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第一話:かみさまLevel1

以前書いていました『勘違いの異世界戦記』を一から書き直す事といたしました。

前作の続きをお待ちいただいた方には本当にご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。


きっかけなど、どうだっていい些細な事。

一瞬、一時、たった一度の勘違い。

それだけで、人は進んでいたはずの道を、大きく、大きく踏み外す。




どうでもいいから病院に行きたい。


千条海里の脳内は、帰宅早々そんな思考に埋め尽くされた。

夕暮れ時の赤く暗い太陽が、気の抜けたような顔に陰鬱な影を残す。陽光を吸収した学ランの妙な温もりが、何となく気持ち悪かった。


「……げほっ」


苦しげに咳を一つ。

喉に火がついたような激痛が走る。

高校入学ワッショイワッショイなどと言って、友達連中と地獄タバスコドリンクゲームなどを始めたのが原因だった。

いくつかドリンクを作り、目隠しをして一つを選ぶというものだが、内容はゲーム名から推して知るべし、タバスコ入りの激辛ドリンクを選ぶとゲームオーバーと言ったものだ。

小学生が考えつきそうなゲームとも言えないお遊びだが、高校生独特の悪乗りを重ね、実際にドリンクに入っていたのはタバスコだけではなく、唐辛子やらワサビやら思いつく限りの辛い物をありったけという狂気じみた内容になってしまった。

主催者の意図すら振り切って暴走したドリンクである。その破壊力は言うまでもないだろう、そして犠牲者がどうなったかもまたしかり。

考案、主催。千条海里。

犠牲者。千条海里。

まあ、お約束であった。

若気の至りとは恐ろしいものだ、と彼はまた一歩大人に近づいたのである。

焼けつくような喉の痛みはただ我慢あるのみだ。ただいまの一言すら放棄し、真新しい学生鞄をドアの辺りに放り出した後、自分の部屋を見返した。


クローゼット。おそらく、内部は乱雑極まりない一種の異空間と化している事が予想できる。

勉強机。小学校入学と同時に買ってもらった物だが、まだまだ現役だ。

窓。光や空気を取り込むために必要な設備である、向かいの家に可愛い幼馴染が住んでいるなどというオイシイ設定は無い。

本棚。マンガ本でいっぱい、参考本に偽装された年齢制限が必要な書物も含む。

ベッド。大枚はたいて買った今話題の低反発枕の上に、見た目十歳そこそこの少女が仁王立ちしていた。


(女の子の幻、と……まあ、そう言う事もある、のか)


我ながら随分と達観した思考、これが大人の階段を上るという事か、と海里は思う。

現実的に考えれば、帰ってきたら見知らぬ女の子が部屋にいるという状況は少しあり得ない。十歳くらいという見た目で、金目の物を目当てに泥棒に入ったというのも少々現実味に欠ける。

はて、タバスコに幻覚作用はあっただろうか。

海里はそんな事を考えながら、かかりつけのお医者様に電話をかけようとして、やめた。

喉の痛みでまともに会話が出来るとは思えなかったのだ。

携帯電話をポケットに戻しつつ、少女を見る。

ツインテールに纏められた立派な銀髪と赤い瞳が目を引き、服装は白いフリルのついたワンピース。高校生を基準にしてもかなり幼いと言える容姿だが、生長したらテレビで見かけるようになるのではないかと思わせる、途轍もない将来性が垣間見えた。

