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世間知らずの田舎者

 扉を押し開け、屋敷の中に入る。

 元々大きくもない屋敷だが、それでも使用人位は雇っているし家令だっている筈なのだけど、周囲に人の気配は全く感じない。やや(きし)みのある古い床を鳴らしながら一番奥の部屋まで進むと、そこだけは重厚な黒檀(こくたん)造りの扉に辿り着いた。

 いざと言う時の、家族の避難場所として作られたこの部屋は、しかし戦争から遠ざかった今では目的を変え、主に家族の集う場所として使われている。中に人の気配を感じるのはおそらく父と母だろう。

 普段なら何気なく開けるその扉が、何故か今日は私を拒んでいるように感じてノックすることを躊躇(ためら)わせた。


「帰ってきたか」


 扉をノックするより先に部屋の中から声が掛かる。父のものだ。


「はい、今戻りました」

「入りなさい。グレイス」

「はい」


 扉を開け、室内へ入る。

 華美な生活などできない私達だが、この部屋だけは特別だった。テーブルもソファ、調度は王都の一流工房のもので揃えた貴族向けの一式。絨毯も毛足の長い、手入れに手間の掛かる絹を使った贅沢な品だった。

 客を迎え入れる訳でもないこの部屋に、なぜ父がこれ程手を掛けたのか私は良く知らない。ただこの部屋は私が家に戻ってくる度に「ああ、ようやく家に帰ってきた」と思わせる、そういうなにかがあった。


 だが、今日だけはいつもと違う。

 奥の一人掛けに座る父はテーブルに肘をつき、両手を組んでいる。母は俯いて、手にしたハンカチをじっと見つめているようだった。


「座りなさい」

「はい」


 父に促され、入口に近いソファに腰掛ける。私の定位置だ。


「お父様。お母様。ただ今帰って参りました」


 けれど、父母は何も答えない。私達の間に沈黙が流れる。


「……何故、破棄などした」


 父が、おそらく今一番聞きたいであろう質問を私に投げてきた。


「……経過は、逐次ご報告差し上げていた通りです。王子の、私に対する無下な扱いに耐えかねました」

「他にやり様はなかったのか」

「分かりません。もしかしたら方法はあったのかもしれませんが、その答えに辿りつく術を私は持ち合わせていませんでした」

「それでも」

「でしたら、私にお父様が教えて下されば良かったのです。手紙の返事がただ『頑張れ』『我慢しろ』ではどうしようもありません」

「ならば、破棄を決意する前に、何故私達に相談しなかった」


 は?


「手紙は幾度となく送りましたよ?お読みになってないのですか?」


 私の言葉に、父が虚を突かれたような表情になる。まさか。


「半年以上前から、お前からの連絡は途絶えていた。私達はてっきり、順調に行っているから連絡することなどないのだろうと」

「半年……」


 リチャードの態度が変わった頃と一致する。まさか、そこまでやるとは。


「おそらく、王様とリチャード様の差し金です」

「なぜ?お前は王子の婚約者だろう。そんなことをする理由は何だ」

「王子は私との婚約を破棄したかったからです。あの方の御心はすでに他の女性に向いていましたから」

「では、何故お前から婚約を破棄したのだ」

「断れない所まで追い詰められました。命の危険すら感じる所まで」


 本当に父は何も知らなかったの?いくら田舎でも他の貴族との繋がりで噂位は聞いていそうなものなのに。


「それはおかしい。マイス卿やブラウン卿は『お嬢様と王子はいつも仲睦まじい』と」


 焦りながら答える父。あー。そういうことか。


「マイス侯爵もブラウン伯爵も王様の腰巾着ですよ。聞く相手を間違えましたね」

「王様と近しいことに何の関係が?」

「王様は元々、私との婚約に反対だったからですよ。お気づきではなかったのですか?」


 今度は夫婦揃って驚く父と母。


 だめだ。

 元々田舎暮らしが長くて純朴さが取り柄の二人では、貴族の腹芸どころか言い回しさえ読み切ることができなかったらしい。


「私はまだ信じられません」


 母が焦点の合わない目で、中空を見ながら呟く。


「だって、王妃様はあれほど」

「王妃様は確かにお味方してくださいましたが、王様のご意志には逆らえません」

「他に、頼れる方はいなかったのですが」

「親しい方は全て遠ざけられましたから」


 よく考えて欲しい。周りは敵ばかり。相談する相手もなく、頼るべき婚約者が最大の敵で毎日婚約を破棄しろと追い詰めてくる。さらにそれを支援するのがこの国の最高権力者。方法があるなら教えて欲しい。


