85話
再び主人公不在。
あの子が無口だからやっぱりこういうときに説明多くなりがち……。
◆
食事を終えて、エルツィアはソリステラとともに緩やかな帰路についていた。
まあ食事というよりは軽いお茶であったのだが、出された品に関しては自分もソリステラも非常に満足である。
”ポポンのパイ”。
”ポポン”といえば皮の表面が白い柔毛に覆われた果実で、上手く調理に活かすには技量がいるために専ら生で口にされる食べ物だ。
店の質を測るにはもってこいの品だったので食してみると、これが本当に美味しかった。料理はすべて店主が作っているとのことだったが、その実力の高さが窺える。
そもそも今日あの店に赴いたのは、学院の女子生徒の間で噂になっていたのと、父と兄も興味を匂わせているようだったからだ。
ソウェニア三柱のうち『財』を担う家の当主と、その跡取りの勘を刺激した店ということで、エルツィアも興味が湧いたのである。
「さすがね、お父様もお兄様も」
「本当、とっても美味しかったねエルちゃん」
幼少の頃から、ソリステラは自分のことをエルちゃんと呼ぶ。それにこの気の安い喋り方も、おそらく彼女の家族を除けば自分に対してだけであろう。
「さっきのエルちゃん、かっこよかったよ」
「え?」
「鳥人の女の子をかばって冒険者に立ち向かったでしょう?」
「ああ、そのことね。ソリスも一緒にいてくれたからよ」
これは本心である。
彼女が傍にいたから勇気が湧いたのだ。もしひとりだったなら、あの場で動けていたかわからない。
「わ、私なんてそんな……」
ソリステラの悪い癖だ。彼女は昔から自身のことを卑下しがちなのである。
「いいえソリス。あなたは知らないかもしれないけれど、私は今まで何度もあなたに力をもらっていたのよ」
「エ、エルちゃん……」
ソリステラには特筆すべき長所がある。
それは、『知』だ。その優れた知力は、学院の中でも指折りどころかトップといっても過言ではない。さすがに国お抱えの軍師や政務官などには経験およばぬだろうが、知力自体は決して引けを取らないだろう。
「……それにしても、不可解なのはあの冒険者たちの態度ね」
別に自慢ではないし自分で言うのもなんではあるが、自分もソリステラもこの国においては知らぬ者のほうが珍しいほど顔が周知されている。それぞれ『三柱』たる大貴族の娘なのだから至極当然だ。
だというのに、どうも彼らは本当にこちらのことを存じていないようだった。さらにそれを抜きにしても、ただの冒険者が明らかに身なりの良い相手にあのような強気の態度をとるのは、やはり妙である。
「やっぱりエルちゃんもそう思うよね。たぶんだけどあの人たち、最近この国に入ってきたばかりなんだと思う」
「ええ、私も同じ予想よ。それからあの強気な態度も……」
「…………」
きっとソリステラも自分と同じ結論に到ったのだろう、哀しそうに俯いた。
立場の不明な相手に対してのあの態度は、つまるところ『多少身分が高い貴族などには怯む必要がない』ということ。要するに、かなり強力な後ろ盾がついているのだ。
そしてこちらの身分立場を気揉んだ様子がなかったことから、おそらくその後ろ盾はこの国で最たるほどの力を持っていると予想できる。
考えた中で最も可能性が高い人物は、元老院長サイモン。サイモン・サーヅリス。
そう――ソリステラの、祖父だ。
「……この話は終わりにしましょう。ねえソリス、また今度あのお店に一緒にいってくれるかしら?」
「う、うん、もちろんだよエルちゃん」
先の話にまだ少し引き摺られている様子はあったが、なんとか吹っ切ったのか小さいながらも笑顔を見せてくれた。無理やりに笑ったというわけではなさそうなので、ひとまず大丈夫そうだ。
ともあれ、今日は父に報告すべき出来事が多い。
先の冒険者の件もそうであるし、店の質についても感想を伝えねば。
それに何より、例の『銀髪』の麗人についてである。
「まさか、あのような場所で給仕をしているとは思いもよらなかったわね」
「うん。店主さんと知り合いなのかな」
このあたりはさすがの付き合いの長さか、ソリステラはこちらが話題を変えたことをすぐさま理解し、応じる。