少女は海里が部屋に入ってから、終始窓の外を眺めているため部屋の主に気付いていないようである、また海里の方からも、少女の顔は横顔しか見る事が出来ない。


「ククッ」


ふいに少女の顔に笑みが生まれた、それも音声付で。

タバスコって凄い、と思いながら海里は少女の観察を続ける。


「この燃えるような太陽、まるで妾の門出を祝福しているようではないか」


夕陽に照らされながら、少女は口の端を釣り上げる攻撃的な笑みを見せた。

銀髪が赤い陽光を反射し、幻想的ともいえる美しさで輝く。

海里は少女の体重でくの字に折れ曲がる低反発枕を凝視していた。


「のう……そこの者、お主はどう思う?」


唐突に、少女は海里に向かって問いかけた。

幻覚だと疑わない海里は、少女が身動きするたびに踏みしだかれる低反発枕から目を離さない。

少女は上から見下ろすような仕草だったが、ベッドの高さを足してようやく海里と同じくらいの身長だ。圧倒的に迫力が足りていない。


「どいて、くれないか」

「何?」


返答の代わりに一言だけ、少女にそう告げた。

いくら幻覚だからと言って、自慢の寝具が蹂躙される様子を見ているのは耐え難かったのである。

海里はもしかしたら女の子が踏みまくった枕に顔をうずめるような願望があるのだろうか、と自分に対して恐怖の念を抱く。


「お主、妾が何者か知っておるか?」


少女は腕を組んで問いかけたが、海里には応える余裕が無い。

たった一言で、彼の喉は使用限界を迎えてしまったのだ。


「知らぬのならば知らぬと言うがよい。無言という事は、肯定と捉えてもよいのじゃな?」


声は出ない。

少なくともここ最近の記憶にこんな少女はいなかった。否定したいとは思ったが、海里の体は喉を動かす苦痛のあまり、彼に発言を許してくれない。

理性と本能の板挟みに苦悩する海里に、少女は限界まで顔を近づける。

絡み合う視線。

響きだけならロマンチックな雰囲気溢れる言葉だが、実際は少女の顔は犬歯が見える上品とは言えない微笑をたたえ、海里の方は気の抜けた無表情を貫いている。

お世辞にも、ここから始まる二人のラブロマンス、などという甘い見出しが付くような状態ではなかった。


「面白いのう、お主。妾を相手にここまで無視を決め込んだのはお主が初めてじゃ」

「……」

「そうじゃの……寡黙にして何事にも動じぬ者、こういう者がそばに居るというのも悪くない」


ニヤリという表現がしっくりくる笑み。

海里の体に悪寒が走った。

寡黙にして何事にも動じぬ者って何だ、人並みに平々凡々と暮らしてきたのに突然変な肩書を加えるんじゃない。

思わず後ずさりしようとしたが、動き出す前に少女の手が海里の両肩を引き寄せる。


「妾はお主が欲しい。妾が成すべき大事、お主とならば容易に成せそうじゃ。断るならば追いはせん、じゃが、どうする?」


お前が欲しい、という言葉に甘い響きが一切感じられない。

まず、少女の言葉よりも、肩から伝わる感触が少女は幻覚ではない事を海里に告げていた。

今更になって信じがたい現実を認識し、海里は焦る。


「また無言の肯定か……お主は本当に面白いのう」


いや違うから。

海里の心の声は少女に届かない。

声はまだ出ない。

そしてボディーランゲージによる意思疎通を図ったころには、何もかもが手遅れであった。


「妾はフレイア、この世で最も幼き神」

「……!」

「よろしく頼むぞ、新しき盟友よ!」

「……!?」


彼女は自分の世界に入ってしまったのか、海里の表情がまったく目に入っていない。

やたらと凄みのある笑顔で夕陽を見つめている。

虫の知らせか神の啓示か、海里には人生における途轍もない大惨事が発生する、そんな確信があった。

いやいやと首を振っても、もう遅い。


「……!」


違和感を感じ、ハッと真下を見る。

何か足元が明るいなと思ったら、床一面が光を放っていたのである。自室にこんな訳のわからないギミックを搭載させた覚えは無かった。

光る床からは何やらうねうねと触手のような物が伸びて、海里に絡みついてくる。


「行こう!」

(どこに!?)


