなかったのである。
らしい…というのは意識を失っていたという3か月の間、千花はしっかりと学校へ登校し授業を受け、そして彼と出会い、綾と出会い、夢を追っていたのだ。
千花にはその記憶や感覚が確かに今でも残っている。
去年の7月半ばのある日、いつものように放課後ボロ倉庫で作業をしていたら突然めまいとともに体中が動かなくなり次に目を覚ましたときは病院のベッドの上にいた。
普通に過ごしていたはずの千花にとっての3か月の記録はどこにも残されてなく、その間の行動、交流の一切が千花以外から消えていた。医師の診断では事故の影響による記憶障害だそうだが、そもそもその事故にあったという感覚自体首筋に残る傷と左腕のわずかに残る麻痺という肉体に残る記録だけが示していた。
千花の精神はまるで3か月間肉体と分離していたかのように事故の記憶を持っていなかった。
その間の周囲との世界のズレは「事故で頭がおかしくなったかわいそうな娘」として街中に広がり、今となっては自分自身でも3か月の記憶は現実であったという自信が持てない…
信じてもらおうにも、意識不明の昏睡状態では有り得ないと笑われ、最後は嘘つきのラベルをはられた。
人間というものは何にでもラベルを貼りたがるものだ、ちょっと周りと違う目立つところがあればいつの間にか瑠璃見中に広まっている。
このド田舎が大嫌いだ
校庭で日が沈み切るまで黄昏てから千花は校門をあとにした。
「春風さんですね?」
「…はい」
丁度通学路の半分くらいの交差点の信号待ちをしていた時不意にかけられた男の声に振り返り生理的に身構える。
今どきは珍しいクラシックなスーツにアナログな腕時計を付けた20台後半の男がいた。
この辺じゃまず見かけない身なり、明らかに不審者だ。小学生の時に毎年配られていた防犯ブザーがまだバックに付いていたはずと顔を男に向けたまま片手で探したがすぐに見つかることはなくさらに1歩距離を取った。
「公安局のものです。」
男はそういうと電子暗号化によって偽装ができないタイプの生体身分証を差し出す。
神田響 年齢24 公安局第四課 男の身分と個人情報を見て身分は理解したが、安心するどころか逆に警戒心が高まった
政府組織に属しているものが私の名前を知って接触してきた。
只事ではない空気を感じ神田からもう一歩距離をとった。
「貴方は美綴琴音という人物を知っていますか?」
距離を取られたことにも気にせず先程と同じようにたんたんと問うた。
美綴琴音,,,聞いたことがある…そう、確かテレビに時々出てくる女性議員だ。
若手の美人政治家の面を前面に出したポスターを見た事がある。
「…政治家の方ですか…?」
神田はうなづいた。
「会ったことは?」
「…ありません」
一体この男は何が目的で接触してきたのだろうか? 嫌悪感がさらに高まりさらに一歩距離を取った。
警戒しているなど全く気にせずさらに一拍間をおいてからちらり周りを気にし告げる。
「美綴琴音は一年前、あなたの事件にかかわっています。」
その日千花は眠ることができなかった。
神田響は一年前の千花の事故を美綴琴音の起こした事件と言った。
千花自身も一年前何があったのか、事故にあった自覚もなく、警察や病院も『調査中』のまま一切の情報を開示していない。
そんな中事故ではなく事件とはっきり言った政府直轄の公安局員は千花に一つの記録媒体を手渡した。
『これに私が調査をしている真実が書かれている。あなたが体験した三か月の真実も…』
リップスティック大のそれは数十年前のUSBと呼ばれる古いタイプのストレージ、神田はこれを手渡すと一週間後に詳細を話すといい足早に去っていった。
これに真実が入っている。三か月間の私のズレた時間も…そう思うと一刻も早く中身のデータを見たくなるが、このタイプの規格を読み込むためのデバイスがあいにく家にはない。
そもそもこのタイプのものは情報端末の小型化薄型化の流れでアンティークになったのと、千花の小さい頃にあったデジタルウィルスによるサイバー攻撃で根本的なセキュリティーホールが見つかりもう使えないはずだ。
「貴方は何を知っているの?」
『…今、この場では答えることはできません。ただ、あなたは被害者です。私はあなたの味方です。』
神田は千花のことを被害者だといった。
ずれた記憶と事故、そして政治家美綴琴音、自分の身に何があったのか?
考えれば考えるほど目が覚めてしまう。
寝ることを諦め枕元のグラスを掛けベットに音を立て横たわった。
『第3の目もしくはスマートアイ』とも呼ばれる携帯端末はここ10年でタブレット端末に変わり爆発的に普及した情報端末だ。
虹彩認証によるログインを終えたら室内の環境光に合わせ明るさを抑えたブラウザが空間に現れる。
右手を掲げ人差し指と親指でリングを作ると入力モードがジェスチャーモードから切り替わり、千花の思考がそのまま検索エンジンに『美綴琴音』のキーワードが入力され、瞬時にフィルタリングが行われた結果が表示される。
かつて何度も眼鏡型のデバイスは登場していたが、2Dのタブレット型端末に操作性で叶わず吸いたいし、この思考だけで操作できるブレインマシンインターフェイスの技術が導入されたことでこの操作性が改善され、一気に普及したらしい。
表示された3000件ほどの結果からさらに今の千花に必要な情報が5件にまで絞られた。
美綴琴音 2038年生まれの35歳、脳科学専攻出身で研究者として活動していたが30歳の時に政治家へ転身、『諸外国に比べ理科離れが進む日本を変える』と語り研究者時代の人脈と若さ、美貌で初年で県議会議員、翌年には国会議員にまで登り詰めた才女
経歴を漁っても特に千花との接点がない。
政治家はスキャンダルが付き物だが、この美綴に関しては陰謀論こそあっても特に信ぴょう性のあるものは無い。
顔写真を改めてみてもどこかで会ったという気はしない。
次に公安の男、神田響の名前を検索したが、同姓同名の人物がずらりと並ぶ中夕方あった人物と思われる顔を見つけることはできなかった。
そもそも本当に公安の所属なら顔が割れているという事がありえないのかもしれない。
もう一度神田から渡された記録媒体に目を移し、一呼吸ついた。
『アンティークな機械ってのは現代のそれと違って原理さえ抑えてればいくらでも修理できるもんだよ』
まただ。記憶を遡り脳裏に『彼』の声が響いた。
『原理が分からない時は分解して中身を見ることだね』
『彼』はいつもそう言ってガラクタを集め、部室として使っていたボロ倉庫に並べていた。
そういえば、あそこなら古いコンピュータがあるかもしれない。
旧体育館が使われなくなった備品の保管場所であることを思い出し朝一番で行くことにした。