「残念ながら、私がどう足掻いてもどうにもできませんでした。こういう言い方は何ですが、もう終わったことです。申し訳ありませんが諦めて下さい。そもそもこの婚約は間違いだった、そういうことなんですよ」


 正直、もう思い出したくない。さっさと切り替えて、私は出直したいんだ。


「……領地と、陞爵の話は」

「婚約を破棄したのだから話自体をなかったことにするそうです」

「私達が集めた、人材や資材は」

「私達が集めたのだから、私達の好きにしろ、そういうことでしょうね。でも父上、その集めた人達はどこに行ったのですか?さっきから誰も見掛けませんが」


 父が、苦渋の表情で言う。


「もう、誰もいない」

「は?」

「お前が王子の不興を買い、あげくに婚約を破棄したと聞いてみな断ってきた。身分と職、土地を約束していたのにそれが準備できないのなら契約違反だと、違約金を請求してな」


 え、ちょ、ちょっと待って?


「契約を済まされていたのですか!?まだ領地も爵位も得ていないのに!?」

「大声を出すな。外に聞こえる」

「誰もいないのなら聞く人間なんかいませんよ!なんでそんな早まったことを!」


 王様との話で、私は補償の提示をしたがすげなく断られた。それでも引き下がったのはまだ何も確約を得ていない父がそのような軽挙には及ぶまいと高を(くく)っていたからだ。


「催促されていたのだ。契約の相手からな」

「当たり前でしょう!一刻も早く契約を交わしたいのは相手にとっては当然のことです。それをうまくいなすのが雇用者の手腕でしょう。まして空手形など切って良い訳がありません!」

「グレイス、お父様の気持ちも考えなさい」


 現実が分かっていないお母様が、的の外れた父の擁護をする。

 お父様、お母様、人が良いだけでは、世の中は渡って行けないのですよ?


「……資材は」

「木材も、種籾も、苗も、工具も、鉄も銅も、全て引き揚げられた」

「……そちらも、違約金が?」

「量が量だけに、支度金を前渡していたが全て違約金になった」

「いくらですか?」

「金貨100枚分」


 はあ!?

 ばん!とテーブルを叩いて立ち上がる。


「そ、そんなお金どっから持ってきたんですか!うちにある財産全部処分したって、いいえ、領地全部合わせたって30枚にも満たないはずですよ!……ま、さか」

「借金を、した」

「どこから!」

「王都の『デルマンド銀行』だ」


 へなへなと、腰が砕けた。

 あ、これは駄目だ。完全に終わった。


「グレイス?」

「……『デルマンド銀行』は銀行ではありません。『銀行』という名の金融業、つまり金貸しです。それも、かなり性質が悪い方の」

「え?」

「契約書はありますか?」

「あ、ああ。エリナ、そこの金庫から契約書を出してくれ」


 母が父の命に従って、金庫から二つ折りの書類入れを持ってくる。


「見せて下さい!」


 母からひったくる様に書類入れを掴み、広げる。

 金額、返済期限、利子、……ああ、頭がくらくらする。


「グレイス、どうした」


 どうした、じゃない!父上、貴方は、なんということを。


「借りた金額は金貨100枚、これは良いでしょう。返済期限は、これは何ですか?今年の8月って、3か月ないじゃないですか。どうやって返すつもりだったんですか!」

「いや、お前の結婚が早まると聞いていたから、十分間に合うだろうと」

「誰から?」

「デルマンドの担当者が」

「……利子は十日で一割の複利。これ、何ですか?」

「用立てる金額が金額なので、利息はやや高めなのだと。複利はどこの銀行でもそうだと聞いた」


 そんな暴利がある訳ないでしょう!


「父上、失礼ですがこれまでお金を借りたことは?」

「ない。今回が初めてだ」

「ではなぜデルマンドを」

「……マイス卿の、紹介で」


 それは完全に嵌められてるんじゃないですか。

 本当にあの親子は、何の恨みがあって!


「今、手元にどの位残っているのですか?」

「ない。金貨70枚分、全部渡してしまった」

「何で『70枚』なんですか!100枚でしょう!?」

「借りる時に『補償金』が金貨20枚、マイス卿への礼金が10枚分あると。その分を差し引かれた」

「契約書のどこにもそんなことは書いてありませんが」

「『商慣習』で書かないものなのだと」

「口約束ですか!?」

「私も、エリナも聞いていたから間違いない」


 ああ、もう、この人たちは。


「……最後のこれ、ですが」

「返済できなかった時の、違反条項だ、な。『契約者及び保証人、スタンレー伯爵領内に属する領民の身分は安堵し、その地位や職についてもこれを保障する』これが何か?」

「私が、入っていません」




 もう、勘弁してよ。

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