心の中だけという謙虚な叫びを上げた瞬間、海里の体は光の中に沈み込んでいった。





♢♦♢♦♢♦


新聞の見出しには『リーフェリア大陸に戦乱の兆し』という文字が大きく踊る。


「北東二ヵ国、質問状を黙殺か、カトラル外務卿は国交断絶を示唆……アーリンガム軍務卿、王国騎士団を再編成、東部国境線の軍備増強を指示……」


続く記事を口に出して読みながら、次のページに目を移した。

一字一句漏らさず、忘れず。

日々悪化する外交情勢に取り残されないようにするためには、必要不可欠な作業だ。王都から直接伝わってくる魔術式の通信伝達を疑っている訳ではなかったが、出来るだけ多くの量、多くの視点から『今』を見極めたかったのである。

事の発端は、ヴァンガーディル王国より東方のグランアーカディアス帝国、大陸中央にあるアルム山脈を挟んで北方のグリスカルド大公国の軍事同盟の締結であった。

幾多の戦乱を呑み干した精強な騎士団、将兵を擁するグランアーカディアスと、魔術分野の最先端をいくグリスカルド。

これから隣国であるヴァンガーディルへと侵攻するのでは。そう疑われても仕方のない行動である。

西方では、魔術とは別に魔力を原動力とする技術により、覇権を握ったラッシェリア連邦がその動きに反発、北東二ヵ国に対する不信感を強める王国側についた。そのため大公国の西端と国境を接するラッシェリアは、守りのかなめである要塞線へと、次々に砲と兵を送りこんでいる。

大陸は、まさに一触触発と言える状況にあった。


「仮に帝国、及び大公国と戦火を交える事になるのであれば、国軍の全力をもって早期決着を……」


あらかたのページに目を通し、ヴァンガーディル王国第二王女、フィオナ・フォスティーナ・エル・ヴァンガーディルは小さな溜め息をついた。

純白のローブは上等ながらも王女としては簡素な物だ。胸元にある王家の紋、そして青色の髪と瞳が彼女が王族である事を示す。髪には少し癖があり、リボンを使って後ろ手に一つに纏められていた。

新聞から先人達がまとめた魔導書まで、さまざまな資料が集まる書庫に、赤色の光が差す。物憂げな表情で窓の外を見れば、いつの間にやら太陽は西の地平へと沈みかけていた。

空がまだ青かった時間から読みふけっていた新聞をメイドにわたし、もう一度赤色の太陽に目を向ける。

戦争。

その言葉が何度も頭の中を巡っていた。

勝てば兵士が死ぬ。

負ければ皆が死ぬ。

長引けば国が飢える。

明るく栄光に満ちた未来など想像できるはずもなかった。

フィオナは太陽の眩しさから目をそらすように、下を向く。

貴族の作り笑いから逃げ出すように、王都を飛び出したのが十四歳の頃。それからもう二年以上経つ。新しい生活の場となったカレリア城の城主は、おおらかな性格で、困った顔をしながらも笑いながら受け入れてくれた。城の外へ、身分を隠して遊びに行く事もあって、城下にも友達がいる。