「形はどうあれ、事前に縁を結べたのは良い報告になるわ」
「うん、きっとエルちゃんのお父様、喜ぶね」
しかしあの銀髪の麗人、リフィーズ陛下が帰国した際にも遠目にしたが、改めて近くで見ると本当に美しかった。
正直なところ、物静かで少しばかり愛想には乏しい。が、それが逆にその美貌を彩り、どこか神秘さを纏っていたのである。……それになんといってもあの艶めかしい正銀の髪、個人的にもただ女性としても、羨ましいばかりだ。
まあともかく、やはりこの件が父に対する最も重要な報告になりそうだった。
「――と、いうことです、お父様」
「うむ、ご苦労だった。しかしエルツィア、あまり危ない真似はせんでくれ。今回は運良く大事にはならなかったが、一歩違えば大怪我どころでは済まなかったのだぞ」
いつも通り父親らしい厳かさはあるものの、やはり娘が危険な目にあったのが憂わしかったのか、少し困ったように眉尻を下げる父。ふう、と息をひとつ吐き、
「だが、例の『銀髪の客人』と縁を持てたのは僥倖だ、よくやったぞ。さすがは我が娘だ」
「ただ運が良かっただけですわ」
「運は商人にとって重要な武器のひとつだぞ」
「ふふ、お父様ったら。私は商人ではありませんし、この家を継ぐのはお兄様ですわ」
「ははは、そうだったな」
こうして父と軽口を交わすのは久々だ。お互いに幾分か心にゆとりができたのだろう。
「それで、ご当主様の容態についてですが……」
と、最後にそれを報告すべく居住まいを改める。
父も応じて表情を少し引き締めた。床に伏している友人の様子が、やはり強く気になるのだろう。
「うむ、聞こう」
「はい。医療師によると、原因は過労と診断されていたそうです。これはお父様もご存知でしょう」
「ああ、そう聞いている。しかし……」
「ええ。一向に良くなる気配がないので、昨日にもう一度じっくりと診察を行ったとのことです」
「それで、結果は?」
促す父に、しかし頭を振る。
「それが……全くわからなかったそうです。少なくとも、医術的な観点からは原因は見つけられなかった、と」
「うむぅ……」
「ただ、容態の移りには目立ったところはなく、良くも悪くも変化はないそうです」
「そうか……わかった、ご苦労」
話を聞き終えると、父はしばしの瞑目の後ゆっくりとうなずいた。原因不明という結果に不安を感じたのか、それとも容態が悪くなっていないことにひとまず安心したのか。いや、おそらくは両方だろう。
「さて。ではエルツィア、もう部屋に戻っていいぞ。ゆっくり休みなさい」
何であれ、父がそう言うのなら、今は自分がどうこうすることでもなかろう。
「はい、お父様。お仕事の邪魔をして申し訳ありませんでした」
「いやいや、構わんさ」
そうして父の執務室を出ると、言われた通りまっすぐ自室へと戻った。
今日はもう客人と会ったり出かける予定はないので、まずは家着に着替えて気を楽にする。次いで窓から空に視線をやると、わずかに夕色を孕み始めていた。湯浴みにはまだ早い時間か。
そう、湯浴みといえば、
「……さっき渡した薬品、使い方はあれで覚えたかしら?」
「はい、問題ございません。本日のご入浴でお使いなさいますか?」
「ええ、そうして」
「畏まりました」
本心を言ってしまうと、「どうせ今回も無理だろう」という思いが強い。
しかし、頂いた相手はリフィーズ陛下の客人だ。使わずにいるなど失礼も失礼である。
効く効かないはこの際かまわない。
問題は、後日ふたたび対面したときにどのように感想を伝えるかだ。もしも例の『銀髪の客人』が件の薬品に自信を持っていた場合、この荒い髪を見て気を良くすることはないだろう。それどころか下手をすると嫌われる。
リフィーズ陛下の客人の顔に泥を塗るわけにはいかない。万が一にもだ。
今はちょうど暇がある。上手い言い訳を見つけるべく、しばらく思案に臨むことにした。
――これから少し後、この労力がまったくの無駄になることを知ることとなる。
そろそろストーリー動かしていくから、諸々よろしくシルヴェリッサ。
シルヴェリッサ「……ん」