別景①:ルパートの失敗
4年、いや、5年ぶりか。
ルパートは初めてここに足を踏み入れた時の事を思い浮かべる。
エルラントの王城は見上げるばかりで足を踏み入れたことなどない。ローレリアとて同様だし、自分のようなただの平民であればそれが当然だ。だから、二度とここに来ることなどないだろうと思っていたのだが。
目の前には花に囲まれた庭園がある。カルディアの、ほんの一握りの人間だけが目にすることのできるその場所に、今ルパートはいる。
見てみると、ルパートの身なりも普段とは違う。
普段は手櫛でざっくりとかき上げた髪も今日はきちんと櫛が入っていて、無精髭もあたってある。黒を基調とした服は袖や襟は金糸の繊細な刺繍に縁取られており、いつも開けている胸元も、今日は金の鎖飾りで閉じられている。
こうして傍から見ると、ルパートは王子である異父弟のルーファスと比べても全く見劣りしない。弟よりもやや細身で浅黒くはあるが、却ってそれが精悍さを増しており、加えて、身に付けた技の所為か身のこなしや立ち振る舞いにもゆったりとした落ち着きが見える。
ただ、本人は着慣れぬ格好が窮屈で不満そうではあるが。
カルディア王城内の庭園。ルパートはそこにいる。
ルパートが庭園を進むと、向こうに年若い女性の姿が見えた。年の頃は16、7歳といった所か。ルパートに気付くと、慌てて後を追いかける侍女を振り切るようにルパートの下へ駆け寄る。
「久しぶりですねルパート!」
「ご無沙汰しております。末姫様」
「末姫はやめて下さい。私はもう17ですよ」
「17ですか。随分と成長なされた」
「あれから5年も経つのです。当たり前ではありませんか」
「そうなのですが、昔の思い出というのは中々拭い難く。私にとっては末姫様は幼い頃の末姫様でして」
「ですから、もうその呼び名はやめて下さい。今でもその名で呼ぶのはお父様お母様とお兄様達くらいです」
ぷん、とふくれる姫。
「申し訳ありません、サーフラウ姫」
姫の返事に苦笑で応えるルパート。
「いつまでも子供扱いしないで下さい」
「いえ、そのようなつもりはないのですが」
「本当に?」
「ええ」
「では、もう『末姫』と呼ぶのはやめて下さいね」
「畏まりました、姫」
ルパートの返事に相好を崩す姫。
カルディア王家には19人の子がいる。サーフラウは呼び名の通り王家の末子で、父母や兄弟から最も慈しまれて育ってきたが、先年、ローレリアとの間にこの姫と王子の婚姻話が持ち上がった。ローレリア王の強い申し入れもあって一旦は検討されたものの、カルディア王が姫を手放すのを嫌がり、姫本人も強く反発したため、この話は纏まらなかった。
姫が強く反発した理由、
「それにしても、ルパートは少しも変わりませんね」
「そんなことはありません。私も同じだけ年を取ったのですから」
「いいえ。昔とちっとも変りませんよ。あの頃と同じです」
その理由を、ルパートは知らない。
「まあ、お褒め頂いたと受け取っておきましょう」
「ところでルパート。父を介さずに私に直接連絡を取ってきたのは、どうしてですか」
「今は戦時中ですから、平民の私ではお父上にお会いするまでに時が掛かります。それで。姫様との旧縁に縋らせて頂きました」
「何か、急を要することが、あるのですか?」
「……お力を、お借りしたいことがございまして」
ルパートの表情が翳るのを見て、姫が答える。
「ひとまず、こちらへ。長くなりそうですから茶の支度をさせましょう」
「恐れ入ります」
庭園に設えられたテーブルに腰を落ち着けると、早速姫が切り出す。
「それで、ルパートのお願いというのは、此度の、ローレリア侵攻に関わる件でしょうか」
「いえ。繋がってはいますが、少し違います」
「詳細を、聞かせて頂けますか?」
「……助けたい、女性がいます」
姫の表情が、固まる。
「じょ、せい、ですか」
「ええ。今はエルラントによって虜の身となっている筈です」
「それは、ルパートの、つま、ですか?」
「いえ、護衛をしていた女性でして。賊の襲撃の折り、彼女の傍を離れていたために守り切ることができませんでした」
「あ、そ、そう。そうなのですね」
「何か?」
「いえ。何でもありません。では、その女性を取り戻したいと?」
「彼女はローレリア王子の前の婚約者でして。そのことで身を付け狙われておりましたので、私と仲間が護衛をしていたのですが、隙を突かれまして」
「ローレリア王子の、婚約者ですか?」
姫の驚きに、ルパートもはたと気付く。
「ああ。そういえば、彼女の前の婚約者はカルディアの姫でしたね。どなたが?」
「えっ?」
「どなたが、婚約者だったのですか?年の頃から言えば5つ上の姉君が、年が近いように思いましたが」
「知らない、んですか、ルパート」
「いえ、存じ上げません。では、すぐ上の?」
「……」
黙り込む、姫。
「あれ?姫?如何されました?」
「……、です」
「はい?」
「……私、です」
「え?」
「私ですよ!知らなかったんですか!」
ばん!
テーブルを叩く姫。
カップが跳ね上がって、陶器特有の高い音が響く。
「え、い、いや、初耳です」
「初耳?そんな筈はないでしょう!カルディア国内ではそのことで大騒ぎだったんですよ!」
「いや、その頃は私、この国にはいませんでしたから」
「いなくったって話くらいは聞いてるでしょう!」
「ですから、話は聞いていましたが、それがどなたかまでは」
「信じられない!道理で何も言ってこないと思ったんですよ!」
「何も、って……」
「私の結婚話ですよ!なんとも思わないんですか!!」
何か、風向きがおかしい。
ルパートに分かるのは、これがすごくまずい状況だということ。
「いや、そんなことは」
「じゃあ、どう思ってるんですか!」
「その話って、終わったことなんでしょう?」
「終わってません!むしろ今からが本題です!」
いかん。このままではこちらの本題に入れない。
「姫、その話はまた後ほど。今は彼女の方の話を……」
ルパートは、今、一番言ってはいけない台詞を口にした。
このような状況をおしなべて、
火に、油を注ぐ、という。
「私よりその人の方が大事なんですかああああ!!」
……この話は長くなる。
ルパートは、失敗した。