だが、カレリアはヴァンガーディルの最東端の都市。

戦争が始まれば真っ先に戦場になる。

未来を描いても、過去を思い返しても、フィオナは悲しい思いしか抱く事が出来なかった。

王族ならば毅然としろ、と姉から何度も言われたが、やはり生まれ持った性格だけはどうしようもなかったようだ。

自嘲を込めた笑みを浮かべ、フィオナは歩きだす。


「殿下」


書庫を出てすぐ。自分の耳にだけ届くように調節された静かな声。フィオナのすぐそばに控えていたメイドである。

小豆色をした髪を肩口で切りそろえ、その上によく手入れされたホワイトブリムが乗っている。キリリとした強い眼差しが特徴的なメイドであった。


「お待たせしてしまいましたね、行きましょう、ユーニス」

「私にはもったないお言葉です。ですが、あまり侍従に気を遣いすぎると、妙な噂話を作り出す者が出るやもしれません。お気を付けください」


淡々と帰ってくる言葉に、フィオナは苦笑した。

十六歳にして王族付きという肩書。このメイドの名をユーニス・アルクィン。

常にそばにいるのであれば同年代の者の方が姫の気も休まるだろう、そんな城主のはからいにより、フィオナの世話を仰せつかったメイドの一人である。

彼女は勤勉実直に、必要とされるあらゆる職務を良くこなし、同じように配属された同年代のメイド達を上手くまとめていた。


「はあ、ユーニスは真面目ですねぇ」

「メイドであれば誰でもそう答えますよ、私にも体面くらい守らせてください」

「なっ、私を気づかった発言だと思ったのに! 何だか黒いですよ!」

「はて、黒いとは人聞きの悪い。何事も要領よく正確に、世渡りもまたしかり。メイドの鉄則ですわ」


しれっと答えるユーニスの声は、やはりフィオナだけにしか届かないよう上手く調節されている。

不穏当な発言が外部に漏れる事は無かったが、フィオナは小動物のように震えていた。

今まで見てきたメイド達の笑顔の裏には、そんな黒い感情が渦巻いていたのか。

何か大事な物が崩れ落ちた、そんな感覚にとらわれる。


「冗談です、メイドの世界はそこまで汚れていませんよ」


ユーニスはそんなフィオナの様子を見て小さく笑い、言った。

すまし顔でありながら、口元は少しだけ微笑んでいる、してやったりと言った顔だ。


「そろそろ夕食のお時間ですので。そう難しい顔をされていてはせっかくの料理も美味しくいただけないでしょう」


今度は少し眉尻を下げ、困ったような笑みを浮かべる。

フィオナはほっと息をついた。

二年もそばにいれば気心の知れたもの。自分を元気づけるための冗談に怒りを向けたりはしない。

冷たい雰囲気とは裏腹に、ころころと表情を変えるユーニスにつられ、フィオナもまた微笑んだ。


「心配させてしまいましたか」

「それはもう、城内で殿下を心配しない者などおりません。皆、落ち込んでいる殿下を見て、どうやって元気づけようか話し合っております」

「う……それは申し訳ないです」

「ええ、そう思われるなら、お食事時くらいは笑顔を見せてあげてくださいね。皆喜びますよ」


喋りながら廊下を歩いていると、外から内に流れる風の気配を感じた。

廊下の突き当たりの扉が開放され、その向こうに薄暗いながらも夕陽に照らされて赤く染まった庭園が見える。城の内では中庭とされる場所であった。均一な芝生の中に噴水があり、夏場であっても涼しく過ごせる空間になっている。

外に出れば風が気持ちいいだろうな、ふとフィオナはそう考える。少しだけ寄り道していこうと思った。

扉を抜ければ空気がガラリと変わる。

一日中閉ざされた部屋の中にいたフィオナは、頬を撫でる空気の感触に目を細めた。

が、


「……あれは」


思わず声が出る。

たびたび訪れる、見なれた庭園に何か違和感を感じた。

フィオナは立ち止まって庭園を見渡す。

違和感の正体はすぐにわかった。噴水の向こう側に人がいる。

いや、そこに人がいた事が問題ではない。

きっとフィオナは大通りの真ん中で同じ人物を見つけたとしても、同じような違和感を抱くだろう。

その人物の容姿、雰囲気、全てが『違う』と感じた。

彼は少年であった。今まで見た事のない、真夜中の湖面のように黒い髪。軍服を思わせる詰襟の服もまた髪と同じ黒、頭から足までほとんど全てを黒一色で統一していた。

フィオナからは横顔しか見えず、彼が何を見ているのか判断がつかない。

ふと、少年が何かを探すように顔を動かす。

目が合った。

少年を見た瞬間から感じていた違和感がさらに強くなる。

まるで絵画の向こう側にいるはずの英雄や悪竜がそのまま出てきたような。住んでいる世界から何もかもが違う存在と相対している、そんな感覚に包まれる。


「あ」


そんな感覚も長くは続かなかった。

しばし視線を合わせた後、少年は何事もなかったかのように踵を返したのである。


「殿下?」


ユーニスがいぶかしげに声をかけた。

彼女のいた方向からは、少年は噴水の影になって見えなかったのだろう。

少年の背を向けて立ち去る少年を見つめていたフィオナは、ユーニスの声でハッと我にかえる。


「ユーニス?」

「どうかなさいましたか? 体調がよろしくないのなら、医者をお呼びいたしますが……」

「あ……大丈夫ですよ、ええ……」


木々の背の高い影が風で揺らめく。

もう一度噴水の向こうに目を向けた時には、少年の姿はもう見えなくなっていた。






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